第17話 叫び

 冬が近いこの時期は、日没が早いだけではなく気温以上に寒さを感じてしまう。夕日は先ほどよりも沈み、公園の街灯には明かりがチラチラとつき始めていた。

「あの日、朝から雨が降ってた」

竜彦は唐突と話を再開した。

「あゆみが朝、傘を無くしたらしくて、駅で途方にくれてたんだ。そんなあいつを見て、あいつを俺の傘に入れてやったんだ。だが、予想以上に周りの反応が騒がしくて。けど、それがどれだけ俺にとって迷惑・・・いや、恥ずかしかったか。恥ずかしくて、照れくさかったから俺は帰りも入れてと言ってきたあいつを突き放した。そして・・・」

「・・・事故に、あったって訳ね」

「ああ、もし俺があの時、一緒に帰っていたら、あいつは死なずにすんだかもしれない。人なんて、みなそうさ。口ではなんとでもいえるが、結局最後はすくみ上がって何も出来ない。俺は、人を好きになる資格なんてないんだ」

 加奈は、なんと言えばいいか解らなかった。頭の中で言葉を捜すが、何も出てこない。しかし、竜彦は誰かに知って欲しかったのだろう。長い間、ずっと心のうちに背負ってきたこの呪縛に。加奈は、なんとしてもその気持ちで答えたかった。しかし言葉は出てこない。

 加奈はふと、ジャングルジムの上に座っているあゆみを見た。あゆみの表情は無表情であったが、無言の圧力みたいのを加奈は感じた。それは、明らかに怒っているものであった。加奈はそれがどういうわけか解らなかった。

「竜彦さん、今、もし。もしもですよ。あゆみお姉ちゃんがいたらどう思ってると思いますか」

 加奈は、あゆみの顔色をチラチラ見ながら聞いてみた。あゆみは、さっきからこっちをずっと睨むような目線で見ている。それが、殺気立っていたので加奈は逆にそっちの方に恐怖を覚えた。

「どう思うって、やっぱ、恨んでると思うよ。あの時、俺のせいで死んだんだし。何度か後を追おうか考えた。けど、出来なかった。俺にはそんな度胸もなかったし」

 竜彦の目はうつむき加減で加奈すら見えてない様子であった。加奈は、竜彦の表情を見た後、再び視線をジャングルジムにいるはずのあゆみに向けた。

 ―――えっ、あゆみお姉ちゃん、何を―――

 あゆみはジャングルジムを降り、一歩ずつ、確かな足取りでこっちに向かっていた。表情こそないが、握りこぶしを込め、明らかに殴りこみに行くヤクザの目をしていた。

 ―――ちょっと、あゆみお姉ちゃん・・・。来ないで―――

 加奈の異変に気づいた竜彦は、加奈の肩に手をやった。

「どうしたんだ、加奈ちゃん。幽霊でも見たような顔をして」

 幽霊は今、目の前にいる。あゆみは少し、また少し、二人の前に近づいてきた。その表情に加奈の恐怖心は次第に増大していった。

「ちょっと、お、落ち着いて」

「加奈ちゃん、誰と話してるんだ」

 加奈は思わずベンチから立ち上がった。しかし、そこにはあゆみの姿はもうなかった。あたり一面見渡したが、どこにも姿が見えない。横では、竜彦が心配そうな表情で加奈を見ている。

「加奈ちゃん大丈夫か。もう日も落ちたし、そろそろ帰ろうか」

「・・・ふざけるな!!」

「えっ」

竜彦は目の前でおこっている事が信じられなかった。さっきまでの加奈はそこには射なかったのである。

「加奈ちゃん。今何か言ったかい」

「ふざけるなって言ったのよ。このばかばかおおばかが!!」

加奈は何を言っているのか自分でも解らなかった。というより今自分の体は、加奈であって加奈ではなかった。

「いつまでいじけてるつもりなのよ。まさか一生そのままじゃないでしょうね!!」

「・・・何言ってるんだ、加奈ちゃん」

竜彦は状況を飲み込めず明らかに戸惑っている。

 ―――何言ってるの、私。これ、どういうこと。頭に勝手に言葉が浮かんで、勝手に叫んでる―――

 竜彦は何がどうなってるかわからない表情で加奈を見つめていた。腰が抜けたのか、立つことすら出来ない様子だ。

「あんたね。何悲劇の主人公演じてるのよ。自分だけが不幸になったとでも思ってるの!!いい加減にしなさいよ。どうせ口だけでそうやって言いふらしてみんなに注目されたいだけなんでしょう」

「何だとぅぅぅ、さっきから聞いてたら何様のつもりなんだ」

 竜彦は立ち上がるとこちらも鬼のような形相に変貌し加奈の前に仁王立ちした。

「何度でも言ってやるわよ。自分だけが不幸になったとでも思ってるの。私が、あの後どれだけ苦労したと思ってるのよ。落ち込んで自殺しそうな妹を励ましたり、誰にも気付かれないのに見守ったり、あったのことだって、何十回、何百回と見に行ったのよ。なのにあんたったら、私が恨んでるって勝手に思い込んであちこち八つ当たりして、恥ずかしくないの。いつだってそうよ、あんたって豪快だと思ったけど、たんに脳みそ三歳児で止まってるのよ。だからあんな子どもじみたこと、平気でやったりしてさ」

「・・・」

竜彦はつばを飲むことしか出来なかった。必死で頭を働かせて、状況を整理するのがやっとであった。

 ―――どうなってるの。私、どうなっちゃったの―――

 金縛りにあったように加奈は動けないでいた。何とかこの場を脱出できないか必死で体を動かしてみた。しかし、体は一寸も動かない。あきらかに見えない誰かに押さえつけられている。

「私は、あんたと出会って今日まで、一度も恨んだことないわ。これは本当よ。私、本当にあんたが好きだった。だからこれ以上、あんたのこんな表情見たくない。だから」

「・・・あゆみ・・・なのか」

「えっ」加奈は遠くの世界からいきなり召喚された感覚になった。

「あゆみなのか、おい」

竜彦は加奈の肩を押さえ付けた。

「いゃ、離して」

加奈はそれを力のかぎり振り払った。自分の体が動くことを確認した加奈はその場を一目散に駆け出した。まるで猛獣に獲物と認定された小動物のように。

 竜彦は、そんな駆け出していく加奈をただ見ているのがやっとであった。


 加奈は、家のドアを力いっぱい開けると、そのまま階段を駆け上がり自分の部屋に入ると、そのままベッドにダイブした。

 ―――一体なんだったのあれ、私が私じゃないみたいだった―――

 加奈は、ついさっき起こった出来事を順を追って整理した。しかし、頭の中では犯人がわかっていた。

 ―――やっぱり、あゆみお姉ちゃんのせいなのかな。あれ―――

 加奈の頭は依然混乱していた。このゴーストアイの能力を身につけてからこんなことはいうまでもなく始めてである。だがなぜ。それが頭の中から離れない。

「加奈、瞳ちゃんが来てるよ」

 加奈の母が下から大声で呼びかけた。加奈は、瞳にさっきのことを聞いてもらいたいという願望が頭をよぎり、ゆっくりと体を起した。しかし、玄関に立っていた瞳は、加奈の想像をはるかに裏切っていた。体が小刻みに震え、目には涙をためていた。

 加奈は全く状況が飲み込めなく、混乱している頭がさらにこんがらがってしまいそうになった。

「加奈、今すぐ来て。お姉ちゃんが、お姉ちゃんが」

 加奈は瞳と共にすぐに玄関を飛び出し、向かいの家に飛び込んだ。

「さっき、いつものようにディスプレーに文字が出たの。でも、いきなり『もう、お別れだわ』って打ち出されたら次の文章が出てこないの」

 即座に加奈は、さっきの出来事が関連していると直感した。そして、今まさに、時間が動こうとしていることにも。

 あゆみの部屋に入ったとき、加奈は青ざめた。あゆみがディスプレーに倒れこむ形で座っていたのである。呼吸は荒く、聴こえないはずの荒々しい息が聞こえてきそうであった。そして、顔は青ざめ、今にも意識をなくしそうな表情であった。そう、貧血を起して倒れた女性の如く。

「あゆみお姉ちゃん、大丈夫?。顔色が」

 ディスプレーが起動しているのでそこにあゆみがいることは、瞳にも理解できた。だが、瞳はあゆみが倒れていることが見えない。

「加奈、お姉ちゃん大丈夫なの。消えちゃったりしないの」

 瞳はこらえきれない涙が溢れ、加奈に泣きついた。

「あゆみお姉ちゃん、さっき私の体に憑依したでしょう」

 加奈の問いにあゆみは薄れそうな意識でうなずいた。

「どうしてそんな無茶するの。今倒れてるの、それが原因なんでしょう」

『・・・・ごめんなさい、竜彦見てたらホント、腹立たしくなって、気づいたら私、加奈ちゃんの中に入っていたのよ、こんなこと今までできなかったのに、でも、あいつが気づいたことで我に返って私・・・・』

 古い文章がディスプレーから消え、また新しい文章がそこに現れた。しかし、いつもと違い、そのスピードははるかに遅い。

『・・・これって、私達の世界じゃ禁断の技なのよ、我に返ったら全身が痛くて目がくらくらして、視界も殆どなくて正直二人の顔、全然見えないのよ』

「それで、あゆみお姉ちゃん、どうなっちゃうのですか」

加奈の声は荒々しかったが、涙腺は若干緩んでいるためか、声が震えていた。

『・・・変わらないわよ、ただ、もうディスプレーに文字が打てなくなるけど』

「そんな。もう、お姉ちゃんと話せないなんて」

瞳はその文字を見るや否やダムが決壊したかのごとく涙が溢れ出した。

『・・・・瞳、心配しないでいいのよ、もうお話できなくなるけど、私はずっとあなたを見守ってるわ、私は、あなたが思えばいつでもそばにいるもの』

 あゆみもまた涙を浮かべていた。加奈はその涙を見ながら、冷静に頭を働かせた。何かいい方法はないか。何か。

「加奈、私覚悟できてたから。けど、こんなに早くなるとは正直思ってなかったから。けど、もう大丈夫だから」

瞳は加奈の右腕を力強く掴み、うつむき加減に言った。歯を食いしばり力いっぱい握っていたが、瞳は覚悟が出来ていると加奈は感じた。

「あゆみお姉ちゃん。あと、どれくらい、文字打てますか」

 しばらくの沈黙の後、あゆみはディスプレーに新しい文字を打ち出した。

『・・・多分、後十分くらいかな』

「その残り10分だけ、別の日に打つことって出来ますか」

「加奈、何を考えてるん」

 加奈の考えていることは、あゆみには解っていた。

『ええ、でもその場合少し時間が短くなるかも』

「それで、・・・十分です」

加奈は静かに握りこぶしを作った。


「・・・・あっ、もしもし、竜彦さん。私加奈です」

加奈は自宅の電話から、竜彦の携帯に電話していた。

「こんばんわ、加奈ちゃん。でもどうして」

「瞳に番号聞きました。今日のことちゃんと謝らないとっと思いまして」

「謝るのはこっちの方だよ。あの時、我を忘れてしまって、そんなはずないってわかっていたんだよ。でも、あの時、なんだかあゆみに怒られている気がして」

「竜彦さん、今度の日曜日、空いてますか。空いているのなら夕方四時半にあゆみお姉ちゃんの家に来て欲しいんですけど」

「日曜日の四時半。別に大丈夫だけど。一体なんだい急に、今日のことはもういいのに」

「来れば解ります。ではその日曜に」加奈はそう言うと一方的に電話を切った。

「加奈、今の男の人」

加奈の母は興味心身に聞いてきた。加奈はそんな質問には見向きもせず二階へと上がっていった。

「あの子ったら、もう、彼氏作っちゃたりして」

加奈の母は勘違いしたまま台所で後片付けを始めた。その後、加奈は自室のベッドに仰向けで寝ていた。両手を頭に上げずっと天井を見つめていた。

「このまま、終わらせない。終わらせてたまるものですか」



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