第一編 第四章 ⑧

 貴方は叔父さんの車――側にあったワンボックスカーである――に乗って、彼の運転でお祖母さんのところに向かった。

 目的地はここから電車の駅二つ離れたところにある喫茶店とのこと。

 そこで落ち合う予定らしい。

 本人が直接会いに来ればこと足りたように思えたのだが、あいにく用事があってこっちには来られなかったという。


 車内には沈黙が漂っていた。

 比較的大きい車で空間的には広いはずなのに、息苦しい。

 それもそのはず、叔父さんは変わらず最低限のことしかしゃべろうとせず、ただただ運転に集中しているからである。


 助手席に座る貴方は何げなくバックミラー越しに後部座席を見る。

 通常の車よりずっと広いように見えた。

 片側の席が外されてぽっかりと空間が空いている。

 何か荷物を置くためのスペースに見えるが、特に何も置かれてはいなかった。


「……ニャー先輩のことなんだけどさ」


 貴方はこのまま時間を無為にするのも嫌で、叔父さんに話しかけてみた。


「この前、あんたを避けて逃げたように見えたけど、間違ってないよな?」

「……そう、ですね」

「なんで避けてるか、聞いていいか?」


 叔父さんは前を向いたまま、黙って運転を続ける。

 息をのむような仕草を見て、答えを急ごうとしているような気がして、


「即答しろとか思ってないから。答えがまとまったら教えてくれ」

「……ありがとうございます」


 話していて分かったことだが、この人は極度に会話が苦手な様子だった。

 もしかしたら、見かけによらず臆病なのか、単に慎重に過ぎる性格なのかもしれない。

 しばらくして、ようやく考えがまとまったのか、叔父さんは口を開いた。


「貴方は、仁愛さんの出自について聞いていらっしゃいますか?」

「施設出身とか、大体のところは」

「では、私たちの家が欠落症の方を受け入れられなかったという話も?」

「知ってる」


 答える口調が無意識に鋭くなった。

 続けて、ふざけた家だよな、とでも言いそうになったが、流石にそれは自制しておいた。

 だが、代わりに出た言葉も似たようなものである。


「要するにあれか? あんたも欠落症の人間が嫌でニャー先輩を疎んだ奴だったから、ニャー先輩はあんたを避けたってことなのか?」

「……そう、かもしれません」


 頼りなさ気に同意を示す彼。

 片手でハンドルを操りながら、もう片手で腕時計を弄る。

 その癖はせめて運転中はやめて欲しいな、と貴方は盗み見して思う。


「……あんた、もしかして今も同じなのか? ニャー先輩のこと」

「いえ、そのようなことは」


 ここで叔父さんは初めて感情らしきものを見せてくれた。

 それほど、彼自身気にしていることだという証拠だし、本気でそう思っている証拠のようにも思える。


「……ただ、私が今何を言おうと、彼女にとっては変わらないかと思います」


 また静かな様子で続けた言葉。

 それを聞いて、貴方は思う。

 この人が過去にニャー先輩に対してどのような態度を取っていたのかは知らないし、知りたいとも思わない。

 けれど、この人はそれを悔やんでいるのではないか。

 だからこそ、きちんと現状を認識でき、かつ自分を非難しているような言葉が出てきたのかもしれない。


 抱いている不信は変わらないけれど、少なくとも印象はだいぶ変わってきた。


「分かった。とりあえず、納得はしたよ」


 貴方はドア窓のふちに肘をついて掌に顎を乗せる。

 得られた答えは前もって予想したものと違いはなかった。

 だから、当然、納得はいくのだ。

 話として不自然なところはない。


 ただ、どうしても気にかかることはある。

 この答えはニャー先輩という人を見ていないように思えてならない。

 ニャー先輩が人を避けて、会うのも避けて逃げる。

 そんなことをするような人には、どうしても思えないのだ。


 今まで見てきた彼女なら、どれだけ嫌いな人であっても――そんな人がいるという事実さえ信じられない――露骨に避けるような真似はしないように思える。


「……なんてな」

(急にどうしましたの?)


 貴方が不意に口の中で呟いた言葉に対して私は聞き返す。


「何考えてるんだろうって思ったんだよ」

(何って、別におかしなことはない気がしますけど?)


 貴方の考えは私としても理解できるものだった。

 こうやってずっと客観的に彼女を見てきた身としては、正しい推論に思える。


「そうかもしれないけどさ。――俺たち、ニャー先輩の何を知ってるんだろうな」


 ニャー先輩にだって嫌いな人間くらいはいるはずだし、逃げるくらいに嫌な人間だっていて当然なのだ。

 性格、なんていう曖昧な言葉でそれらの可能性を否定するなんて、自分勝手な話。

 言ってしまえば、ただの願望だ。


 彼女の抱えているものだって、最近まで一つも知らなかったのだから。

 知ったようなことを言う権利なんて、自分にありはしない。


(そうですわね――でも、ニャー先輩ですわよ?)

「…………そりゃ言えてる」


 見ての通りの性格であるとしか思えないのは彼女の人柄のせいだ。

 そう思うのも自分勝手なのかもしれない。


 ふと、ニャー先輩の様子が気になり、意味もなく窓の外を見た。

 久しぶりに見た晴れ間から、微かに色味を帯びた陽光が差し込んで来ていた。

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