第3話 病院の中の天使たち
いよいよ明日は退院の日である。ここ数日は、少しだけではあるが外出も許され、近所の文房具屋や本屋、公園に散歩に行く毎日を過ごしていた。
この過去と現在が交錯する街、京都は加奈にとってはさまざまな幽霊を見かけることができる。ちょんまげを結っている人や着物を着ている人、見るからに中世の貴族か公家の人などその格好は様ざまである。先生に悪霊はめったに現れないと言われてからは、彼らの生活をこっそりのぞき楽しむ、そういった生活を加奈は続けていた。そして、街中を歩くと時々あの男の子に出会うのだが、どうやってコミュニケーションをとればいいのか、加奈には解らなかった。ただでさえ、向こうは言葉が話せないのに、加奈は、何とかコミュニケーションをとりたくて、ジェスチャーをしたり手話の本を買ってきてそれを実践してみたりしたが、やはり難しかった。かろうじて表情やジェスチャーでコミュニケーションは取れるようになったがそれでもまだ不十分である。無論、加奈はめげることなく、あーでもないこーでもないと試行錯誤する毎日であった。
午後になり加奈は母と共に先生方へのあいさつ廻りを済ませた後、病室に戻り身の回りのものを片付け始めた。加奈の病室には、彼女を慕っていた子どもたちがひっきりなしにやって来ては、加奈におめでとうと声をかける子や、中には寂しさのあまり泣きそうになる子まで現れてしまった。
そんな子ども達を見ていると加奈もいたたまれなくなり、何度ももらい泣きしそうになったが、何とかこらえて子どもたちを励ましていた。
一通り病室の片付けが終わり、病院での最後の食事までしばらく時間があったので、加奈は屋上に行ってみることにした。
屋上に出るとそこには、夕方とあって生身の人間は加奈以外居らず、幽霊すら一人しかいなかった。その一人は、いつも加奈の所に来るあの男の子であった。
「ハァーイ、元気・・・。だよね、だって幽霊さんだもんね」
加奈は、自分で言ったことに自分でつっこんでいた。男の子は、少し笑みを浮かべると加奈の方によって来た。
加奈は、その男の子と追いかけっこをしたりして屋上で遊んでいた。男の子はとても楽しそうな顔をしていたが、突然何かを見たような様子を見せるとそわそわした感じでどこかに消えていった。
「伸彦って言うんだ、その子」
後ろで声がしたので、振り返ると白髪交じりの中年の男がそこに立っていた。白衣を着ているところからこの人も医者であることは加奈にも察することができたが、明らかに少年の姿が見えている様子であった。今まで見たことがない人であったが、この病院の先生の中でゴーストアイの能力者はただ一人しかいないことを加奈は知っていた。
「あの、もしかして」
「ああ、私がこの病院の院長、立花だ。君が加奈ちゃんだね」
男性は、そう言うと加奈の横に歩み寄った。男の子は、いつのまにか加奈の横で隠れるようにして院長先生を見ていた。
「この子はとても照れ屋なんだ。ワシにすらめったに会いに来ることはないんだ」
「あのぅ、この子はもしかして」
「あぁ、わしの息子さ。もう十五年も経つかの、こんな風になって」
「十五年、そんなに長くこの子・・・」
「驚くことはないさ。君も町で見ただろ。元来幽霊たちは、自分の意思でここに来ているんだ。上の世界に行ってそのまま降りてこなくなる者もいれば、何十年、何百年経っても下に降りてくる者などさまざまなんだ。ただ、みな共通しているのは、みな寂しいか誰かが心配で降りてくるということさ。彼みたいにな」
太陽は、もうすでに沈みかけており、三人の顔は夕焼けに赤く染まっていた。ただ、伸彦だけは、太陽が透けており全身が茜色になっていた。
「私がゴーストアイの研究を始めたのもこの子と話してみたかったからなんだ。ワシはどんどん年を食うのにこの子はずっとこの姿のまま。いつまで経っても七歳のままだからな」
伸彦少年はいつのまにか加奈の横からいなくなっていた。院長先生は、それを確認してから再び加奈に話しかけた。
「時々あの子に会うのが悲しくなってしまうんだ。いつまで経ってもあのままのあの子を見ていると。私の前に姿を見せないのはそのことを察しているからかもしれない」
加奈は、今まで幽霊を見ていて悲しくなるといった感情になったことがなかったので、院長先生が言っていることがよく解らなかった。
「すまない、この話をするには君はまだ若すぎたようだな」
院長先生は加奈に詫びを入れると仕事があるといい館内へと足を向けた。
「一つ言い忘れた。ゴーストアイのことは外ではあまり話さない方がいい」
そういうと院長は階段を降りていった。
加奈は、院長先生が言っていた『みな寂しいか誰かが心配で降りてくる』と言う言葉が頭から離れずにいた。その言葉が頭の中を駆け巡っているうちに病室にたどり着きそのままベッドん座って窓の向こうを見つめた。
―――そうだよね。みんな、一人じゃ寂しいんだよね―――
明かりを付けず心の中で自問自答を繰り返した。
―――考えてみればこの子達が一番かわいそうなのかもしれないわ。いつも一人ぼっちで、その上誰も自分がここにいることに気付いてくれないんだもの―――
加奈は、ふと我に戻ると部屋が真っ暗になっているのに気づき、明かりを付けることにした。ところが、明かりを付けるとそこには、見覚えがある人物が立っていた。なにやら照れくさそうにはにかみながら
「どうしたの」
加奈は最初、伸彦がなぜそこにいるのか分からなかったが、その横にはもう一人女の子が立っていた。担当医の先生の子ども、綾香である。綾香ちゃんもまた、伸彦と同じように照れくさそうに加奈の方を見つめて立っていた。が、その右手はしっかりと伸彦の左手を握っていた。
「ひょっとして、その子、ガールフレンド」
加奈がそう言うと伸彦は、満面の笑みを浮かべた。綾香の方は、顔を赤らめ下を向いている。伸彦は口ぱくで何かを言うと手を振って部屋から駆け出して行った。綾香かなに一礼すると、伸彦の後を追い部屋から駆け出して行った。
加奈は、伸彦が何を言ったのか、なんとなく解っていた。
『寂しくないよ、だって、僕には綾香ちゃんがいるんだもん』
声は出ていなかったが加奈は、伸彦がそう言っていると確信が持てた。
―――そういえば、伸彦君。ひょっとして綾香ちゃんに会うために病院にきているのかな。うんうん、きっとそうだわ―――
加奈は心の中で自分に言って納得した。
―――明日院長先生に会ったらこのことを言ってあげよう―――
加奈はうれしそうにベッドに横になった。
翌日、いつもより早く目を覚ました加奈は、早めに身支度を済まそうと起き上がり、もう殆ど片付け終わった部屋をもう一度チェックしだした。床にはごみが落ちていないかを確認し、ベッドの下まで隅から隅まで確認した。
「あら加奈ちゃん、早いのね」
担当の看護士が朝食を持って入ってきた。
「おはよう、とうとうお別れだね」
「そうね。でも、私たちにとって、それが一番うれしいことでもあるのよ。患者さんが退院するところを見ていると、この仕事を選んでよかったって思えるの」
看護士のお姉さんは、そう言うと加奈の朝食をベッドの上の台に置いた。
「そうだ。院長先生今日いますか。私、院長先生とお話したいんですけど」
加奈の言葉はどこかどこか不器用な大人びた言い方が入ったが気にしなかった。
「あら、いつの間に院長先生と知り合ったの」
「昨日の夕方、屋上で会ったんです。それで、あの時話せなかったことをどうしても言いたくて」
「そうなの。一応言ってみるわ。院長先生はとても忙しい人だから時間作ってくれるか解らないけど」
「ありがとう」
そう言うと加奈はベッドの上に座り、出された朝食をあっという間にたいらげた。
朝食後、加奈は髪の毛をくしでほぐしていた。入院した頃はショートカットで男の子のように短かった髪の毛も、今ではすっかり首根っこのあたりまで伸びてしまい、毎日手入れが大変になってしまった。加奈はショートカットの方が多かったので、長い髪を手入れすることにあまりなれていないこともあり、毎日、四苦八苦していた。とりあえずくしを使い、その髪の毛を頭の上の方に持っていき、ポニーテールに仕上げていった。
「おっ、やってるやってる」
そう言いながら加奈の両親が部屋に入ってきた。加奈の両親は、昨日の約束では十時ごろに迎えに来るといっていたが、予定より三十分ほど早い到着である。
「加奈、私、先生に挨拶に行ってくるわ」
入ってきて荷物をベッドに置くと、母は病室を出て行ってしまった。加奈はというと、自分の荷物を入れたボストンバックを残った父に渡した。
「加奈、忘れ物はないかい」
加奈の父親は、彼女に気づかうように言った。
「大丈夫よ、昨日と今朝をあわせて、五回くらい確認したから」
「あっ、加奈ちゃん」
担当の看護士のお姉さんが部屋に入ってきた。
「これはこれはどうも。このたびは加奈がお世話になりました」目が会うと加奈の父はどこかよそよしいが丁寧に挨拶を始めた。
「いえいえとんでもないですわ。あっそうそう、加奈ちゃん。院長先生から伝言でね、昨日の場所で待ってるって伝えてくれと言われたんだけど・・・」
「本当ですか。ありがとう」
加奈はそう言うと病室から飛び出した。
「こら加奈、何処行くんだ」
「すぐ戻るから、玄関で待ってて」
加奈はそう言うと、屋上に大急ぎで向かった。
屋上には、すでに院長と加奈の担当医の二人が立っていた。しかし、見るからに二人とも様子がおかしい。院長は、ある一点を見つめたまま、まったく動こうとしないのである。加奈の担当医の先生は、加奈がやって来たのを見るとこっちに歩み寄ってきた。
「やぁ、加奈ちゃん。退院おめでとう」
「どうもありがとうございます。あのぅ、院長先生は・・・」
「それがさっきからずっとこうなんだ。ここに来るなりこうやって一点を見つめて・・・」
加奈は、院長先生の方に近づいた。院長先生は、加奈が近づいてもある一点から目を離さなかった。その目線の先には、伸彦と綾香、それに数人の子どもの幽霊たちが遊んでいた。その子どもたちの表情はみな楽しそうで、笑顔に満ちていた。
「私は何か大きな勘違いをしていたようだな」
院長は目線を子ども達の方に向けたまま、歩み寄ってきた加奈に話しかけた。
「昨日の夕方、伸彦君が綾香ちゃんを連れて私の部屋にやって来たんです。その時の伸彦君、今までに見たことがないくらい笑っていました」
加奈は静かに、かつ穏やかの口調で院長に答えた。
「私は、あの子がこの病院に来るのは寂しいからとばかり思っていた。だが、まさかあんなに友達を作っていたとは・・・。それが解らないようでは、私は父親失格かもしれんな」
「多分、最初は一人ぼっちだったんだと思います。だからここに来たんだと思うんです。でも、ここにはあの子と同じ境遇の子がいっぱいいた。だからみんな仲良くなれたんだと私は思います」
「そうだな。最初っから研究のやり直しだな、これは」
伸彦は、二人の存在に気付いたのか、加奈の元にやって来た。ただ、いつもと違うのは、その横には綾香がいることである。
―――今まで伸彦君が院長先生の前に現れなかったのは、綾香ちゃんとの関係を見られたくなかったからだったんだ―――
「伸彦、かわいいお友達だね」
伸彦は父親にそう言われると顔を赤らめ、頭をかきだした。
「その子、綾香ちゃんって言うんです」
「知ってるよ、そこの先生のお子さんだろ。まったく、いいお子さんを持ちましたね」
「院長、今何か言いましたか」
「いや、なんでもないよ。そろそろ戻らないと。伸彦、たまにはわしの部屋にも遊びに来なさい、お友達を連れて」
伸彦は、笑みを浮かべると首を縦に一回振ると、そのままみんなとどこかへ消えて行った。
「あの子たちは無邪気でいいな、いつまでも無邪気のままで・・・」
そう言った院長の影は、どこか寂しそうであった。
「この子たちは、この子たちなりに楽しんでるんじゃないでしょうか。そんな気がします」
加奈の言動は、その年齢から比べるとあまりに大人びた口調であった。院長はそんな加奈の口調にとても驚いた様子であった。
「ごめんなさい。私もそろそろ行かなくちゃ」
そう言うと加奈は、玄関に向かった。本館に入る直前、後ろを振り返った。
「バイバイ、病院の天使たち」
「遅い、何処行ってたの」
加奈の母は手を腰に当て、今にも角が生えてきそうな形相で立っていた。
「ごめん、ごめん。ちょっと用事を思い出して」
「まっ、いいわ。そうそう、これから河原町に買い物に行くから」
加奈は、自分の荷物を持つと玄関の前に止められているタクシーの後ろのトランクの中に入れた。玄関には看護士が数人、加奈を見送り降りて来ていたので、加奈は最後の挨拶するため、彼女たちに歩み寄った。
「長い間、お世話になりました」
加奈はそう言うと、深々とお辞儀をした。
「元気でね、加奈ちゃん」
「はい」
加奈は元気よく返事をし、タクシーに乗り込んだ。すると、病院に入院している子どもたちまでが玄関まで大急ぎで下りてきて、加奈に手を振っていた。
「みんな、早く元気になるのよ」
加奈は、タクシーの窓を開け、そう子どもたちに大きな声で言った。
タクシーは、病院の私道をしばらく走るとT字路に差し掛かかると右折し、一般道に入った。
加奈は、ずっとタクシーの窓から病院の方向いていたが、突然、加奈の視界にあるものが飛び込んできた。病院の屋上から伸彦や綾香、ほかの幽霊の子どもたちが手を振っていたのである。 加奈は、タクシーの中からその子たちにも大きく手を振った。
「どうしたの、加奈」
「友達が屋上にいたから、手を振ったの」
加奈の母親は、それを聞くと後ろを振り返った。
「屋上って、誰もいないわよ」
「いたわ、私の大切の友達たちが・・・」
「ヘンな加奈」
タクシーは三人を乗せ、悠久の都を下って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます