ピロフィリア 1-2




「どうしたの」


 まだ何かあるのか、と振り返る。


「最近この先の林道で拡張工事が始まったの。普段は誰も通らない細くて荒れ放題の道だから終日通行止め。川へ行くには迂回しないと駄目だわ。真っ直ぐじゃ無理ね」

「うそぉ……」


 一体僕はどうやってここまで来たのか。

 本格的にスピードに乗ってブランコを漕ぐ少女は、涼やかな表情のままだ。


「迂回路を教えて。朝までに帰らないといけないんだ」

「この辺りは細い道や行き止まりが多いの。土地勘のない人が聞いたところで迷うだけ。絶対に無理ね。ガイドが必要だわ、ガイドが」

「ガイド? そんなのどこにも――」


 いないじゃないか。


 言おうとしたわずかな抗議は、小気味よい着地音で上書きされる。

 揺れの反動を利用して少女が勢いよくブランコから飛び降りたのだ。

 着地に合わせてふわりとスカートが舞う。ローファーに黒のソックスを合わせた細く頼りない脚は、見事に地面へ吸い付いた。


「私ならお役に立てるかもしれないわよ、迷子さん」


 少女は不敵な笑みを浮かべる。

 なるほど。

 しかし。


「不審者について行ったら危ないんじゃない?」


 度々疑われ、嘘つきの濡れ衣まで着せられた。心ばかりの反撃だった。


「ただの迷子なんでしょう? 泣きだす前にお家に帰すのが常識よ。知らないの?」


 挑発的な発言に、今夜二度目のため息を吐く。


 主を失ったブランコは未だ揺れたままだ。

 軋む音を携えて、ブランコを乗り捨てた主は僕の目の前へ進み、至近距離でじっとこちらを見つめる。


「……なに?」

「あなたの家族構成を教えてもらえるかしら? さっき、扶養者って言っていたから引っ掛かってたの」

「ああ。両親は僕が物心つく前に事故で死んだんだ。二歳、だったかな。で、今はものすごく遠い親戚の宮脇家で暮らしてる」

「あら。配慮が足りない質問をしてしまったわね。ごめんなさい」

「別に気にしないよ」

「そう。で、今は宮脇家の人達と一緒に暮らしているの?」

「いや。僕だけが森みたいに木々に囲まれた離れで暮らしてる。あまり好かれていないんでね」


 好かれていないのではなく、疎まれているのだ。と思いながら苦笑いする。


「じゃあ一人暮らしみたいなものなの?」

「ええと、そうだね。なんちゃってがつくけど一人暮らしかな。あちらは僕に干渉しないし、僕はあちらに干渉しない。生活費だけポストに入れてもらってる」


 深夜だからか、妙に饒舌な自分に驚く。

 別に隠す話でもないし、そこそこ知れ渡っている情報なので打ち明けても問題はないだろう。


「そんなお家でも、帰りたいんでしょう?」

「一応、帰りたいね。唯一の寝床でもあるし」

「ガイド、してほしいでしょう?」

「うん、まあ……」

「私がいなきゃ帰れないわよね?」

「そうかもね」

「私が必要よね?」

「た、確かに」

「ガイドをお願いします。はい復唱して」

「ガイドヲオネガイシマス」


 おかしな展開になってきたぞ。


「よろしい。……でも、タダでガイドを雇えると思う?」

「……は?」


 もしかしてカツアゲでもされるのだろうか。

 多分一円も持ってないので全く心配はない。


「ガイドをする私に、対価を支払ってくれないかしら。もちろんお金をむしり取るつもりはないわ。他の方法の対価よ」

「はいはい。で、お望みは?」


 何となく想像がついた。

 はち切れそうなボストンバッグ。

 深夜の公園に一人きり。

 もうこれはあれしかない。


「私を、あなたのお家に持ち帰って欲しいの」


 ほらきた。


「僕の家に?」

「ええ。私、家出してきたのよ。明日から暮らす場所も決まっていないの。このままじゃ野宿するしかないわ。だから、泊めて」


 初対面の見知らぬ男に、泊めてとのたまう度胸にだけは感服する。

 あまりに危険だと彼女は考えないのだろうか。

 僕に一般的な倫理観と道徳観が備わっていなければ、汚らしいボロ雑巾にされるだけなのに。


「もちろん、何もせずにだらだら暮らしたりはしないつもりよ。こう見えても一通りの家事は出来るわ。料理も洗濯も掃除も私がする。だから家政婦を雇うと思って、ね?」


 割と必死で泊めて欲しいらしい。


 彼女を連れ帰って、夜中にいきなり寝首をかかれる展開がもし、あったとしたら。

 前触れなく突然急所を刺すとか、毒を飲ませるとか、方法はいくらでもある。

 大して鍛えた身体でもないし、彼女の腕っぷしによっては勝機があるだろう。

 僕を仕留めれば離れに蓄えてあるわずかな額のお金が手に入る。換金できる物がどこかに眠っている可能性だって無きにしも非ずだ。


 有り得なくもない馬鹿な想像をしてみる。

 後日、腐乱した僕の遺体を発見した宮脇家の人々は、眉間にしわを寄せるに違いない。

 まだ僕は死ねない。今死ぬと迷惑だ。

 生きていても迷惑だけど。


「見ず知らずの人をいきなり泊めるのはちょっと、さぁ」

「……冷たいのね。このままだと私は夜の町を彷徨わなければならないわ。考えてみて。残酷な仕打ちだと思わない? もし私の身に何か起きたら、犯人が誰であろうと共犯者として真っ先にあなたの名前を挙げるんだから」


 今度は脅されているらしい。まったく、困った少女だ。


「君はとにかく、どんな手段を使っても僕のところに泊まりたいわけだ」

「そうよ。私はあなたの住むなんちゃってひとり暮らしの離れで生活したいの。個人情報も掴んでいるから保険もばっちりだもの。ねぇ? 身長百七十三センチのもやし体型で、夜浜町にお住いの宇臣高校一年生、宮脇ユイ君?」

「分かった分かった、もう折れるから。そのかわり、せめて名前くらいは教えてもらえない? 素性の知れない相手は泊められません」

「あら、言ってなかったかしら」

「残念ながら、僕は君のことを何一つ知らないです」


 本当は泊めたくないが、もう仕方がない。

 家政婦が一体どんな存在なのかいまいちピンとこないのも事実だ。だが、彼女が家事を担ってくれるのなら、薄汚い離れも少しは綺麗になるだろう。

 悪い条件ではない。


「そう。私の名前はくるみシノよ。年齢は十五歳。携帯番号は……教えてもかけられないから言わない。身長は百六十二センチ。体重は、そうね、あなたよりは軽いとだけ言っておくわ。これくらいでどうかしら。満足?」

「ご丁寧にどうも」


 名前が判明しただけでも収穫だ。やっと少女呼ばわりしないで済む。


「早くお家に帰りましょう。川まで案内するわ。そこから先はユイに交代ね」


 少女改めシノは静止したブランコへ近づき、そばにあった荷物を両肩に掛ける。

 ボストンバッグと学生カバンを持ち上げた時の腕のしなりで、相当重いのだと伝わった。


「荷物、持とうか?」


 ぐらぐらふらつきながら、数歩歩いたシノに提案する。


「じゃあボストンバッグをお願いしようかしら。重たいわよ」


 肩に食い込んでいた持ち手が、滑るように腕を落ちた。すかさず滑り落ちるそれを捕まえる。


「うわっ。こんなものよく持ってられたね。本当に重たい……」


 ずっしりと腕にかかる重量。十五キロ以上はあるかもしれない。

 女の子が簡単に持てる重さではない、かな。多分。

 何が入ってるんだ、これ。


「折れないでね、もやしさん」

「この程度ではいくらもやしでも折れません」

「意外だわ。もやしのくせに」


 もやし連呼にちょっとだけむっとする。

 学生カバンは持ってやるものか。


「さっさと行くよ」


 口をへの字にして、僕は公園の入り口へと歩き出した。

 すると早足でシノが追い越し、僕の前へ移動する。

 一度振り返り僕を確認してから「こっち」と道案内を開始した。


 道中何度か学生カバンを肩に掛け直しながら、シノは進んでいく。

 ずっと真っ直ぐ来た道を通り、漆喰の塀を過ぎたところで、更に細い路地へ右折した。


 住宅の間を蜘蛛くもの巣のように張り巡らされた、複雑な路地。

 大人二人が両腕を広げたら手のひらがぶつかってしまうだろう道幅だ。

 当然車はすれ違えない。


 シノは慣れた足取りですいすいと正しいらしい道を選んでいった。一人で行っていたら確実に迷子になっていただろう。

 途中汚らしい猫の集会現場を過ぎ、更に蜘蛛の巣の最深部へと突き進む。


 異変が起こったのは、十五分ほど歩いた頃だ。


 深夜にもかかわらず、明かりの漏れる住宅がちらほらと目につき始める。

 漆喰の塀を右折したあのあたりは光源と言えば月と街灯だけだったのに。

 何故なのか、と不思議に思いながらシノの後ろをついて行った。

 どうか夜更かしな人々に見つかりませんように。願いながら今度は左折だ。


「ユイ、あれ」


 左折してしばらく歩くと、僕の前でシノは肩にカバンを掛け直してから右上を指さした。


「え?」


 指された方向を見上げる。

 指先の夜空が、鮮やかな橙色だいだいいろに染まっていた。


「また燃えているのね。最近起きていなかったのに」


 シノは呟きながらも足を止めない。

 僕も置いていかれないように、橙色を捉えながらシノの後を追う。


「七件目、かな……」


 濃度を増す橙色に、僕の口からも短く言葉が漏れた。



 不可解な連続火災。


 四月の初めから七月の現在までに、夜浜町と富灘町で立て続けに火災が起こっているのだ。

 民家が燃えたり、ゴミ捨て場のゴミ袋が燃えたり、竹林や雑木林が焼けたりと、パターンは様々。

 発生する火災の多くが原因不明で、原因が判明しているものは、火の不始末や漏電ばかりだ。

 ゴミ捨て場のボヤ騒ぎを除いて、明らかな放火の可能性のある火災は一つもない。


 まるで祟りのようだと言う人まで出る始末で、実際御祓おはらいをしてもらった家もあると聞く。自治体も盛んに注意喚起をしているのだが、残念ながらまた燃えてしまったらしい。


「ねえ、シノ。あんまり人に会わない道がいいな」


 橙色からシノの背中へ視線を移す。


「私もこの時間帯には人と会いたくないわ。遠回りになるけれど、少しルートを変更するわね」


 左、右、左、左。

 ぐにゃぐにゃと道路を曲がり、迷路のゴールを目指した。

 シノがどうルート変更したのか僕には一切わからないが、そこからずっと僕ら以外の人物とは遭遇しなかった。


 遠くで橙色が揺らぐ。

 ようやく到着した消防車のサイレンが、住宅地に反響していた。



 サイレンを背に歩き続けた僕たちは、境界の川へと辿り着く。

 川と言っても自然に作られたものではなく、農業用の用水路だ。

 コンクリート製の三メートルほどの幅がある用水路。所々に同じくコンクリート製の橋がかかり、夜浜町と富灘町を繋いでいる。

 流れるのは枯草やゴミの浮かぶ濁った水だ。


「ここからはユイが道案内して」


 シノは橋の近くまで歩くと、立ち止まって僕に道を譲った。

 富灘町側は住宅が建ち並び、夜浜町側には農作物の植えられた畑が広がる。

 畑道の先には見覚えのある住宅がいくつか見えた。


「ここまで来たらもう知っているでしょう?」

「うん。行こう」


 今度は僕を先頭に二人だけの行進は続く。

 畑道を突っ切り、住宅地に進んで僕の居候している宮脇家へ。

 道路の幅はぐんと広くなったが、人気は無く、しんと静まり返った住宅地を無言で行く。

 肩に掛かったボストンバッグの重さにうんざりしながら、十五分。

 ようやく僕とシノは、宮脇邸の裏口へと到着したのだった。


 正面玄関の利用を許されているのは本宅の人々だけ。

 いつも僕だけが、こぢんまりとした裏口から出入りしている。

 漆喰しっくい豪奢ごうしゃな塀は一部凹んでおり、そこにかんぬき錠の掛かった小さな裏口があるのだ。


「ここだよ。ここが宮脇邸」

「大きなお屋敷ね」

「本宅は昔ながらの平屋の日本家屋。どうもそれなりの家柄らしくてね」

「見学したいけれど、見つかったらオシマイでしょう?」

「頼むから本宅へは近づかないで。本宅と離れは木々で隔てられてるんだけど、近づくのはまずいかも。近づかない限り見つからないはずだから」

「ええ。我慢するわ」


 シノは頷いて学生鞄を掛け直す。

 案の定かんぬき錠は外されており、僕達はすんなりと敷地へ入った。


 扉の内側にある錆だらけの壊れた南京錠も、鍵がささったまま雑草の生える地面に落ちていた。拾い上げてかんぬき錠に引っ掛け、森のように木々が鬱蒼と茂る敷地を進む。


 木々で遮られていた視界はすぐに開け、古びた離れが現れる。

 森の中の別荘、と例えると聞こえはいいが、何の変哲もない、薄汚れた一階建の家屋だ。


「あら、思っていたより大きい。立派ね、驚いたわ」

「築三十年くらい経っているから汚いよ。入ったらすぐ分かる」

「家なんて、住めたらいいのよ」


 案外シノは根性が座っているのかもしれない。

 住めたらいいなんて普通の女の子は言わないだろう。

 感心しながら玄関ドアに手を掛けた。


 離れの玄関ドアは鍵が壊れている。

 装飾の施されたガラス戸を開け、二人で玄関へ入った。


 埃が隅に固まって揺れている、古風で狭い玄関。

 木製の靴箱はあるが、何も入っていない。一足のスニーカーしか持たない僕には必要のない家具だった。

 多分、天井の四隅と同じように、中は蜘蛛の巣だらけだ。


「ようこそ僕のすみかへ。さ、上がって」


 玄関を見回していたシノを促す。

 僕が先に靴を脱いでフローリングの床に上がると「お邪魔します」とシノも続いた。


 さあ、もう寝てしまおう。明日も学校があるし、朝が早い。


 一度瞬きをすると、きっちりと揃えられたローファーが突然、ぐにゃりと歪んだ。

 次第に四肢から力が抜け、今にも倒れ込みそうな疲労感に大きなあくびがでる。


 畳み掛けるように強烈な睡魔が僕を襲った。

 ここまでの道のりで疲れ果てたのだろう。

 もともと体力のない貧弱体質なのだ。無理もない。


 シノにトイレとお風呂の場所を教え、家にあるものは適当に使っていいから、と伝えた。薄く笑んだシノを見た後、僕は寝室にしている部屋へ入る。


 靄のかかったおぼろげな意識の中で、シノが「寝るのね」と驚いていたのが印象に残っている。

 シノを置いて就寝の体勢を取った僕はそのまま意識を手放した。


 睡魔に蝕まれた意識に残るのはただ一つ。


 この瞬間から僕とシノの不可思議な同居生活が幕を開けたという事実だけだった。


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