第18話 ありがとう
不思議とその日の朝は目覚ましや母にも起こされる事なく目が覚めた。加奈にとってこれほどまで心臓の高鳴りで目が覚めた日は生れてこのかたなかった。
加奈は起き上がるとさっさと着替え、朝食をとるとすぐに机に向かった。昨日までやっていた問題集を広げ、復習を始めたのである。
今の加奈にとって、こうする他に心を落ち着かせる術がなかった。時間まであと六、七時間ある。だが、来たとところでどう説明すべきか。いや、それ以前にあゆみのことを信じてくれるか。それどころか、ちゃんと時間に来てくれるのか。ささいな不安の堂々巡りは納まる気配が全くない。それが加奈をより不安に押しやっていた。
―――ここまできたんですもの、やるしかないわ―――
一、二時間考えたあげく出した結論は結局それであった。加奈は覚悟を決め、それまでやっていた問題集を閉じ窓越しに空を見つめた。雲ひとつない快晴の空。全ては今日、決着がつく。今日・・・。
夕方。予定の時刻よりも竜彦は十分程早くやって来た。加奈と瞳は、まず、竜彦を瞳の部屋に通した。竜彦は瞳の言われるままにそこに座ると、加奈は竜彦と向かい合うように座った。いつもと違い、三人ともどこかよそよそしかった。
「ごめんなさい。いきなり呼び出したりして。今日は、この間の出来事の説明をしようと思って」
「そうなんだ。不思議なんだ。あの時、まるであゆみに怒られてるような感じがしたんだ」
「そうじゃなにの。あれ、本当にあゆみお姉ちゃんなの」
「え・・・どういう・・・ことなんだい?」
竜彦は、キツネにつままれたような視線で加奈を見た。
「私、実は幽霊が見えるんです。ゴーストアイっていう能力らしいんですけど」
加奈はそこで一呼吸置いた。竜彦は依然として何が起きているかわからない様子であった。
加奈は一瞬このまま話を進めるべきか迷った。しかし、竜彦を立ちなおさせるチャンスは今回を逃すと二度とこないと思うと握りこぶしを作って、再び竜彦に語りだした。
「私は、この力を最初は呪いました。けど、この能力を身につけることができたからこそ、会うことが出来たんです。あゆみお姉ちゃんに」
「あゆみって、あゆみがここにいるのか」
今まで半信半疑な表情しか見せなかった竜彦だが、『あゆみ』という言葉に即座に反応した。
「ええ、殆どの時間、あなたの後にくっついています。この前竜彦さんに話したのは、私じゃないんです。どういう訳かあゆみお姉ちゃんが私の中に入ってきて私を使ってあなたに語りかけたんです」
「あいつ、俺のこと恨んでるだろう。じゃなきゃ俺に付きまとう理由がわからない」
「そんなことないわ。どうしてそう自分ばかり責めるの。あゆみお姉ちゃんは、竜彦さんのことがただ心配なのよ」
「俺のことが・・・心配」
「そうやって、自分で勝手に思い込んでるでしょ。あゆみお姉ちゃんが死んだことを自分に責めることで、逃げてるんでしょ。お姉ちゃんがいないこと。いい加減目を覚まして。お姉ちゃんは本当にあなたのことが好きだったのよ」
加奈は、自分で自分が何を言っているのか解らなかった。ただ、涙ながら言うその言葉一つ一つに重みが感じ取られた。
「あゆみお姉ちゃんは一瞬たりともあなたを恨んだりしなかったわ。そうやって何でもかんでも自虐的に考えないで」
暫くの間、沈黙が続いた。竜彦は思い込んだ表情で何か、自問自答しているようであった。
「加奈、準備できたわよ」
瞳が恐る恐るドアを開け告げた。どうやら、加奈の声は外にまで聞こえていたようだ。しかし、加奈にとってそれは、どうでもいいことであった。とにかく、今は自分やあゆみのことを伝えようと精一杯であった。
「竜彦さん。さっき、私が幽霊を見ることができるって言いましたが、実は、見えるだけであって基本的には、話すことが出来ないんです。ただ、あゆみお姉ちゃんだけは例外で、お姉ちゃんが使っていたパソコンのディスプレーを使って話すことが出来るんです。けど、それも今日が最後なんです。お姉ちゃんが言うには、もう力が限界らしくて、今日が最後なんです」
「・・・うそを言っているわけではないみたいだな。つまりだ。君は幽霊を見る能力があってあゆみの姿が見える。そして、あゆみとはそのディスプレーを通じて話すことができる」
「ええ、そうよ」
「だが、それが出来るのが今日で最後」
「そう、最後。その最後に時間、お姉ちゃんはあなたと話す時間にしたいの」
「最後の時間を俺に・・・」
「ええ、そうです。あゆみお姉ちゃん、あの時のことで謝りたいと。それから、本当の気持ちを伝えたいって。そのために今日、竜彦さんに来てもらったんです」
「俺に・・・、聞く権利があるのだろうか」
「少なくとも、私にはあると思います。さあ、どうぞ。あゆみお姉ちゃんが待っています」
加奈は右手を差し伸べて、竜彦をあゆみの部屋へと誘った。部屋では、すでにあゆみがディスプレーを立ち上げたっていた。瞳は、加奈に耳打ちをして部屋から出て行った。
「残された時間は、十分ほどだそうです。私は外で待っています。後は竜彦さんとお姉ちゃんで話してください」
加奈は、そう言うと瞳の後を追って部屋を後にした。
加奈と瞳は互いに見つめあうようにして廊下に腰を下ろしていた。二人とも何やら落ち着かない雰囲気を醸しながら互いの顔を見合う形で座っている。
「お姉ちゃん、大丈夫かな」
おもむろに瞳が加奈に話し掛けた。
「・・・ごめんなさい。ホントなら瞳が最後に話すべきなのに」
「いいのよ、ホントに。お姉ちゃんと話せなくなるのは辛いけど私のこと、ずっと見守ってくれるって言ってくれたし」
瞳の顔はとても清々しくて、見ているこっちまでが勇気付けられる感じがした。加奈は部屋の中の様子がとても気になって仕方がなかった。たった、5分の出来事のはずなのに何十分、何時間にも感じられた。いったい中では何を話されているのであろうか。中から聞こえてくるかすかな話し声を加奈はあえて聞こえないようにした。むしろ、竜彦がどのような顔をして出てくるのか。それだけが気になってならなかった。
「入ってきてくれないか」
中から竜彦の声がしたので加奈と瞳は部屋の中へと入った。竜彦の顔は先ほどまでのもやもやした顔ではなくすがすがしいほどのさわやかな顔であった。
「・・・お話、できましたか」
「あぁ。ホントならぶん殴ってやりたいって言われたよ。ほんと、最後まであいつに怒られっぱなしっだったな」
「それだけ好きだったんだと思います。お姉ちゃん、嫌いな人とは絶対に口を利かない人でしたから」
瞳の声は、数日前とは考えだれないくらい大人びた口調であった。
―――二人とも、何かふっ切れたみたい―――
加奈は二人に表情が、明らかに数日前と違うことを感じた。二人ともあか抜けた清々しい表情である。
そして、そんな二人をあゆみは安心そうに見つめてどこかへ飛び立って行った。加奈はあゆみが飛び立って言ったほうを追い、大きく手を振った。それを見た瞳と竜彦もまた大きく手を振った。
「お姉ちゃん、行っちゃった」
「うん、行っちゃた。あゆみお姉ちゃん、笑ってた」
「あいつらしいな。帰るときはいつも笑ってたっけ」
加奈はふと後ろを振り向くとディスプレーに文字が映し出されているのに気づいた。ただ、それは殆ど消えかけていて、瞳と竜彦が気づく前に消えてしまったが。
『ありがとう、加奈ちゃん。』
それが、あゆみが加奈に宛てた最後のメッセージであった。そして、それ以後あゆみは加奈の前に姿を見せることはなかった。
あれから、数ヶ月が過ぎた。加奈と瞳は無事に高校に合格した。竜彦は大学に復学し今では教師を目指して毎日元気に通っているとのことである。
後から聞いたことなのだが、竜彦は、昨年度一年間は学費を稼ぐためにアルバイトを生活をしており、実質休学していたのである。ただ、所属しているサークルには顔を出すようにしており、それが加奈が病院に行く土曜日だったのである。今となっては何たる偶然なのだろうか。加奈はつくづくそう思った。
「それで、加奈は今度の土曜日も京都に行くの」
教室で瞳が加奈に話しかけた。高校に入学してはや一ヶ月。加奈と瞳は同じクラスになっていた。
「ええ、病院には私を待ってる子ども達もいるし」
加奈はもう病院に通院しなくてもよくなった。その代わり、今では入院している子ども達を慰問するボランティアをやっているのである。無論それは入院している子ども達対象だが院長の勧めもあり、伸彦や綾香のような子ども達に会いに行くことも兼ねているのである。しかし・・・。
「ねえ、加奈。お姉ちゃんあれから姿を見せた」
「うんうん」
加奈は首を横に振った。しかし、加奈に何となくであったが理由が解っていた。
「多分ね、気を使ってるんじゃないかなと思うの。今じゃ、お姉ちゃん私しか姿認識できないじゃない。だから」
「そうね」
何もない言葉の続きが加奈にはわかっていた。加奈にだけ見えるのは二人に申し訳ないのでは、そんな解釈をしていたのだ。
「おおい、授業始めるぞ」
担任の教師が教室に入ってきた。加奈と瞳は他の生徒同様慌てて席についた。
「今日から君たちをサポートするためにボランティアが来ることになった。紹介しよう。入ってきたまえ」
「はい!」
そういって入ってきた青年に加奈と瞳はわが目を疑った。
「うそ・・でしょ」
「ぜんぜんそんなこと言ってなかったのに」
そこに立っていたのは、紛れもなく竜彦その人であった。
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