Confession in Hard Rock Cafe
@hatumiya
第1話
「壮観だな……」
ここは全世界百二十店舗以上を展開しているハード・ロック・カフェ東京店。
店内の壁にぎっしりと飾られてるのは、ビッグ・アーティストたちの燦然と煌くメモラビリア。
それは世界中のミュージシャン達が実際に使用した楽器や衣装だったり。
ファン垂涎のゴールドディスクやサイン入りのポスターだったりするわけで。
そう、洋楽好きにとって正に天国のようなスポットだ。
彼がマイケルジャクソンのステージ衣装をうっとり眺めているのを横目で見ながら、私は平静を装いつつノンアルコールのカクテルをオーダーした。運ばれてきたピンク色のグラスを傾けながら、背中がぞくぞくするのをハッキリと感じる。
(やだ……もう来たの?早すぎない?……さすがに世界的な有名人の霊気は半端ないわ)
自分の特別体質のことを彼に伝えたことはない。この時点で、今夜のデートは予期せぬものになることを私は確信した。
★
目の前に座っているのは、三十台後半優男。
カジュアルなジャケットを着込んでるのに、生面目な雰囲気が隠せない。
大谷優一、中堅商社のサラリーマン。
パッと見は優秀で言葉少なの理系男子だ。
ロックとは無縁な印象だが、趣味といえば古い洋楽ロックCDを収集すること。……というのは後で知った。
初めは単に同じビルの中で働いている者同士に過ぎなかったのが、ある雨の日を境にその関係が変わった。
あの日、私は会社の向かいのコンビニでお昼を買って戻ろうとしていた。どんよりと覆いかぶさるように垂れ込めている黒雲からしきりに降る雨。
梅雨入りしてしばらく降らなかったというのに、その日は朝から驚くほどの篠突く雨だった。
それなのに。
(あれ……この人……)
彼はなぜか傘を持っていなかった。
失くしてしまったのだろうか?
コンビニの入り口で、呆然と空を見上げている。
降水確率100%だったというのに、どうしちゃったんだろうこの人?
見れば抱えている茶封筒に印字された社名は、ワンフロア下の商社だ。
(そういえば一緒にエレベーターに乗ったことがあるような、ないような……?)
目的地はすぐ目の前だというのに、この雨脚の激しさに躊躇しているのだろう。スーツが濡れるのを我慢して一っ走りするか、それともコンビニで傘を買おうか迷っているらしい。
(ほんのちょっとだし、入れてあげようかな)
手にしていた傘が最近買ったお気に入りのものだったという、ちょっとした理由はさておき。
私は勇気を出して声を掛けた。
「○○ビルまで行かれるのでしたら、ご一緒しませんか?」
「……ぁ」
ビックリしてこちらを振り向いた顔は、高校時代の先輩に少し似ていて私は一瞬後悔した。
「いいんですか?」
「私も○○ビルなんで」
取り敢えずは受け入れてくれたらしい。
バッと傘の柄を傾けると、真っ青な青空が広がった。
「うわぁ、綺麗な青空ですね」
「えぇ?あ、はぃ。この模様が気に入って買ったんです」
なんか平井堅の歌みたいだなあ……
呟かれた独り言。
「え?」
「あ、いやなんでもないです」
1分もしないうちに着いてしまい傘を畳んでいると、物凄い剣幕の三人組に彼はあっという間に拉致されていった。
「遅い!大谷何やってんの!」
「お前がいないと仕事が進まないだろ」
「あ、悪い悪い。ちょっと」
「早くクライアントのとこ行って!」
もう少し話せるかな……なんて淡い期待は見事に破られた。
(大谷っていうのか。ちょっと先輩に似てたなぁ……)
仕方ない。出会いなんて所詮こんなもんだ。
ちょっと素敵だったけど、まっいいか。
けど聞こえたよね。平井堅って……小さな呟き。
僅かに拾えた彼の断片だ。音楽好きな人なのかも?だったら少しは話が合うかも。
その晩一人きりのアパートの一室で。降り止まない雨音を聞きながら、私はそんな思いと共にパソコンに向かっていた。検索……平井堅 傘……ビンゴ!
ヒットしたのは青空傘下という一曲。
傘をなくした「僕」に、「君」が、一緒に帰ろうって傘を差しだしてくれるとか。
やだ、これって同じじゃない?
自分でしたことなのに文字にしてみると、ちょっと照れくさいシチュエーションかも。
それにこの歌。
お礼を言ってもらえなかったところまで一緒だとか?
歌詞の最後の展開に妄想が加速する。
「僕」は「君」にお礼を言うのだ。
いつか逢えた時、こんな風に言葉をもらえたら。
考えただけでドキドキする。
どうしよう。
そんな場面に遭遇したりするのだろうか。
歌詞みたいに又逢いたい。なんて思ってくれるのだろうか。
そして願わくばそれがきっかけで……なんてことになったりは……しないか。
(あたしみたいな女の子に普通の恋なんてできないよね……)
諦めと小躍りする気持ちの両方を落ち着かせながら、私はゆっくりと画面を閉じた。
★
そして一週間後。
私の微かな予感は当たり、彼はあの時のありがとうを伝えにきてくれた。
恋なんてもうしない。こんな私を好きになってくれる人なんていやしない。社会人になるまで感じていた絶望感は、一気に払拭された。
(もしかしたら又だめかもしれないけど。でも、もう一度恋がしたい。この人を……好きになってみたい!)
きっと初めて会ったあの時に、私は恋に落ちたのだろう。
何度も感じてきた喪失感などどこかへ吹っ飛び、今までのイヤな記憶を打ち消す様な期待に胸が締め付けられた。
それからは徐々に接近し、やがて互いに意識しあい。お付き合いという状況に落ち着いた。
先輩に似てたから好きになった?……ううん、わからない。
先輩には告白することなく玉砕したのだ。
だから初めて目が合った時、嫌な感じがした。この恋の行く末を暗示しているようで。
だが、そんなのは杞憂に過ぎず。二人は音楽という共通の趣味を介して、さらに近づいていった。
私も色んなジャンルの音楽を聴くのは好きだったし、たまにJ・POPのコンサートに足を運んだりもしていた。きっかけとなった平井堅も有名な曲は押さえていたし、彼も似たようなものだと思っていた。なんでも聴く雑食系の音楽好き。
だから横浜で初めてレコファンなる巨大な中古CDショップに連れていかれた時は、ちょっとしたカルチャーショックだった。
(何この量は……)
所狭しと並ぶ中古CDの棚。
古いものには持ち主の念が篭っている。
正直なところ、こういう場所はかなり苦手だ。
(触らなきゃ大丈夫……触らなきゃ)
押し寄せてくる数多の感情の波を、精神力でブロックすると少し楽になった。昔はこれが出来ずに何度も墓穴を掘った。
(今は平気。よっぽど強い念が込められているモノじゃなければ、近づいた位では何も起こらない)
タワーレコードなども確かにその物量に圧倒されるが、中古がこれだけ揃っている所はめったにない。そこに介在している精神エネルギーの総量も桁違いだ。
(凄いなぁ……ここ)
色んな意味で感心しながらあたりを見回す。
そこそこのファンでなければ、欲しいものを見つけるのは時間が掛かりそう……と思っていたら。
「ちょっと待っててね」
勝手知ったるなんとやら。奥に消えていった彼があっという間に戻ってきた。
その手にあったのは初めて知る洋楽アーティストのCDだった。
「マニアックでしょ?」
「初めてだなぁ、このバンド」
「80年代のバンドなんだ」
彼の横顔がキラキラ輝いてる。埃をゆっくりと掃うその手が優しい。長い指が愛おしいと語っている。
「ロックとか柄じゃないとは思ってるんだけど……」
「いいじゃないですか?私も賑やかなのは好きですよ」
確かにちょっと不釣合いかもしれない。
彼の几帳面な外観とはミスマッチだ。
でも。
こういうの好きなんだ。いいなぁ……なんかいいなぁ。
子供みたいでとっても純粋。
「音楽全般好きだけどさ。一番はやっぱりロックなんだよね。それも古いやつ。ちょっと特殊だから引かれないかなって思ってて」
「そんなことないですよ?」
「よかった」
「それにしてもここ凄いですよね?量が。迷わず見つけてきた大谷さんも」
「俺、好きなモノには結構一生懸命になるタイプなんだ」
「へぇ~」
好きなモノ……好きな人……一生懸命……
違う、違う!
好きなモノだ、あくまでも好きなモノ!
勝手に変換してときめいてるとか何コレ。
丁寧に扱われたあのCDは、彼の部屋に並ぶのだろうと思うとちょっと妬けた。
「でもね、好きなもの。まだあるんだよね」
「そうなんですか?何、教えて?」
「う~んそのうち。ちょっと恥ずかしいからさ、それこそドン引きされないかなって思って」
「しませんよ?」
「まぁいつか言うよ。それまで待ってて」
「はい」
平井堅……古い洋楽……そして彼が愛してやまないその秘密。
少しずつ集まっていく、大谷優一という人を構成する欠片たち。
それらは少しずつ集められ。だんだんと形を変えて私の心を占有していった。
好き。大好き。
だけど……だけど……
(この能力があるせいで味わった、過去のいやな記憶がこう言うのだ。相手にばれたらどう思われるかな……と)
だからいつも恋をするたびに、こんな私を受け入れてくれる人がいるなんて……と弱気になる。高校時代の先輩への憧れも、それが原因で儚く散った。
二年の沢村瞳、知ってる?あいつ霊感あるらしーぜ!
マジ?
モノを触ると感じるんだって。持ち主のことわかっちまうんだってよ。
幽霊とかも見えるのか?
ありえねー
霊感強いって、それってとり憑かれ易いってことじゃね?
ヤバイじゃん。
こえーよ!
先輩も加わっての噂話の中心は自分だった。
――あぁまただめなんだ――
舌打ちしながら顔を顰めたその人と、恋が成就するとは思えなかった
聞いてしまったことを悟られないよう、私はその場から音も無く消えた。
――中学の時と同じだ――
考え無しだった小学生時代のあだ名は霊感少女。
そこにおじさんが見えるよ!
なんにも見えないよ!
こんなやりとりが何度あったことだろう。
今度こそ気をつけなくちゃと思って進学したのは、地元の子が一人もいないミッション系の中学校。ここなら誰も私の事など気にも留めないはず。けれど入学早々私はやらかした。旧校舎にあるお御堂にクラスの全員でお祈りに行った時だ。
今日は創立者である聖マグダレナ・ローズの聖遺物が当校に巡回してきてますので、皆で祈りを捧げましょう。
せいいぶつ?
その言葉の意味をよく理解しないまま、私は聖水で十字を切りお御堂に入室した。
濃い思念で満たされた小さな教会のようなその一室。
跪くシスターに倣って皆が祈りを捧げる。
しばらくするといつものお祈りに加えて、祭壇に一人一人が学校の象徴であるユリを捧げる。
私の番が来てユリをお供えした途端。
「きゃああああああ!」
見えてしまった。祭壇の上に掠れたように浮かび上がる聖マグダレナ・ソフィアを。明らかに何かを見た私を皆は訝しむように取り囲んだ。
せいいぶつ。それは聖人の骨の一部だったのだ。
そんな私も成長するにつれ、この能力に関して少しずつ学習していった。
異界に存在する彼らにとって、私という人間はただ見えるだけで彼らの悩みを解決できない事を知っているらしい。
毎度毎度驚かされるものの、攻撃されることは無いということが経験則でわかってからは、無駄に悲鳴を上げることもなくなった。そして強い意志をもってすれば、大抵の霊絡みのトラブルは避けられるように自分でコントロールすることが可能になった。
(触らなければ大丈夫。強い霊は別だけど)
ただ、生まれた時からずっと同じ所に住んでいるせいだろうか。
環境が変わっても何人かは私のことを知っていて、完全に違う自分にはなれなかった。
古い自分を脱ぎ捨てたい。
新しく生まれ変わりたい。
そして新しい恋をしたい。
そんな葛藤を抱えながら大学生活を終え、結局私は地元に就職した。幸い今の会社には私の過去を知る人はいない……はずだ。今の所、私のことを色眼鏡で見る人はいない。
時は過ぎ、季節は変わり。
雨の頃に出会った恋は、夏と秋とを駆け抜けて。
小雪が舞い散る季節を迎えた。
★
カウントダウンイベントに一緒に行きませんか?
場所は六本木のハードロックカフェ。
そのメールが来たのは寒さも深まる頃合で。
二人の関係が小休止した……そんなタイミングだった。
この気持ちに名前を付けるなら「好き」以外にはないことを自覚していた私と。まだ全てをさらけ出すのを躊躇っていた彼との間には。
(はっきりしないけど溝みたいなものがあるのかなぁ……)
目に見えないが遮る何かが存在していた。
――でもね、好きなもの。まだあるんだよね――
あの時の秘密はまだ教えてくれない。
でもいつかちゃんと言うからと真剣に見つめられ、私はそれを受け入れた。
けれど二人が会うのは外でだけ。
多忙だから、部屋を片付ける時間がないという理由だった。申し訳なさそうにごめんという彼は誠実で、裏がないことはすぐにわかった。でも二、三週間に一度しか仕事の都合で会えない時期は正直凹んだ。
もっと近づきたいという私の気持ちはちゃんと伝わっている。それを彼が嫌がっている様子はない。けれど何かの理由が、彼にもう一歩を踏み出すことを拒ませているのだ。いったいそれは何だろう。教えてくれる日はくるのだろうか。
(でも。楽しそうだなぁ……ハードロックカフェ)
今まで彼と一緒に出かけた音楽イベントといえば、ラジオの公開収録を何度か。そして茹だるような真夏の最中に行われたJ-WAVE の SUMMER JAMだ。あの時私は、音の波に体を委ね飛んだり跳ねたりする彼を初めて見た。
(あんなに自然体の大谷さん珍しかったなぁ……)
帰りの店で飲んだお酒が思いの外強くて、足がもつれそうになった私をそっと支えてくれた彼の掌。CDを優しく撫でていたあの手が肩に触れた時、ちょっとだけ二人の関係が前に進んだ気がした。
――大丈夫?――
――はぃ――
手を繋いだのはその時が最初だったと思う。彼の体温が嬉しくて、彼も同じように感じてくれているのがわかって私は心の中で神様に感謝した。
けれどその後二人の関係がまた元に戻ってしまったのを、私が残念に思ったのは言うまでもない。
心の距離。
カラダの距離。
その両方が遠いままだった。
(どうして近づけないんだろう?何が彼を頑なにさせているんだろう)
けれどメールで交わされる音楽の話題の時だけは、二人の間の潤滑油として相変らず盛り上がる。きっとカウントダウンイベントもそれなりに楽しいのだろう。
(行ってみようかな。何も起こらない気がするけど……)
結局のところ、この関係を続けたい私は彼の誘いにのることにした。
(期待しないようにしなきゃ。一緒に行けるだけでもいいよね)
そして今日のこの日がやって来たのだが。ハードロックカフェという店をよく知らなかった私は、まさかこんな状況になろうとなどとは思ってもみなかった。
★
CLUBばりの薄暗い店内に鳴り響くハードロック。
だが話ができないほど煩いわけじゃなく、音楽にどっぷり浸かりたい時にはもってこいの空間だ。
そして額に収められたメモラビリア。
これが全くの予想外だった。
本来モノに触れることで、その持ち主の姿や感情が心象風景となって自分の中に甦るのが私の霊感だ。
だが強烈なまでに強い霊気が込められたモノは、近づいただけでも実体を感じてしまう。
メモラビリアとして収められたモノたちがまさにそうだ。
今までは迷惑だと思うばかりだったその異能。だが今日は全く違う。
今も存命のミュージシャンの私物からは熱く濃厚なパッションが。
すでに亡くなった御大が所持していたグッズからは、生前それらを身に着けていた時の感情が溢れ出る。
特にステージ衣装から感じるのは、ハイテンションなサービス精神!
初めは薄い煙のように見えていたそれらは、渦を巻きながらだんだんと人の形を成していく。
(あ、この人知ってる!)
現れたのは、音楽に疎い人でも顔ぐらいは知っている超有名ミュージシャン。
左右に体を揺すりながらピアノを弾き、気分よく歌っている様子はCMでみたことがある。
黒いサングラスの下は盲目だったはずだが違っただろうか?
聞こえてくるのはいとしのエリー……懐かしい。
リズムを迸らせ宙を舞い踊る指先からは、魔法のようにキラキラ光る星屑が零れ落ちる。
(わぉ!本物……)
無論周囲は誰一人この存在に気づいていない。
こんなにもハッキリと霊気を感じるのは初めてだ。
直接触れていないのに、相手の息遣いまで感じてしまう。
いや、それどころか普通の人のような存在感だ。
たまにふっと輪郭が歪まなければ、生身の人間だといってもいいくらい。
私には見えているという事実をやはり向こうも気づいているようで、さも珍しいものを見るかのように近づいてくる。
「いいでしょ~この雰囲気。元気イッパイの砕けた感じ。なんか普段のストレスが全部吹っ飛んでくなぁ」
「そうですね、たまにはこういうの悪くないです」
見えてしまったことを伏せながら、私はニッコリと笑った。
運ばれてきたコブサラダのサイズに驚きながらアボガドを摘む。
するとさっきのミュージシャンが、かき混ぜろとでもいうように黒い手をシャッフルさせている。
(はいはい、わかったわよ。混ぜればいいんでしょ)
苦笑いしながらサラダサーバーを手に取る。レタスのグリーンに、トマトとレッドオニオンの赤。そして黄色い卵とチーズがドレッシングと一緒にチキン類に絡む。
「うん、おいしい!」
「ここの定番らしいよ」
振り返るとそのミュージシャンは、トレードマークの大きな口で満足そうに破顔一笑した。
(本当にここの店が好きなのね。っていうかこの雰囲気?音楽を楽しみたい人が集まってるのが、この人にとってはとっても居心地がいいんだろうなぁ)
こんなにも楽しい気持ちで、異次元にいる彼らと触れ合ったのは初めてだ。
「ねぇ聞いてもいい?」
「何?」
「どうしてここにしたの?」
「このノリでカウントダウンパーティーに突入するから……かな」
フロアを見れば外国人が半分以上を占めるその空間は、異国情緒満載で皆フレンドリーに語り合ってる。
指先を絡め合うカップル。
時折悪戯っぽく耳元にキスをする彼氏に笑い転げる彼女。
他にも熱々のカップルがそこかしこにいる。
私達も一応カップルだが、あんなにイチャイチャするような仲ではない。
(このノリっていうけど……私達はこういうの無縁だよね。周りの勢いに合わせて一気に親密にってこと?本当はこんな風にしたかったっていうことかな?
考えてみればカウントダウンパーティーって年越しの瞬間、周りの人とキスしたりハグしたりするんだよね。今まで全然そういうことしない人だったのに、意外だなぁ……はっきりと自分の気持ちを言わないところがある人だから、わかんなかった。
でもそうなってくれたら……嬉しいかな?)
「なんか凄いね……」
「だめ?引いた?」
「そんなことないけど。ああいうの……私とは望んでないのかと思ってた」
「ごめん。そんなことないんだホントは。ちゃんと言わないと進めちゃいけない気がして」
「ん……?」
「前に話した俺の好きなもののこと。他にもまだあるって言ってたの覚えてる?」
「勿論」
「ちゃんと伝えてなかったよね。いつか説明しなくちゃって思ってたんだ。」
忘れっこない。
あの一言が抜けない棘のように、引っかかっているのだから。
目を伏せた私と次の言葉を捜す彼。
その瞬間
わああああああああ!!
突然の大歓声。巨大なバルーンと共にマジシャンが登場した。
真っ白なスーツにフェルト帽。
片手だけ手袋をしている。
テーブルごとに違う妙技を披露しては喝采を浴びているマジシャンを、突然背後から湧き出た白い気配が包む。多分見えているのは私だけだろう。
今度はあれだ!
スリラーで有名なあの人だ!
「俺ね。将来今と違う仕事やろうと思ってるんだ」
「え」
私の驚きと重なるように、いきなり隣で始まったマジシャンのダンスパフォーマンス。
あちこちからライトアップされキング・オブ・ポップの分身が乗り移ったマジシャンは、まるで別人のように踊りまくっている。ムーンウォークを披露するとそのキレキレの弾けっぷりに、フロアの興奮は一気に上昇した。
最後にまるで頑張れとでもいうように、彼にエールを送るポーズを決めた。突然のことに固まっている彼に向かって、マジシャンがニッコリと微笑む。
(何々?なんでこんなに応援してくれるわけ?嬉しいけど、ちょっとビックリ!彼がロック好きってことがわかるのかな!きっとそうだよね!)
バンバン!バンバン!
あちこちでクラッカーが鳴り響いた。
おおおおおおおおお!!
嬌声と雄叫び、体の中心に響くビートの心地よさ。
いよいよカウントダウンパーティーの始まりだ。
次々とパーティー・チューンがノンストップで流れ出し、映像とライティングがめまぐるしく回転する。
「踊るか」
「う、うん!」
皆席を立って踊り出す。
お堅い印象の彼だが実はこういう場所では、めちゃくちゃノリが良くなる。
SUMMER JAMでそれは実証済みだ。
私は高まるテンションと彼の言葉の間で揺れ動く。
(違う仕事?違う仕事って何だろう?今の仕事をやめるってこと?)
彼は何もかも吹っ切ったように身体を動かす。
私は不安よりも、何かを決意した彼がそこにいるのを感じた。
(大丈夫なのかな?この年齢で転職とか大変そう。でも敢えてその道を選ぶっていうのは、それなりの理由があるんだよね。本当にやりたくてやりたくて堪らないものなんだろうな。それにしてもロック以外に彼が好きなものって何だろう。
たぶん私にもなかなか言えないことなんだから、周りの人にも言いにくいことなんだろうな。自分の気持ちをオープンにしないところがある人だから。でもやっと打ち明けてくれるんだ。できればそれを応援してあげたい)
上手く言葉にできないが、自分を表現するのが不器用な彼を支えてあげたいという気持ちが、私の中にあるのは確かだ。それは今まで一緒の時間を過ごしてみて、色々な彼の素顔に触れてきたからだ。
例えばあの時。SUMMER JAMかFUJI ROCKにするか迷った時のことだ。
FUJI ROCKは一日で終わらない、つまり宿泊の必要がありまだそういう関係になっていなかった私にはハードルの高いイベントだった。
「連日で音楽漬けなのもいいけど、瞳が疲れちゃったらいけないからね。FUJI ROCKはまた来年にしよう」
「そんなことないよ?行ったら楽しいんじゃない?」
「瞳もこういうの好きだってわかってるけどさ。時間も長いし結局は俺の趣味に付き合わせてるんだから、もう少し軽めのイベントにしよう」
まだ付き合ってから時間が経っておらず、二人の関係がどうなるのかわからなかった時期だ。
FUJI ROCKはできれば避けたかった私の本音を、こちらが言わずともちゃんと汲み取ってくれていた。
これをキッカケに……なんて甘言を吐くこともできたのにそうはしなかった彼。
それにSUMMER JAMの夜も含め私は彼の前で何度かお酒に呑まれてしまったのだが、彼が送り狼になったことはあ一度もなかった。私に魅力がないのかも……とも思ってみたが、大切にされている実感はちゃんとあった。
そう、いつの間にかそんな彼に、私はすっかり心を奪われていた。
ちょっと素敵かも……で始まった恋は、好きという独りよがりの感情から随分成長したらしい。彼の悩みは私の悩み。別れたいという提案以外なら、出来る限り彼を受け入れたい。
それが愛してるという気持ちを表す最善の方法ならば、私は戸惑わない自信があったのだ。
★
時刻は午後十一時四十五分。
人波に揉まれながら、踊り続ける。
踊る
踊る
踊る
無心になって踊る
ドッと落ちてきた金銀の紙吹雪。
足元に絡まる大量の紙テープ。
汗をかきながら感じる快い疲れ。
時々交差する視線はこの後の出来事を予感させ、私は胸の奥がキュっと締め付けられるような想いにかられる。
時間は驚くほど早く過ぎていき、すでに新年まであと五分を切った。
やがて店内の全員がカウントダウンのスタンバイに入る。
そのタイミングで彼に手を取られた私は、フロアの端へと導かれた。
カーテンで少し影になっているその場所は、ハメを外した喧騒から距離を取り二人だけの空間になっている。
彼は壁際に私を立たせると、囲い込むようにして耳元で囁いた。
「音、大丈夫?煩すぎる?」
「平気」
ううん、平気なんかじゃない。
今までこの人とこんな近い距離で話したことなんかない。
けれど、顔を近づけないと声が聞こえないのだ。
私は顔が火照っているのを気づかれないように、視線を外す。
追いかけるように斜めから覗き込んできた彼は困ったように髪をかきあげた。
「瞳」
「はい」
「俺ね……」
「……」
「面白い話を作る仕事がしたいんだ」
「え?」
「前さ、瞳が俺の家来たいって言った時断ったよね」
「掃除してないから又にしてくれって……言われた」
「ホントは違うんだ」
「何、どういうこと?」
「本棚見られたくなくてさ」
「本棚……」
「俺本当にやりたかったのは映画の仕事なんだ。脚本とかカメラワークとか。総合的に映画の勉強ができる大学に行きたかったんだけど、親に反対されてね」
「えいが……」
「今勤めてる商社だって、親父の縁故なんだ。親の顔に泥を塗るようなマネ、俺には出来ないだろうっていう親父の魂胆さ」
「大谷さん……」
「今までそんな自分を何度も責めたよ。親に主張できない自分をね。けど、君と付き合うようになってから、将来のこととか考えるうちにやっぱり逃げちゃいけないって思ったんだ」
「将来のこと……」
「君は安定性のある商社に勤める俺と付き合ってるつもりかもしれないけど、それは本当の俺じゃない。定職を捨てるなんてバカだと思うかもしれないけどね。そんな俺を受け入れてくれるかどうか不安でさ。いいかげんな気持ちで付き合う気はないから、今まで手出せなかった。
ごめん。隠してて」
見たことのないような萎れた顔に、私はそっと手を添えた。
驚いたように目を見開く彼。
でもすぐに目線は外れてしまう。
新年まであと一分。
カウントダウンコールが始まる。
50!49!48!……
「大谷さん、こっち向いて」
39!38!37!……
「ごめん、ほんと。言えなくて」
「もういいから」
29!28!27!……
「仕事やめるつもりとか。言ったらきっと別れ話になると思った」
「そんなこと言わないで」
15!14!13!……
「でも瞳と別れたくなくて」
9!8!7!
「失いたくないって心から思った」
3!2!1!
「バカ!何言ってんの!」
重なった唇。
私からのキスで新年が明けた。
ハッピーニューイヤー!!!!!
店中が大絶叫で喜びを分かち合う。
色とりどりのジェット風船が空を切り、大音量のサウンドが脳天を突き抜ける。
私は広い胸にもたれながら彼との初めてのキスに酔いしれた。
「A happy new year!!!and Congratulations!!!」
いつの間にかやってきたマジシャンが私達の隣で絶叫した!
(やだ!ぜんぶバレバレなの?恥ずかしい!でもとっても嬉しい!)
「なんか大谷さんがロックが好きなわけがわかった気がする」
「え?」
「他の人にはバカらしく思えることに一生懸命って。なんか似てるよね。ロックやる人に」
「こいつ!」
優しくコツンと頭を小突かれるともう一度唇を塞がれた。
「俺もわかったことがある」
「え、何?」
「さっき何か見えてた?」
「ぇ……なんのこと……」
「ビックリした顔で誰もいない方向向いてたの見たから」
「……」
「瞳と付き合ってるって同僚に言ったらさ、瞳は色々見えるってきいたんだよね」
「うそ……」
「瞳、地元から動いてないでしょ?だからあちこち瞳のこと知ってる奴がいるみたいなんだよね。うちの部署にもいたんだよ、そういう奴が。あ、見えるっていう話ばっかりじゃないよ。長い黒髪が綺麗な可愛い子っていうのもあったから」
「そんなとってつけたように言わないで」
「あ、ごめん。怒った?っていうか違ってたらごめん」
「ううん、違わない……」
「瞳、こっち向いて」
「ぅ……ん」
「俺もなかなか自分のこと言えなかったけど、瞳もそれって言いたくないんだろうなぁって思ってたんだ。でも俺そんなの気にしないから。人間それぞれ違うところがあるからおもしろいんじゃない?少なくとも俺はそう思ってる。だけど噂のこと、瞳気にしてたんだろ?」
「……うん」
「今まで自分だけで抱えてきたと思うけど、これからは俺が話きくし。噂なんて気にするなよ。俺にとっては瞳は……大切にしたい人だから」
この人は本当にロックな人らしい。
古い自分を脱ぎ捨てたいと思ってた私。
新しく生まれ変わりたいと思ってた私。
そして新しい恋をしたいと思ってた私。
そんな私を。
異端者である私をすんなり受け入れてくれた。
そして今まで私が抱えてきた悩みを、スコーンとホームランを打つみたいに豪快に撃破してしまった。
ビバ、ロック!
熱気で汗だくになったジャケットを脱ぎながら、茶目っ気たっぷりに彼はこう囁く。
「っていうか、きっと凄い人が見えたんだろうなって思ったんだ。ここ亡くなったアーティストのグッズとか色々置いてるから」
「大谷くん……!」
「信じられないって顔だってぜ。でも俺そういうの大歓迎!どんな感じか興味あるんだ。あ、瞳が嫌がってるなら、もうこの話はなしにするけど。瞳?違ってた?」
「ううん」
「じゃ、誰が見えたか教えて」
「だめ」
「じゃヒント」
マジシャンが含み笑いをしながらウィンクするのを視界の端で捉えながら、私は微笑んだ。
神様ありがとう。私この人の事好きになってよかった……
「さっき見てた白いステージ衣装」
「ええええええええええええええ!」
私はもう一度熱いキスを彼に送りながら、ロックの英霊たちに心の中で感謝した。
了
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