第一編 第二章 ③

 その日は結局、閉店までホールに出て、後片付けや掃除までする羽目になった。

 貴方は帰宅してから蒼猫や永久に事情を説明し、夕飯や入浴をすませてすぐに眠ってしまった。

 それだけ疲れていたのである。

 久しぶりというのが一番の要因だが、心構えが足りていなかったことも要因だ。

 まさかあそこまで客が来るようになっていたとは予想だにしなかった。

 それ以前に当日から働けと白雪さんに言われるとは思わなかった。


 ……そこはあの人の性格を鑑みれば予想できた気もするけれど。


 こうしてなんとかバイトをやり通した次の日だ。


「君は馬鹿か?」


 馬鹿にされた。

 目の前の永久が箸を手に、貴方を呆れた眼で見つめていた。


 今日は平日、今はお昼時、場所は学校の食堂だ。昼休みもあと半分ほどになっているためか、それほど混んでいない。

 貴方たちはまるテーブルを二人で使って、一緒に昼食を食べていた。


「馬鹿って、そりゃ安直かもしれないけど、値段は重要だろ」


 なんの話をしているかといえば、給湯器の話。昨夜はすぐに眠ってしまって、永久からあえか荘の工事についての話を聞いていなかったのだ。

 要約すれば、業者が用意した給湯器のリストから、何を買うか選べという話だった。


「もちろん、安いに越したことはない」


 永久はクッションとして貴方の言を肯定するが、しかし、言葉は続く。


「だが、何も考えず、一番安いものを買うなど愚の骨頂だろう。一体、なんのためにリスト化してくれると思っているのだ」

「……だったら、お前ならどう選ぶんだよ、永久」

「当然の話だが、まずは耐久年数を知りたいな。どれくらいの期間、正常に動くのか、もしくは保証期間などは知っておいた方がいいだろう。次に、使用量を鑑みるべきだな。湯をどれだけ使うか指標があれば、必要な給湯器の規模は限定できる。あと、給湯方法にはガスや電気、他にも灯油や石油があり……」

「分かった。俺が悪かった。ちゃんと考えるべきだよな」


 長くなりそうだったので、貴方は彼女の御高説を塞き止めた。もちろん、彼女の話が正しいと思った上でのことだ。

 貴方は、言葉をさえぎられてムッと口を尖らした永久に、


「本当に分かったって。いっそ、お前が選んでくれると助かるぞ」


 軽くおだてて機嫌を直そうと言ってみたら、


「……私が選んでもいいなら選んでみるぞ」


 永久はそもそも興味あったのか、そんなことを言ってくれる。


「では、数ヶ月分、できれば数年分の給水量を見せてもらえるか?」

「ああ――あ、昔のはたぶん、ウチにねえな」


 貴方は首を捻って、そういえば、と答えを見つける。


「心裡の事務所になら、確か全部あったはずだけど」

「なら、今日の帰りにでも取りに行くぞ、頼来」


 永久は自ら進んでそう言った。責任感が強い、というよりも、興味があるから、という意味合いが強そうだ。尻尾が二度振られたところを見るに。


「分かった。じゃあ、放課後な」


 約束を取り付けて、貴方たちは昼食を終えた。



 時間は流れて、放課後。

 貴方たちは連れ立って、心裡さんの事務所に向かった。


「そういや、今日の昼、かすみはどうしてたんだ?」


 道すがら、貴方は共通の友人の名前を挙げて、気になっていたことを今頃聞いてみた。


「お前、あいつと昼飯食べてるんじゃないのか?」

「彼女は……気にしなくていいぞ」

「なんだ、その歯に物が挟まった感じは」

「一言だけ言えるとすれば――彼女の名誉のために私は何も言わないのだよ」


 ますます分からないが、そこまで言うのであれば聞かないでおこうと貴方は頷いた。


 商店街を抜けて、雑居ビルが建ち並ぶ区画まで来て、


「――あ」


 貴方はふと思い出した。

 思い出して、持っていた鞄の中を漁り、目的の物を見つける。しわしわになった封筒を取り出した。


「なんだ? それは」


 隣を歩く永久が封筒を見つめながら尋ねてくる。


「これ? えっと、なんだったか……戸籍こせき謄本とうほん、か」


 一昨日、市役所でもらった書類の名前だが、貴方は急に心許こころもとなくなった。

 中身を取り出して確認するが、書類の名前は書いていない。そこには貴方の名前や本籍地、あとは亡くなった家族の名前が書かれているだけだ。


「戸籍情報が書かれているなら、戸籍謄本か戸籍抄本しょうほんのはずだぞ」


 永久は中身を見ようとはせず、貴方を見上げながら続ける。


「しかし、何故、そんなものを持っているのだ? パスポートでも取る気か?」

「心裡に頼まれたんだよ。仕事で必要になるかもしれないから取っておいてくれって」

「彼の頼みか……」


 永久は目を細めて口を真一文字に結ぶ。

 怪しんでいるらしい。


「別に今に始まったことじゃねえよ。――ほら、あいつの会社は一応、俺の後見人? だったはずだから、こういう書類が必要になったりするんだろ」

「正確には『未成年後見人』だな」

「そうそう、それ」


 難しい話は貴方も私も聞き流していたので分からない。要は『未成年後見人』は、両親を亡くした未成年の親代わりをしてくれる、と思っておけばいい、はずだ。


 貴方は六年前に両親を亡くしている。そのあと、祖父に引き取られ、民宿だったあえか荘で暮らし始めた。

 だが、一年という短い時間が過ぎ、高齢だった祖父が亡くなり、遺産としてあえか荘を代襲相続し、貴方はこうして今もそこで暮らしている。


 その頃に知り合ったのが、これから会うだろう御門心裡さんだ。


 彼は、NPO法人である団体『あるべき暮し』の代表だった。

 団体の主な仕事がホームレスや貧困層の人たちの支援だ。

 また、それだけではなく、貴方や蒼猫のように親がいなくなった未成年の『未成年後見人』となって、様々な支援をしてくれている。


 ……こう振り返ると大変世話になっているようだが、実際はどうだろう。

 団体はともかく、心裡さん個人は貴方に色々と厄介事を頼むことがあるのだ。


「心裡の団体が、君の法定代理人となっていたのだな」


 永久は初めて聞いたからか、そう繰り返すと、


「だとしても、疑わしいことに変わりはないぞ。そもそも、『未成年後見人』なら君の戸籍謄本は請求できるはずだ。それに用途が見当もつかない。戸籍謄本を使用する場面など、婚姻かパスポートの取得くらいだぞ? あとは相続関連か……」


 そういえば、役所でこれを貰う時、戸籍の全部か一部の情報どちらが欲しいか、選び忘れていて、職員の人に目的を聞かれたのを思い出す。

『パスポートをお取りになるのですか?』と言っていたので、理由としては多いのだろう。


「難しいことは分からねえけど、別に悪用できるもんじゃないんだろ?」

「できるにはできるが……彼の場合、堂々と証拠を残しはしないか」


 むう、と永久は唸る。どうやら、彼女は心裡さんのことをとことん信用していないようだ。正直なところ、信用とは程遠い人なのでフォローする気にもなれなかった。


「……うむ、考えすぎだな。だが、彼を信用しすぎない方がいいぞ? 頼来」

「大丈夫、そこはお前と同じだよ」


 ただ、貴方は心裡さんを信用してはいないが信頼してはいる。過程は信用できないが、結果は信頼できるという意味だ。結果は全ていい方向に導かれている、気はするから。


「それにしても、永久は色々知ってるよな」


 彼女は大の活字好きだった。

 あえか荘に来てから、彼女は四六時中読書をして過ごしていた。食事時以外、本や新聞を手放していることはない。

 それくらい読書が好きで、それゆえに知識があるのだろう。


「戸籍謄本とか、未成年後見人とか、よく知ってるな」

「そんなもの、人間なら誰でも知ってるぞ?」

「殊勝な奴…………じゃねえな、今、馬鹿にしたよな? せっかく、誉めたのに」

「ふんっ」


 永久が面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 誉められるのは好きじゃないのかもしれない。

 そうこう話している間に、目的地に着いていた。


 しかし……。


「誰もいねえ……」


 貴方は事務所の扉を捻って、鍵がかかっていることを確認すると嘆いた。


「事前に連絡すべきだったか」


 永久がエレベーターの扉に寄っかかりながら言った。


、彼らは忙しいようだな」


 まだ、というのは二週間前のことを言っているのだろう。その時も貴方は心裡さんを訪ねてここに来たのだが、事務所に人はいなかった。心裡さんの話では、仕事で全員外回りをしているらしい。


「でも、あいつもいないってのは……ん?」


 貴方はふと入り口の扉の横に設えられた、宅配ボックスに眼が向いた。

 宅配ボックスの扉に紙が貼ってある。

 気になって見てみると、こう書かれていた。


『今、忙しいから、勝手に持ってっていいよ by 心裡』


 宅配ボックスには鍵がかかっておらず、小判の封筒と大判の封筒が一つずつ。


 まず、大判の封筒を手に取って中を見る。

 そこには永久が求めていた、あえか荘の数年分の給水量などの資料が入っていた。

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