第四章

第一編 第四章 ①

 豆電球を点けただけの薄暗い部屋に貴方たちはいた。

 七畳ほどの和室の中央には布団が敷かれ、そこにニャー先輩が仰向けに横たわっている。

 熱にうなされてか、彼女は閉じた瞼を微かに震わせて、絶えず熱い吐息をつき続けていた。

 暗がりでも分かるほど、顔色は悪い。

 真っ赤な頬には玉のような汗が浮かび、彼女の息遣いに揺られて時折雫となって伝い落ちていった。


(全然、目を覚ましませんわね)


 苦しそうな寝息を聞きながら、貴方は頷く。手元にあったハンドタオルで彼女の汗を軽く拭った。


 彼女が目の前で倒れてから、すでに数時間が経っていた。腕時計で確認すれば、午前二時半。たぶん、あと二時間もすれば、日が昇り始める。

 あえか荘の空き部屋まで運んで看病を続けているが、まだ目を覚まそうとはしてくれていない。


「一応、爺さんが診てくれたんだから大丈夫だとは思うけどな……」


 霞さんの伝手つてで、彼女の祖父であり医者である厳殻げんこうさんが回診に来てくれたのだ。

 眠ったままのニャー先輩を診察した結果、単なる疲労と栄養失調とのことだった。

 心配はいらないと彼は言って去ったのだが、貴方はそのまま看病を続けていた。


 ニャー先輩の様子は変わらなかった。

 高熱にうなされ、寝返りをうっては額のタオルを落としてしまう。

 また寝返りをうって仰向けになったところでタオルを乗せて、顔の汗をふいてあげた。


 何故、こんなになるまで、彼女は一人で頑張っていたのか。

 何度となく考えていた疑問だった。

 またそれに伴い、後悔も押し寄せてくる。

 気付いてあげられなかった――気付いていても、何もしなかったことが悔やまれた。

 知っていたはずなのに。

 こういう子が、こんな風に一人で何かを堪えようとする子が、いることを。


 考え事を続けていると、不意に視界の端でニャー先輩が身体を動かしたのが見えた。

 貴方ははっとして、ニャー先輩の動向を見守る。

 彼女は小さく呻くと、ゆっくりと瞳を開いた。

 そのままぼーっと天井を見上げて、ゆっくりと首を動かして、貴方を見上げた。


「……先輩?」

「ニャー先輩、起きたんだな」

「…………」


 彼女は一旦、首を戻して間をつくり、もう一度貴方を見て、


「先輩が何故ここに!?」


 身体をばっと起こした。


「まさか、ニャー、先輩と!?」


 あたふたと手を動かすニャー先輩。

 面白いのでいっそこのまま見ておこうかと貴方は思ったのだけれど、彼女の奇行は続かなかった。

 身体を起こすだけでなく立ち上がろうとして、彼女はふらりと身体を揺らすと、そのまま枕に頭をダイブさせた。


「うう……」


 ニャー先輩は熱そうな吐息を吐き出して、自分の身体の異変に戸惑った様子を見せる。


「ニャー先輩、寝ぼけているところ悪いけど、話聞けるか?」

「ふえ!? は、はい! 大丈夫です!! 覚えていませんけど覚悟してます!!」

「……」


 貴方はとりあえずニャー先輩に布団を掛けて、何があったかを説明し始めた。

 途中、彼女は「あ、だから、こんなに身体が熱いんですね」と納得したようだった。

 どういう誤解をしていたのか、貴方は考えたくもなかった。


 説明が終わると、ニャー先輩は大きく吐息をついた。肌に感じなくとも、熱さを感じるような、なまめかしい吐息だ。話が長くなってしまって、無理させたかもしれない。

 ニャー先輩は熱により潤を帯びた目で、枕元の貴方を見上げ、


「すみません、ご迷惑お掛けしたようで……」

「今更、そんなこと気にしなくていいから」


 彼女の熱い溜息を貴方は感じて、


「ホントに気にしなくていいから。まだ、起きてるの辛いだろ?」


 彼女は緩慢に首を振った。

 貴方は信じない。


「ニャー先輩は一人暮らしだよな。連絡しといた方がいい人っているか?」

「えっと……大丈夫です」


 彼女はためらうように間をつくって答えた。


「本当に? 両親とかには」

「お父さんもお母さんも、もういませんので……事故で亡くなったんです……」

「……そっか」


 考えてもいなかった答えに――いや、可能性としては、考えていたはずだ――貴方はばつの悪さを覚え、とっさに、


「じゃあ、祖母さんは? 優しいって言ってた、あの祖母さん」


 以前、ニャー先輩が嬉しそうに話していた祖母を挙げた。

 彼女は少しだけ表情を柔らかくして、


「……遠くに住んでいますから」


 そう言った自分の言葉に反応したのか、すぐに表情を曇らせて、


「心配させるだけになっちゃいますので……お祖母ちゃんを、心配させたくないです」


 辛そうに、彼女は続けた。

 潤んでいた瞳を閉じると、涙が一滴、横顔に流れた。


「分かった。じゃ、このまま寝てな」

「え……でも……」

「でもも何もないだろ。こんな状態で何するって言うんだ」

「……それは……はい……」


 彼女は隠すように小さく息をのんで、顎を引いた。


「とにかく、今は身体を休めろよ。あとのことは気にしなくていいから。な?」

「……ありがとう、ございます」


 ニャー先輩は目をつぶって、囁きのような小さな声で言った。


「あ、そうだ、荷物だけど」

「……」

「ニャー先輩?」


 貴方は彼女の顔を覗き込んだ。

 影をつくっても、彼女は反応しない。


(寝ちゃったみたいですわね)

「だな……」


 とりあえず、ニャー先輩の荷物と思われる寝袋とドラムバッグは一緒に持ってきていたが、他に何か見落としがあるかもしれない。

 そう伝えたかったのだけど、こんなことはあとで伝えても問題はないだろう。


 貴方は彼女を起こさないように、そろりと立ち上がった。

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