第六章
第二編 第六章 ①
「待てよ、頼来!」
病院を出たところで、貴方は霞さんに呼び止められた。
「少し落ち着けよ……」
「この状況で落ち着けるかよ! 永久がいなくなったんだぞ!」
語調を強めて、貴方は答えた。
永久が姿を消した。
間違いなく彼女の意志で。
霞さんの話では、永久と一旦は厳殻さんの元へ向かったのだが、途中で、霊安室に家の鍵を置き忘れたから取ってきて欲しいと、その間にあえか荘に電話したいと頼まれたという。霞さんは霊安室に向かったが鍵はどこにもなく、代わりに先程のメモを見つけたのだ。その間に永久はいなくなったようだ。
彼女が何故姿を消したのかは分からない。
だが、いずれにせよ、
「放っておけないだろ……」
このままだと、永久は今日も記憶を失ってしまうから。いや、それどころの話ではないのだ。紅坂夫妻の訃報が世間に流されてしまった今、永久はすぐにそれを知り、またその日の記憶を失うだろう。それはずっと続くのかもしれない。
どれだけ覚悟が決まっていても、記憶を失ってしまうのだとしたら、永久は一生、その日の記憶を失い続けるかもしれないのだ。
そんな状態にいる永久を、どうして放っておけるというのか。
「だから早く捜しに」
「頼来!」
霞さんは貴方の腕を両手で掴み、翻そうとした身体をその場に固定した。
「あたしも捜しに行くよ。でも、二人で捜すなら、ちゃんと協力しないと。まずは落ち着いて、どこを捜すか決めるべきだ」
真摯さを感じさせる瞳が貴方を射貫く。
何故そんなに落ち着いていられる?
否。
彼女は落ち着いてなどいない。
彼女の両手は微細に震えていた。
それに、
「お前は最初から全部知ってたんだよな?」
「……うん。心裡さんから当日には聞いて……ずっと黙ってた」
霞さんの行動に対する違和感はこれが原因だったのだ。
永久を家で預かれないと彼女は言っていた。それに彼女は一度もあえか荘まで来なかった。学校から帰るのも一人だし、昼食も一緒に取らなかった。
それらを貴方は少し薄情ではないかと思っていたのだが、実際は逆――永久を想って、彼女は距離を置いていたのだ。
誰よりも他人を心配し、感受性豊かに誰かと共感してしまう彼女。そんな霞さんが永久と一緒にいれば、普通の態度を取り続けるのは難しいだろう。そんな彼女が今、本当に冷静でいられるはずがない。
冷静でいられるはずがないではないか。
貴方は荒れていた息を整えて、強く握り締めていた拳をほどく。
霞さんは貴方の状態を的確に把握して、両手を貴方から離すと優しく笑った。
まずは永久が行きそうなところを貴方たちは考える。理由も告げずにいなくなったことを踏まえると、彼女は誰にも会う気がないのだろう。すると自然に、彼女の自宅、学校、図書館とめぼしいところは限られる。
しかし、どこも分かりやすい場所。逃げ場としては不適切だ。永久が何も考えずに、見つかりそうな場所に行くとは思えなかった。
だが、闇雲に探すわけにはいかない。
霞さんには永久の自宅を訪ねてもらい、貴方は学校に向かう。病院の敷地を出て、霞さんと別れたところで声をかけられた。
「永久くんを探しにいくんだね」
景政さんだった。
彼女の隣には社木さんが佇む。
「彼を署に連れて行ったあとに、私も永久くんを探そう」
時間がないと言わんばかりに、すぐに乗り付けた車へ。
社木さんは大人しく彼女に続く。
途中、彼と目が合った。
やおら、彼は立ち止まり、
「やはり貴方は何も知らされていないにも関わらず、彼女を引き取ってくれたんですね」
恭しく言う様はあの時と同じ態度。彼の様子と言葉に貴方は記憶を想起させる。永久の体質を知っているか、何故彼女を引き取ったのか、彼は確認してきたのだ。
「事情を知っているか確認したくて、あんな質問をしたのか? あんた」
「それもありますが……貴方がどういう人間か、それを知りたかったんです」
結局は、そう。警察から隠れなければいけない状況であったのに彼が自分に接触してきたのは、永久を心配してこと。永久の様子と、せめて永久を預かった人間がどういう人物なのか、確認したかったからか。
「どうか永久様を、よろしくお願い致します……」
社木さんは深く頭を下げて懇願してきた。
「……任せろ」
貴方はそれだけ言って踵を返すと、行動を再開する。
最短距離を駆け抜けて、学校に辿り着いた。貴方は玄関を通り越す直前に足を止めて、玄関脇の詰め所に向かい、警備員に尋ねる。彼は永久の特徴を聞いて、はっきりとそんな生徒は来ていないと回答した。永久の容姿はだいぶ特徴的――小学生にも見えるくらいなのだ。見ていれば覚えているはず。彼の回答を信じて、貴方はその場を辞した。
その後、貴方は自分が知る限りの場所を探し回った。商店街や一緒に行った書店を訪れるが永久の姿はない。
このまま街中を捜して見つけられるだろうか? 迷った挙げ句、貴方はあえか荘に向かった。帰っているとは到底思えない。だが、もうあてはないのだ。
十五分ほど走り続けて、ようやくあえか荘に到着する。
貴方は肩で息をしながら母屋に入り、玄関に靴を放って永久の部屋へ向かった。扉の鍵は不用心にも開けっぱなしであり、中を覗き込んでみるが誰もいない。
落胆を後回しにして、今度は自分の部屋に向かった。いるとは期待していない。ただ、霞さんの携帯に電話して状況を聞こうと思ったのだ。
自室に入り、念のため室内を探してみるが、ここにも永久はいなかった。荒い息遣いの音だけが静寂の部屋に響く。
黒電話に近づくと受話器を取って回転板に指をかけた。黒電話特有のダイアル式操作がもどかしい。やっとコールが鳴ったかと思えば、
『――頼来、そっちはどうだった?』
彼女は出ると同時に尋ねてきた。余程焦っているのは今の様子からも、その質問からも分かる。彼女も見つけられていないのだ。
こちらの状況を聞くと、彼女は返す。
『自宅には行ったんだけど、玄関に鍵がかかってて……。呼びかけにも返事がなかったから、今は他の場所を捜してる。――だけど、これだけ捜しても見つからないのなら、やっぱり家にいるのかもしれないな』
つまり、居留守を使っているかもしれないのだ。ここでまた一つ、問題が増えた。居留守を使われたら、そこにいると確信できないではないか。
解決策も提示できず、とにかくまた連絡すると言って電話を切った。
結局、これだけ捜しても永久の居場所は手がかりも見つかっていない。
貴方は大きく息をついて、壁にもたれかかった。ずっと走りっぱなしで限界が近い。いまだに息は上がり、口の中は乾いて気持ち悪く、身体中に倦怠感が充満する。なのに心は相反して動けと命じる。時間が進むにつれて、焦燥感は強くなっていた。
(頼来、焦る気持ちは分かりますけど、少し落ち着いたらどうですの……?)
「んなこと、分かってるよ!」
貴方は声に出して叫ぶ。
分かっていても、どうしようもないのだ。
この状況は全く一緒だったから。
何も教えず、誰にも相談せず、姿を消してしまったあの子。
ここで動きを止めてしまえば、あの時と何も変わらない。
またいなくなった理由も分からず、二度と会えなくなるかもしれない。
そんなのは絶対に嫌だ。
絶対に、認められない。
貴方は壁に手をついて、もたれかかるのをおもむろにやめた。
(どうしますの? 頼来)
「もう一度……――そうだよ、リズ。お前、永久を観測できないか?」
(…………あ)
そうだった、その方法があるではないか。何故、こんなことに今まで気付かなかったのか。自分たちの馬鹿さ加減にそれぞれ呆れてしまう私たち。
(……観てきますわ)
言って、私は貴方から意識を外した。いつもの、冷たい暗闇に私は放り込まれる。
(永久、どこにいますの?)
私は間髪いれずに、強く永久の所に行きたいと願った。
(…………え?)
私は混乱した。
視界が変わっていない。
永久が何処か暗闇にいるのかと思ったが、永久の意識をどこにも感じない。
(観測……できない?)
何故?
何故、彼女を観測できない?
こんなこと一度もなかった。頼来を観測できなくなったことは一度だってないし、蒼猫の観測に失敗したことだってなかった。永久の観測だって、今までは全部成功していた。
何故、彼女を観測できなくなったのか、分からない。
それから、何度か試してみるが、成功はしなかった。
「……そっか。観られないか」
私が戻ってきて事情を説明すると、貴方は落ち着いてそう答えた。
まるで意外ではない様子だった。
(頼来……?)
「いや、そういうことだってあるだろ。体質なんだから、体調次第でできなくなっても不思議はないよな」
もっともらしいことを言うが、私は全然納得できなかった。
「それより、おかげで充分休めたよ」
貴方は口にして、自室をあとにした。
廊下を渡り玄関に戻ってくると、貴方は視界の端に人影をとらえた気がした。不意に立ち止まって視線を切ると、特徴のあるシルエット。一瞬、永久かと思ったが違う。
人影は蒼猫だった。彼女は俯き気味に、玄関広間の中心で佇んでいる。
貴方は彼女の様子に不審を抱きながらも、念のため尋ねた。
「蒼猫、永久は帰ってきてないよな?」
「……うん」
彼女はこちらを見もせずに首を振って、続けた。
「もう帰ってこないって」
「…………え?」
全身が粟立つのを感じる。
蒼猫の不審な様子も会話が噛み合っていないこともそうだが、彼女の言った言葉の意味が、貴方の心を揺さぶった。
「永久が、なんだって……?」
「電話で言ったんです、もうあえか荘には帰れないって。――それから」
蒼猫は苦しそうに、ぼつりぼつりと呟いた。
「私たちにはもう会えないって……そう、言ってました」
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