第二編 第二章 ②

 貴方がメルヴェイユのバックヤードに入ると、よく分からない状況になっていた。


「蒼猫先輩! 似合ってますよ! 素晴らしいです! 素敵です!!」


 ニャー先輩がちぎれんばかりに尻尾を振りながら、蒼猫を褒めちぎった。


「ええ、私の思った通りね」


 白雪さんは赤い髪と兎のような耳を揺らして、まるで自分の手柄だと言わんばかりに胸を張った。


「なかなか様になっているぞ、蒼猫」


 永久はテーブルに広げた本を押さえつつ、控えめに誉めた。


「えっと……ありがとうございます」


 蒼猫は満更でもないのか、頬を染めてそれ以上何も言わなかった。


 彼女は今、普段着ではなかった。

 ニャー先輩と同じ、メルヴェイユの制服――メイド服っぽいものを着ている。

 フリフリのフリルのスカートの上辺りから、青毛の尻尾を困ったようにふりふりした。


「……どういうことだ? これ」


 純粋な気持ちで貴方がそう尋ねると、


「分からないの?」「分からないのか?」「分かりませんか?」「あ、先輩!!」


 白雪さんと永久と蒼猫が信じられないものを見るようにして言った。

 ニャー先輩の反応が唯一の救いだ。

 彼女は尻尾をぶんぶん振りながらこちらに近づき、


「――あ! お客さん来ましたので、ニャーは行きますね!」


 言ってバックヤードを飛び出していった。


「……」

(救いがいなくなりましたわね)

「……俺はめげねえぞ」


 貴方は心を新たにして、三人に聞き返す。


「なんで蒼猫がここの制服着てるんだ?」

「そんなの、バイトするからに決まってます」

「……蒼猫が?」


 寝耳に水どころか、水をぶっかけられたような気持ちだ。


「ニャー先輩一人では大変ですよね? 兄さんが出られないのですから、代わりに私がやるしかありません。またニャー先輩に倒れられても困るのは私ですし」

「そりゃそうだろうし、すげえ助かるけど……」


 本当にいいのか? と貴方は言葉を失った。

 蒼猫は大人びているとはいえ、正真正銘の小学生だ。

 バイトができる年齢ではない。


 ――それ以前に、これは白雪さんの陰謀ではないのか。

 この間、永久を勧誘していたのを聞いているので、訝しんで白雪さんを見た。


「私から提案したわけじゃないわ。これは蒼猫の意志よ」

「……でも、小学生がバイトするのはまずいだろ?」


 正直な話をすれば、貴方は白雪さんに断って欲しかった。

 蒼猫に自分の肩代わりにバイトさせるのは、非常に気が引ける。小学生らしく、そんなこと気にせず、遊んでいればいいんだ――と、なんだか親になった気になる。

 しかし、白雪さんは首を振った。


「言ったでしょう? 頼来。私は基本的に人の厚意は受け入れるって」


 偉そうに胸の下で腕を組んで言う。


「法律なら気にしなくてもいいわよ。私は別にこの子を雇うつもりはないもの」

「ああ、そうでしたね。バイトじゃなくてただのお手伝いですよね」

「そうよ、蒼猫。貴女はなんの責任も負っていない立場。まるで私のようにね」

「あんたは一体何者なんだよ!!」

「店長よ!!」

「ここで言い切れるのはすげえな!?」


 この店、大丈夫か?

 貴方が脱力して肩を落としていると、永久が、


「君の気持ちも分かるが、蒼猫の気持ちを尊重するのも大切ではないか?」


 この中で一番大人の発言をした。

 貴方は彼女と目を合わせて、頷いた。

 蒼猫の気持ち、彼女の意志を汲んで尊重するのも大切なこと。実際、いい体験だろうし、蒼猫自身――彼女の望むことのはずだ。


 誰かに必要とされることが。


「分かったようね、頼来」

「ああ。もう止めねえよ」

「なら、貴方。蒼猫に言うことがあるんじゃないかしら?」


 言われて蒼猫を見ると、目が合った。

 確かに言い忘れていたことがあった。

 だから、何も隠さず貴方は言う。


「似合ってるぞ、蒼猫。可愛いな」

「…………」


 蒼猫が黙った。

 黙ってしまった彼女を見て、貴方は自分が何か失言したのかとうろたえる。


「どうした?」

「……い、今の流れは、お礼を言うところだと思うんですけど」


 ぷいっと身体の向きを変えて、そのまま歩き出す。


「ニャー先輩に仕事教えてもらってきます」

「行ってきなさい」


 白雪さんが寛大な態度で蒼猫を見送った。


 置いてけぼりにされた貴方は、ようやく自分がアホだったと気がついた。

 別にお礼を言わなかったことではなくて、


「いつまでぼうっと突っ立ってるのよ、シスコン」


 白雪さんに新たな口撃こうげきの種を与えたことを、貴方は深く後悔した。

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