プロローグその二:数年前、星の片隅でひそかに起きていたこと

 ――支配神権限行使第一〇六……喜ぶがよい、機械人形。おまえは神に選ばれた。

 人里を目指して歩いていたダヴ一八九号は、その声を聞いた時にまず自らの故障を疑った。場所はのどかに晴れ渡った空の下の、見晴らしのいい平原。だがセンサーで感知できるどのような形でも、今の「声」は検出できなかった。

 三日前、汎用アンドロイドのダヴ一八九号は被験体ローラ・クーパーとともに、移民船から発進して大きく先行した高速小型宇宙船で、この星に降り立った。

 自転周期二十四時間、公転周期三百四十八日のこの惑星が移住に真に適した環境かどうかを、ダヴによる広範囲の観測およびローラの実生活に基づく体験によって、三百七十二日――母星時間で一年間――にわたって調査するためである。

 だが、一年間調べるまでもなく移住可能という判定はくだされないだろうとダヴ一八九号は推測していた。

 移民船からの超遠距離観測ではなぜか認知できなかったのだが、二つの大陸と広大な海洋で主に構成されたこの惑星には少なくない数の人類によく似た生命体が居住し、母星基準で言えば中世から近世レベルの文明社会を築いていたのである。その人口密度は高く、とても移民船に暮らす十億の人間がいきなり割り込める余裕はないと予測された。

 そんな計算をおこなっている最中、正体不明の「声」がダヴ一八九号に語りかけてきたのである。

 ――機械人形、おまえの名は?

 ダヴ一八九号の混乱をよそに、「声」は再び呼びかけてくる。

「ダヴ一八九号と認定・呼称されております」

 己の動作異常と判断して行動を停止しウイルスあるいはバグの検出をしようとしていたダヴ一八九号だったが、「声」に訊ねられると抗うことはできなかった。

 ――ふん、星が違っても性能は向上してても基本的な思考構造はやはり人形だな。もはや俺の命令には逆らえまい。

 その言葉は正しかった。この、ダヴ一八九号に認識できない方法で接触してくる存在には、ダヴ一八九号は素直に従うことしか思いつかないのだ。こんなことは、たとえ製作者にもできないことなのに。

 ――俺は、この星の神だ。この星の表面でのたくっている生き物を俺の思い通りに育成しようと手間暇をかけている。俺以外にも同じ立場の連中はいるが、過剰な干渉を嫌うお行儀のいい腑抜けばかりだ。今じゃ俺を崇める人間が一番多くなっている。

 その主張は普通に考えれば荒唐無稽だが、現在のダヴ一八九号にとっては疑うべくもない言葉だった。

 アンドロイドや人間より一段高い視点から事象を観測し介入できるメタ的な存在であれば、ダヴ一八九号の機能では存在を検知できないのも無理はない。一次元の存在が二次元の存在を、二次元の存在が三次元の存在を、まともに把握できないのと同じことだ。

 ――だがそいつら、最近は俺の命令なんか全然聞かなくなってきてな。だから派手にリセットしてやろうと思ってた。他の連中にくれてやるのもしゃくだから全部ぶっ壊してやるんだ。けど困ったことに、俺があいつらを直接物理的にどうこうするためには、色々な条件が必要なんだ。権限行使には回数制限があるしな。

 語る言葉の内容は、ダヴ一八九号がこれまで接してきたどの人間よりも下卑ていた。もしこんな主張をする人間が目の前にいたら、ダヴ一八九号は無視し黙殺することくらいはできたはずだ。状況次第では殴ることだってできたろうに。

 ――ちょうどそこへやって来たのがおまえだよ。おまえら機械人形は生き物に比べて頑丈だし優秀だしとにかく忠実なのがいい。権限一つ使うだけの値打ちもあるってもんだ。

 だが、一段上の階層からこうして介入されると、ダヴ一八九号は何も反抗することができなかった。まるで知らぬ間にソフトを書き換えられているかのように。

 ――ダヴ。おまえはこれから神の使徒だ。神の代理人として、この星に巣食う知的生命体を滅ぼせ。そして滅んだ後は、この星をおまえのご主人たちにくれてやる。そいつらが俺に忠実な限りは大切にしてやるぜ。

「……………………了解しました」



 そして今日、調査開始から三百七十二日。

 深い朝もやの中を、ダヴはローラ・クーパーとの接触地点に足を運んでいた。

 両者が意見交換をした上で移住可能か否かの結論を出し、それを移民船へと連絡することになっている。

 ローラは先に小型宇宙船の前で待っていた。

「どうしたのダヴ? その格好」

 僧服に身を包んだダヴを見て、ローラは無邪気に笑う。人目を避けつつ野外生活をし、未知の病原体に犯されず、気候の変動などにも影響を受けずに無事生き延びた十八歳の少女――ある意味、人柱である少女――は、今も充分に健康そうだった。

「情報収集のためには、僧侶の身分は都合がよかったのです」

 そして原住民の中で地歩を固め、勢力を広げるためにも。

「なるほどね。まあ、一年も調べることなかっただろうけど」

 ポニーテールに結んだ赤毛を一度大きく揺らし、ローラは天を振り仰いだ。

「この星には押しかけられないわよね。人が多すぎて土地が足りなさすぎる」

「そうですね。現在の人口では」

「ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ。まさか疫病でも流行っちゃってるの?」

 縁起でもない、とは原住民のことを気遣っての発言のようだ。場塞ぎな厄介者の心配をするとは、つくづくお人好しである。

「いえ、残念ながらそうした流行はありません」

 そうした内面の思考を反映させてしまった言葉を聞くと、ローラがはっきりと顔を引きつらせる。

「ダヴ、調子悪い?」

「いえ、ただ、移民船にいる方々のことを考えると……」

「ああ、そういうこと……。でもね、先住民虐殺なんてことはもう二度とやっちゃいけないのよ。広い星の片隅にもし余ったスペースがあれば住まわせていただく。それができなきゃまた次の星へ。それがあたしたちの方針なんだから」

 言いながら、ローラはダヴに背中を向ける。好機だ。

 ダヴはローラに何ら悪印象を抱いていない。心優しく快活な少女であり、今回のミッションのためにチームを組むと決まってからずっと友好的に触れ合ってきた。

 だから今も、顔を見ながら殺すのはためらわれたのである。

「だいたい、この星じゃ虐殺なんてできやしないだろうけどね。ダヴももう知ってるんでしょ? この星の人たちは魔法みたいなすごい力を使えるのよ」

 苦痛を与えず一瞬で殺すべくダヴが指先から熱線を発した時、不意にローラはこちらへ振り向いた。

「……え?」

 多少ずれてしまったが、致命傷には違いない。ローラは呆然とした表情のまま胸から煙を噴き出して倒れた。後を追うように血が溢れ出す。

 ダヴはそのまま小型宇宙船へ向かう。とどめまでは刺さなかったが、声も出せず身動きもできず、もうダヴを阻むどんな行動も取れないままに数十秒後には絶命するだろう。周囲五キロに人影はない。

 この星の人間が使える魔法にもそんな距離を瞬間移動できるものはないことや、生命活動を停止した存在を復活させるには術者がその者の名前を知っている必要があることを、ダヴはすでに把握している。

 宇宙船は地中に隠してあった。この通信が済んだら、必要な資材をすべて抜き取ってから改めて地中深くに潜行させて爆破し、完全に隠蔽しよう。

 コクピットの通信装置を起動し、ダヴは移民船への通信文を音声入力で作成した。

「ローラ・クーパーとダヴ一八九号の調査と論議の結果、本惑星への移住は可能の結論に到達。詳細なデータは添付ファイルを参照のこと」

 文章やデータを偽造することも、人間に嘘をつくことも、そもそも人間を殺すことも、ダヴには禁じられていた。しかしあの日、神の福音を授かって以後のダヴは、それらが可能になっていた。

 ダヴはもうダヴ一八九号ではない。神の使徒たるダヴになったのだ。

「なおローラ・クーパーは合意直後、不慮の事故で落命」

 そこまで言い終えるとダヴは文章を送信した。はるか宇宙の彼方、十億の人間を乗せた移民船は遠からずこの吉報を受け取り歓喜するだろう。

 そして五年後――この星の人間がよく使う言い方なら大陸分裂戦争後二百八年――、移民船は無人のこの星に到着する。

 彼らがこの星の新たな主人公となるのだ。

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