第一編 第一章 ④
貴方の疑問も虚しく、ニャー先輩の言うとおり、シャワーからは水しか出なかった。試しに他のシャワーも試すが結果は同じ。自室の台所でも同じく水しか出なかった。
「最悪……」
冬場には湯の出が悪くなることはあった。それは外気によりパイプなどが凍結して起こるものだ。今は春、理由は他にあるのだろう。
貴方は鬱々と悩むが、すぐに頭を切り換えた。給湯器などの故障であれば自分が何をしたところで意味はないのだ。当面の問題はニャー先輩をどうするか、である。
聞けば彼女はシャワーで頭から水を被ったらしい。まずお湯かどうか確かめろよ、と強く言いたいが、それはさておき。このままでは間違いなく風邪をひいてしまうだろう。
お湯、お湯、と何度もその言葉を思い浮かべているうちに、貴方の頭の中に妙案が浮かんできた。
ここには露天風呂があるのだが、そこで使われている湯は天然の鉱泉なのだ。
確かめると、露天風呂の湯船はちゃんと温かさを保っていた。当然と言えば当然、鉱泉は機械的に暖めて使うのではなく、冷やして使うのだから。
ニャー先輩には露天風呂で温まってもらうことにした。上がる時にシャワーで湯を落とすことになるが、温泉は保温効果も強いので水でも問題はあるまい。
彼女を露天風呂に残して、貴方は外に設置されているボイラーを確認しに向かった。
露天風呂の囲いの隅っこに設置されている業務用の給湯器。色はくすみ、ところどころ外装が剥がれ、一目で古いと分かるような代物である。
貴方は玄関から母屋を回り込んで向かうと、無骨で巨大な給湯器の傍に人影を認めた。つい先程も話していた蒼猫である。
「兄さん、給湯器動いてないみたいですよ」
蒼猫は貴方に目もくれず言うと、給湯器を見上げながら耳をぱたりと動かした。
言われて気づくが、給湯器特有の重低音が辺りに響いていない。また、蒼猫の様子を見るに、ニャー先輩と貴方の会話を聞いて誤解をといた模様。
「だから、どこでもお湯が出なかったんだな」
「うー、最悪ですね。お風呂、入れないじゃないですか」
彼女は綺麗好きなので、それが強く不満なのだろう。
「どうするんですか? 兄さん」
「どうするって、明日にでも連絡して」
「見てもらうなら、今すぐです。むしろ、私が今から連絡してきますね」
「……もう夕方なんだけど」
つけっぱなしだった防水の腕時計を見る。
秒針がシームレスに動いて十二の文字を超えると、ちょうど午後五時半になった。
貴方は腕を組んで眉をひそめた。
あえか荘の設備的なトラブルがあった時、いつも相談している不動産管理会社があるのだが、定時は午後五時だったはずだ。
ちらりと蒼猫に視線を送ると、ふくれっ面で彼女は催促してくる。そんなにシャワーを使えないのが嫌なのか。気持ちは分からないでもないけれど。
「……分かったよ。連絡してみてくれ」
貴方はかるく溜息をついて答えた。
「はい、分かりました」
蒼猫は満足げに頷いて、蒼い尻尾を揺らしながら歩いていった。そんな彼女を見ていると、わがままも可愛く思えてくるから不思議だ。
(頼来……貴方、本当に蒼猫には甘いですわね)
「うっせ」
自覚はしているのだ。それでも間違いではないと思うのは確信犯だろうか。
貴方はそんなことを思いながら、ふと手に持っていた傘に違和感を覚える。
いつの間にか雨がやんでいた。
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