第5話 壊れたディスプレー

 加奈が自宅に着いたのは、夜の七時前であった。部屋に戻るなり加奈は自分のベッドに横になり、今にも眠ってしまいそうであった。

「加奈、夕飯出前とるけど何がいい」

下からのんきな母が声をかけている。

「何でもいい」

加奈はお腹が空いていたが今はそれより少し休みたかった。

 ―――それにしても、この部屋全然変わっていないわ―――

 加奈は、事故から二ヶ月ぶりに自分の部屋に入ったのだが、まったく変わっていないのである。それだけではない。ほこりが殆どないのである。本や教科書の配置も加奈が入院する前の日のまま、変わっていない。定期的に母親が掃除していると聞いていたが、ここまで綺麗にしているのは意外である。と言うのも、加奈の母親はとてもずぼらな性格のため、掃除も手を抜きがちなのである。

 加奈は、二ヶ月ぶりにこの家に帰ってきたのだが、まるで十数年ぶり帰ってきたような感触に襲われ、まぶたに熱いものが今にもこも上げてきそうであった。

 加奈は、そのこみ上げてくる何かに耐え、起き上がると部屋の窓を開け、向かいの家々を望んだ。これも入院前と殆ど変わらない。強いて変わっていると言えば、向かいの右から三番目の家の台所の窓の格子の色が変わっている程度である。

 加奈の住んでいるところは住宅密集地で、ここには加奈のクラスメートが二人住んでいるのである。あゆみの家は、ちょうど加奈の家から小さな道路を一つ隔てた向かい側にあり、あゆみの部屋が二階の北向きである。加奈の部屋も二階の南向きということもあり、あゆみが向かいに引っ越して来た頃から加奈はよく身を乗り出して喋ったほどである。しかし、あゆみが使っていた部屋は今では空き部屋になっているという。

 加奈は、どうやって向かいの家に行きあゆみお姉ちゃんに会おうか考えていた。

「加奈、出前が来たから降りておいで」

 ―――今から考えようと思っていたのに―――

 加奈は夕食をとるためしぶしぶ、下に降りて行った。

「出前何にしたの」

「おそばよ。そうそう、加奈。明日お向かいさんに挨拶に行ってきなさいよ。みんな、あんたが入院したって聞いて心配していたんだから。特に、ほら。お向かいの瞳ちゃん。すっごくあんたのこと、心配してたわよ」

「瞳が?解ったわ、明日顔出すわ」

 加奈は、これで向こうの家に行く口実ができたので、声を押し殺して喜んだ。

―――これなら家に上がっても大丈夫だ。それに瞳にも会える―――

 瞳というのは、あゆみの妹で加奈の親友である。ただ、ここ数ヶ月はまったく口を利いてなかったので会いづらかったが、この際仕方がない。あゆみについて何か聞けるかもしれない。

 瞳は、加奈とは大の仲良しであったが、ふとしたことがきっかけで大喧嘩をしてしまったのである。加奈としては何とかして仲直りしたかったのだが、ここのところ部活などで忙しくまったく時間がさけなかったのである。その上例の事故があったので、もう彼女との関係修復は半ば諦めていたのである。だが、明日はチャンスかもしれない。瞳と仲直りできるかもしれないし、もしかするとあゆみについての謎が解けるかもしれない。加奈は、今から明日が楽しみで仕方がなかった。


 翌日、加奈は午前中に学校の勉強がどれほど進んだのか教科書を開けてみてみた。だが、見ているとすぐに頭が痛くなりそうになったので、教科書を閉じ、そのまま勉強机の本棚に片付けた。加奈は、瞳とどういうことを話ししようか考えていた。それよりどうやって話を切り出せばいいのかが解らなかった。喧嘩してこの数ヶ月、一言も喋っていなかったので、どうやれば普通に話ができるのかがわからない。前なら、何とでもない話を二人で永遠と話していたのだが、今は一言目がまったく出てこない。不思議なものである。

「加奈、そろそろ行くわよ」

下で何の事情も知らない母が声をかけた。

「い、今行く」

加奈は、とりあえず下に降りて言った。

 ―――もうあたって砕けろだわ―――

 加奈は、逆に開き直ってお向かいの家に入った。

 

「あら、加奈ちゃん。よかった、退院して。さっ、どうぞ上がってください。瞳、加奈ちゃんが来たわよ」

 上から轟音を立てて瞳が勢いよく降りてきた。

「加奈っっ!!」

 瞳は加奈の前に立つと、さっきまでの勢いが嘘のように大人しくなってしまった。だが、明らかに瞳の目には涙が溢れていた。

「よかった、加奈が退院して。私、私」

「いいのよ。こっちこそ心配かけて、その、えっと・・・。ごめん」

最初勢いよく話しだしたのだがだんだん口ごもり次の言葉が出てこなくなってしまった。というのも瞳の涙を見ていると加奈の涙腺も緩くなってきたのである。

「ごめんなさいね。ほらっ、加奈ちゃんの事故の遭いかた、あゆみのときと似ていたじゃない。この子ったらその日の夜、ワンワン泣いちゃって」

「もうお母さん、その話はもういいから」

 瞳は、そう言うとおばさんの肩を軽くたたいた。加奈はどこか心の中の大切なものが一つ帰ってきたように感じた。

 ―――よかった、ホントは瞳も仲直りしたかったんだ―――

 そもそも喧嘩の理由ですらあいまいで、もう二人とも、何で喧嘩したか覚えていなかった。ただ、二人とも仲直りのきっかけが欲しかったのである。しかし、加奈がバトミントン部、瞳が家庭科部ということもあり、なかなか時間が合わなかったこともあるが、とりあえず加奈は、瞳と仲直りができてホッとした。

「加奈、お部屋行こうか」

「うん」

 加奈は瞳とともに階段を上りだした。今まで喧嘩していたことがまるで嘘のようである。

「加奈、今まで冷たくしててごめんね」

「いいのよ、別に。悪いのはこっちだし」

別にどっちが悪いかもう解るはずがない。なぜなら、二人とも喧嘩の理由すら忘れてしまっているのだから。

 瞳の部屋は、階段を上がってすぐのところ、あゆみの部屋の隣である。二階にある部屋は、この二人の部屋と物置だけで、加奈の家と同じく、それほど広いとはいえない。しかし、近い将来、もう少し大きな家に引っ越すというのであるが、そうなるとあゆみと過ごした思い出の場所がなくなることになるので、加奈は寂しく思っていた。。ただ、加奈は瞳のあゆみに対する想いがすでに冷めているのではと考えていた。

「ねぇ瞳、あゆみお姉ちゃんが亡くなってもうどれくらいになる」

「そうねぇ、も二年位かな」

あまりにあっさりとした答え方であった。

 ―――やっぱり―――

 前からそうなのであるが、あゆみのことに関して瞳があまりに淡白な反応しか示さないのに加奈は疑問に感じていた。

 疑念を感じたのはあゆみが亡くなった直後あたりからである。あゆみが亡くなってってから二、三日ほど経ったあたりである。瞳が何事もなかったかのように元気になったのである。あゆみと瞳はとても仲良かったのでその親密さからは想像もつかないくらいの立ち直りの早さであったからである。

 加奈ですらその立ち直りの速さには驚いた。それも、周りに気を使った空元気ではなく、本当に立ち直っている様子であったからなおさらである。瞳の家族の様子を見れば、その態度はまるで信じられない。さっきの自分と再会したときに見せた嬉し涙からしても、まるで態度か違うのだから。

 瞳の性格は、とても感受性が豊かで、小学校四年生のとき、国語の教科書に載っている童話を朗読していたときに、そのあまりの内容に感動し、泣き出したほどである。

 五年生のときも、見に行った映画のラストに感動して泣き出していたのだから、瞳の性格からしてその時の立ち直りの早さが先の事例を挙げて比較してもあまりに不自然である。まるで瞳はあゆみがいなくなってもなんとも感じていないのかなとしか思えないのだ。今の反応を見ても加奈は自分とあゆみとの態度の違いに戸惑った。まるで瞳はあゆみがいなくなったことを何も思っていないかのように・・・。

 加奈と瞳はしばらくの間、何気ないお喋りをしていた。下では加奈と瞳の母が、無邪気に話し合っては笑う。それを繰り返していた。

「私、ちょっとトイレに行ってくるね」

 瞳はそういうと部屋を出て行った。

 ―――今がチャンスだわ―――

 加奈は、今のうちにあゆみの部屋に行ってみようと思い、部屋のドアを開けてみた。すると、ちょうど目の前を半透明の背の高い女性が、加奈の眼前を通ってあゆみの部屋へと入っていった。

 ―――間違いない。今のあゆみお姉ちゃんだ―――

 加奈は、そう確信すると、瞳の部屋を飛び出しあゆみの後を追って部屋に入った。部屋は、生前彼女が使っていたままの状態に保たれており、教科書類もそのままになっている。ベッドの上は、さすがに布団は取り除かれていたが、ベッドの上のマットはそのままになっており、今でも布団を敷けばすぐにでも寝れる状態である。

 あゆみの机の横には、パソコンが置いてあり、そのディスプレーにもたれかけるようにあゆみは立っていた。そしてずっとこっちに微笑みかけている。まるで加奈が自分の姿が見えることを知っているかのように。

 加奈は、部屋に入ってからあゆみの目を見てずっと立ったままであった。だが、このままでは何も始まらないと思い、意を決してあゆみに話しかけてみることにした。が、何から話せばいいのかが解らないでいた。頭の中で必死に第一声を考えていた。そして、これしかないと思い、そのことから話してみることにした。

「あの、あゆみお姉ちゃん。その私が事故にあった時の夜。夢に出てきました・・か?」

あゆみは首を縦に振った。

「えっと、どうして・・・ですか?」

 答えなど帰ってくるはずがない。もともとゴーストアイという能力は、幽霊を見ることはできるが、会話をすることはできないのである。加奈は、それを十分理解していた。しかし、どうしても聞かずにはいられなかったのである。

 ―――やっぱり、無理よね―――

 加奈は自分の中で当たり前のことを納得し、どうすれば彼女と意思疎通ができるかを考えだした。

 その時、加奈は、妙な機械音を耳にした。まるで何かが起動するような音である。加奈は、何が動いているのか目で追って探してみた。

 ―――一体何が動いているの―――

 加奈は、音がするほうに目を向けた。そして、それがあゆみのもたれかけているパソコンからしていることに気付くのは、そんなに長い時間を要さなかった。

 ―――このパソコン?。そんなはずはないわ。だってこのパソコン、ずっと前に壊れたって瞳が言ってたわ―――

 このパソコンは元々、瞳の父親が仕事用に使っていたのだが、ずっと前に壊れてしまい、処分するまであゆみの部屋に置かしてもらっていたのである。当時、今の瞳の部屋は瞳の父親の仕事場で、新しいパソコンを導入したときに置く場所がないためあゆみの部屋に置いていたのである。それをあゆみが部屋のレイアウトとして残しておきたいと言うので、このパソコンは、この部屋に置かれるようになった。当然修理業者でしか治せるはずがなくそうした話は瞳から一度も聞いたことがない。

 何より動かない決定的な理由は、レイアウトにするとき、このパソコンのコードを全部引き抜いたのでコンセントがないのである。つまり、このパソコンは外部からの電力供給ができないはずなのである。それなのにこのパソコンは起動しているのである。

 ―――何、これ。いったいどうなっているの―――

 パソコンのディスプレーは、自動的にワープロモードになり、その画面が映し出されると、画面中央に大きな文字が一文字一文字打ち出されてきたのである。

『あなたがいたのはこっちの世界で言う三途の川よ。私たちはサータディバーって言っているけど』

 加奈は、ティスプレーに映し出された文字を読むとその視線をそのままあゆみに移した。あゆみは満面の笑みを浮かべており、画面にはまた文字が映し出されていた。

『びっくりしたでしょ、どういうわけか知らないんだけど、私、このパソコンに文字を映し出すことができるのよ、時々こうやって瞳とお喋りしているんだけどね』

 加奈は開いた口が塞がらなかった。ちょうどその時後ろで物音がしたので、加奈は後ろを振り返るとそこには瞳が立っていた。

「ちょとお姉ちゃん。何やってるのよ、あれほど私以外の人と話したらだめって言ったでしょ」

 加奈は目線をあゆみの方に一度向け、すぐにディスプレーに再び目線を戻した。ディスプレーには再び文字が打ち出されていた。

『ごめんなさいね、けど、加奈ちゃん私のことが見えるからこうやってお話した方が便利だし、何より手っ取り早いしね』瞳と加奈は大急ぎで打ち出されたその文字を読んだ。

「見えるって。加奈、お姉ちゃんの姿が見えるの」

「うん、今そこのパソコンにもたれかかってる」

『「ゴーストアイ」って言うのよ、私たちが見える能力のこと』

「そうなんだ、でもなんで加奈はそのゴーストアイって言うの持ってるの」

『多分、一度臨死体験してサータディバー、あっ、こっちじゃ三途の川って言うんだったわね、そこに来たからだと思うわ』

「臨死体験、じゃあ、あれ・・・」

『そっ、あの時私がいなかったらあなた川を渡って今頃私と同じようになってたのよ』

「じゃあ、二度目に出てきたのも」

『あの時は多分たまたま波長があったからあそこに出たんだと思うわ、向こうの要注意人物表からも外れていたし』

「要注意人物表」

『こっちの世界では、私たちの世界に来そうな人のリストがあって、その状況次第では川から追い返しちゃうんだけどね、川を渡る=死だからね、ここの部分は注意深く見て本当にこっちの世界に来なければならないか確認しなくちゃいけないんだけどね、時々、リストに載ってないのに突然の事故にあって、しかも体の損傷が激しすぎてもう体に戻れないって人が出てくることもあって、その時は、川を渡らないといけないんだけどね。たとえば私みたいにね』

 ―――ずいぶん自分の死を軽く言うわね―――

 加奈はかなりあっけにとられた状態であゆみの話を聞いていた。というのもあゆみは前からこういう性格なのであるでる。どこかあっけらかんとしていて、それでいて憎めない。生前は学校のアイドル的存在だったらしいのである。

『瞳、そろそろ私行かなくっちゃ、そうね、今度は明日の夜に来るわね』

「解ったわ、お姉ちゃん。ばいばい」

『バイバイ、瞳、加奈ちゃんもゆっくりしていってね』

 その文字が表示されるとあゆみは、そのまま壁をすり抜け、どこかに飛んでいってしまった。加奈は、そのあゆみの性格や表情を見ているとこの前京都で見かけた時のことをすっかり忘れてしまい、聞きそびれてしまった。コンピューターはしばらくするとまたけたたましい機械音を立てて電源が落ち、二度と動くことはなかった。

「私たちもお部屋に戻りましょ」

瞳がそう言うので、加奈は後ろめたい気持ちを抑えて部屋をあとにした。


「あゆみお姉ちゃんとは何時から喋れるようになったの」

 加奈は、瞳の部屋に戻るなり聞いてみた。加奈は、すこし怒っていた。さっき瞳はあゆみと会話をしているとき、「あれほど私以外の人と話したらだめって言ったでしょ」と言っていた。それは、親友である加奈ですら例外なく、言い方は悪いが排除されていたわけなのだから。

「えぇと、お姉ちゃんが死んだ次の日くらいかな。私ね、あの日お姉ちゃんの部屋で泣いていたのよ。そしたら急にパソコンが動いたの。あのパソコン、ずっと前に壊れていたし、コンセントも抜いてあったから、どうしちゃったのだろうと思って、見ていたらいきなり文字か打ち出されたの。最初はびっくりしたというより信じられなかったわ。でも話しているうちにさ、お姉ちゃんがついていてくれてるんだなって実感しちゃって。一日に長くても三十分くらいしか話せないんだけど、それでも私には十分だったわ」瞳はどこか遠慮がちに加奈に喋っていた。

「どうして私に言ってくれなかったのよ、瞳ひどいわ。私たちってそんな仲だった」

「だって、言っても誰も信じてくれないでしょ」

 確かにそうである。加奈もゴーストアイの能力のことは瞳にも言わないつもりであったのである。いわばおあいこだ。

「それよりお姉ちゃんの姿、どうだった」

 瞳は加奈に身を乗り出して聞いてきた。。その目はまるで、好奇心旺盛な子どもが親に「何で?何で!」と聞く目と同じである。

「えぇと、普通だったよ。その、えぇと、そう、私たちと遊んでいたときのままだったわ」

 とりあえず答えてみたが加奈の目は明らかに泳いでいた。

「どんな服着てた」

「えっと、どこかの制服みたいだったわ」

「きっと高校の制服だわ、それで、どんな髪型だった」

「えっとね、普通のストレートヘアーだったわ。いつも会ってた時と同じ」

「化粧してた」

「して・・・なかったわ」

「じゃあ、顔はどうだった。どこかおかしくなかった」

「普通よ。綺麗な顔してたわ」

「じゃあさ・」

「もう。一度にそんなに聞かないでよ」

加奈は、たまらずそう言った。が、その後も瞳の質問攻めは永遠と続いたのである。加奈は、その質問に答えるだけでへとへとになってしまった。

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