タフェフィリア 4-3




 葬儀の翌日、犯人が逮捕された。


 報道があったのはちょうど昼休憩の頃だ。

 昼休みが始まって早々、教室に情報が充満する。

 僕はそれらに嫌気がさして机に伏せた。


 関わりたくない。

 聞きたくない。

 考えたくない。


 耳を塞ぎたくなる声のうずに、じっと耐えていた。

 築谷つくたに家殺害と放火の容疑で逮捕されたのは二十二歳の無職の男。


 金髪に、顔はピアスだらけで、服装はホストのようだという。

 以前から不審者として有名だった男は、ついに捕まった。


 名前は、くるみリツ。


 この辺り一帯でも、全国的にも珍しい名字だ。


「ねぇねぇ、知ってる? シュン君のお父さんって自殺してたんだって!」

「え、うそ。そうなの? だから葬儀の時にいなかったんだ」


 伏せていると、噂話に花を咲かせる女子生徒たちの会話が耳に入った。


「らしいよ。お父さんさ、すごーい起業家でバリバリ働いてて、かなり儲けてたんだって」

「へぇー。じゃあシュン君お金持ちだったんだ。……でも何で自殺したの?」

「それがさ、仲間に裏切られたとか不正をしたとかで会社潰れちゃってね。ウン千万の借金抱えることになって」

「うわぁ……」

「で、シュン君の将来をダメにしないために離婚。お父さんは借金被って東京に残って、お母さんとシュン君はこっちに帰ってきたんだって」

「で、で? いつ頃自殺したの? 離婚までは生きてたんでしょ?」

「えーとね、五月のゴールデンウィークくらいに、アパートで首吊ってたのが見つかったみたい。ほら、シュン君前後で学校休んでたし」

「意外だなぁ。全然気がつかなかったぁ!」

「私も私も! 晩御飯の時にうちのお母さんに聞いてびっくりしちゃった!」


 死者の過去を根掘り葉掘り調べて噂にするなんて、ナンセンスで下劣だ。

 彼女たちを軽蔑していると、今度は男子生徒たちの話声が耳に届いた。


くるみって珍しい名字だよな」

「だな。俺、初めて聞いた」

「でな、どっかで聞いたことあるなぁ、どこだったかなぁ、って考えてたんだよ。そしたらさ、中学校の同級生に、菓って苗字の女子がいたなぁって思い出してさ」

「マジ? もしかしてあっち側の関係者?」

「多分、妹じゃないか? 犯人の写真と感じ似てるし」

「うわ、その妹どんな感じだったんだよ。やっぱ不良? ヤンキー?」

「いや? 引き籠りだって聞いたし、ほとんど学校来てなかったしなぁ。……あ、そういやぁ一回だけ見たか」

「引き籠りなのに学校来るのかよ!」

「一回だけな、俺が見たのは。夏休み明けに一回だけ遭遇したんだよ。顔中あざだらけで腕は根性焼きまみれでさ、チョーキモかった! あれ絶対自分でやってるんだぜ? 美人だったから余計にヒクわぁー」

「タバコ吸ってるなら不良じゃん!」


 男子生徒たちは下品に笑う。

 今すぐ殴って黙らせたかった。

 じっと伏せたまま、こぶしを握りしめる。


 奥歯を噛み締めて、久しぶりに沸いた怒りに震えていた。

 シュンが欠けた教室に、僕の居場所はない。

 思い返してみれば、いつも話し掛けてくれるのはシュンだった。

 シュンが輪に誘ってくれていた。


 いてもいなくてもいい男子生徒。

 誰もが僕の存在を気にしないまま時間は経過していく。


 帰りたいなぁ。

 一刻も早く、帰らせてくれ。シノが待っているんだ。


 僕の居場所はシノの隣だけ。ここにはない。

 作る余地は既にない。

 自ら望んでこうなったのだ。

 諦めろ、ユイ。


 一命を取り留め、集中治療室のある病院に入院中のルカも、二度と戻ってこない。

 同級生の噂によれば、退学の方向で話が進んでいるらしい。

 頭を強く打ったため脳の損傷が激しく、普通の生活には戻れないだろうと医師が診断したそうだ。


 僕はルカに、死を願われた。


 二度と彼女と関わるつもりはない。

 顔も見たくないし、声も聞きたくない。

 あんな作り物の、舌足らずな声なんてまっぴら御免だ。


 きっと変わってしまった日常に戸惑っているだけ。

 それだけ。

 最初から手の中に無いものの喪失に戸惑い、嘆き悲しんでいる。

 ちっぽけな虚無感に浸って笑えないままこれまでの数日を過ごしていた。


 だけど、僕なんかよりずっとシノが心配だ。

 兄であろう人物の逮捕に心を痛めているに違いない。

 ラジオでも毎日ニュースは報じられている。

 もし、シノが聞いていたなら驚くに決まっている。


 今頃泣いているかもしれない。

 あまりの衝撃にパニックになっているかもしれない。

 心配だ。

 僕はシノの涙も、取り乱す姿も見たくない。僕が辛いから。


「お! また更新された! おい、見てみろよ。このサイト情報早くて助かるー!」

「ん? 犯人自供したのか?」

「えーとな、犯人は……」


 携帯電話で事件関係のサイトを見ながら話しているだろう男子生徒の声。

 真っ先に犯人逮捕の情報を教室にもたらしたのも彼らだ。


「あー。殺人をほのめかす証言をしてるが、内容に一貫性が欠け、支離滅裂……」

「なになに……。薬物を日常的に使用していた可能性があり、精神鑑定が必要と……」


 精神鑑定。

 その単語に、冷たい塊が背筋をなぞる。

 また、逃げられるのか。


「ウソだろー? 四人も殺しておいて精神鑑定って……」

「ま、四人も殺せる奴が正常なわけないよな、そりゃあ」

「うわ、しかも連続放火への関与も疑われるってよ。余罪を追及しているんだそうだ」

「あーあ、イカレ野郎にシュンは殺されたのかよ。虚しくなるな」

「目には目を歯には歯を、じゃないけどさ。こいつ、ミンチにしてやりてぇよ」

「死には死を?」

「もちろん。手足切り離して、腹えぐって顔潰してから、ミンチ」

「グロっ!」

「むしろこの程度じゃ足りないくらいだろ」

「まぁ……そうだな」


 こうして伏せていても後頭部に柔らかいものは押し付けられない。

 ゆーゆーと呼ばれることもない。

 おまけに彼氏が寄ってくることもない。


 全て失った。

 二人が欠けた日常は僕を狂わせる。


 頭を抱えていると、うるさい教室にチャイムが響いた。

 授業の開始を告げる合図と共に、僕は頭を無理やり持ち上げる。


 早退、したいなぁ。

 でもきっとシノは許してくれないよね。

 当たり前か。

 いっそここで舌を噛み切るべきかもしれない。


 いいや、ただ単に逃げ出したいだけだ。

 甘えるな、ユイ。


 一度大きくため息を吐いた。

 うじうじやっている間に、数学教師がもう壇上に立っている。

 早く終わってしまえ。

 よれよれのシャツを着た壮年の教師を密かに睨んだ。



*****



 犯人逮捕の報道があったからか。

 あるいは模倣犯もほうはんを恐れてか。


 帰路についた僕が夜浜駅で下車すると、駅周辺は様々な人で溢れていた。

 自転車置き場に向かう学生服の大群。

 制服姿の警察官。

 地域パトロール隊のおじさんやおばさん。

 ちらほらとカメラとマイクを持ったマスコミの人間も混じっている。


 上空からは唸るようなヘリコプターのプロペラ音が降り、田舎町の平穏を掻き乱す。

 駅の出口付近では、さっそく学生がインタビューの餌食にされていた。

 カメラを向けられた少年はにやけながら質問に答える。


 僕はマスコミを避けながら駅舎から出て、細道へ入った。

 地元民しか知らない裏道を駆使して帰路を急ぐ。

 いつもは使わない道順に多少難儀なんぎしながら住宅地を進んだ。


 ここならマスコミは知らない。

 その証拠に、細道には彼らの姿がなかった。

 彼ら以外の人物に出会うこともほとんどない。

 近所の腰の曲がったおじいさんとすれ違うくらいだ。


 上空のヘリコプターの騒音に不快感を覚えつつ、暗くなった町を歩いた。

 いつもより数分長く細道を歩くと漆喰の塀が見える。

 宮脇家の裏口に到着だ。

 敷地内へ入ると、変わらず壊れた南京錠が戸の近くに落ちていた。

 膝を折り、拾ってかんぬき錠に引っ掛ける。

 顔を上げると、濃い紫色に染まった森に、明かりの灯った離れが待っていてくれた。


「ただいま」


 玄関ドアを開ける。が、誰もいない。

 僕の声が情けなく玄関に広がっていく。

 シノの姿は見えない。


 台所からは、美味しそうで、でもどこかおどろおどろしい匂いが漏れていた。

 靴を揃えて廊下に立つ。

 わざと大きめに足音を立てて歩いてみるがシノは出てこない。

 諦めて洋室にカバンを置き捨てた。

 ここにもシノの姿はなく、僕は制服のまま台所へと向かう。


「シノー?」


 ガラスのはめられた引き戸を開け、名を呼ぶ。

 見えたのは、ポニーテールの後ろ姿だった。

 とんとんとん、と小気味よく包丁を動かし、髪が揺れる。

 コンロの上では鍋がぐつぐつと湯気を上げていた。


 テーブルには――


「シノ。帰ったよ」


 もう一度声をかけるが、振り向かない。

 一心不乱に緑色の野菜らしきものを刻んでいる。

 無視されているのかと思ったが、無視する理由がない。

 背後まで近づいてもう一度「シーノー」と呼んでみる。


 しかし三回目も反応はなかった。

 これならどうだ、と肩を叩き「シノ」ともう一度名を呼ぶ。


「ひゃっ!」


 軽く叩いたはずの方が大きく跳ね、シノは悲鳴を上げた。


「ユ、ユイ?」


 ようやく振り向く。


「うん。ただいま」


 振り向いたシノの目は酷く腫れていた。

 先日の赤黒い痣は薄くなり、元のきめ細やかな白い肌を取り戻しかけていたのに。

 今度は目がぼってりと腫れてしまった。

 泣いていたのだろうか。


「ご、ごめんなさい。夢中になっていて気がつかなかったわ。もうすぐ出来るから」

「いつもいつもありがとうございます。今日は一段と豪華だね」

「……食べてくれるでしょう?」

「食べるよ」


 それでシノの気が済むのなら。

 僕が笑うと、シノも目を細めて微笑んだ。


「今日はね、キノコの炊き込みご飯と、あさりのおみそ汁と、酢豚と、春巻きと、アジの南蛮漬けと、ゴーヤチャンプルーと、タンドリーチキンと、かぼちゃサラダと、パプリカと玉ねぎのマリネと、夏野菜の白和えを作ったの。ハンバーグとラタトゥイユももう出来上がるわ。それに、デザートにパイナップルのムースも冷蔵庫に冷やしているから、あとで食べましょう?」


 テーブルに並ぶ大量の皿を一瞥いちべつしてシノに笑いかける。


「楽しみだ。名前だけじゃ分からない料理は説明してもらえるよね?」

「もちろんよ! 教えてあげるわ」


 やけにテンションが高く、にこにこし過ぎている。

 午後から調理に没頭し、今に至るというところか。


「シノ、あのね――」


 僕の言葉をさえぎるようにシノはコンロの火を消した。


「さぁ、もう完成よ。早く着替えてこないと冷めちゃうんだから」

「え、ちょ……」


 笑顔のシノに背中を押されて台所から出される。


「ほら、早く着替えなきゃ」


 振り返るとシノはまだ笑っていた。


「……大丈夫?」


 静かに僕は問う。

 一瞬シノの表情が揺らぎ、すぐに戻った。


「全部食べてくれないと許さないんだから」


 呪いのような言葉に、僕は「うん」と笑顔で頷いた。



*****



 拷問染みた量の夕食は、僕の心身を苦しめる。

 どの料理も僕の胃袋に収まるのを待ち侘び、逃がしてくれない。


 全部食べてくれないと許さないんだから。


 シノの口から吐き出された呪詛じゅそに、僕は首を絞められた。

 ひたすら料理を口に運び「美味しいよ」を繰り返す行為は文字通り拷問に等しいものだっただろう。


 事件について一切触れず、僕たちは箸を動かした。

 量は異常だが、味はいつもと変わらずとても美味しい。


 数多くの料理の中でも酢豚は特に絶品ですぐに平らげてしまった。

 角切りの豚肉は、肉汁を感じるしっとりとした食感だった。

 シノ曰く、下味なるものが効いているらしい。

 赤色に黄色に緑色のピーマンとパプリカはしゃきしゃきと歯ごたえがよく、甘酢がまんべんなく絡まっていた。

 甘酸っぱく、食欲をそそるあんは光沢を放つ飴色だ。


 他にも、タンドリーチキンは香辛料で口の中がぴりぴりするのに、その刺激が病み付きになる。

 カリカリに焼かれた皮が好きだと言うと、シノは「変わってるのね」と苦笑した。


 こんなに食べ物を胃袋へ詰め込んだのは、生まれて初めてかもしれない。

 内心げっそりしながら吐き気を飲み込む。

 最終的に一時間以上テーブルと向き合い全てを食べ終えた。


「ごちそうさま」


 気持ち悪いくらい膨らんだ自分の腹を撫でつつ、シノに笑いかける。


「おそまつさまでした」


 微笑むシノが後片付けを開始するのを見届けて、台所から洋室へ移動した。

 ドアを閉めて、盛大にため息を吐く。

 いつもシノが使っているベッドに腰掛けて、再び腹をさすった。


「気持ち悪い……」


 シャツの襟を開いて、上から膨らみの正体を覗く。


「うわぁ……」


 飢餓に苦しむストリートチルドレンみたいな腹になっている。

 元々もやしであばらが浮いているため、余計に気持ち悪い見た目だ。

 しかも腹部には無数のケロイドが広がり、そこに更に膨らみが追加された。

 もう何だか、腹だけでB級ホラー映画に出てくる化け物みたいだった。


「まぁ、でも、これでよかったんだよね」


 疑いは未だ疑いのまま。

 事件については話せていない。


 菓リツが一体何者なのかは謎のままだ。

 しかし、シノのあの態度が真実を物語っている。

 確証もないまま夜は更けていくのだろう。


 よし、風呂に湯を張ろう。

 考えていたって解決しないのだから。

 そう思って立ち上がり、ふと気がついた。


 部屋からラジオがなくなっている。

 あまりに残酷な事実を垂れ流した罰が下った、のかな。

 存在感を放っていた黒い旧式ラジオは忽然と姿を消していた。


 これで僕たちは下らない俗世間から隔絶された。

 二人だけの空間に下世話な情報はいらない。


 もうこれで邪魔されないのだ。

 馬鹿みたいに爽やかな気分で風呂場へ向かった。

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