第一編 第一章 ⑤
それから、貴方は給湯器の配線を追ったり、ブレーカーを上げ下げしたりと試してみた。どうやら、本格的に壊れているっぽいことを確認してから母屋に戻る。
「あ、先輩。よかったです」
玄関の戸を開けると、ニャー先輩がいた。
当たり前だが服を着ている。
「ん、もう行くのか?」
傘を立てかけながら、貴方は彼女を見やる。正味、彼女がここに来てから三十分も経っていない。温泉で身体を温めるには充分だったかもしれないけれど、服はまだ完全に乾いていないのではないか?
疑問の通り、彼女の服は肌に張り付くように
「もう少しゆっくりしてもよかったんだぞ?」
貴方が心配そうに言うと、彼女は元気に尻尾を振って答える。
「すみません、これからバイトがあるのを思い出しまして」
「バイトって、メルヴェイユの?」
「はい!」
「そっか、なら仕方ないな」
貴方は頷きながら、メルヴェイユで知り合った従業員の顔を思い出し、
「みんな元気にしてる?」
尋ねられると、ニャー先輩の尻尾の動きが鈍くなった。
「……どうしたよ」
「えっとですね。実は最近、皆さん辞めてしまわれて……」
貴方はそれを聞いて、自分がそこでバイトをした切っ掛けを思い起こした。
「もしかしなくても、大変な状況?」
「――いえ! 大丈夫ですよ! ニャーが頑張りますので!!」
「……そんなだから」
貴方は最後まで言わなかった。
――そんなだから倒れていたんじゃないか?
――無理してるんじゃないのか?
その質問は彼女の頑張りを否定するようで、少しためらってしまった。
「先輩?」
「……なんでもない。頑張れよ、バイト」
「はい! 頑張ります!!」
ニャー先輩は猫のような愛らしい拳を握り、ガッツポーズをとった。
「あ、そういや、場所分かってなかったみたいだけど、一人で行けるか?」
貴方は靴を履こうと屈んでいる彼女に問い掛ける。
彼女はすっくと立ち上がり、
「大丈夫ですよ! 途中でどこかは分かりましたので!」
元気よく、勢いよく答えた。
こんな辺鄙なところに来てどこにいるか分かるのは少し不思議だったが、そうまで自信を持って答えるのだから嘘ということはないだろう。
「色々とありがとうございました、先輩!」
「いやいや、むしろ迷惑かけちまったよな」
「そんなことありません! すっごく助かりました!!」
そう言ってくれると、少しは気が晴れる。
挨拶もそこそこに彼女は母屋をあとにした。
貴方は玄関の戸を開けたまま、三和土の上に立って彼女の背中に目を向ける。
最後、敷地を出たところでニャー先輩は振り返って、また元気にお辞儀をした。
いつも見せてくれていた、あの笑顔で。
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