第二編 第六章 ③


「……やっぱりここにはいませんね」


 蒼猫が立てていた耳をぱたぱたと動かして言い切った。

 貴方は目の前の建物を見上げる。白い石貼りの外壁に多角形の塔屋が洋館を彷彿とさせる建築物。ここが永久の自宅だった。


 敷地は低い塀に囲まれて、鉄製の門扉から建物までを煉瓦の道が繋ぐ。道の両脇は整えられた芝生が広がり、開放感と優雅さの溢れる空間を演出していた。


 貴方が頼んだのはこれだった。蒼猫の聴力を持ってすれば、永久が居留守を使おうとも、中に誰かいるかが分かる。それで蒼猫の誘導で永久の家を訪ね――彼女は以前に荷物を取りに来たから知っていた――中に誰かがいるのか確認してもらったのだが……。


「ここにもいないって……蒼猫、音で永久の居場所って探せないか?」

「こんな街中で分かるわけありませんよ。私をなんだと思ってるんです?」


 蒼猫は見下すような目で貴方を見つめて言うと、ぴくりと耳を敷地の門の方向に向けて、


「馬鹿なこと言ってないで、兄さん。霞さん……とニャー先輩がこっちに来ますよ」


 貴方がつられて門の方を見ると、件の彼女たちが現われた。二人は焦っているのか、転びそうになりながらも小走りで近づいてくる。


「ここにいたんだな。よかった……。蒼猫、久しぶり」

「先輩方! 見つけました!」

「ニャー先輩まで、なんでここに……バイトは?」

「それはですね」


 ニャー先輩が霞さんを見ると、彼女はカーディガンのポケットから携帯を取り出して、


「頼来に電話。ほら」


 誰からか。

 差し出された携帯を受け取って、貴方が耳に当てると、


『頼来? 貴方、そろそろ携帯持った方がいいんじゃない? 何時代の人間なのよ』


 いつも聞くあの声が聞こえてきた。


「白雪さん」

『たかだか月数千円でしょ? なんでいつまで経っても契約しないのよ』

「あの、それはあとで聞くからさ……」

『そんなにお金がないなら、バイト増やしてあげるわよ!』

「これ以上増やせねえよ!? 定休日以外毎日出てるんだぞ!?」

『何を偉そうに。貴方、最近は仕事しないでゲームしてるじゃない』

「あんたにやらされてんだよ!? ――って、そんなことどうでもいいわ!!」


 この人はこんな時にまで何を言っているのか。まさか、現状が分かっていないのか?


『分かってるわよ。永久がいなくなったんでしょ?』

「……分かってて、よく無駄話できるな」

『無駄話できないなんて、貴方、余裕なさすぎよ。男でしょうに、情けない』


 ぐうの音も出ない批判だった。

 貴方は咳払いをして、


「白雪さん、どうして電話なんかくれたんだ?」

『どうせ貴方、永久を見つけられないんでしょう? それに心裡がどうしてこんな馬鹿なことしたのか、永久がどうしていなくなったか、想像もついていないんじゃない?』

「……あんたは全部、分かってるのか?」

『いえ、全然』

「あんた何がしたいんだ!?」


 もう、やだ。

 電話を切りたい。


『失敬。言い間違えよ。想像は全部できているわ』

「なんだ……変なところで言い間違えるなよ」

『間違えなかったところで無意味よ。どうせ、貴方には教えないもの』

「…………もう一度言っていいか? あんた何がしたいんだ?」


 次も変なことを言ってきたら電話を切ろう。そう思って、貴方は期待せずに待つと、


『心裡の行動について一つ言えるのは、これは全部、永久のためだってことだけよ』

「永久のため……」


 これのどこが永久のための行動だというのか。永久を苦しめはしろ、その先に救いがあるようには全く思えない。冗談だとしたらいくらなんでも悪質すぎる。


 ……なら、これは冗談ではないのだ。


 貴方は思う。心裡さんはいつも意味の分からないことをする。信用という言葉からは一番遠い存在かもしれない。

 だが、彼は他人をいたずらに苦しめるような人間ではない。団体を率いて、ホームレスの人たちの支援に奔走している彼を知っているのだ。


「……よく分からねえけど、心裡については分かったよ」


 貴方はわざと溜息をついてから、白雪さんにそう答えた。


『なら、少し、アドバイスをあげるわ』

「アドバイスだ?」

『もし永久を見つけられたとしても、必ず貴方一人で会うこと』


 この場にいる蒼猫たちを置いて行けと言うが、理由が分からない。


『さっきも言ったように教える気はないから、疑問は挟まないで』

「……って言われてもな」

『これは確かなアドバイスよ。私を信じているなら――永久を本当に想っているなら、忠告には従いなさい。分かったかしら?』


 不要なことはとことん話す気はないらしく、終始一方的に話した。


「……アドバイスってそれだけか?」


 否定せず暗に肯定する貴方。

 迂遠な表現も白雪さんは的確に拾う。


『じゃあ、最後に。永久の居場所についての見当よ。自宅にはいたの?』

「いや、いなかったよ」

『それも当然ね。あの子はその家に別段思い入れはなかったはずだから』


 訳知りのように白雪さんは言う。


「思い入れって……他に思い入れのある場所があるのか?」

『貴方も相当鈍いわね。よーく、考えてみなさい。あの子の思い出の場所なんて一つしかないじゃないの』


 白雪さんは貴方を馬鹿にするように言ってから、答えを告げた。


『ずっと母親がいた場所よ』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る