大人と子供⑪


「この事件、アナタのおかげで動機はわかったわ。村の昔から続く意見の食い違いから発生した情けない憂さ晴らしということね」

「ああ、人口が少ない方が得する人間と、人口が多い方が得する人間がこの村にはいた」

「そして勝ったのは、人口が少ない方が得する陣営だったのよね。そして負けた側の、人口が増えて欲しかった側の父は犯行に及んだ。まったく争いに無関係な娘たちを殺すという方法で……」

「ああ。そして勝敗が決したのは、2007年の合併問題。周囲の市町村からオファーのあった合併をウチの村が蹴ったんだ……」

「それ! それだけの時間があれば可能なことだわ」


 ん? 長期的な計画ってことだろうか。


「な、何が可能なんだ?」


 っていう質問をしてしまう。しまった。これではオレが完全に聞き役だ。


「当然、被害者たちの具合を悪くさせる方法よ」


 健康状態のコントロールがわかったのか。

 この短時間で。

 それはやっぱり、


「毒電波か! 毒電波なんだな!?」

「毒電波ちがうわ」


 ちがうのか。

 あの男のロマンである毒電波。発明されたとなったら生きる気力にもなったのに。


「……でもそれ以外で、本当にそんなことが可能なのか?」

「ええ、時間をかければね。使ったのは、まず1つは『モスキート音』よ」


 モスキート音。


「あの、耳年齢のチェックとかに使われるやつか? なんか若い人には聴こえるけど、歳をとると聴こえないってやつ」

「そう、それね。あれって、結構不快なのよ。印象にも残るし逃げられない耳鳴りみたに感じるしね。あんまりうっとうしいと、不機嫌になってしまうかもしれない」


 キーンって感じなんだっけ?

 しかし不機嫌になるって言うと、つまりそれがヒトリなんかの不機嫌もモスキート音が関係してるってことか?


「その音を、父は、例えばそうね、食卓の席なんかに向かって家の外から流していたのかしらね」


 ……思い当たるふしはある。

 食事中、キゲンの悪くなるヒトリを何度か見たことがある。


「もちろん、それ以外にも時間を見つけては当てていたのかもしれない」

「でも、たかがモスキート音ごときで体調まで悪くなるのか?」

「いいえ。モスキート音はあくまで症状を人為的に引き起こすための単なる装置」


 人為的に引き起こすための装置……。


「パブロフの犬、はご存知かしら」


 なんだ?


「……聞いたことはあるな。あの、エサを与える時にベルを鳴らし続けていたら、ベルが鳴るだけで唾液を流すようになったっていう実験のやつか?」

「ええ、条件付けという奴ね。それを利用したのよ」

「はあ」

「当然だけど人間にも起こりえることなのよ。ほら、よくお風呂で尿をすます人が、美容院でシャンプーをする時に無意識で漏らしてしまうことがあるでしょ? それと同じよ」


 ひっでえ具体例だな。

 でも、そこでようやくオレは理解して、確認するように聞く。


「その実験のベルにあたるのがモスキート音ってことか」

「その通り」

「じゃあ、体調を悪くさせる根本の原因、実験でいうところの最初の段階で唾液を出さすエサにあたるものがあるってことか。それはなんだ?」


 もうオレは考えることを放棄して聞いてばかりだ。

 そんなオレを戒めるような口調で大川は答える。


「考えなさい。なんでもいいのだけれど、そうね。例えば、モスキート音と同じように慣れた大人に対しては無効でありながら、耐性のない子供に対しては絶大な効果を発揮し、かつ簡単に手に入る物質があるわ」


 物質……。そんな難しそうなものに詳しくないからわからん。


「……アルコールよ」


 アルコール! 知ってる!


「正確には気化したアルコールね。

 この村は自然に包まれた快適な環境で、海が近いから夏場も風があって快適。それ故に、よっぽどの熱帯夜でもない限りはエアコンなんてつけずに、健康的な換気だけで生活している人がほとんどだわ」


 ウチもそうだ。基本的に守銭奴だし、エアコン代はもったいないとか言ってつけてくれない。

 本当はつけっぱの方が電気代は安いんだけど、エアコンが壊れるとか言ってつけてくれない。


「それ故に、冬以外はたいてい窓は開いていて、網戸だけどいう家庭や食卓が多いのよ」

「ああ、だから、外から流したモスキート音が聴こえるんだよな」

「そうね。そして気化アルコールも同じだった」

「外から充満させてたのか」

「ええ。気化させたアルコールは、直接口にするよりも刺激は弱いのだけれど、当時まだ小学生の被害者たちにとってはキツすぎる刺激だった」

「酔わせてた……、のか」

「酔っぱらう感じではないわね。症状としては頭痛や吐き気程度でしょうね。毒ではないのだけれど」

「まさかそれを……」

「ええ。モスキート音と同時に流すことで、不快感は倍増だったはずよ。幼い子供にとっては特に。

 そして、それを毎日ではないにしても定期的に被害者の家の外から流していたんでしょうね」


 それは確かに、不快感をあらわにして不機嫌になってしまうのも仕方がないのかもしれない。


「もちろん成長と共にアルコールへの耐性はつくかもしれないけど、もうその頃には条件付けがしっかりとなされていて、いつしかモスキート音を聴くだけで、アルコールを摂取した時と同じ症状の出てしまう体になってしまった。

 ベルを鳴らしただけで唾液を漏らす体になってしまった犬のように」


 い、犬のように……。


「お兄ちゃん……」


 ヒトリがオレの袖を引っ張る。


「その、モスキート音ってどんな音なの?」

「ん? ああ、待ってろ」


 オレは動画サイトで適当に検索する。


「お、あったあった。……これ」


 スマホを向ける。


「あ……、これなんだぁ。コレ、いっつも頭が痛い時にする耳鳴りだ……。そうか、これは頭痛の症状の1つだって思ってたけど、本当はコレのせいで頭痛になってたってことなんだね……」


 って言葉を聞いて、


「あ! まさかさっきのアレは!」

「ええ。アナタが動機を言い当てた時点で、それなら長期的な方法の可能性もありえると思っていくつかトリックの案には目星をつけていたのだけど、それを流して、ヒトリさんやみんなの反応をうかがって、モスキート音を使ったのだと確信したわ」


 もっとドヤ顔をすればいいのに、向上心の高すぎる名探偵は言い当てたそばからもう考え込んでいる。


「……なるほど。しかしそのヒトリさんの発言は興味深いわね。幼いころから続いている条件付けは、いつしかその前後関係の認識も狂わせていたということかしら」

「……、なんで、相談しなかったんだ」


 オレはしかりつけるようにヒトリに問う。

 そんなオレたちに冷静な口を挟むのは大川で、


「いいえ。ルルム。彼女はきっと相談したのよ。でも、この道具たちの都合がいいのはその部分ね。モスキート音も、気化アルコールも、大人たちは気づいてくれない」


 ……、それで、こいつは1人で何年も悩んでたのか。


「でも、こんなうまくいくのか? 大人でも軽いアルコールで敏感に反応する人もいるだろ」

「というより、本来はもっとターゲットはいて、成功しそうな人を長い年月をかけて絞っていったんじゃないかしら。アルコールもそうだけど、例えばモスキート音を訴えた時に真摯に過剰に心配する家族はダメだし、そもそも条件付けの容易さも個人差がある。成功しそうな人に対してだけ続けていったのでしょうね」


 ……オレたちも悪かったってことか?


「さて、そんな感じでアルコール摂取の症状をモスキート音での条件付けに成功した父は、やがてその頻度だけでなく、後をつけることによって場所もどんどん広げていったんでしょうね。

 食卓だけでなく、それ以外の家にいる時間、さらには町や通学路でもモスキート音で不快にさせては、条件付けの効果でアルコールを使わずに頭痛を引き起こし、追いかけて音を流して追い込んでいった。もっとも、公園のように開けた場所ではさすがに難しかったようね。でも、それすらも都合よく利用した」


 公園。そうか。少なくとも、鎌倉さんやヒトリは町の至る所にある公園に逃げている。


「無意識に立ち寄った公園などで、症状が和らいだ。そう思った一部の被害者の子は、特定の場所では症状が軽くなると思い違いをした」

「……、はい。私はあの公園だと楽になった気がして……」

「被害者の子たちは、まさか自分のこの症状が意図的に引き起こされているなんて想像もついていない。だから、恐らくだけど、この症状は村の工場にある何かしらの薬品がひ弱な自分に何かしらの反応をして、引き起こされていて、それがこの場所では届かない、そんな解釈や納得の仕方をしたのではないかしら」

「ええ、はい。その通りです」

「その勘違いが、結果として父の計画の追い風となってしまった。誘導が可能になってしまったのよ」


 大川は腕を組み、


「そして事件当日、いつものごとく物陰から被害者に向けてモスキート音を当て、誘導し、殺した。中六さんは職員室前の廊下で、先生方にはモスキート音は聴こえないし、ヒトリさん、竹ノ内さん、ほてるさんは周囲にお友達がいたけれども全て屋外だったから、条件付けのキマっていない周囲のお友達にとっては、街中で多少耳鳴りがした程度にしか感じず気にも留めなかったでしょう。まあ、その辺りも実験済みのはず。そうして家に帰らせ、あるいは公園で休ませつつ誘導して、殺したのね」

「ああ、そう言われると今日のバイト中も耳鳴りのような音がしたような、そんなことないような……」


 と一生懸命思い出そうとする空のその姿こそがまさに証拠となる。


「どうかしら? お父さん。間違ってないわよね? そもそも、わざとらしく証拠を残したのは、警察に逮捕されて、探偵としての私の評価を地に落とすためなんでしょ? だったら、もう逮捕されましょうよ」

「ああ、そうだよ……。トリックも動機もその通りだ。だが、まだ殺し足りないんだ」

「でも、もうトリックは私が解いた。次の犯罪は私が身を挺してさせないわ」


 悲しい会話だな~。なんて、眺めてて、ふとある疑問が浮かんだ。


「いや、でもそのトリック正しいのか? オレは一度も食卓や家でモスキート音がうるさかったなんて記憶はないぞ。高校生なのに

「……そうね。それを言う必要があったわね。聴こえない理由は簡単よ。アナタ、難聴だからよ」


 あ。


「いや~、そうかそうか。オレの難聴って父兄さん方々にまで知れ渡ってたのか」

「ちょっと歳の離れた竹ノ内さんのお兄さんは、計画開始時点でまだ思春期まっただ中で、多分不快感を感じて訴えたのだろうけど、頭の固くてバカで厳格なお父様に封殺された。それがきっかけでお兄さんはふさぎこんだのね。お兄さんは計画を阻害する人間たりえなくなった。それ故に父のターゲットから外れることなく竹ノ内さんは殺されたのよ」


 お? 会話になってないぞ。


「問題はアナタだった。歳も近い2人が揃って変な音がするとかクラクラするとか訴えたら、さすがに両親も不審に思ってしまう。殺す必要のない人間は殺したくない。でも、できるだけターゲット候補は減らしたくない。すでに家族が不審がっているなど、やむを得ない事情があれば諦めるけど、父にとって、アナタの存在はやむを得ないほどではなかった。そこで思いついたのよ。事故を装って耳と鼻を破壊してしまおうって」




続く

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