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けまタン@下手くそな物書き

第1話 夢の中の少女

 少女は目を覚ましたとき、自分が何故ここにいるのかがわからなかった。それだけではない。自分がどこの誰なのか、ありとあらゆる記憶が欠落していた。すぐ横には、全身白ずくめの男か女か解らない人間らしき生き物が立っていた。いや、本当に人間なのであろうか。その白ずくめの隙間から肌色の皮膚が見えたとき、少女はこの生き物が人間であることを認識した。白ずくめの人間はモニターらしきものを見ており、そこには緑色の線が起伏を繰り返しながら表示されていた。

 ―――これ、ひょっとして心電図かな。でも、いったい誰の・・・―――

 少女は目線を心電図からその横にあるいろいろな医療器具らしき物に目を移した。そして、ちょうど少女の真上から少しずれたところにビンのようなものが逆さにされて吊るされていて、そこから透明のチューブが少女の右腕に繋がっているのを確認するのには、しばらく時間を要した。

 少女は、四肢はもちろん口や首ですら動かすことができなかった。口には、透明なものがかぶさっており、それがゴムのようなものでずれないように固定されており、鼻にもチューブだしきものがつながれていた。

 ―――多分これ、酸素マスクなんだわ。ていうことは、ここは病院?・・・―――

 少女ができる限り頭を働かせ、考えていると周りにいた白ずくめの人間たちが慌しく動き出した。

「・・・・・意識が戻りました」

一人の人間がそう誰かに伝えている。耳が正常に動いていないらしくハッキリとは聞き取れない。だが、「意識が戻りました」と言う言葉だけははっきりと聞き取れることができた。しかし、なぜだろう。頭がボーとしてまったく動かない。その人は多分、大声で言っているのであろうが少女の耳からは、とても小さく聞こえた。

「・・カナ、かな、加奈」

しばらくして耳元でかすかな声が聞こえてきた。

 ―――そう言えば、私、加奈って名前だったっけ・・・―――

 目の前に白装束を着た、さっきとはまったく別の人人間が二人、立っていた。どうやら中年の男の人と女の人らしいのだが、二人とも目から涙が溢れていた。

 ―――誰だっけ。・・・ひょっとして、私のお父さんとお母さんかな。でも、ちょっと待って。そういえば、私、なんでここに寝ているの―――

 加奈は、何がなんだかわからなくなってきた。どういう訳かいつもより思考力が殆ど働かないのである。ただ、自分の目の前にいる両親を少しでも安心させてあげたい。半ば本能的に加奈は思ったのである。

「お・・・と・・うさん」

一瞬どっちを呼んだらいいのか迷った。しかし、すぐに「おか・・・あ・さん」と呼んでみた。

 加奈の両親は、それを聞くと目から涙が溢れ止めることができなくなってしまい、母親はたまらずその場で泣き崩れてしまった。その涙を見た時、加奈はなんだかうれしく思えた。そのすぐ後くらいに強烈な睡魔が彼女を襲いかかってきたのである。加奈は、何とか今の状態を保ち、今おかれている自分の状況を把握しようとした。しかし、結局睡魔には勝てず、少女は再び眠ってしまった。


 加奈は、目を覚ますと川原に立っていた。そこが何処なのか、まったく見当も付かないのだ。雑草が生い茂り、無数の蛍が乱舞する。空には星空が広がっていたが、月は出ていない。ただ、川のせせらぎの音がする以外何も聞こえてこない。

 加奈は、ただ立っていてもらちが明かないので、とりあえず歩き出した。雑草を掻き分けて歩いているのだが、どういう訳かその草に触れても、手には草の感触はせず、まるで運動用のマットを歩いているような感触しかしないのである。加奈は、足から伝わる不思議な振動に若干戸惑っていた。

「・・・・・・ちゃ・・め」

 加奈は一度立ち止まり辺りを見回したが、人がいる気配はまったくない。加奈はそれが空耳と思い再び歩き出した。

「そっちに行っちゃ・・・だめ」

 今度ははっきりと女性の声がした。加奈はその場に立ち止まり、声がした方角をふり返った。しかし、そこには誰もいない。加奈は、とりあえず声がした方へと足を向けた。

 ―――どうせ何処に行ったらいいか解らないんだし、行ってみよう―――

 加奈は、草むらを掻き分けて先に進んだ。だが、進んでいるうちに意識がもうろうとしていき、そこから先は何処をどう進んだのかまったく覚えていない・・・。


 目を覚ますと加奈の視界には、色あせた白い壁が入ってきた。そこが病室であることを認識するには相当の時間を費やした。その白い部屋には、テレビと洋服ダンスのようなものがあり、ベッドは部屋の窓に沿うように置かれていて、窓からの日差しが今の加奈の目にとっては少しきつかった。自分に付いていたあの重苦しい医療器具たちは殆どが姿を消していたが、右足にはギブスが付けられていて、ベッドの上にそれが吊るされていた。辺りを見回したが、加奈以外のベッドはなく、どうやら個室のようである。

 加奈は、なんとか起き上がろうと試みたが、全身に力が入らず、まったく体が動かない。まだ、そこまでできるほど体力が回復していないようなのである。

 ―――さっきの、夢―――

 加奈がそう思ったとき、すぐ横で物音がした。

「起きた」

 看護士の女性が加奈にそっと言った。すぐ横には、加奈の母親がベッドに備え付けられているパイプイスに座っていた。

「お母さん」

「よかった。目を覚まして。あんたダンプカーにひかれたのよ。それ聞いたとき、ホント、私、心臓止まりそうだったわ」

 加奈の母親は、また泣きそうな目をしていた。加奈の思考力は、徐々にではあるが、確実に記憶と共に戻ってきていた。

 ―――そういえば、家に帰るときに歩道歩いていたら暴走したダンプカーが私のほうに突っ込んできて・・・―――

 そこから先の記憶が加奈にはまったくなかった。ただ、そんなことよりも今まで見ていた夢のようなものでの出来事の方が気になってしかたなかった。

 ―――なんだろう。川原を歩いているような夢だったと思うけど―――

 しかし、いくら思考力が戻ったとはいえ、加奈の頭の中はまだ真っ白のままであった。思い出せるものと言えば、自分の名前と家族の顔くらいである。

 加奈は、兵庫県南部に住んでいる中学三年の女の子である。その日もテニス部の活動のため、かなり帰りが遅くなっていた。いつも通り家路を急ぎ、大通りの歩道を歩いていたのだが、そこには街灯がなく、夕方以降は、真っ暗になってしまうのである。その日も真っ暗な家路を急いでいると後ろから来たダンプカーが加奈のほうに突っ込んできて・・・。

 そこから先の記憶はまったくない。後から聞いたことであるが、そのダンプカーの運転手は、過労が原因で事故の少し前に意識をなくしていたらしいのである。その後、このダンプカーを所有していた土木会社は家宅捜査を受け、社長ら数人が逮捕されるといった事態まで発展していたのである。

 一方加奈のけがは、事故によるダメージが強すぎるため、近所の病院では対処しきれず、この京都にある大学病院に担ぎ込まれたのだという。それでも生存率は三十パーセント以下。今生きていること自体が奇跡に近いという。右足の骨折、全身打撲、そして何より後頭部を強打していたのだから無理もない。

 加奈の意識は依然、もうろうとしていたが、その頭でも何か他にも思い出せることがないか考えてみた。だが、何一つ思い出せない。そうしているうちに加奈は薬の副作用もあってまた眠くなってしまった。

「薬のせいもあるけど、今は無理をせず、眠るのが一番よ」

 耳元で看護士さんがそう言うので加奈は、再び眠ることにし、目を閉じて数分ほどで眠りに付いた。起きていたのは、だいたい十分ほどであった。


 加奈は気が付くと再び例の川原に立っていた。これが明らかに夢であることが分かっている。なぜなら、前に見た夢と同じ場所に立っていたのであるから・・・。

夢と言うのは不思議なもので、景色や登場人物はもとより、時には知識や記憶、常識ですら歪曲され別のものになってしまうことがあるものである。加奈が昔見た夢では、仲良しの友達のお兄さんがある有名歌手になっていたのである。その子は一人っ子で実際にはお兄さんがいないのに夢の中ではその事実を何の疑いもなく信じていた。しかし、朝になればその記憶は元に戻り、いつもの日常に戻っていく。まるで、夢の中の自分がまったく違う世界の人間、時には動物や物にリンクし、そのものの生き様に干渉するがのごとく・・・。

 しかし、今回見ている夢は違っていた。記憶はもとより昨日までの自分が手にとるように分かる。加奈は迷った。目覚めようと思えば目覚めることができる。何より景色が最悪である。場所はどこだかわからないが川原なのは確かである。それもとても広い川の川原である。対岸が見えないが、水は右から左へ、一定のスピードを保ち流れている。辺り一面は雑草が生い茂り、無数の蛍が舞っている。空には星々がまるでミルクをこぼしたように散らばっていた。しかし、月は出ていない。それなのに周りには、何があるかを確認できるくらいの明るさはあるのである。

 加奈は、とっさにこれが三途の川ではないかと悟った。しかし、すでに加奈は生死の境を脱している。ここに来る意味はもうないはずである。だが加奈は、前にここに来た時のことが気になって仕方がなかった。前にここに来たとき、加奈はここで誰かに会っている。ただ、それが誰なのかはまったく思い出せないのだ。ひょっとしたらよくある夢の歪曲によって作られた架空の人物かもしれない。または、加奈をあの世に誘おうとした死神かもしれない。どっちにしろ、加奈はその時の夢が気になって気になって仕方がなかったのである。

 ―――とりあえず行ってみよう。それからの事はそのときに考えればいいし―――

 加奈は、川原の下流に向かい歩きはじめた。記憶が歪曲されないようにいろいろなことを頭に思い浮かべながら歩いていった。蛍は相変わらず辺りを乱舞している。自分たちの存在を加奈に知らしめるかのごとく。もしくは、自分たちの存在を加奈自身にアピールしているのかもしれない。

 歩き始めて数分ほどたったのであるが、辺りには相変わらず何もない。川はそこで大きく左にカーブしている。そして、ちょうど川が曲がりきった辺りに人影らしきものを見つけた。加奈は、恐る恐るその人影の方に歩いていった。透き通るような色白のその人物は、後姿ではあるが、胸の辺りまで伸びている髪の毛の長さからして女性であろうと推定される。透き通るような白いその女性は両足を川に浸けて座っている。

 ―――誰だろう。こんなところで―――

 加奈は周りを気にしながらその女性の顔を覗き込んだ。見た目から言って十代後半、高校生くらいの年齢であろうか。だが、とても綺麗な顔をしている。

加奈は、ゆっくりとその女性に近づいた。女性は、加奈の存在には気づいているのか気づいていないのかわからなかった。しかし、加奈はここまで側にいるのだから気づいているはずだと鷹をくくって、その女性の右隣に三角座りをした。

「冷たくないですか」

加奈は、女性を覗き込むようにしてたずねてみた。その女性は何の反応も示さない。しばらくの間沈黙が続いたが、その女性は右手を川の中にいれ、川の水をかき回し始めた。川の中には、魚らしきものはまったく見当たらない。川底は浅く、水はとても透き通っている。女性の手はとても白く、色っぽかった。しかし、その手を見つめている目はとても悲しい目をしていた。

 加奈は、この女性とどこかで会ったような気がした。それは、夢の中だけで起こる記憶の混乱ではなく、明らかに現実世界のどこかで会ったことがある感覚であった。

 ―――どこで会ったんだろう、この人と―――

 加奈はしばらく考えてみた。しかし、あたりに霧が立ち込めてくると同時に加奈はどういう訳か眠くなってきたのである。加奈は睡魔と闘いながら、落ちかけるまぶたを必死で開けようとしていた。その状態で加奈は、ずっとこの女性と何処で会ったのかを考えていた。加奈は、眠気を覚まそうと二三度瞬きをしてみた。すると、隣にいるはずの女性はどこかに消えていて、周りには何もない状態であった。女性が立ち上がってどこかに行った形跡はなく、文字通り消えていたのである。加奈は、女性が消えたその瞬間も睡魔と闘っていたが、結局勝てずその場に眠りこけてしまった。辺りで何も知らない蛍が優雅にダンスをしているのを見ながら・・・。


 気が付くと加奈は、自分の病室のベッドの上で眠っていた。その横で、女性の看護士が加奈の点滴を確認していた。

「あら、起きたの」

看護士は、加奈に気軽に声をかけた。加奈はその声を聞いて、今自分が生きていることを再確認し、実感していた。窓にかかっていたカーテンは開けられ、そこから清々しい日光が入っていた。その空の透き通るような青さ、そして、そこを悠々自適に飛び周るスズメたち。全てが現実なのである。加奈は、まだベッドから起き上がれるほどの力がなかった。体全体を包む倦怠感。しかし、それは昨日ほどではなかった。加奈は横になったままでその空を見上げていた。

「ハぁー、私も早く歩き回りたいな」

「あら、今何か言った」

看護士の女性は後ろを振り向き加奈に尋ねた。

「私、何時になったら退院するの」

「そうねぇ、二三ヶ月くらいかな」

「そんなに」

思わず加奈は声を張り上げて言った。

「だって、その右足じゃ自由に歩けないでしょ。でも、後二、三日寝ていたら起き上がることは出来るようになるわよ」

「ほんとうに」

「ええ、本当よ」

 しばらくの間、加奈は看護士の女性と話しをしていた。そして、「隣の病室に行かなくちゃ」と言い、部屋を出て行った後は、ずっと昨日見た夢のことを考えていた。夢というものはたいてい、起きてしまったらその三分の二近くは忘れてしまうものである。ところが、昨日見た夢は、その殆どを思い出すことが出来る。それは、加奈にとって初めての出来事であった。

「あの時のお姉さん、いったい誰だったんだろう」

加奈は、空を見上げながら考えていた。川原に座り水をすくってはその水を川に返す。それの繰り返し。あの時出会った女性はいったい誰であったのだろう。夢の中では、記憶の歪曲もあって見たことない人でも前にどこかで会ったことがある気がするのは、よくあることである。しかし、今回は違う。夢の中のことがはっきり覚えている上に、その女性にもどこかで会ったことがある気がするのである。それもテレビや本で見たのではなく、対面し喋った事があるような・・・。加奈は、ベッドに横になりながらずっと考えていた。しかし、その日は結局、思い出すことは出来なかった。

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