ゼロフィリア 2-4
オープンサンドにブラックコーヒー。
シノと出会って二度目の朝食メニューだ。
オープンサンドとはどうやらサンドイッチの類らしいが、見た目は全く異なる。
コンビニで販売されているような、べっちゃりと潰れた安っぽいそれとは別物だ。
色彩豊かな具材がトーストの上に乗った知らない食べ物。
カーテンやクッションの柄にありそうな色味である。
まるで、現代美術の作品を見ているかのような錯覚に
二等分されたトーストには、それぞれ異なる食材が乗せられている。
一つはスライスしたゆで卵と、アボカドなるものと、焼かれたベーコン。
もう一つは、リンゴとみかんとキウイのフルーツ責め。
シノの説明を聞きながら味を想像してみるが、これがなかなか難しい。
オープンサンドという名称も知らなかったし、アボカドが野菜なのかフルーツなのかも知らないからだ。
まあ、間違いなく不味くはないと思うけれど、味は未知数だった。
上手く食べないと、こぼしてしまいそうだ。
今回はフォークとナイフがないので手で食べるものなのだろう。
「ユイったらぎりぎりまで寝ているんだもの。手早く食べられるものが忙しい朝には最適でしょう?」
「べしゃべ、じゃなかった。ベシャメルソースに続いて衝撃的な食べ物だけどね」
具材の説明を受けてから、僕はシノと向かい合って座った。
深夜、お風呂から出てきた時の水色のパジャマ姿は既にない。
胸元のリボンがファンシーで結構可愛かったのに。
まあ、夜になったらまた見られるからいいや。
普段私服にしているらしい制服姿もしっくりくるしね。
宇臣高校の夏制服の僕も、シノも長袖だ。二人揃って露出は好まないらしい。
あ、シノはスカート短いけどさ。
「お弁当、忘れないでね」
「せっかく作ってもらったし、ちゃんと持っていくよ」
テーブルの隅には、青いモダンな手ぬぐいで覆われた弁当箱があった。
有難いことにシノが作ってくれた昼食だ。忘れるなんて許されない。
だってきっと、彼女を傷つけてしまうから。
「いただきます」
慣れない台詞のあと、オープンサンドに手を伸ばす。
まずはアボカドの緑が目立つ方を、崩さないよう慎重に持ち上げた。
「あ、食べる前に質問なんだけど」
「何かしら」
「この緑色のアボカドって、野菜なの? 果物なの?」
「アボカドは野菜ね。甘くはないわよ。味は、そうね……クリーミーと例える人が多いわ」
「ふーん。メロンかきゅうりの親戚かと思ったよ」
「食べたことないのね、アボカド」
「うん。存在すら知らなかった」
確認を終えると、僕は大きく口を開けて、オープンサンドへがぶりと噛みついた。
アボカドの緑に玉子の白と黄色。
ベーコンの赤茶。
三種類の具材が折り重なり、上にはマヨネーズが曲線を描いている。
縦長の形はちょうど口に入りやすいサイズだった。
歯を立てれば、具材の乗った食パンがばりり、と鳴る。
噛めば噛むほどいくつもの複雑な食感が混ざり合って、僕は混乱した。
形容し難い味と食感だ。
玉子も感じられるし、ベーコンも塩気が効いていて存在を誇張している。
しかし、例のアボカドは味らしき味がない。
いや、あるにはあるのだが、形容し難いとしか言えなかった。
固まったバターやマーガリンをそのまま食べているみたいだ。
これを世の人々はクリーミーと表現するのか。
へぇ。
単体で食べるのは厳しいし、遠慮願いたい。
でも、こうして他のものと合わせると見事に調和がとれている。
つなぎ役として秀逸な野菜なのかも。
複数の食感をまとめ、更に引き立てる仲介者。
しっかりすべてを感じられるのはアボカドの成せる技なのかもしれない。
美味しいも不味いも判断がつく人間ではない。だが、これは多分――
「初めて食べたけど、美味しいね。朝にはいいかも、これ」
口の中を空にしてすぐ、僕は感想を述べた。
料理研究家みたいな詳しい批評は無理でも、美味しい、だけなら僕にも伝えられる。
「本当に?」
「本当に」
「本当に本当に、美味しいって思ってる?」
「本当に本当に思ってるよ」
昨日の怯えた目はどこかへ行ってしまったが、
「……しつこいわよね、私。美味しいって言葉をもらうと、不安になってしまうの。好意に慣れていなくて――」
徐々に俯いてしまい、聞き取れない声で何かを呟く。
照れているのか。あるいはまた、怯えさせた?
シノの感情の起伏が未だに掴めず、困惑する。
地雷と合わせてかなり厄介だ。
同居人との確執はお断りなんだけどなぁ。
「全部、食べてくれる?」
「食べるよ」
ほんの少し顔が上がり、お願いをしてくる。
断る理由もないので取り敢えず、手に持ったままのオープンサンドに再び噛り付いた。
だんだんとアボカドの特徴的な味にも慣れていき、最後の一口では名残惜しさすら感じる。癖になる独特の野菜だった。
さて、お次はフルーツの乗った一切れだ。
輪切りにされたみかんとキウイが敷き詰められ、その間をリンゴが埋める。
花や星の形に成形されたリンゴが模様のアクセントになっていた。
食パンの上にはシノ曰く、クリームチーズなる白いものが塗ってあるらしい。
手に取って口に近づけると、甘酸っぱい匂いがした。
絵画を食べるみたいだ。作品を壊してしまうのがもったいない。
しかし熱い眼差しが注がれている以上食べなければならないだろう。
躊躇いなく、僕は絵画を噛みちぎった。
すると口の中いっぱいに爽やかな酸味が広がる。
しっとりとした歯触りに重なるのはそれぞれのフルーツの甘味だ。
しゃりしゃりのリンゴと、甘酸っぱくみずみずしいキウイとみかん。
濃いチーズの味が主役たちの味わいをより一層強め、爽快感と共に濃くふくよかな糖度を感じさせる。
口どけはケーキなどのお菓子に近い。
朝からお菓子とは贅沢な朝食だ。
きっとおしゃれな料理本なんかにはレシピが乗っているのだろう。
「甘いものは嫌い?」
「いいや? 嫌いじゃないよ。ただ一人では食べないだけ」
「そう……男の人は甘いものが苦手って聞くから、その」
「僕は違うかな。こっちも普通に美味しいと思うし」
どちらかを選ぶなら、フルーツを取る。
見た目も綺麗だし、味も楽しかったから。
「本当?」
「うん。シノも食べてよ。そしたら分かるからさ」
昨日と同じくライオン状態になっていたので、シノを誘う。
すると、オープンサンドを手にしてはにかんだ。
「……いただきます」
小さな口が、食パンの端を齧る。
食べ終えるまでには時間がかかりそうだ。
主食のパン、野菜であるアボカド。
玉子にベーコン。
フルーツとチーズ。
朝食の
二人とも無言のまま、全てを胃に収める。
「ごちそうさま」
コーヒーも飲みほしてやっぱり慣れない言葉を使った。
慣れない。
でも、悪くない。
そんな風に考えながら、後片付けをするシノを置いて台所を出た。
役立たずは退散するに限るしね。
*****
げらげらと下品な馬鹿笑いが教室に響く。
何がどう面白いのか見当もつかないが同調して口角を上げた。
先日の火災の犯人として怪しまれる先輩への陰口。
課題を大量に出した数学教師への嫌み。
二つ隣のクラスの可愛い女の子の話。
朝から目まぐるしく話題は変わり、相槌には困らない。
うん、そうだね。だけで僕は仲間として受け入れられる。
いてもいなくてもいいユイ少年は誰にも嫌われず妬まれず、同級生たちの作り上げた枠に収まっていた。
昼休憩になると、女子生徒は机を寄せ合って昼食を摂り、男子生徒は集まったり散ったりしながら各々弁当や購買のパンを口にする。
僕は一人席に座って、朝忘れずにカバンの中に入れた弁当箱を取り出した。
モダン柄の手ぬぐいをほどいて楕円形の弁当箱を開ける。
どうしてか、宝箱を開けるような高揚感があった。
のりを纏ったおにぎりが二つと、品数が多いだろうと思われるおかず達。
朝のオープンサンドを彷彿とさせる彩りとしばらく見つめ合っていた。
気が済むまで見つめたあと、箸箱を手に持つ。
「あれ?」
すると、弁当箱の下敷きになっていた紙切れが姿を現した。
二つ折りにされたそれを引っ張り、広げる。
青い花の散りばめられたメモ用紙だ。
メモ用紙には整った字で弁当の内容が書かれていた。
照り焼きチキン。
オクラのベーコン巻。
卵焼き。
プチトマト。
ウインナーとピーマンの炒め物。
箇条書きのメモ用紙と、弁当の中身を照らし合わせてみる。
料理を知らない僕にも、取り敢えずすべて照合できた。
昨日はトマト味だった鶏肉が今日は照り焼きだ。
味の変化に期待して、箸を持つ。瞬間、急に教室が静かになった気がした。
ここでは恥ずかしいので、いただきますはやめておこう。
さて、まずはどこから攻めようか。
考え抜いた末に照り焼きチキンを口に放り込む。
ぱりぱりの皮に、甘辛い味付け。
無性にご飯が食べたくなって、次はおにぎりを頬張る。
緑色の野菜らしき何かが混ぜ込まれたおにぎり。
塩気を感じるおにぎりは甘辛い味を中和する。
ぎっちりと詰まった弁当箱に少しだけ空間が開く。
その隙間が何故か悲しくて、愉快だった。
早く空にしてしまいたい。
早く中身を食べ終えてしまいたい。
でも、無くなってしまうのは寂しい。いっそ、もっとゆっくり食べるべきかな。
たかが弁当に葛藤を抱きつつ、次は卵焼きに箸を付ける。
ほんのりと甘みを感じて、シノはこっち派なのかと知った。
塩派と砂糖派がいるらしいのは僕も認識していたが、どうやらシノは砂糖派だ。
僕自身はどちらでもないので、美味しくいただくだけで終わりだけど。
照り焼きと卵焼きからもらった勢いは止まらずに、僕は次々におかずを口に運んでいく。
輪切りのウインナーとピーマンの炒め物は赤い輪っかが混じっていて、少し辛かった。
オクラのベーコン巻はねっとりとした食感が新鮮で面白い。
全体的に肉が多めだったのは、男の子は肉を好む
ものの十分程度で弁当箱は空になった。
帰ったら絶対に「美味しかった?」と聞かれる気がするので味の感想を用意しておこう。
弁当箱を手ぬぐいで包んだ後、ふと思いつく。
この弁当箱はどこから出てきたものなのだろうか。
この手ぬぐいはどこにしまってあったものなのだろうか。
まさかどちらも戸棚や物置から?
しかしそれにしては色褪せていないし、古さも感じない。
新品同様のプラスティックの弁当箱。
もしかして、シノが選んで買ってくれたのかな。
いや、それ自体に興味はないけど。
古いものでも新しいものでも使えるのなら支障はない。
弁当箱を鞄に戻して、窓の向こうの青色を仰ぐ。
夏の色をした青空に白い雲。
盛夏にはもっと鮮やかな青になるのだろう。
弁当を食べ終わってしまったが昼休憩は続いていた。
少し眠ろうか、と腕を枕にして机に伏せる。
目を閉じるとゆったりと紫色が訪れ、睡魔に呑まれていく。
その時だった。
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