「勇者」の物語がゆっくりと始まる

入れ替わりと周囲の反応

 わたし、ミルドレッド・スターリングはスターリング王国の王女である。姫である。今年の暮れには十六歳。

 自分で言うのもなんだが、わたしはなかなか優秀ではないかと思う。

 王女に要求される一般的な教養はすでに修め、政治の話なども重臣とそれなりにこなせる。王として兄がいるからわたしの意見が実際の政治に反映されることはないが、大臣たちはわたしの考えをしばしば豪快と評する。

 箱入り娘の世間知らずというハンデはあるが、本は哲学書から詩歌集、戯曲、さらに市井の絵入り物語まで幅広く読み、ある程度の常識は持ち合わせているつもり。王族のたしなみとして時折詩作をするが、宮廷詩人には勇ましい詩とよく言われる。

 護身術の一環として習う武術も、指導教官を時々感心させるくらいには得意。度胸があると褒められることが多い。魔法に関しては九歳で三系統を使えるようになり、レメディオスを驚かせた。使い方が荒っぽいと苦言を呈されることもたまにあるが。

 見目だって、その、それなりに自信があるし、いろんな人から――世辞交じりかもしれないけれど――褒められてきた。父譲りの金色の髪はすらりと腰まで伸び、母譲りの碧の眼も誇りにしている。プロポーションは抜群。胸のふくらみもボリュームたっぷりで自慢の種。


 でも、容姿に関しては、昨日までの話。



 階段から転げ落ちた後、目を覚ますとわたしはベッドに寝かされていた。

「フィンレイ?」

 自分といっしょに転落した幼なじみのことが気になり、身を起こす。

「痛っ……」

 頭やその他全身がずきずきと痛む。フィンレイにかばってもらったはずなのに、ひどく打ちつけてしまったらしい。

「あら、目が覚めたわね。大した怪我でもなかったから回復魔法は簡単に済ませちゃったけど、ま、一晩寝れば全快すると思うわ」

 わたしを見て、レメディオスはそう言った。

 おかしい。

 この家庭教師は、さっきこそとんだ変態ぶりを見せたものだけど、基本的には礼儀作法をわきまえた淑女である。王女であるわたしに対してこんな馴れ馴れしい口を利くことなんてない。

 でも、今はそんなことよりフィンレイが気にかかる。

 周囲を見渡す。フィンレイは見当たらない。粗末とは言わないが、城内にしては質素な部屋。王族はおろか大臣や貴族にもあてがわない水準の……そう、例えば家庭教師とか料理人とか衛兵とかの、使用人が使うための部屋みたい。

「心配しなくても、あなたのおかげで怪我ひとつせずご無事だったわよ。ありがとう」

 レメディオスがまた砕けた口調で話しかけてくる。

「…………」

 大人げないがいささか不愉快なのと、状況がよく飲み込めないことから、わたしはひとまず彼女を無言で見つめ返してみた。

「ああ、逃げる途中で姫様から話を聞いたのかもしれないけどそんなに怒らないで。先王陛下も妃殿下もがっかりはしてたけど、神託は実現しなかったわけだし、これ以上姫様を狙おうなんて思ってないはずだから」

 今のセリフではっきりしたことが一つ。

 レメディオスは、目の前にいるわたしを『姫様』だと思っていない。

 では、わたしは誰だと見なされているのだろう?

「いたたた……」

 また頭が痛み、わたしは後頭部に手をやった。

「……え」

 うなじに、手が触れる。

 髪を長く伸ばしているわたしは、その髪をまとめるなりしないことには触れないはずのうなじ。そこに、手が触れている。それだけじゃなくて、首筋に近い辺りなんて髪が短く刈り込まれていて、ちくちくする。

 わたしは両手で頭全体をまさぐった。ショートカットどころじゃない。まるで男性のように短い髪の毛。

「ちょっと、どうしたの? 打ちどころは悪くなかったはずなんだけど」

 頭をかいた両手を下ろし、眺める。

 そこに数本絡んでいる髪の毛は、黒くて硬い髪質。それに両手自体が、本来のわたしのものよりもやや大きめで少し骨ばっている。

 ……まるで、男の子みたいに。

 胸を見下ろす。周りの大人ほどではないがかなり豊かに育ち始めた膨らみがあるはずの場所は、あまりに平らになり果てていた。

 そして着ているのはさっきまでのネグリジェではなく、護衛騎士が城内で着用する簡素な礼服。

 下半身は毛布に隠れているが、どうなっているかは想像がつくような気がして、確認はしなかった。今のわたし自身の身体なのだから、触覚的に、股間に未知の異物が生えているのはすでにわかるし。

 わたしの身に起きた異常事態。それは、荒唐無稽な絵入り物語でよく目にする、あの手の展開ではなかろうか?

「あの……レメディオス……」

 口を開けばいつもよりも低いボーイソプラノみたいな声に、ますます推測が裏付けられていく。それでも嫌々ながら家庭教師に事実の確認を取ろうとした時。

「キャアアアアアッ!」

 絹を裂くような少女の悲鳴が近くの部屋から聞こえてきた。

 ここがあの階段から一番近い使用人の休憩所なら、あの位置は王族用の控えの間のはずだ。そして起きた事態がわたしの推測通りなら……。

「ちょっと、怪我してるんだから激しく動いちゃ駄目よ!」

 ベッドから飛び降りて部屋を駆け出すわたしを、レメディオスが背後から呼んだ。

「フィンレイ!」

 ああ、予想通りの呼び名。だけど落ち込んでいる場合でもない。

 控えの間の扉を開けると、片隅の化粧台に座ったネグリジェ姿の少女が呆然と鏡を眺めていた。部屋には他に、付き添っていたらしい父と母だけ。足音が聞こえるからレメディオスもすぐ来るのだろう。

「フィンレイ、そなた怪我はもういいのか?」

 父が訊ねてくるが無視し、少女に近寄る。

 鏡越しに目が合うと、少女はくるりと振り向いた。

 そこにあるのは、いつもなら鏡の向こう側にしか見られないはずの顔。

 白い肌はいつも以上に青ざめ、長く伸ばした金髪にも張りがない。碧色の瞳は驚きで大きく見開かれ、ちょっぴり涙がにじんでいる。

「あなた、フィンレイね?」

 こくりと肯いた少女は、わたしを見上げて訊ね返す。

「あの、君は、誰? 僕に、よく似ているけれど……」

「ミルドレッドよ」

 他の人間にも聞こえるようにはっきりとした声で言った。

「わたしたち、階段を転げ落ちたショックで心が入れ替わっちゃったみたい」

 わたしの心がフィンレイの身体に。

 フィンレイの心がわたしの身体に。


「まだ疑いますか? では八年前の話を一つ。光系統の魔法で幻覚を生じお父様を落とし穴に嵌めた時、クッションのつもりで底に敷いた小枝がお父様のある部位に突き刺さりました。その部位と怪我の様子を詳述してみせますが?」

「いやいやいやいや、それには及ばぬ!」

 父は顔を真っ赤にすると大きくかぶりを振った。

「しかし……それとて、フィンレイがミルドレッドからあらかじめ聞いていたとすれば説明はつくんじゃよな」

「あんた自分の娘がどれほど口軽だと疑ってるんですか」

 問答はさっきから膠着状態。わたしがどれだけミルドレッドしか知らないはずのことを口にしても、なかなか信じてもらえない。

 だいたい、『フィンレイ』が先王に対してこれだけ抗弁するという時点でいつもと違うことは確定だろうに、本当に腹立たしい。

 悪い夢でも見ているみたい、と思っても、五感は自分が目覚めていることをはっきり教えてくれる。自分が少年の身体で動き、しゃべっていることを、明確に意識する。

 隣では『わたし』の身体のフィンレイがめそめそ泣いていて、わたしは孤軍奮闘せざるを得なかった。

 と、しばらく黙って成り行きを見守っていた母が口を開く。

「ミルドレッドを疑うってよりは~、フィンレイくんとミルドレッドの二人がそれだけ何でも話し合ってた仲良しだという可能性を捨てきれないのよ~」

「こんな時にそんな悪ふざけをする意味がありませんわ」

 言い返しても、首を傾げられてしまう。

「こんな時だからこそ、じゃないかしら~? ミルドレッドにしようとしたことを聞いて怒り狂ったフィンレイくんが仕返しを企んだとか~」

「ぼ、僕、びっくりはしましたけど、そんなことはしませんっ」

 少女――『ミルドレッド』の姿をしたフィンレイが涙ながらに反論する。でも女の子の声だと、いつも以上に力弱い。

「僕は姫様を守るための騎士で、同時に王家に従うものだから先王様や王妃様に迷惑をかけるようなことなんかするわけが……ああ、でも、こんなことになってしまって、皆様にものすごい迷惑になってしまって、いったいどうすれば……」

 両手で顔を覆ってさめざめと泣き出すフィンレイをとりあえずなだめる。

「落ち着きなさいってば。あんたは責められるようなことは何もしてないわよ。誰かが変なこと言い出したら黙らせてやるから、泣かないで」

 普段のわたしより可憐に見えてしまうのが何か悔しい。

「あ」

 脇にじっと控えていたレメディオスが、何かを思いついたように声を上げた。

「何かしら? レメディオス」

「いえ、単純ですがたぶん効果的な判別法を……それにしても、フィンレイの姿でそんな風に毅然と振る舞われるとまことに凛々しくていらっしゃいますね。男装の麗人を見ているようです」

「わたしのこともフィンレイのことも全然褒めてないように思えるのは気のせい?」

「気のせいです」

 簡単に流すと、家庭教師は説明に戻った。

「魔法を唱えてもらえばいいんです。もしミルドレッド様の使える炎・雷・光の三系統をそちらの『フィンレイ』が使えて、フィンレイの使える氷・風・闇の三系統を今の『ミルドレッド様』が使えたとすれば、これはもう魂の移動が発生したと考えて問題ないかと」

「ああ」

 六系統ある魔法だが、一人が使える系統は最大三つまで。これは生涯変わらない。

「でも……」

 フィンレイがわたしに近寄っておずおずと口を開く。

「もし、姫様が僕の三系統を使えるようになっていて、僕が姫様の三系統を使えるようになっていたら……」

「その場合でもわたしたちが入れ替わってないことの証明にはならないわ。使える魔法の系統は魂ではなく肉体に由来するってことに考えを改めるべきかもね」

 わたしは即座に返答する。

「とにかく! そういう心配は後回し! 今のままじゃ父様も母様もこっちを信じきってくれないし、第一わたし自身が落ち着かないもの!」

 宣言して、さっそく呪文を唱えてみた。

「炎よ舞え、雷よ踊れ、光よ輝け!」

 立て続けに唱えた、初心者用の小規模の呪文。それに応じて、掌の上で拳大ほどの炎と雷と光が発生する。

「はい、次はフィンレイ!」

「は、はい。氷よ煌めけ、風よ吹け、闇よ漂え……」

 少女の姿のフィンレイが呪文を唱えると、こちらも順調に氷と風と闇を作りだすことができた。

「これでもまだ、わたしがミルドレッドであること、この子がフィンレイであることを疑う人は?」

 わたしが訊ねると、大人三人は唇を結んだ。深夜の城内に物音はなく、外からかすかにフクロウや虫の声が届くばかり。

「もう疑ってるわけじゃないけど~、考えられる可能性としてはもう一つ、二人がそれぞれ六系統の呪文を使えるようになったってこともあるんじゃないかしら~? ほら、勇者様には四系統以上呪文が使えるって言い伝えがあるでしょ?」

 母がレメディオスに訊ね出した。

「それはあくまで言い伝えですので。普通の人間ではどれほど努力しても三系統が限界のはずで、ミルドレッド様もフィンレイも常人からかけ離れて魔力が高いわけでもありませんし」

「それもそうね~。二人が入れ替わったのは間違いないみたいね」

 母の言葉にわたしとフィンレイはようやく安堵の吐息をつけた。異常事態が起こっただけでもしんどいのに、周囲に信じてもらえないとなったらたまらない。

「……それにしても、こういう形で神託が成就するとはな」

「え?」

 しばらく黙っていた父が、感慨深げに変なことを言い出した。

「いや、今のミルドレッドはまさしく男だろ?」

「確かに、その通りですけれど……」

 認めたくない。でも生物学的には、今のわたしが男じゃないと言い張るのはさすがに無理だろう。

「あ~、私たちがわざわざ薬を作る必要なんてなかったのね~!」

 おいちょっと待て。何変な形で盛り上がってやがりますかお父様お母様。

「我々の予定としては、ミルドレッドは急な病になって辺境で静養ということにして、その間に修行も兼ねつつ少数精鋭で諸国遍歴でもしながら、そのうち起こる大事件に備えてもらうつもりだったわけだが……」

「まあ、フィンレイちゃんに王族の仕事をいきなりさせるのも無茶でしょうし、『ミルドレッド』が静養するのは同じでいいんじゃないかしら? で、『フィンレイ』くんたちに旅に出てもらうということで~」

「ならやはりそれなりの身分を与えた方が動きやすいよなあ。でも『フィンレイ』ならおおっぴらに爵位授与をしても大丈夫か。あのルメス湖畔の保養地辺りを封じて辺境伯とかどうだろ」

「恐れながら、他国における辺境伯はそもそも危険な国境付近を任せる者に与える重要な身分であり、単に領地が僻地だから名乗らせるというものではございません」

 レメディオスがどうでもいいところに口を挟む。

「そうなのか、辺境伯って響きが何かかっこいいからそのうち使おうと思ってたのに」

「勝手に話を進めないでください!」

 突っ込みが全然追いつかない。

「わたしはずっと男でいるつもりなんて全然ありません! フィンレイだっていい迷惑です!」

「え、あの、僕は、姫様さえよければ……」

 しおらしい声で殊勝だが空気を読まない発言をするバカを、わたしは睨みつけた。

「あんた、わたしが今、このままでいいとか思っているように見えるのかしら?」

「…………」

 声も出さず首を横に振るフィンレイ。涙目はやめなさい、まるでわたしがいじめているみたいだから。

「これこの通り! さっさと元に戻ってそれでおしまいにいたします!」

「でも、どうやって?」

 母に問われ、わたしは言葉に詰まった。

 精神を取り扱う魔法なんてものは、幻覚を見せるとか混乱状態を鎮めるとかのごくわずかな例外しか――それとて、神経や脳に物理的に作用するわけだから、実質的にはまったく――存在しない。ましてや精神を取り出して別の身体に移すなんて夢のまた夢。物語でしかお目にかかれない代物で、だからこそさっきわたしたちの入れ替わりを信じさせるのにも一苦労したわけで。

 不安が募る。もし一生このままだったら、どうしよう?

「呪薬でどうにか……」

「そんな便利な薬があったら教えてほしいわ~。あ! 色々片づいたら、さっきの性転換薬を二人で飲めば? そうすればお互い元の性別には戻れるわよ」

「本質的な解決になってません!」

 そりゃフィンレイの身体で女の子になったらかなり可愛いだろうけど……って、わたしまで変態どもの影響を受けているような。

「じゃ、じゃあ、さっきの現象を再現するということで」

「階段落ちか? いかんいかん! そんなことして今度は打ちどころが悪かったらどうするんだ!」

 蘇生呪文も絶対確実なわけではないから、死は極力避けるべき。ゆえにその言い分はもっともなのだけれど。

「……娘を男にして冒険の旅に出すのは良くて、階段を転げ落ちるのは駄目だと?」

「ミルドレッド、その顔、おっかないからやめてくれるとうれしいんだが」

 理不尽なことを言う父を睨みつけると、先王ってば目を逸らしやがりましたよ。

 献策の一つもしない家庭教師に視線を向けたら、この女、変な具合に息を荒げてた。

「こうして見るとフィンレイの顔も思っていた以上にかっこいいですね。見た目の繊細さに精神的なたくましさが加味されて、非常に魅力的な美少年でございます。しかもその内面があの男勝りだけれど女の子らしさも多分に持ち合わせている姫様だなんて……ああ、やっぱり性転換はいいものですね。私ハァハァが抑えきれそうにありません」

「真面目にやりなさいっての!」

 父の駄目さは単なるヘタレだからまだ理解可能だが、レメディオスの変態は何か次元が違う気がする。

「あの……焦らなくても、ゆっくり調べればそのうち元に戻る方法もわかるんじゃないでしょうか」

 わたしの身体のフィンレイが、恐る恐るといった雰囲気で口を開いた。

「その、勇者がどうとか旅に出て冒険とかは、別に何も事件が起きてるわけじゃないですし後回しにして、とりあえず、あの、どこか人目を避けて、そこで、研究とかを……」

 しゃべっているうちに緊張で見る見る硬くなっていく。考えてみればフィンレイが人前でこんなに長く意見を述べたのなんて初めてかもしれない。

 こいつってば運動だって勉強だって人並み以上にこなせるのに、積極性がないせいで、ろくでもない奴らから陰口を叩かれたりしてしまう。まあ、わたしが陰口を聞きつけ次第その相手に制裁を加えまくったので、今の王宮にそんなことする奴はもういないけど。

「落ち着きなさいよ、バカフィンレイ」

 わたしは近寄って手を握った。

「あんたの言ってること、たぶん一番の正論だわ。ここにいる変態三人衆よりよほどまともよ」

「姫様……」

 また潤み出した瞳でわたしを見上げてくる。この目線の位置は、去年わたしたちの身長が逆転して以来。

「大丈夫。あんたの言う通り、じっくり調べればきっと元に戻れるわ」

 幼い頃、初めて会った時のように頭をなでてやる。あの時はこの子、家柄を鼻にかけたアホ連中にいじめられて泣いちゃってたっけ。

「お父様、先ほどのルメス湖畔の保養地、それと魔法や呪術に長けた人間を何人か、しばらく貸していただけますよね? 王女ミルドレッドはしばらくそこで静養させていただきます。もちろん護衛騎士のフィンレイもいっしょに」

「は、はい……」

「でもミルドレッド、勇者様になったんだから、冒険しないと~」

「黙らっしゃい! 危機もないのに冒険する勇者なんていません! ああ、あなた方の顔はしばらく見たくありませんから、元に戻ったらしばらくは旅行に出るつもりですけれどね!」

「あらあら~」

 やんちゃなお子様は困ったものだと言いたげな、切迫感のない母の顔。怒りや苛立ちもごっそり削られてしまいそうだがどうにか気力を振り絞る。

「細かい話はまた明日でいいですね? それではどいつもこいつも自分の部屋のベッドに戻って、明日の朝にはもうちょっとはマシなおつむになれるよう祈りながら寝てください!」

 口で言って、手でも追い払う。するとレメディオスが熱っぽい目で見つめてきた。

「ああ、そんな、野良犬に投げかけるような視線で私を見るのはおやめください。ドMの快楽に溺れてしまいそう……」

「あんたの守備範囲どんだけ広いのよ! 消え去れ!」

 わめいていると、フィンレイまでおぼつかない足取りで部屋から出ようとしている。

「待ちなさいよフィンレイ。あんたは残って」

「あら~、ミルドレッド、さっそく?」

 何が『さっそく』だ。

「お母様、これ以上娘に蔑まれたくなかったらその口を閉じて早く出て行ってください」

「今は息子でしょ~?」

「それを言うなら今のわたしたちは血の繋がってない他人です。フィンレイにはわたしのふりをするために教えたいことが色々あるだけです」

「まあ、そういうことにしてあげるわね~」

 母は最後にそんなことを言うと、こちらが言い返すより早くドアを閉めてしまった。追いかけたい気分だけど何とか我慢する。

 そして部屋には、入れ替わった当事者であるわたしとフィンレイの二人きり。


 でもフィンレイにはあまりあれこれ教えるまでもなかった。いつも朝から晩までわたしの傍に付き従っているわけだし、基本的な情報はだいたい知っているのである。それに、すぐ保養地へ出立し、そっちでは演技をする必要もなくなるはずだから、せいぜいここ数日を乗りきれば問題なし。

 わたしから教わることもあまりなく、いくつか確認したくらいで終わった。

「他に何か知りたいことある?」

 わたしが問い、フィンレイが答える。

「ええと、もうないと思います」

 というわけで用件はあっさり済み、済むととたんに落ち着かなくなった。

「……寝ようか」

「そうですね。おやすみなさいませ」

「ちょっと、どこ行くのよ?」

 立ち上がって部屋を出ようとするフィンレイを呼び止めた。

「え、でも、ここは姫様のお部屋ですから」

「今はあんたがその『姫様』でしょ。部屋を出ていくのはこの場合わたし。あんたの部屋使わせてもらうわね」

「そ、そんなのダメです!」

 ネグリジェ姿のフィンレイはいやいやをするようにかぶりを振った。

「姫様は姫様なんですから、僕の狭い部屋なんか使っちゃいけないです」

「ああ、ごめんね、騎士の待遇が悪くて」

 謙遜のつもりだろうが雇い主に対してそれを言うのはひどい嫌味だ。

「え、ええ? ち、違います、ごめんなさい!」

「冗談よ。それにしても、じゃあどうしろっての?」

 残る選択肢は一つしか思いつかない。

「一緒に寝るしかないか。ベッドは大きいし」

 すると、フィンレイがなぜかびくっと身を竦めた。

「どうしたの? フィンレイ」

「え、あの、なななな、なんでもないです」

「……まさかあんたまであの変態連中みたいなこと考えてるわけじゃないでしょうね」

「いえいえいえ! あの、そんな妄想なんかしてないです! 別に、その、初めてが気持ちいいなんて幻想は抱いてませんから! でも、痛くても姫様のためなら……」

「落ち着きなさい、バカフィンレイ!」

 思いっきり染まっちゃってるじゃないの!

「ただ眠るだけ。わかる? わからなかったら、わたし出て行くからね」

「は、はい、はい」

「はいは一回」

「はい!」

 二人でそれぞれ反対側からベッドに入り、枕元の明かりを消した。


 いいかげん疲れているからさぞやすんなり眠れるかと思ったのに、なぜだか目が冴えてしまっている。

 まあ、色々ありすぎたから簡単に心が静まるわけもないけど。

 男になれといきなり言われて。

 フィンレイと入れ替わって本当に男になっちゃって。

 勇者になるなんて予言まで聞かされて。

 ついでに、自分の周囲に変態やダメ人間がたくさんいることを知ってしまって。

 ……それにしても。

(うつぶせだと、気になるのね……)

 フィンレイの裸は小さい頃に見たことがあって、その時の感覚でイメージしていたけれど。こうして自分の身体の一部としてじっくり意識してしまうと、意外に大きくて持て余してしまう。

 あおむけだと少し楽になりそうな気がして、寝返りを打つ。

(あ)

 手が、フィンレイの身体にかすかに触れた。

 本来のわたしの、『ミルドレッド』の手。思った以上になめらかに感じてしまう肌。

 あわててこちらの手を引っ込めて、暗闇の中で耳を澄ます。

 フィンレイの規則的な呼吸音。すでに寝入ったかどうかはよくわからない。わからないから、わざわざ藪をつつく気にはなれない。

 さっきのフィンレイの反応を、今になって妙に意識してしまう。

 本来なら、こうして同じベッドに二人で寝ることなんてありえなかった。わたしは女で彼は男。わたしは王女で彼は護衛騎士。わたしと彼は婚約してるわけでも何でもない。どんな観点から見ても、一緒に寝ることなんてできっこなかった。

 でも今は。女のわたしは男の身体になって、男のフィンレイは女の身体になっている。しかも相手の身体は本来の自分の身体。そんな状況で間違いなんて起きようはずもない。

 なのに……変に、ドキドキする。

「姫様……まだ、起きてます?」

 ささやくような、フィンレイの声。

「え、ええ。あんたもまだ起きてたの」

「はい。色々ありすぎて、すぐには寝付けないです」

 わたしがさっき考えてたのと同じような言葉が返ってきた。

 口調はフィンレイのもの。でも声は『わたし』のもの。

「変な感じね、自分の声を外から聞くのって」

 絵物語には載ってなかった情報だが、こうして聞く『自分』の声は、自分で思っていた声とは意外と違う。ひどい声だというわけではないけど。

「そうですね。『僕』の声が自分で思ってたよりも凛々しく聞こえて、不思議です」

 さっきからみんなに言われてるけど、わたしは女言葉で話してるのにどうしてそんな感想になるのだろう。

「あんたもずいぶん可愛いわよ。清楚で可憐なお姫様って感じで」

「いじめないでください」

 すねる声。見えはしないけど、きっといつものように唇をほんの少し尖らせているんだろう。物静かで落ち着いて見えるけど実は子供っぽいフィンレイの、たぶん、わたしだけが知っている癖。

 初めてフィンレイのことを気にし始めたのは、いつだったろう。

 王女への遊び相手としてあてがわれた何人かの子供のうちの一人。親に言い聞かされていたのか、ガキのくせに妙に媚びへつらっていた奴も珍しくなかった中で、むしろわたしの目を避けるように静かにしていたフィンレイには最初は注目もしなかったはず。

 

 ――うん。まあ、悪くない。

 そんなことを考えると、安心できた。目の前にいるのはわたしの知っているフィンレイだ。声が変わっても、身体が変わっても。

 入れ替わったのがフィンレイでよかった。

 男になりたいなんて思ったことはないけれど、誰か男と入れ替わらなければならないとしたら、フィンレイ以外考えられない。他の男の身体になるなんて冗談じゃないし、他の男に『ミルドレッド』の身体を使われるなんて、もっと冗談じゃない。

「でも……入れ替わったのが姫様でよかったです」

 そんなことを呟いたフィンレイは、慌てたように言い足した。

「えっと、その、女の人になりたかったわけじゃないですよ。でも、誰か女の人とどうしても入れ替わらなければならないなら、姫様が一番いいなって――」

「わたしもよ、フィンレイ」

 言葉を遮り、手を伸ばす。

 滑らかな女の子の、でも今は紛れもないフィンレイの手を包むように握った。幼かった頃、同じ毛布にくるまって昼寝していた時のように。

「きっと大丈夫。全部そのうち丸く収まるわ」

「姫様……」

「今はとにかく眠りましょ。疲れたわ」

「はい」

 それまでよりも何か安心したようなフィンレイの声。それを聞きながら、わたしは眠りに落ちていった。


 目が覚めると、わたしのうつぶせた顔は温かく柔らかい感触に包まれていた。

 表面はすべらかな布地。その奥には豊かな弾力。人肌ほどの温もりが心地いい。

 枕とは違うこれは何だろう?

 寝ぼけた頭でぼんやり考えながら、顔をさらにうずめてみる。双丘の間に顔がうまい具合にはまって、実に快適だ。甘い匂いもして、ますます離れたくない。

 それは普通の枕よりも大きくて、上半身全体がそれを下に敷いている。昔試した抱き枕に近いかもしれない。下半身は普通のベッドのシーツを感じていて、股間の辺りが何だか妙だけれど、不快ではなく自然な感触なので深くは考えない。

「あん……」

 近くから女の子の声がした。吐息にも似た、どこか上気したような声。

 もう侍女に起こされるような時間だっただろうか? 鈍い頭を少しずつ起動させ、今日の予定を思い出そうとする。

 普通に勉強をするだけだった気がする。でも今日の授業は休みだったような。あの変態レメディオスは……どうしてあの淑女を変態だなんてわたしは考えるのだろう?

 深夜の出来事。性転換の呪薬。勇者。フィンレイ。階段からの転落。入れ替わり。

 キーワードが脳内を駆け巡り、わたしは寝る前に自分の身に起きた一連の事件のあれこれを思い出す。

 フィンレイの、男の子の身体になったわたし。ミルドレッドの、女の子の身体になったフィンレイ。

 そしてわたしとフィンレイは一つのベッドで一緒に眠ることになって……。

 そこまで考えて。自分が何に頬ずりしているかに思い至ったと同時。

「姫様、フィンレイ、そろそろ起きてくださいませ。まずはお風呂でひと汗流し――」

 変態淑女レメディオスが、ノックもせずに寝室の扉を開けて現れた。

 フィンレイから離れる余裕も身を起こす暇もなく、わたしにできたのは目を開けることだけ。

 視界に飛び込んでくるのは、愛用のネグリジェ。それを内側から二つの膨らみが盛り上げている。枕と間違えるほどボリュームたっぷりな、昨日までわたしのものだった物体。

 恐る恐る顔を上げて視線を上に向ければ、フィンレイの――『ミルドレッド』の、熟したように真っ赤な頬と潤んだ瞳。長い金色の髪が、乱れて顔にかかっている。

 涙目の少女の胸にむしゃぶりついている少年。客観的に見ればそれがわたしの今の姿。まるで痴漢、と言うか、完全に痴漢。

「姫様。私は残念です」

 背後から家庭教師の重々しい声が響く。

「違うのレメディオス、これは誤解――」

「そうです、僕と姫様は、その、そんなことは――」

「少年の身体になった少女が雄の快楽にたちまち押し流され獣じみた性欲の虜になるなど愚の骨頂! 少女の潔癖気味な精神が少年の肉体を拒絶し、それにも関わらず肉体への順応が徐々に徐々に進んでいくからこそ萌えるのです! そういうことは数年後、せめて一年後までは我慢していただきたかったのに!」

 ……すみません。この変態淑女の言っていることがわかりません。一年後ならいいんですか?

「あの、レメディオスさん、僕と姫様はそんなことになってないですよ。これは二人とも寝ぼけただけで……」

 呆れて絶句するわたしと違い、フィンレイは健気にも誤解を解こうと試みた。

「あらそうでしたか。ならば問題ございません。性転換翌朝の『異性』体験としては実に適切なうれしはずかしイベントですね。……あの、お二人とも、なぜ私を汚いものを見るような目でご覧になるのでしょう?」


 レメディオスを寝室から叩き出し、それでもとりあえず彼女の勧めに従って風呂に入ることにした。

 ……フィンレイと二人で。

 理屈は昨夜のベッドと同じ。わたしは精神的に女の子なのだから女の子の身体を見てもおかしくないし、フィンレイの心は男の子なんだから男の子と一緒に風呂に入っても何ら問題ない。

 それにフィンレイは長い髪の洗い方などに慣れていないから、まずは誰かに手伝ってもらう必要もある(うちの王家は質実剛健を旨としているので、風呂くらいは元々自分一人でできるようにしつけられている)。

 そしてもう一つ、一番大きな理由。

「姫様、その、すみませんけどお願いします」

 裸になったフィンレイが、わたしに手を伸ばす。

 その目はタオルでしっかり覆われている。恐らくは中でも目をつぶっているのだろう。

 彼が「姫様の生まれたままのお姿を見るなんて畏れ多い」なんて言い出して自ら目隠ししてしまったので、事情を知らないメイドを呼ぶのもためらわれ、わたしが手伝うことになったのだ。

 わたしも服を脱ぎ捨てて、フィンレイの小さくほっそりした白い手を取ると浴室へ導いた。

「あ……」

「変な声出すんじゃないわよ」

「ご、ごめんなさい。でも、姫様の手がとってもたくましく感じられて……」

「せめて『力強い』くらいにしなさいよ」

「ごめんなさいっ!」

 ペコリと頭を下げるフィンレイ。

 ともあれ浴室に入ると、まずは小さい木の椅子を洗い場の前に置き、フィンレイを座らせる。

 目隠しを一旦外して、レクチャーしながら髪を洗う。

「女の人の髪の毛って、さらさらしてるのに、濡れると重いんですね」

 わたしにとっては当たり前のことをさも新発見のように呟くフィンレイ。

 洗い終えた金色の髪をまとめ、当人の希望もあって再び目隠し。そのまま身体もわたしが洗うことになった。

 まあ、入れ替わっているからある程度はしかたないとは言っても、わたしだってあんまり『ミルドレッド』の身体をフィンレイにじろじろ見られたいわけではないし、願ったりの話ではある。

 ただ問題は、王女であるわたしが他人の身体を洗ったことがないこと。さっきの髪の毛はどうにかうまくいったわけだけど。

 石鹸で泡立てたスポンジを手に、まずは背中から。白い肌が無防備にさらされている。

「行くわよ」

 ぐい、と少し力を込めるくらいの感覚でこすってみる。

「い、痛いですぅ……」

「え、これで?」

「お、男の身体って、力が意外と強いんです。僕だって、少しは鍛えているから……それに、姫様のお身体は繊細でらっしゃいますし……」

 その言葉を裏付けるように、フィンレイの華奢な背中は、白い泡を通してもわかるくらい赤くなってしまっていた。

「ご、ごめんなさいフィンレイ! これ、すごく痛かったんじゃない?」

 考えてみると、護身用に武術を習う時などを含め、わたしは男に乱雑に扱われたことがなく、ゆえに男女の体格差は承知していても力の差はよくわかっていなかった。まさか自分が男性として女性を痛めつける形で、それを知ることになるなんて。

「いえ、その、騒ぎ過ぎてごめんなさい。大丈夫です」

 そうは言っても肌に走る赤みは痛々しい。

「あの、こっち向いて。今度は気をつけるからね」

 深く反省したわたしは、前を洗うべくフィンレイをこちらへ向き直らせる。

「は、はい」

 目隠し以外は一糸まとわぬ裸体。本来のわたしの、見慣れた『ミルドレッド』の、でも今はフィンレイの、裸。

 椅子に腰かけながらも、内股をぴっちりと閉じて股間を隠し、両腕で胸も隠している。

「……いや、その姿勢だと洗うのにちょっと邪魔なんだけど」

「はわわわわ、ごめんなさい!」

 頬を染め、今度は一転、両腕を脇にだらりと下げて胸は突き出し、椅子に座った両脚を広げて股を全開にする。これはこれで女としてどうよと思わずにはいられないが、にわか女子のフィンレイに指摘してもしかたないだろう。

「じゃあ、いくわよ」

 フィンレイの肌に恐る恐るスポンジを近づけていく。

 いかにも柔らかそうな、筋肉の存在を感じさせない体つき。ほっそりとくびれたウエストに、適度に豊満なお尻と太もも、すらりと伸びた腕と脚に、小さい手足。

 しかし何より目を引くのは、胸から突き出ている二つの豊かな存在。今朝方のベッドの中で味わってしまった、ふんわりもっちりとした感触も思い出す。

 どれもつい昨日までわたしのものだったはずなのに、その身体は眺めているわたしを落ち着かなくさせた。目をタオルで覆っているものの、恥じらいや不安が口元などから窺える、フィンレイの気弱そうな表情もそこに拍車をかけているのだろう。

 とにかく、乱暴にするわけにはいかない。泡にまみれたスポンジを、胸の先端にちょんとつけて優しく撫でる。

「あっ……」

 フィンレイがまた声を上げる。でもさっきのように痛そうではない。

 そっとスポンジを滑らせて、さするように泡の面積を広げていく。きめ細かい泡が膨らみを覆っていくごとに、フィンレイは吐息のようなものを漏らしていった。

「痛くないわよね?」

「あ……はい……痛くは、ない、ですけど……」

 なら問題ない。スポンジを今度は下腹部へと移す。

「ひゃ、ひゃうっ」

 フィンレイが身をよじらせるように、スポンジの触れた辺りを大きく震わせた。胸から泡の一部が滴り落ちる。

「ひ、姫様、その、痛くはないですけど、くすぐったいですぅ……」

「そ、そうなの?」

「ええ、だから、残りは自分でやりますから、スポンジを貸して……あっ!」

「きゃっ!」

 こちらへ手を伸ばそうとしたフィンレイがバランスを崩して倒れ込んできた。わたしも泡で滑って支えきれず、もろともタイルの床に転がる。

 もちろん炎の魔法で暖房は効いているから、背中に冷たさは感じない。入れ替わっている今、フィンレイの身体は軽いから、痛みもほとんど覚えない。

 でも、代わりに。

 泡まみれのフィンレイの身体が、わたしの身体の上にある。

 よく泡立った石鹸まみれの、柔らかくて温かい、女の子の身体が。

「ご、ごめんなさい、姫様、すぐどきま……や、あんっ!」

 起き上がろうと床に突いたフィンレイの手が泡で滑り、もう一度わたしにのしかかる。

 今現在、わたしは仰向け、フィンレイはうつぶせ。

 わたしの平らな胸とフィンレイの胸との間で、二つのたわわな果実が潰れんばかりに圧迫される。朝の「枕」と同じ存在が、けれど今はまた別種の感触でわたしを翻弄する。

 こちらもシャボンに包まれて、動くのが困難だ。いや、単に動くことだけはいくらでもできるのだが、思うように動けない。

「フィンレイ、とりあえずシャワーで身体を流してから……」

「ど、どうしましょう、どうしましょう」

 目隠し状態なこともあってか、フィンレイは混乱してしまったようだ。それまで以上に脈絡なく動き、蛇口を目指すわたしの動きと邪魔をし合い、二人でますます身体をもつれ合わせてしまう。

「ひ、姫様ぁ……」

 フィンレイの息がやたらと荒い。それが却ってわたしの頭を冷やす。まあ、頭が冷えても泡が消えるわけじゃないので、大した意味はないけれど。

 これ、普通の男女――例えば、昨日までのわたしたち――だったら、そしてもしも誰かの目に触れたら、明らかに誤解されるだろうな、としか思えない、そんな体勢。あれ、勇者って、こんな目に遭うものだったかしら?

 まあ救いなのは、この浴室に入って来そうな人間なんてほとんどいないことだけど。

 それにしても、フィンレイがじたばた動くのはどうにかならないだろうか。ぬるぬるした刺激を与えられて、正直落ち着かない。

「あ、あの……姫様……お身体が……」

「今は自分の身体なんだから、それくらいわかってるわよ! わざわざ言う必要なし!」

 わたしの身体のある部位に触れて顔色を変えたフィンレイの、今さら過ぎる指摘を切り捨てる。わたしだってさっきからそんなことになっていて、完全に冷静でいられるわけがないんだから。

「フィンレイ。まずは落ち着いて、目隠しを外して。そうして周囲を見渡して、ゆっくり動けば大丈夫だから」

 そんな感じで何度も言い聞かせると、やっと聞き分けてくれた。

 目隠しを外し目を開くフィンレイ。まとめた髪もほどけていて、長い金髪が身体にまとわりつくような様子が無闇に淫靡だ。

 後でもう一度洗い直さないと、と内心でため息をつきつつ、それでも事態が打開できそうになってきたことに安堵した瞬間。

「さっきからドッタンバッタン騒がしいけれど~、二人とも大丈夫~?」

 ここへ入って来ておかしくないただ一人の人間が、更衣室から続く扉を無造作に開けて踏み込んできた。

 ここで状況を再確認してみよう。

 どちらも裸で、一糸まとわず、身体をもつれ合わせている男女。ついでに言うと、その『男』の肉体の一部は特徴的な変化をきたしている。

 何が起こっているように見えるかはあまりに明白です。ありがとうございました。

「お母様、公国使節団との朝食会は?」

 どこか虚ろな気分で、とりあえず一番引っかかっていたことを問う。

「今日はさぼっちゃった~。だってミルドレッドとフィンレイくんのことが気になってたんだもん」

「あの、これは――」

「でももう私が心配する必要もないわね~。明日には結婚式しちゃいましょ~」

「誤解です!」

 説得力がないと自分で思いながらもとにかく叫ぶ。

「ひ、姫様、その、僕は姫様がよろしければ……」

「だからあんたも落ち着きなさいっての!」

 上気した顔で錯乱したことを言うフィンレイ。いつもなら張り倒してやるところだが、自分の身体となるとそれもできず、わたしは頭をかきむしった。


 まあ、そんな類のハプニングを毎日のようにあれこれ起こしつつも(兄の反応が常識的でこちらを気遣う優しいものだったのは、唯一の慰めだった。どうかそのまままともな王であり続けてもらいたい)。

 王女ミルドレッド・スターリングの急病と護衛騎士フィンレイ・イベットソンへの爵位授与は滞りなく速やかに告知され。

 一週間後の炎曜日。わたしとフィンレイと少数のお供は、王女静養の名目で首都を出立したのであった。

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