ラウンド3

「東京を離れる?」

 髙野あきは娘のゆみの言葉に、眉間に皺を寄せながら返事をした。

「うん……」

「理由は?」

「普通の高校生活をしたくて……」

「なら都内の高校でもいいでしょう」

「都内は、その……。私のことを知ってる人が居るから……」

「つまり、現実から逃げたいんだな?」

 あきは、ゆみを睨んだ。ゆみは何も言えず、下を向いたままだった。

 インターミドル終了から一ヶ月程経ったある日。

 ゆみは家のリビングのソファーで資料を読んでいたあきに、今住んでいる東京から離れ、都外の高校に進学したいことを告げた。

 あきは、なぜゆみが都外の高校へ進学したいのか察しが付いた。理由はおそらく、インターミドルでの敗北のことだろう。

 ゆみは格闘ゲームを始めてから一度も、大会で負けたことがない少女だった。そうなるように、あきは幼い頃からゆみに格闘ゲームの英才教育を行ってきた。自分のように世界で活躍するプロ・ゲーマーになって欲しい、そう思ってのことだった。

 絶対に負けてはならない。

 何が何でも勝利を目指せ。

 誰が見ても厳しい教育方針のもと、ゆみを指導していった。

 ゆみは文句一つ言わずに、あきの指導に付いていった。そのおかげか、ゆみはエースとして学校を背負う存在になった。

 そんな少女が、インターミドル一回戦で完敗した。そのことがショックで、ゆみは格闘ゲームを一切触らなくなった。

 ゆみにとって、初めて大会で負けたことが相当ショックだったのだろう。その影響で東京を離れたいと言い出したのだと、あきは思った。だから、きつい言葉をゆみに返した。

 ――どうせすぐに考えが変わる。

 そう考えての言葉だった。

「私、もう格ゲーやりたくない」

 ゆみは下を向いたまま、絞り出すように声を出した。

「格ゲーをやりたくない? ゆみ、そんな弱いメンタルだからインターミドルで無様な負け方をしたのよ。いつも言ってるわよね? 負けることは許されない、勝つことが重要だと。この言葉の意味を理解してないから、あなたはダメなのよ」

「…………」

 ゆみは目に涙を浮かべながら、あきの話を黙って聞いていた。

 ゆみの肩は、震えていた。

「はぁ……。くだらないことに時間を使ってしまったわ。ゆみ、早く今日の分の練習をしてきなさい。本当、あなたにはがっかりしっぱなしだわ。育て方を間違えたのかしら……」

 あきは容赦のない言葉の弾丸を、ゆみに撃っていった。言葉の弾丸は、ゆみの心をズタズタに傷つけていく。やがて限界に達したゆみの心は、壊れる前に爆発した。

「……いいかげんにして!」

 ゆみは泣きながら、大声をあげた。大きな目からボロボロと涙をこぼしながら、ゆみはあきを睨みつける。

 普段大人しい、控えめな性格のゆみが、初めて大声をあげて怒った。

 あきはそのことに驚いたが、すぐに冷静さを取り戻すと、感情的になったゆみに向かい合う。

「ゆみ、冷静になりなさい」 

「お母さんはいつもそう! 私の気持ちを考えないで、いつも傷つくことばかり言って! 格ゲーだって、お母さんが無理矢理やらせたんじゃない! 私は、私は部や学校、それにお母さんの期待に応えようと毎日練習頑張ってたの! 私は今まで格ゲーしかやってこなかったから、大人以外に負けたことがなかったから、私は、私は……」

 ゆみは今まで口に出来なかった気持ちを、あきにぶつける。泣きじゃくりながら、ひたすら我慢してきた気持ちをはき出していく。

 あきは、唯々黙って聞いていた。

 部のエースとして、学校、部、そしてあきの期待を背負っていたことがゆみに大きな重圧になっていたことを、あきは初めて知った。

 だが、その程度の重圧が何だというのだ。

 世界で戦うプロ・ゲーマー、高野あきには理解できない悩みだった。

 あきは、ゆみにさらに厳しい言葉を告げる。

「ゆみ、今のあなたは感情が爆発してる状態で冷静な判断が出来ないだけ。少し落ち着きなさい。あなたにも色々プレッシャーがあったのは分かったわ。でも、上を目指すならプレッシャーに負けてはダメよ。大体、世界で戦うことに比べたら大したことじゃないわ。あなたのメンタルトレーニングが不足しているから、インターミドルであんな無様な結果になったのよ。すべてあなたの弱さが招いた結果よ。私に怒るのは筋違いだわ」

「もういいよ! お母さんは、私のことを娘として見てくれてないって、いちプレイヤーとしてしか見てくれない。だから、もう嫌なの!」

「はぁ……。なら、もう勝手にしなさい。その代わり、もうあなたのことは娘とは思わない」

「……っ!」

 ゆみは泣きながら、リビングを出ていった。あきはしばらくその姿を見ていたが、やがて何事もなかったように再び資料を読み始めた。

「はぁ……」 

 あきは、小さなため息を吐いた。

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