第二編 第五章 ④
「博は様々な薬の効果を確かめようとしていた。その内で分かっているのが、いわゆる早老症の治療薬だった。早老症というのは、文字通り早く老いてしまう病気でね。細胞という細胞の老化速度に異常をきたす病気なんだ」
欠落症などは関係なく一般的に存在する病気だと、景政さんは捕捉してから、
「先程、とある病気の人が集められたと話したけど、早老症の人のことだったんだよ。正確には、早老症のような体質を持った欠落者、だ。その症状に対してだけは、厳密に人を選んで集められていた。何故、そこまでしてそのような薬を試していたかだけど……」
「澄代――永久の母親のために、薬をつくろうとしていたんだろ?」
「……その通りだよ」
博さんは数年前に『プロトロゲン』という薬を開発した。それは妻である澄代さんのためのもの。彼は生涯をかけて、妻のために薬品開発を続けてきたと聞いている。そんな彼が法を犯してまで治験場をつくったというのなら、それは妻のため以外に考えられない。
「澄代は血が固まらないという体質以外に、細胞の老化速度の異常――早老症と似た体質を持っていたんだ。永久くんを産む直前に現出したらしい。身体が成長しきったあとだったから良かったけれど、その時点でも余命は幾ばくもないと診断されていたようだ」
「だから博は、薬の開発を急いでいたのか?」
「彼は法を犯す以外に道がないと、そう思ったんだろうね。試されていた薬は全部、澄代のためのものだったんじゃないかな。私人としては、私は感服するよ」
景政さんは目の前の信号の停止命令に従い、車をゆっくりと停止させる。
「さて、ここで頼来くんに質問だ。治験していた薬はどこで開発されていたと思う?」
「そりゃ……博の製薬会社だろ?」
彼女はバックミラー越しに頷いてみせた。
「それが一番厄介なところでね。治験場事件が明るみに出たらどうなると思う? 製薬会社は倒産に追い込まれるだろう。厳密には倒産はまぬがれて、他の製薬会社に吸収されるのだろうけど――違法に治験されていた薬は生産中止に追い込まれるはずだ」
「それの何が問題なんだ? だって、まだ早老症の薬は開発途中で……」
「『プロトロゲン』。君も知ってると思うけど、博がつくったとされる薬――これもね、違法治験場で治験されていた可能性が高いんだよ」
貴方は理解して息をのんだ。もし、事実として、何らかの違法性に関与していたとしたら、『プロトロゲン』という薬は生産中止、販売中止にされるかもしれない。
そうなったらどうなるか。
その薬を使用している世界中の人たちはどうなるのだろうか。
そんなもの、疑問に思う余地もない。
悲惨な結果しか、産まないではないか。
「まだ捜査中だから、事実は分からない。だけど、それを見越して動く必要はあった。だから私たちは、治験場の存在について報道規制を敷いたんだ。こんな大々的な事件を君が知らなかったのはそれが理由。また、口外しないでと言ったのも、これが理由だ」
景政さんはそこまで言うと、長い睫毛で瞬きをして、
「だいぶ、話が長くなってしまったね。これでようやく君の質問に」
途中、後ろからクラクションを鳴らされて、言葉を止めた。景政さんは信号が青に変わっていることに気付き、後方車に手をあげて謝ると、車を発進させて話を再開する。
「答えられる。永久くんを早々に施設に送ったのは、これらのことが分かっていたからなんだ。私たちはあの時点では、博は澄代を連れて警察から逃げたと考えていたんだよ。――だから私は、置いてかれた永久くんを放っておけなかった……」
両親が帰ってこないものと考えて行動していた、という予測は当たっていたらしい。
彼女は本当に永久を心配していたのだ。
私は彼女を見ていて、心裡さんが彼女のことを『頼来を思慮深くして、礼儀正しくしたような奴』と言っていたのを思い出した。
なるほど。確かに似ている。
困っている個人を最優先にするところなど全く同じだ。
「……話はここで終わりだね。病院が見えてきた」
フロントガラス越しに見えるのは、撫原医院の建物。定期的に塗り替えられた壁は異常に白く、清潔さと潔癖さを同時に表していた。
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