第2話 ゴーストアイ

 事故から早二ヶ月が経とうとしていた。加奈の怪我は殆ど回復し、脳への後遺症も見受けられず、すでに病院内を歩き回れるくらいまでになっていた。そんな入院中の加奈にとって楽しみな場所があった。病院の屋上にある展望場に出て、そこで京都の町並みを見渡すことが毎日の楽しみになっていた。この病院は、ちょうど京都市内の中でも北の方に位置し、晴れている日は比叡山が綺麗に、また市内に点在している古寺も見ることが出来るので、過去の遺産と今の建物の両方が見ることが出来るのである。こうした景色もあってか加奈は精神的にも元気になってきたのである。

 しかし、加奈にとって一つだけ気になることがあったのである。最初にそのことに気づいたのは、足のギブスがとれたときの夜の二時ごろのことである。夜中にふと加奈が目を覚ますと、病室の隅っこに見知らぬ女性が立っていたのである。加奈は最初、寝ぼけて幻を見ているのだと思っていたのだが、いつまで経ってもその女性が消えないのである。しかも、その女性は不思議なことに半透明でその向こうの壁までちゃんと見えているのである。加奈は迷った。もしかしたら幻かもしれないし、窓から入ってきている月明かりの反射によって出来た光のイタズラかもしれない。そして、第三の選択肢は、言うまでもなくそこに本当に女性がいるということである。加奈は、意を決してその女性に話しかけてみることにした。

「あのう、誰ですか」

 加奈の質問にその女性は無反応であった。しばらくすると、女性は壁の中へと消えていった。加奈は頭の中が機能しておらず、それが夢だと言い聞かせ再び眠りについたのである。

 そんなことがあった次の日、加奈が病院の地下にある購買部に買い物に行った時のことである。廊下で七歳くらいの男の子が走り回っていたのであるが、周りには重病人や看護士、先生がたくさんいるのに誰も注意をしようとしない。

「こらーー!病院内を走り回ったらいけないでしょ」

 加奈はたまらず、その今にもぶつかりそうなくらいの勢いで走る男の子を大声で叱りつけた。 

 加奈の言葉を聞くとその男の子は、立ち止まると反省した様子で歩いて加奈の前を通り過ぎていいた。ところが、周りにいた看護士や先生たちは加奈を不思議そうな顔で見ているのである。加奈は、その視線が不気味で仕方なかった。まるで、注意したらいけなかったのではと加奈は心の中で思い始めたのである。

「どうしたの加奈ちゃん、こんなところで大声出して」

近くにいた担当の看護士の女性が加奈に話しかけてきた。

「だって、今そこで男の子が」

「男の子?男の子なんか最初からいないよ」

 加奈は、全身から血が無くなるような感覚に襲われた。

 ―――どうして、どうしてみんなあの子が見えないの―――

 加奈は、購買部で買い物を済ませ病室に戻ろうとした時、さっきの男の子が前から飛び出してきた。かと思うと加奈の体をすり抜けてそのままどこかに消えていったのである。加奈は、その光景が理解できず頭の中がパニックになってしまい、そのまま病室へ走りこむとベッドの中に飛び込み、布団を頭からかぶった。

「なんなの、あの子。私の体、すり抜けたよ・・ね」

加奈の頭の中は状況を整理しようとしたが、完全にパニック状態に陥ってしまった為まったく整理できないでいた。

 ―――ちょっと待って。じゃあ、昨日のあの女の人も、・・・そうなの?あれ、幽霊なの???―――

 加奈は、布団の中で頭を抱え、自問自答を繰り返していた。しかし、答えなど出るわけがなかった。

「何してるの、加奈ちゃん」突然布団をめくられるとそこには、さっきの担当の看護士の人が来ていた。

「看護士さん、あの」

加奈は出かけている言葉を飲み込んだ。

「うんうん、なんでもないの。ちょっと嫌なことがあっただけ」

「変な加奈ちゃん。あっ、そうそう、先生が明日、お話があるんですって。だから、明日の一時ごろにお部屋にいてほしいの」

 加奈は、先生が何のお話をするのか大体見当が付いていた。もう体の方は何処も痛くないし、さっき全力で走ってもなんともなかった。もう退院できる頃合いである。そのことであることは、今の加奈の年齢から言っても簡単に察しがつくことができた。。

「解りました。一時ですね」

 加奈がそう言うと看護士の女性は部屋から出て行き、別の部屋へと行ってしまった。ただ、その看護士さんの後ろには、五十代半ばほどの女性がずっと後ろに付いてまわっていた。

「あのっ」

加奈は、言いかけた言葉を飲み込んだ。

 ―――言っても信じないよね、だって私にしか見えないんだもん―――

「いえ、なんでもないです」

看護士は、不思議そうな顔をして部屋を後にした。


 その日の夕方、加奈は、お気に入りの病院の屋上の展望場にいた。しかし、いつも楽しみにしている場所も今日ばかりは楽しめるような気分ではなかった。

 ―――いったい私、どうなっちゃったの?―――

 加奈は、屋上の手すりにもたれかけて外の町並みをずっと眺めていた。後ろには、数人の患者と幽霊たちがベンチに座ったり徘徊してるのが確認できる。加奈には解っていた。このよくわからないものが見えるようになった原因が交通事故にあることを。

 ―――どうして私、事故になんかあっちゃったの??―――

 ふと加奈が横を見ると、さっきの男の子が立っていた。男の子は、加奈の顔を覗き込むと、微笑を浮かべそのままどこかに走り去ってしまった。

 ―――あの子、ひょっとして喋れないの―――

 加奈は頭の中で自問自答を繰り返しながら周囲を見回すとあることに気がついた。周りにいる幽霊たちは誰一人と喋っていないのである。加奈は、さっきの男の子を目で探してみた。男の子はちょうど、屋上の柵の上を歩いていた。

「危ない」

 加奈は思わず声に出してその男の子に駆け寄ったのだが、男の子はその柵から数センチ程浮いていたのである。

「君、空飛べるの」

 加奈が思わずそう言うと男の子は高々とピースをし、そのまま加奈の前で浮いて見せた。男の子が浮くことにより、目線が加奈と同じくらいになっていた。

加奈は、その男の子の目を見つめていた。男の子の体はそんなに透き通っておらず、一目見ると幽霊かどうか解らない状態である。ただ、周りにいる入院患者より影が薄く、また、光が当たっても地面に影が映らないのである。

「さっきはごめんね、怒鳴ったりして」

 加奈がそう言うと男の子は首を横に振って口をパクパクしていた。

「悪いのは自分」

そう言っているようである。だがこれで加奈がさっき、気が付いたことは確信となった。

 ―――やっぱり、話せないんだ。私たちと―――

 男の子は、そんな加奈の前で、浮いていておちゃらけてみせた。最初はただ呆然と見てるだけであったあったが、それが段々のもろくなっていき、いつの間にか笑っていた。

男の子は高々とピースをした後、太陽の位置を確認すると京都市内のほうへと飛び立っていった。加奈は、きがつくとその男の子に大きく手を振っていた。周りから見ると一人の女の子が何もない空に手を振っているようにしか見えないであるが、加奈にとっては、さっきまであった不安がいつの間にか消えた瞬間でもあった。

 それから加奈は、夕食の時間まで病院中をうろうろしながら幽霊を探し回ることにした。幽霊たちは、やはり病院という場所柄か思った以上に存在していた。でも、やはりどの幽霊も話をしておらず、ただそこでじっと立っているか、または、誰かを見つめているかである。その誰もが表情は明るく、テレビなどでよく見る悪霊と言われるものではない。時たま、悲しそうな目をしている人は見かけるが、みな温厚そうな瞳をしていた。

「何やってるの、加奈」

 突然前から声がしたので見るとそこには、加奈の母親が立っていた。

「部屋に行ったらいないからさ、探したのよ」

 加奈の母は、安心したような目を見せた。加奈は、当初の計画を断念し、母親と共に部屋に戻ることにした。

「今日はやけにご機嫌ね、さては先生からもう聞いたのかな」

「聞いたって何のこと」

「あら、違うの。てっきり退院のこと聞いたと思ったんだけど」

「多分そのことだと思うんだけど、明日先生が来て説明してくれるみたい」

「そうなんだ。じゃあ、そのことは明日のお楽しみにしておきましょう。で、今日は何でそんなにご機嫌なんでしょう。」

「私ね、新しいお友達ができたの」加奈は自慢げに言って見せた。

「へえ、そうなんだ。なんて名前なの」

「知らない」

「知らないって、名前も知らないでお友達になったの」

「だって・・・」

加奈は出かけた言葉をのみこんだ。

―――「だってその子、幽霊なんだもん」って言ったら、怖がりのお母さんのことだから、きっと腰抜かしちゃうわ―――


 翌日の朝、加奈は朝食をとると病院内にある院内学校で授業を受けに行った。この病院には長期間入院する子どものために勉強をする部屋が設けられているのである。

加奈も最近は毎日ここに通い勉強しているのだが、もっぱら小さい子に勉強を教える方にまわることが多い。

加奈が教室に入ると昨日の男の子がちょこんと一番後ろの席に座っていた。加奈は思わず手を振りかけたが、何とか踏みとどまり、かわりにウインクして見せると、男の子は笑顔で受け答えた。加奈は、その男の子の横に座りジェスチャーで何とか会話をしようとしたが、周囲から見れば明らかに行動がおかしい。

「加奈ちゃん、何してるの」

先生にそう言われたときには顔が紅潮してしまい、なんと返せばいいのか解らなかった。当然周りの子達は大爆笑し、その男の子も笑っていた。加奈は、その笑い声がとても恥ずかしく思えた。

 お昼ごはんを食べた後は、昨日の看護士さんとの約束で部屋にいなければいけなかったので、加奈は先生が来るまでの間、自室で本を読んで暇をつぶしていた。

「あれ、加奈ちゃん。さすがだね、お勉強かい。」

 見ると主治医の先生が担当の看護士の女性と入ってくるところであった。加奈は、目線を下に向けると昨日の男の子と同じくらいの年齢の女の子が先生のすぐ後ろをついてきていた。

「先生、その女の子って先生の子」

加奈がそう聞くと、二人とも顔色が曇った。

「子ども??ここには私と彼女以外誰もいないよ」

そう先生が答えたので加奈はもう一度その女の子を覗き込んだ。よく見ると、その女の子は体が少し透けてる。加奈は、全身の血が抜けるような感覚に落ちいった。

 ―――しまった!!この子幽霊なんだ。どうしよ、どうやって言い訳しよぅ~!―――

 加奈は、必死で考えをめぐらせた。しかし、こんな短時間ではいくら加奈でも思いつくわけがない。

「ひょっとして、君の目はゴーストアイなのかい」

先生の突然の発言に加奈は何を言ったのかまったく理解できなかった。

「えっ、何。ゴーストアイ??」

加奈は、そう返すのがやっとであった。

「ゴーストアイって言うのは、その名の通り幽霊を見ることができる目って言う意味なんだ」

 先生は、壁に掛けていた折りたたみ式のパイプイスをベッドの横に持ってくるとそこに座り、加奈に優しく語りかけた。

「この世界に存在するのは、何も目に見えるものだけではない。たとえば幽霊とかね。おそらく君は、事故が原因でゴーストアイの能力に目覚めたんだと思う。けど、幽霊に話しかけることはできるけど、反対に幽霊から君に話しかけることはない。なぜなら、幽霊と私たち人間では言語表現の仕方がまったく異なるらしいんだ。私たちは、彼らを見ることはできる。向こうも見ることはできる。ただそれだけなんだ。」

 加奈は、今の話を自分なりに整理してみた。

 ―――つまり、私から幽霊さんへは話すことができるけど、幽霊さんは私に話すことができないんだ―――

「そんなに心配しなくていいんだよ。実はここの院長もゴーストアイの能力者でね、彼が言うには、私には二年前に亡くなった長女が、そこの看護士のお姉さんには五年前に亡くなったお母さんが後ろにいるらしいんだ。けど、ただ見守っているだけで何もしないんだって」

 加奈はその先生の言っていることにあいづちをすると、後ろにいる女の子に手を振ってみた。女の子は、驚いた様子でこっちを見ていたが、ゆっくりと左手を伸ばして手を振り返してくれたのを見たとき、加奈はとても嬉しかった。

「この子、綾香って言うんだ。ただ残念だよ。私にはこの子が見ることができないんだから。うらやましいよ、君が」

先生の目はどこか悲しそうであった。


 その後、先生は本題を話すのを忘れ、加奈にゴーストアイと幽霊について説明をしてくれた。加奈が見える幽霊たちは、殆どが、人間の世界に遊びに来ているか、もしくは誰かを心配で見に来ているのだという。恨みを持った俗に言う悪霊はめったに降りてこず、ここの院長ですら一度も見たことがないという。テレビでよくやる悪霊の話や霊界への案内といった話は、その殆どがやらせであるという。先生は、院長と共にゴーストアイについての研究をしているのだが、普通の人間にゴーストアイについてどうやって説明すればいいのか解らないと嘆いてはいた。

 その日の夜、加奈は眠れずにいた。いろいろなことがありすぎたこともあるが退院が一週間後に決まったことがとても嬉しかったのである。頭の中をたくさんのことが過ぎる。家族、学校、友達・・・。あと一週間で普通の生活に戻れると思うと、興奮してしまい、まともに眠れそうになかった。

 ―――みんな、元気にしてるのかなぁ~?―――

 事故からもう二ヶ月が経っている。もうすぐ受験の加奈にとって、今の季節は大切な時期でもある。学校に戻っても、すぐに夏休みに入ってしまう。その間に遅れている分を取り戻すために学校の先生が補習をしてくれるというのだが、部活で体を動かしたい加奈にとって補習の時間が増えるのは、正直のところ嫌でもあった。

「でも、それは仕方がないこと」

加奈は声に出して、そう自分に言い聞かせた。

 加奈は、目を閉じてもなかなか眠れず、起き上がり、夜風に当たろうと窓を開けて外を眺めることにした。京都の夜は、いくら初夏とはいえ、加奈が住んでいるところとは比べ物にならないくらい寒い。中庭には、街灯がいくつかついていて、芝生の上には、昼間の女の子がちょうど寝そべっていた。

 ―――そういえば、あのときの女の人、いったい誰だったんだろう―――

 ふいに加奈は、ここに担ぎ込まれたときに見た夢のことを思い出した。ここ二ヶ月の間、病院の看護士や先生、子どもたちと話しているうちにすっかり忘れてしまっていたが、あの時に見た、川原で足をつけている十六歳から十七歳くらいの女の人が誰なのか、ずっと思い出せずにいたのである。

 加奈は、もう一度思い出そうと思い考えてみたが、やはり思い出せない。まるで、何かが思い出すのを妨害しているような感触すら覚えてしまう。加奈はふと本棚においているアルバムに目をやった。退屈しのぎに母親が家から持ってきてくれたのである。ここから加奈の家までは片道でも二時間ほどかかってしまうので、いくら加奈の家族といっても、そう毎日来れることはできず、せいぜい、週末や先生が経過を報告する水曜日くらいにしか来ないのである。友達には、何処に入院しているか告げられておらず、たまに母親が手紙を持ってきてくれる程度で誰一人としてお見舞いには来なかった。中学の先生は二週間に一度程来てくれていたが、もっぱら進路指導の為で、そのあまりの話のつまらなさから、これじゃ来ないほうがましとすら思えてしまうほどであった。そのため、加奈が友だちの顔を忘れたくないと母親に言ったら、ご丁寧に、加奈がわかりやすいように小さいころから最近までの写真を再編集して持ってきてくれたのがこのアルバムなのである。

 加奈は、ベッドの横にある灯りをつけると、アルバムの一ページ一ページを丁寧に開けてみた。写真の一枚一枚に説明書きが添えられているのを見ると、加奈はなんだかうれしく思えてきた。

 加奈がちょうど小学校の頃の一枚の写真を見たとき、頭の中を高圧電流が流れたような感覚が起こり、その女性の正体をやっと思い出すことができたのである。

 ―――思い出した、あの人、あゆみお姉ちゃんだわ。うんうん、きっとそうだわ―――

 あゆみとは、加奈の家の真向かいに住んでいた高校生である。加奈がちょうど小学校に上がった頃に引っ越してきて、その頃からずっと遊んでもらっていたのである。

 しかし二年前、学校からの帰宅途中に交通事故に遭い、それが原因で亡くなっているのである。あの時加奈は、まだ死という概念ができていなかったこともあってそんなに悲しくはなかったが、周りの人間が泣きじゃくっていたことを今でも思い出せる。ただ、どういうわけかあゆみのことだけが、まるで記憶に穴が開いていたように、今の今まで思い出すことができなかったのである。

 ―――あの人もこっちの世界に遊びに来ているのかな、それとも・・・―――

 加奈は、あゆみのことを思い出せたのはいいが、まだ心の中のもやもやは取り払われていなかった。あの時あゆみは、とても悲しい目をしてい。それはいったいなぜなのか。加奈は退院したら、そのことを確認するためにあゆみの家に行ってみることにした。


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