ゼロフィリア 2-6




 夕食への妄想が膨らみきった二時間後。

 課題も片付き、後はシュンを待つのみの状態となる。


 閉館間際の図書室からは一人また一人と生徒が去っていく。

 まだかなぁ、あ、あの人……違った。


 なんてことを繰り返して十分。

 浅黒い肌に長身の男子生徒がドアを開けた。

 目を凝らして確認する。

 よし、間違いない。シュンだ。


 待ちに待った人物の登場に、ようやく任務がこなせるぞ、と肩の荷が下りる。

 さっと顔をそむけ、広げていた教科書をカバンに詰め込む。

 司書のおばさんと楽しそうに会話をするシュンを横目で見つつ、鞄を肩に掛けた。


 本棚に身を隠しつつ、確実に距離を縮めていく。

 本を返却し終わったシュンが出口へ向かおうとした瞬間、僕は一気に距離を詰めた。


「シュン」


 自然な流れを装って名前を呼ぶ。


「ん?」


 振り返るシュンの目が僕を捉えた。


「ああ、ユイか。珍しいな、こんなところで会うなんて」


 爽やかに笑うシュン。真似できないなぁ。


「部活終わり?」

「おう。大急ぎで着替えて飛んできた」


 大きな肩掛けカバンに、濡れたままの髪。今日は水泳部かな。


「へえ。本好きなの? ちょっと意外だな」

「好きっていうか、読んでないと死ぬ、みたいな?」

「死ぬのかよ」


 シュンはからから笑う。

 僕は笑い声に合わせて口角を上げた。


「大袈裟過ぎか。だな。ま、好きなんだろうよ。物語には終わりがある。バッドでもデッドでも、必ずな。人間の人生と違ってだらだら続かないですっぱり終わるんだ。すげぇ好きなんだよそういうの」

「ふーん」


 少しだけ共感させられる話だった。

 物語は必ず終わる。

 僕の無駄に続く人生とは違って。

 終わってしまうものには価値がある。

 僕の命とは違って。


「ユイは勉強か?」

「まあね」

「真面目ちゃんだな」

「文武両道のお手本みたいな奴に言われたくないよ」


 シュンが言うと、皮肉にしか聞こえないんだ。

 悪意はないのだろうけど。


「え? 俺出来る子なの? マジ? ……なんちゃって!」


 一人で笑い転げるシュンを司書さんがじっと見ていた。

 図書室では大声は厳禁だ。

 よし、本題に入ろう。


「ペンケース、机の上に置きっ放しだったよ。帰る前に取りに行けば?」

「うわ、マジ? 入れたと思ってたんだけどなぁ」


 まんまと引っ掛かったシュンはカバンを肩から外して、中を探り始めた。

 まずいぞ。


「……あれ? 入ってる。何でだ?」


 中を探っていた右手には透明のペンケースがが握られていた。

 ルカ、詰めが甘いよ。しくじったじゃないか。


「あー、えーと、そのさ、見間違い?」


 苦笑いの僕を、シュンは訝しげに見つめる。

 左手を腰に当てて眉間にしわを寄せた後、目を細めながら言い放った。


「ルカだな? ルカだろ。なあ、ユイちゃん?」


 さすが彼氏。勘が鋭い。

 僕が騙そうとしたのだから、ここはちゃん呼びも許せる。

 根には持つけど。


「まあ、うん。頼まれたよね、連れてこいって」

「ずっと待ち伏せさせられてたのか?」

「二時間ほど」

「お前、断れよ。受けたらダメなやつだぞ?」

「……察して」


 ルカは敵に回したくないんだ。

 彼氏なら知っているはずの数多の事象に、今一度目を向けて欲しい。


「……あぁー、察するわ。気の毒になるくらいにな。一緒に行くか」

「連れて来いって頼まれたから、僕も行かないと角生えるよね」

「生えるな。行くぞ」


 苦い顔のまま頷く。

 謎の団結力が発揮され、僕達は二人で図書館を出た。


「ったく。どうしてこうセコい手を思いつくかな、あいつは」


 三階へと階段を昇りながら、シュンは愚痴をこぼす。

 一応シュンは連れてきた。

 運命云々の任務は失敗してしまったが、最低限のノルマは達成している。

 後は彼氏に丸く収めてもらおう。


「次頼まれたら断っとけよ? 味を占めると永遠に繰り返すからな、あいつ」

「次は逃げるよ。二時間も拘束されるのはもう懲り懲りだ」

「彼氏やってても毎回あきれるわぁ。玄関で待ってろって言ったのに守らないんだもんな。置いてくぞ」


 苛立ちながら、三階まで階段を上りきった。

 人気のない静かな廊下を行き、ルカがいるC組の教室前まで進む。


 教室のドアを通過すると、案の定――


「あぁーっ! しゅーたん!」


 溌剌としたルカの声が廊下に響いた。

 教室から駆け寄ってくるルカは元気いっぱいに目を輝かせている。

 光る目玉焼きはどうにもおどろおどろしかった。


 それにしても、さも偶然居合わせたていでの登場だ。

 演技が自然すぎて逆に痛々しい。

 どうやらルカは、僕の失敗を予想していないらしい。


「ルカぁー。玄関で待ってろって言ったよな? 何でまだ教室にいるんだよ」

「えーとねぇ、忘れ物を取りに来たの! しゅーたんこそどうしたのぉ? あ! まさかるったんと一緒で忘れ物してたり!?」

「の、つもりだったんだけどな。ユイがペンケースが置いたままになってたっつーから」


 彼氏、上手い上手い。


「うそーぉん! しゅーたんったらおっちょこちょい! でもでも、二人揃って忘れ物して出会うっちゃうなんて奇跡だよね? 運命だよね? きゃー! るったんとしゅーたんったら運命の赤い糸で結ばれまくり! ぐるんぐるんのがんじがらめだよ!」


 大袈裟な身振り手振りと舌足らずな声。

 滑稽だった。


「……ルカ」

「なぁに?」

「バレてるぞ」

「へ? え?」


 円舞曲の終焉に、目玉焼きみたいな目が大きく見開かれた。


「ユイに言われて鞄の中を探したんだよ。そしたら出てきた」


 ことの顛末に、ルカは険悪な目つきで初めて僕を見た。


「やーん、ゆーゆーったらどじっ子なの? 最悪ぅー!」


 わざとらしく頬を膨らませて僕に抗議する。


「僕じゃなくてルカの詰めが甘かったんだって。知らないよ」


 こっちは被害者だ。二時間も拘束しておいてよくもまあ。


「あのなぁ、こんな小細工しなくても俺は逃げたりしないからな?」


 シュンは説教モードに移行する。

 僕の言葉より彼氏からのお叱りの方がずっと効果的だ。


「だってだって、今日はお泊りの日なんだよ? 二人きりで過ごせる日なんだよ!? 運命感じて愛に燃え上って欲しかったの! しゅーたんのお家の人が誰もいない記念日なんだよ! こんなチャンス滅多にないんだからぁ!」

「朝からこっちはずっと燃え上がってるって。余計なことし過ぎると逆に冷めるぞ」

「しゅーたんはめらめらしてなきゃヤダ!」

「なら二度とするな。ユイを巻き込むな。分かったな?」


 ぴしゃり、だ。流石のルカも肩を竦める。


「……はぁーい」


 口をとがらせながら、二人の約束が成立した。

 納得していない声色だが、果たして今後どうなるやら。


「ユイを二時間も拘束したんだよな?」

「うん」

「迷惑かけたって思うよな?」

「でもでも! ゆーゆーはるったんのお願い、喜んで聞いてくれたんだよ? るったん悪くないもん!」


 握り締めた両手を振り回すルカに、げんこつが落ちる。

 ごん。と気分の晴れる音がした。


「いったぁーい!」


 結構な威力のげんこつに、頭を押さえてルカは涙目になる。


「言い訳は認めないからな? ユイに二時間分の給料払ってやれ。あと謝れ」

「えぇー、ゆーゆーにぃ?」

「ユイに」


 ややこしくなってきた話に、僕は割って入る。


「いや、僕は別に給料とか謝罪とかはいらないんだけど……」

「はっきりしておかないと、繰り返されたらお前だって迷惑だろ」


 角が生えたのはシュンだった。ああ、恐ろしや。

 きつく睨まれて身体が縮こまってしまいそうだ。


「うん、まあ、シュンがそこまで言うなら、今回だけは受け取っておこう、かな。あはは……」

「よし決まり! 三人でコンビニ行くぞ、コンビニ」

「うぅー、コンビニでるったんが奢るの?」

「ああ。俺んちの近くのコンビニで、ユイに奢って終わり。解散、撤収。ユイも同じ方向だし行けるだろ?」


 僕は早く帰りたいんだけどなぁ。取り敢えず乗っかっておくか。


「もう奢りとか何でも構わないから、さっさと駅行かない? 急がないと間に合わないし」


 とんだ茶番に付き合わされてしまった。うんざりだよ。



*****



 そして。

 腕組みしたルカとシュンと共に僕は汽車に揺られ、同じ夜浜駅で下車する。

 三人で駅から少し離れたコンビニへ入り、品物を物色した。


 悩んだふりをしつつ、ルカにミント味のガムを頼むと、値段を見て快くレジへ持っていった。

 ついでにと、カップ入りのパフェを手に取る。

 シノにあげようと思ったのだ。

 見つからないようにこっそりレジへ向かうも、しっかり発見され「ゆーゆーが甘いもの好きなんて意外ー!」とルカに小馬鹿にされた。


 ちなみにこの時、ガムと一緒にしれっと避妊具を買っていたのを見て、複雑な心持になったりしたのだった。

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