M⇔F

入河梨茶

勇者誕生?

プロローグその一:姫は男になれと言われて逃げる

「お父様だけでなくお母様も? どうなさったの、こんな時間に?」

 眠い目をこすりつつ城の片隅の小部屋に足を踏み入れると、わたしを呼んだ父だけでなく、母までも待ち構えていた。

「うむ、それが……その……」

 父は少しの間言葉を選ぶように唸っていた。一昨年わたしの兄に王位を譲って今は楽隠居の身分とは言え、賢王として名を馳せた切れ者の父らしくもない。十五の娘に何を気遣うことがあるのやら。

「にらめっこなら昼間にお願いいたします。わたしは眠いし、部屋の外で待ってるフィンレイなんてきっと寒さでガタガタ震えてますもの」

 近衛騎士って大変だとつくづく思う。

「ああ待ちなさい待ちなさい!」

「もうちょっと辛抱なさいミルドレッド。もう、あなたは本当にせっかちなんだから~」

 踵を返そうとしたわたしを、父と母は慌てて止めにかかった。

「あー……ミルドレッド」

「何ですか?」

「おまえ、男になっておくれ」

「……………………………………………………はい?」

 今、何を言いましたかこのオヤジ。

「あの、な。うちの王家は代々キュベレイの巫女の神託を授かって施策を決めてきたわけだが――」

「はあ? 何よそれ?」

 思わず敬語を使うのも忘れて、フィンレイを相手にしている時のような口調になってしまった。ま、敬意を払うに値するかどうか疑わしくなってるわけだし別にいいだろう。

「キュベレイって昔流行って廃れた大地の女神? うちって代々アドナイ教のはずでしょ? 毎週龍曜日の朝には宗会の礼拝堂で尊師の説教聞いてるじゃないの!」

「いや、その……」

「建て前と本音というものですよ~、ミルドレッド」

 満足に応答できない父の隣に立つ母が、短く口を挟んだ。

 で、その一言でそれなりに合点はいく。うちの国は大陸南西端の列島で細々とやっている小国だ。そして周辺の強国は、みな東方から二千年前に広まってきたアドナイ教を国教にしている。アドナイ教を拒んだりしていたら、野蛮だった時代にはそれを口実に攻め滅ぼされていたかもしれない。

「そこは理解しました。この年になるまでわたしはちっとも教わってなかったのが甚だむかつきますけれども。で、そのご神託がどうだとおっしゃるの?」

「《大陸分裂戦争から二百六年後の二月最後の炎曜日。スターリング王家の先王とその妃の間に生まれた二人目の男子が勇者になる》。三年前に巫女が告げた、一番新しい託宣なの」

「ゆ、勇者?」

 おっとり笑う母の口からいきなりすごい言葉が出てきた。

 数百年に一度、世界が危機を迎えた時に現れて事態を解決に導く存在。最近千年では、八百五十年ほど前の魔族侵攻を防いだ剣士ヒリュウ、五百年ほど前の邪教信者による大陸征服を阻んだ魔導師レジーナ、二百年ほど前の大陸分裂戦争を奇抜なアイデアで治めた開拓統領イレルミの三人が知られている。わたしだって小さい頃はごっこ遊びで勇者になっては悪者役のフィンレイを成敗して泣かせたりした。

 でもそんなの伝説、と言うより普通の人間にとってはおとぎ話の存在だ。だいたい彼らにしても、結果が素晴らしかったから後で勇者と呼ばれるようになったわけで。

「でも勇者って、危機が起きる前から現れる者なのでしょうか」

 そんなのはただの自称勇者だと思う。

「だからこれから危機が起きるのよ。勇者様が活躍するのにふさわしいような大事件が」

 母はむやみにうれしそうだ。そう言えば夜寝る時に勇者の活躍する物語を嬉々として聞かせてくれたのはいつも母だったような記憶がある。

 わたしは頭痛を覚え始め、こめかみを揉みながらも、さらに訊ねた。

「ええと、その神託だか何だかに、わが王家はずっと従ってきたと?」

 情けないと思いながらそこまで言って、ふと、嫌な推測が頭に浮かんだ。

「まさか、もしかして、その託宣で『先王』と言われていたから、兄様に譲位したのですか?」

「それは、その……だって、わしの父親はもう亡くなっていて、わしに弟はいないのだから、そうでもしないと『先王の二人目の男子』なんて存在しなくなるわけで……」

 もじもじしながら答える現・先王。

「自分の進退まで占いで決めたっての!」

 思わず怒鳴りつけると、父は怯えたように身を震わせたが、母は却って喜びだした。

「ミルドレッドはやっぱり凛々しいわよね。きっと男の子になったらものすごくかっこいい勇者様になるわ~」

 今にも歌劇のごとく歌って踊りそうな浮かれぐあい。ダメだこの夫婦。

「わかりたくなかったことばかりですが、色々わかりました。それで、一番気になってることなんですけれど……わたしが男になるというのは……」

 さっきからあまり詳しく聞きたくなくてその話題から遠回りしていたけれど、いよいよ訊ねなければならないようだ。

「性転換の呪薬、発明したから飲んでほしいの~」

「ふざけんな!」

 どうせ男装なんて甘い話じゃないだろうとは思っていたけど、あまりに直球すぎる。

「私たちだって別にミルドレッドを男の子にしたいわけじゃないのよ~。十ヶ月前、ううん、早産もありうるかもしれないからって八ヶ月か七ヶ月くらい前まではがんばったんだから~」

 娘にそんな話を聞かせるんじゃない。

「でもそっちは無理みたいで、アンドリューは長男だからどうしたって『第二王子』にはなれないでしょ? だからミルドレッドが男の子になる以外に託宣は成就しそうにないのよ~」

「母様、知ってますか? そういうのを本末転倒と言うんですよ?」

「けど、神託は本当によく当たるんでなあ……九割八分くらいの確率で」

 父がぶつぶつ言い始めたのに反論する。

「それって、成立させるために王家が努力したから確率上がっただけでしょうが」

「それもそうかもしれないんだけど、神託が成立すると、それは必ずうちの国にとって良いことだったし、あと大陸分裂戦争の時も……」

「わたしにとっては全然良いことでも何でもありませんし、これは残りの二分の手合いです。ではお休みなさいませ」

「お待ちくださいな姫様、陛下のご命令ですので……ご勘弁くださいね」

 今度こそ本気で部屋を出ようと扉に振り向いたら、不意に現れた家庭教師のレメディオスが間に立ちはだかっていて、こちらに手を向けていた。

 艶やかに波打つブラウンの髪を長く伸ばし、落ち着いた顔には穏やかな笑み。いつものように濃い緑のローブを着込んでいて、いつでも魔法を放てる構え。わたしはやむなく足を止めて手を上げる。

「光系統の隠形魔法で隠れてたのね……。でも、レメディオス、あなたこんなのどうかしてると思わない? 人の人生が世迷い言に縛られるなんて間違ってるわ!」

「ええ、私もそう思わないではありませんわ。ですが」

「ですが?」

「姫様が男の子になると、きっとすごく可愛らしい美少年になるので、私はぜひそれを拝見したいのです!」

 ……ここにも変態がいた。わたしが暮らしているのはダメ人間の国だったらしい。

 と、扉の外から気弱そうな声がした。

「あの、姫様? 何かありましたか?」

 フィンレイだ。

 肩書きは近衛騎士だけど、実質はわたし専属の従者みたいなもの。小さい時からずっといっしょにいた、わたしの一番身近な存在。

 もしわたしが男の子なんかになったら。

 そうなったらどんなことになっても、将来フィンレイとは……。

「フィンレイ! 扉を開けて!」

「姫様」

 当然、レメディオスが制止しようとする。

「猛き炎よ渦巻け!」

 魔法の師相手に出し惜しみなんてしてられない。今の自分に使える最大の呪文をかつてない早口で詠唱し……くるりと振り向いて、それを父と母に向ける!

「厚き氷よ阻め!」

 レメディオスの呪文が父と母の手前で発動し、壁のような氷がわたしの炎を防いだ。

「姫様、無茶が過ぎますよ。ご両親に何かあったらどうするおつもりですか?」

「あんたが必ず守ってくれるでしょ。それぐらいは信頼してるもの」

 魔法の発動中に別の魔法は使えない。だからわたしはレメディオスが魔法を発動したその隙に、彼女の横を駆け抜けた。

「父上、母上、神託だなんてそんなわけのわからないもの押しつけられるわけにはまいりません。ではこれにて!」

「ま、待ちなさい、ミルドレッド!」

 炎はまだ勢いを保っていて、もうしばらくは時間を稼げそうだ。

 フィンレイが開けた扉から飛び出し、その手を取って廊下を走る。

 これは、その、フィンレイがぼんやり突っ立っていて人質にされたりしたら困るからであって、別に……。

「姫様、いきなりどうしたんですか? それと走りながら何をごにょごにょ言っているんですか?」

「何でもないわよ!」

 変なところで耳聡いフィンレイを怒鳴りつけ、ちらりとその顔を見る。

 黒い髪に黒い瞳。線が細くて整った、中性的な顔立ち。元々気弱な性格だけど、今はわけがわからないせいで、なおさら戸惑ってしまっている。

 詳しく説明しようとして、ふと思いついたことをまず訊ねた。

「今は何時?」

「ええと、十一時五十七分です」

 懐中時計で確認するフィンレイ。

「よし! ならひとまずは後三分、あの変態どもから逃げ切るわよ!」

 向こうが本気で神託を真に受けているのなら、日付の存在は無視できないはず。風曜日になってしまえば、わたしを男にする意味はなくなる可能性が高い。

「姫様! だからいったい何があったんですか?」

「後で説明するから! こっち!」

 衛兵たちがわたしと父母とどっちに従うかは微妙なところ。だから人目を避けて今の時分なら誰もいなさそうな方向へ。部屋に隠れたりしてはレメディオスの風系統の探知魔法で発見されてしまうから、決して止まらず単純に距離を稼ぐ。ネグリジェは走りづらいけどしかたない。

「姫様お待ちください!」

 予想外に近くからのレメディオスの声。いや、焦ることはない、あんなの風系統の音声操作魔法でこちらを驚かせて足止めを狙ってるだけのはず。

「ひ、姫様! レメディオス様がすごい速さで飛んできます!」

 後ろをちらりと振り返ったフィンレイが叫ぶ。

「こんなことで高速飛行魔法まで使うんじゃないわよあのバカ女! フィンレイ、今何分何秒?」

「え、ええと、五十八分十五秒です!」

 残りは一分四十五秒。走っているだけじゃ追いつかれる。でも今すぐ振り向いて呪文を放ってもかわされたら無意味。回避しようのない形で撃てば、向こうも飛行魔法を捨てて防御に回るはずだけど……。

「そうだ!」

 ピンと来たわたしは、廊下の脇の狭い階段に飛び込んだ。

「猛き雷よ、迸れ!」

 踊り場まで飛び降りるように進むと、上階に向けて階段全体を埋め尽くすような幅で雷の奔流を撃ち込む。

「姫様、なかなか上達なさいましたね!」

 食らってくれれば麻痺も期待できたはずだが、さすがに腕利きの魔術師は甘くない。

 レメディオスがすぐに対抗魔法で雷を打ち消して降りてくるのは明らかだ。わたしはそれより早く下の階へ降りて次の手を打たないと。

「ほら、急ぐわよバカフィンレイ!」

「ひ、姫様、ちょっと待って――」

「あれ?」

 前に出した足が空を切る。バランスが崩れ、不安定な姿勢になって、わたしは手をつないでいたフィンレイを強く引っぱってしまった。

「姫様、危ない!」

 フィンレイは……足を踏ん張れないと感じたのか、逆にわたしに飛びつくようにするとわたしを抱きかかえる姿勢になった。

 ――離しなさいよ、あんたが怪我しちゃうじゃないの、バカ。

 思ったことを口にする暇もなく。

 わたしとフィンレイは階段を転げ落ちる。

 天地が逆転する。意識が混乱する。全身が打ちつけられて痛い。とにかく痛い。

 最後に平らな床を転がっていると、城の時計が十二時を告げるのが聞こえて。

 その音を聞き、腕の中に温かく柔らかい存在を感じながら、わたしは意識を失った。

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