第二章

第二編 第二章 ①

 ジリリリリ、とまるで目覚まし時計のような音が聞こえだしたのは休日の昼過ぎ。

 これは黒電話――民宿だった頃の名残――の呼び出し音だった。

 やかましく泣き続ける電話へと貴方は急ぐ。黒光りする受話器を取ると、


『ハロー、頼来』


 向こう側から名前も告げずに、気さくな挨拶が聞こえてきた。


「……心裡しんり、久しぶりだな」


 貴方は声だけで相手を特定して、声音低く言う。

 彼と貴方は永久と引き取った日から一度も顔を合わせていなかった。こちらから何度も電話をしてみたが、一度だって繋がったことはない。それを問い質そうと思ったのだが、


『この間、忙しいって言ったじゃないか。それより、永久の様子はどう?』


 先回りして答え、彼は続けて要点を尋ねてきた。


「……まあ、ぼちぼちじゃないか?」


 貴方は彼に合わせて余計な話をせずに、今日までの永久の様子を伝えた。

 あの最悪な出会いにより、一時はどうなるかと思ったが、今は何も問題なく暮らせていると思う。

 良好、と言えるほどではないが、問題は何もないだろう。

 今日などは、休日だからという理由で、永久と蒼猫は永久の自宅に行っている(ニャー先輩はバイトだ)。どうも永久の服を取ってくるつもりらしい。貴方は荷物持ちに行こうかと進言したのだが、二人に声を揃えて却下されてしまった。女の子の服を取りに行くのに、男がついてくるな、ということだろう。

 実に良好な関係だ。

 ……そう信じたい。


 話を終えるとすぐに笑い声が聞こえる。


「何、笑ってんだよ」

『この前、永久と会って、随分と君に懐いたものだと思ってたんだ。僕の予想通り、子供は子供同士分かり合えるみたいだね』


 また子供か。

 貴方は反論したくなるが、それはできなかった。事実、心裡さんは大学を出て起業した立派な大人だ。


「そんな簡単なもんじゃなかったけどな……」


 反論の代わりに、貴方は素直に感想を述べた。すると、またおかしそうに心裡さんは笑った。


『これなら心配ないね。永久を引き続き頼むよ』


 電話が古いためか、声が遠い。それでも心裡さんが重く言ったのは分かった。

 貴方は電話越しなのに頷いて、


「なんだよ、お前、このために電話してきたのか?」

『ん? 違う違う。今のはあくまでついで。この間、伝え忘れた話があってね。僕が今、何をしているのか、話してなかったでしょ?』


 心裡さんはそこで不自然に間を作った。

 多分、煙草だろう。


『君もレポートを見ただろうから、最近までホームレスの人間が行方不明になる事件が発生していたのは知ってるよね。それでちょっと忙しいんだよね、僕らは』


 心裡さんの団体は家を持たない人たちの支援を行っているのだ。だからその関係なのだろう。

 また、心裡さんは貴方がレポートを盗み見たことを察知している。

 だが、彼はそれを咎めるつもりはないらしく、話を進めた。


『詳しくは言えないんだけど、僕らは行方不明事件の調査とかを行っているんだよ。事件は全国各地で起きてるから、事務所を離れなきゃいけないんだよね』

「それで会社に誰もいなかったんだな」


 得心がいって心に余裕ができたからか、行方不明事件の話について疑問が生じる。というよりも、これはかねてからの疑問だ。

 だからずっと連絡しようとしていたのに、彼は電話を折り返すことすらしなかった。

 この機会を逃すと、また聞けなくなると思って、貴方はすぐに質問した。


「行方不明になっているのって、ホームレスの人だけじゃないんだよな? それなら」

『君は永久の両親もそうなんじゃないかって言いたいんだね?』


 心裡さんは貴方の言いたいことを要約して、


『でも、どうかな。行方不明なんて今時ざらだし。決めつけてかかるのは早計だよ、頼来』


 心裡さんは息をついて――紫煙でも吹かせたのか、


『君が心配する必要はないよ。大丈夫、警察はちゃんと二人を探しているからさ』


 その言葉に貴方は引っかかりを覚える。


「ホントに探してるのか? まだ見つけられてねえし、なんの連絡もねえし……」

『探しているのは本当だよ。連絡がないのは、進展がないからだろうね』


 心裡さんは言うと、『ああ、そうそう』とわざとらしく思い出したかのように、


『僕の友人にたちばな景政けいせいっていう刑事がいるんだけど、失踪者の捜索を担当していてね、永久の事情もよく知っているんだ。それで永久のこと、かなり心配しているみたいなんだ』


 彼が言うには永久を施設に預けようとしたのも、彼に任せたのもその景政さんらしい。

 警察の仕事の範疇を超えた行動からは、本当に永久を心配しているのが窺える。


『だから、捜査に進展がなくても、君たちのところを尋ねるかもしれないよ』

「どんな奴か知らないけど、ウチに来る余裕なんてあるのかよ」


 永久を心配してくれるのは嬉しいが、それよりも両親を捜し出して欲しい。


『余裕はなくても余計なことをするんだよねえ』


 心裡さんは笑い声を交えて言った。


『どんな奴かって言えば、そうだなあ、頼来を思慮深くして礼儀正しくしたような奴、かな』


 心裡さんの例えに貴方は、変な表現をする奴だな、と顔をしかめた。


(まったくですわね。今のでは頼来の欠片も残っていませんものね)

「人を馬鹿で礼儀知らずの塊みたいに言うのはやめろ」

(そう聞こえまして?)

「こいつ……」


 貴方が私の茶々を真に受けている間に心裡さんは、


『とりあえず、僕が今、君に言えるのはそれくらいだね。――あ、ごめん、頼来。呼ばれちゃったから、僕は仕事に戻るよ。永久によろしく言っといて』


 バイバイ――と、自分の言いたいことを言い切り、彼は唐突に電話も切った。

 貴方はツーツーと鳴り続ける受話器を見つめる。


(なんだか、嵐のような電話でしたわね)

「嵐どころか、台風だろ」


 耳に入る音がなくなり、慌ただしさが霧散した。台風の目に入ったようだ、と貴方は馬鹿な想像をする。それはつまり、また暴風の元に投げ出されるという予言に等しかった。


 ここ最近――いや、出会ってからというもの、あまりにも永久が平然とした様子だったためか、実感が沸きにくいが、もう一ヶ月も経っているのだ。

 もう一ヶ月も経つというのに、永久の両親は見つかっていない。


「台風が過ぎ去るのはいつになるんだろうな」


 受話器を降ろして、貴方は自分の馬鹿らしい考えをあざけった。


 ――と、同時に電話のベルが鳴った。

 貴方は驚いて、反射的に受話器を取る。


「はい、どちらさ」

『頼来、今から店に来なさい』

「……は? おい、白雪さ」


 既に電話は切れていた。

 もう一度、ツーツーと鳴り続ける受話器を見つめて貴方は思う。


「どいつもこいつも話を聞かない奴ばっかだな……」


 貴方は溜息をついて、受話器を置いて、台風に飛び込むのだった。

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