第9話 凍てつく目をした少年
新学期早々に行われた実力テストで、加奈と瞳はかなりの高得点を取ることができた。進路指導の先生によると、二人のレベルだと入試まで気を抜かずに勉強を続けば、志望校に合格できると言われたのである。二人にとってその言葉に何よりうれしいものであり、よりいっそう勉強をはかどらせることとになった。
九月も半ばに差し掛かると、クラスの雰囲気は一変してきた。今まで遊んでいた子が血相を変えて勉強を始めたのである。授業中の私語は減り、職員室にはクラスの落ちこぼれと言われていた子が頻繁に出入りし、先生に質問をしている。先生たちも俄然やる気を出し、そういった子に真剣に向き合い勉強を教えるようになったのである。
加奈と瞳は、今は自宅で通信教育を使って勉強をしているのだが、秋口には実力テストや模擬試験が頻繁に行われるため、その準備や受験勉強もあって、あゆみと話す機会はかなり減少した。
二人は、毎週水曜日と土曜日に時間を決めて彼女と話すようにした。その方が区切りがつけやすくちょうどいと感じ、また、彼女と話すことはいい気分転換にもなり、プラスになることばかりなのである。
ただ、加奈は一つだけあゆみについて気になることがあった。立石君との一件の時に見せた、悲しく、切ない目。あの目のことがとても気になっていたのである。
あの一件以来、あゆみがそんな目をすることはなかったが、それでも加奈はそれが気になって仕方がなかったのである。
「加奈、明日は何時に来る」
瞳が帰宅途中に加奈に尋ねた。明日はちょうど土曜日、あゆみと会話する日である。
「そうね、けど明日は私、病院に行く日だから、ひょっとしたら行けないかも」
加奈は事故後、二週間に一度の間隔で病院に通っている。京都まで長い道のりなので近場の病院に変えたほうがいいのではと加奈の母は言うのであるが、加奈は加奈で京都の病院にいる伸彦や綾香に会えることを楽しみにしていたのである。
また、院長先生にゴーストアイについての研究の話も運がよければ聞けるので、加奈はそれが楽しみであったのである。
翌日、朝早くから加奈は京都に一人で向かった。本当なら母も一緒に来るのであるが、中三にまでなって親と通院することに抵抗感を持ち、最近では一人で行くのが当たり前になったのである。
京都まで電車を乗り継ぎ、さらにそこから地下鉄に乗り換え病院がある最寄り駅までは、ざっと二時間の行程である。
その最寄り駅からはバスで五分、歩いても十五分ほどであるが、最近、受験勉強で運動不足になりがちなので、駅から歩くようにしていたのである。
病院に着くとどこからともなく伸彦と綾香が加奈の元にやって来て、そのまま三人は屋上に出て行きそこで遊ぶ。病院での診察待ちの時間はそうして過ごしている。それは、ほんの数十分ほどではあるが、加奈にとってそれが何よりの楽しみであった。また、屋上には時々、院長先生が来ていることもあり、あゆみとディスプレーを通して会話していると話したときは、彼は目を白黒していた。
彼の言うには、世界中でそのような例はいくつか報告されているが、日本では殆ど聴いたことがないという。ただ、それは院長先生と加奈だけの秘密であり、院長先生は院長先生で、他の研究者に言えば加奈やあゆみの家族に多大な迷惑をかけてしまうと思い、誰にも言わないようにしているのであった。
加奈もそれを条件にして彼に話しているというところがある。彼にとって加奈の報告は、大変興味深いものなのである。しかし、今日は院長先生は出張で東京に行っているので会えなかったのだが・・・。
今日も診察は順調で、あと数回来ればもう通院しなくていいという趣旨のことを加奈は主治医の先生から言われた。脳波への異常を含む事故への後遺症は、ゴーストアイの能力以外は見当たらず、このまま行くともう大丈夫だろうというのが先生の見解である。
診察も終わり、加奈は伸彦や綾香に別れを告げ、家路に着いた。もう九月の下旬、日が落ちるのが早くなってきたものである。加奈は地下鉄に乗り、乗り換えの駅で下車し、乗換え口めざしコンコースを歩いていた。
―――もう夕六時前だわ、夕飯はどこで食べようかな?―――
加奈は、あらかじめ買っておいた切符を改札口に通し、地下ホームへと続くエスカレーターに乗った。たいていの人はエスカレーターの左側を空け、急いでいる人がそこを歩けるようにあけておくのだが、加奈の前にいたおばちゃん二人組みは、エスカレーターの両側に並んで立ち、大声でお喋りをしていた。
加奈は右手で手すりを持ち、夕飯をどこで食べようか考えていた。
その時である。左の空いているスペースをひとりの男が歩いて下ってきたのだが、前に立っていたおばさんを突き飛ばしてそのまま降りていったのである。当然おばさんはあわやエスカレーターから転落しそうになったが、横にいた連れのおばさんに助けられ、何とか踏ん張ることができた。だが、あきらかに怒っている様子であった。
「ちょっと、あんた。何すんのよ」
エスカレーターの右側にいたおばさんがその男に怒鳴り散らしていった。すると男は立ち止まると後ろを振り向いた。その目はあまりにも冷酷で残忍な目をしていて、後ろでそれを見ていた加奈までもが身の毛がよだつほど冷たい目であった。
「文句あるんか、くそばばぁ!!」
その声はとても低く冷たかった。おばさん二人はその目と声で、完全に氷りついてしまった。これ以上何か言ったら間違えなく鉄拳が飛んでくる。加奈もそのおばさんたちもそう直感した。
加奈はその男がとても怖かった。髪は普通に黒く、ピアスも空けていない普通の少年のようであるが、服装や背負っているリュックからしておそらく高校生か大学生であろうか。しかし、その目は殺し屋のように冷たく、重い。
加奈は、しばらくその少年を見つめていた。すると、どこからともなく一人の女性の幽霊が現れ、ぴったりと彼の後ろにくっ付いて歩いて行った。
―――きっとあの男の人に恨みを持ってる人だわ。きっとそうよ―――
加奈は勝手に想像してその少年が去るのを見ていた。が、ホームに降り電車を待っていたら、たまたまさっきの少年が近くにいるのに気づいた。しかし、その少年に後ろにいる女性の顔をみた時、加奈は信じたくなかった。
それは、明らかにあゆみであったのである。最初は他人の空似と思っていたが、髪形、服、何から何をとっても普段のあゆみと変わりなかったのである。加奈は一瞬声をかけようか迷ったがその少年が怖く、声が出なかった。
―――どうしてあゆみお姉ちゃんがこの男の人に。どうして―――
あゆみの目はとても悲しく、切ない目をしている。その目は、この前立石君と話していたときに見せたあの目とまったく同じだったのである。
―――確かに前にあゆみお姉ちゃんをこの町で見かけたけど、まさか、この人に会うため、どうして、まさか恨み?それても・・・―――
電車がホームに入ってきた。マルーン色の上品な特急方車両であるが、中は、すでに夕方ということもあり、殆どの席が埋まっていた。加奈と少年はちょうど真ん中の車両に乗り込んだ。あゆみは少年の後ろをぴったりと引っ付いている。ただ、少年をずっと見つめているためか、あゆみは、後ろにいる加奈の存在にはまったく気づいていない様子である。
二人かけのクロスシートは、その殆どが埋まっていたが、一箇所だけ窓側の席が開いていた。ただ、その横にはスーツ姿の中年の男性が足をかけて座っていたが、少年はその男性の足を蹴ってその空席に座った。その男性のズボンにはくっきりと足型がついていた。
「おい、足蹴ったら謝らんか!」
男性は少年に強い口調で怒鳴りついた。すると少年はいきなりその男性の胸倉を掴むと、恐ろしき眼光でその男性を睨みつけた。
「ワレが足組んどるのが悪いんちゃうんか、あぁ」
少年の目は本気だ。この男性の返答次第でこの少年は絶対に彼に殴りかかるだろう。加奈は、怖くなった。心臓が高鳴りしこの次何が起こるのか静観するのがやっとであった。
「・・・次、調子こいたらぶっ殺すぞ」
冗談や脅しではない。本気で胸倉から刃物を取り出して刺し殺す。直感で加奈は感じ、離れたい気持ちとそばにいたい気持ちが交錯し出した。
胸倉をつかまれた男性は荷物をまとめると次の駅で降りていった。元々ここが彼の下車する駅だったのか、またまた少年に恐れをなして逃げ出したのかは定かではない。
もしこのまま乗り続けていたらどうなっていただろうか。加奈は想像するだけでぞっとした。
少年は、一度立ち上がると背負っていたリュックサックを網棚の上に載せた。そんな少年を加奈はずっと見つめていた。いや、正式に言うと彼の上から見つめているあゆみを見つめていたというのが正しい言い方かもしれない。少年はあまりに冷酷で残忍な印象を周りに与えてた影響もあり、他の乗客は目すら合わせなかった。
「譲ちゃん、座りかったら座るか」
少年がいきなり加奈に話しかけてきた。おそらく、ずっとあゆみを見ていたので、少年が隣の空席を見ているものだと勘違いしたのだろう。
あゆみは、少年の言葉で加奈がいることに気づき、加奈と目があった瞬間、どこかに逃げるように消えていった。加奈は「待って」と心の中で言おうとした。その次の瞬間、少年の言葉にどう返せばいいのかという葛藤にぶち当たった。
―――どうしよう、下手に断ったら殴られるかもしれないし、何より横に座ったら何されるか解らないわ―――
しかし少年はずっと加奈を見ている。加奈はゆっくりと歩き出しその少年の横に恐る恐る座った。
加奈が座るのを確認すると少年はできるだけ窓側につめ、ずっと外を見つめていた。さっきまで地下を走っていた電車はいつのまにか地上に出ており、その窓から見える外の景色は、すっかり日が落ち、町の灯りが点々と映し出されていた。
しかし、その窓から反射して見える少年の目は、さっきとは一八〇度違っていた。とても悲しく、切ない目。あゆみがしていた目と同じであったのである。ずっと悲しい目で外を見つめる少年。
―――この人、あゆみお姉ちゃんとどういう関係だったんだろう―――
加奈は、この少年とあゆみがどういう関係なのかが気になりだした。あゆみは天真爛漫で誰からも慕われる性格である。しかしこの少年のさっきの行動から見ると、自己中心的かつ冷酷、残虐な性格。とても二人に共通点があるとは思えない。頭の中であらゆる思考を回転して加奈は考えていた。そんな中、少年は突然立ち上がると、網棚の上のリュックサックをそこから下ろした。
「すまない。俺、次の駅で降りるんだ」
その話し方はさっきまでとはまる別人であった。さっきまでの凶暴な口調ではなくとても幼く、しかし悲しい口調である。
少年は加奈の足を丁寧にまたぐと、他の乗客にまぎれて降りて行った。空席になった窓側の座席に加奈はゆっくりと詰めたのだが、ふと足元を見ると何かが落ちているのに気づいたのである。
―――さっきの人が落としたんだ―――
それは、楕円形の鏡の形をしたペンダントであった。それも、中に写真をはめ込んでおくタイプの。しかし、加奈は昔、あゆみが持っていた物にそっくりであるのに気づいた。色も形もまったく同じなのである。
加奈は昔、あゆみがこれと同じペンダントをしていたとき、あまりにうらやましく、これが欲しいとあゆみにダダをこねたことがあるのである。
しかしあゆみはこの時ばかりは、「絶対にだめ」といいそのペンダントをポケットに入れた。加奈はその時、これが彼女にとって宝物であることを感じ取り、二度とほしいとは言わなかったのである。
そのあゆみにとって宝物のペンダントと同じものを持っていた少年。そしてその少年を見つめていたあゆみ。果たして偶然なのであろうか。加奈は、そのペンダントを開けて中の写真を見てみようと思った。
―――きっとこの中の写真に何かあるはずだわ―――
加奈はそのペンダントを開け、中の写真を見た瞬間、体中を電流が走り、心臓が高鳴りを始めた。
―――どういうこと、これ―――
その中の写真には、さっきの少年とあゆみがツーショットで写っていたのである。二人とも、穏やかな笑顔を浮かべて・・・。
加奈は、そのペンダントを持ち、夕食をとるのも忘れ、大急ぎで乗換駅で乗り換え、ホームタウンに着くやいなや、全速力で家めがけて走り出した。いや、正式に言うと加奈はあゆみの部屋に向かっていた。加奈が瞳の家の前に着いた時はすでに八時をまわっていたが、あゆみの部屋の明かりがついていたことから、瞳がまだあゆみと話していると確信し、大急ぎで瞳の家に上がりこむと、有無を聞かずにあゆみの部屋に向かった。
部屋を開けると瞳がビックリした表情で加奈を見ていた。
「どうしたの加奈、怖い顔して」
加奈は、駅からここまでは走って帰ってきたので息切れしていた。肘を付いて大きく深呼吸をした後、目の前にいるあゆみを睨みつけた。あゆみは、加奈の顔を見ると覚悟を決めたような表情に変えた。
「あゆみお姉ちゃん、どうしてさっき、私を見て逃げたの」加奈は、開口一番にそのことを口にした。
「どうしたの加奈。いきなり」
「今日ね、帰りの電車にすっごく怖い男の人がいたの。そしたら、よく見るとその後ろにいたのよ、あゆみお姉ちゃんが。それだけじゃないわ。その人が電車を降りるときこれを落としていったの」
加奈は拾ったペンダントをあゆみに見せた。
「それ、お姉ちゃんのペンダント」
「いいえ。これはその電車の中にいたその怖い男の人が落として行ったものよ。でも、中を開けたらビックリしたわ」
加奈はペンダントを開け、それを瞳に見せた。
「これ、あゆみお姉ちゃんだ。その横の人は・・・」
「その横の人がそれを落として行ったのよ」
「この人、時々うちに来る人だわ」
「えっ。それ本当、瞳」
「うん。お姉ちゃんが死んでから一月ごとに来てるんだけどね、最近じゃ加奈が入院中に一回来たけど」
『どうやら加奈ちゃん、前にも私を京都で見ていたみたいだね』
あゆみが突然ディスプレーに書き込みをした。
「話してくれる。この人のこと」
しばらく沈黙が続いた。あゆみは、立石君と話していたときと同じ、悲しく、そして切ない目をしてディスプレーに書き込みを始めた。
『ごめんなさい、今は、まだ書けないわ、まだ気持ちの整理がつかないの』
「だったら、これだけ教えて。どうしてあゆみお姉ちゃん、あの人の側にいたの」
あゆみは再び沈黙していた。あゆみはある文字を映し出すと涙を浮かべ逃げる様に消えて行ってしまった。
「待って、あゆみお姉ちゃん」
加奈は、あゆみを追いかけたが、すでにあゆみは夜の街へと飛んで行っていった。
―――あゆみお姉ちゃん―――
「加奈、これ見てよ、早く」
加奈は、瞳がせかせるのですぐにディスプレーの前にもどり映し出された文字を読んだ。そこには、あゆみが涙をこらえて書いた文字が映し出されていた。
『だって、あいつのことが心配なんだもん、あいつ、私が死んでから自暴自棄になってて、何時自殺してもおかしくないんだもん』
加奈が読み終わった瞬間、ディスプレーの電源が落ちた。
―――自殺。あの人が、でも自暴自棄になってることは確かかも―――
加奈は、開けっ放しの窓から町を見つめていた。すでにあゆみはどこかに飛び去り消えていた。
「どういうことなの、加奈。私、話の内容がぜんぜん見えないわ」
「私にも解らないわ。けど解っていることは、これは私の推測なんだけどね、あの男の人、あゆみお姉ちゃんの死に何か関係あると思うの」
加奈は、夜風に当たり、今までの出来事を整理した。そして、今日一日の出来事を瞳に説明した。
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