第2章 ゼロフィリア

ゼロフィリア 2-1




 鳥取県米子市よなごし富灘町とみなだまちにて、今年七件目となる火災が発生した。


 二階建ての家屋はほぼ全焼。怪我人はなし。

 住人一家は飼っていた犬の鳴き声に気付き、難を逃れた。


 火災から一家を守り、一晩で救世主となった犬も怪我はなく、元気にしているらしい。ちなみに、犬種はミニチュアピンシャーだとか。


 現場検証の結果、仏壇まわりが一番激しく燃えていたのだそうだ。

 祖母の証言では就寝前に線香をたてたとのこと。


 いつもと同じく、火災の発生源に事件性はなかった。

 線香が倒れ、座布団に落下。その後燃え広がり、火災に化けたと考えられた。


 しかし、今回は放火の可能性も浮上している。

 毎回放火ではないとされる連続火災に、ある一点の異常が混じっていたのだ。


 なんと同日夜、現場近くの住宅に何者かが忍び込み、金品を窃盗する事件が起こっていたらしい。こちらの犯人は見つかっておらず、目下捜索中。

 窃盗犯には放火の疑いが掛けられ、警察は血眼になって行方を追っている。



 と、まあ、ここまでが僕の机上で繰り広げられた会話の要約だ。

 ついに謎の連続火災が全国ニュースにまでなったらしく、同級生達は大騒ぎを続けている。当たり前だが、僕の在籍する一年D組も例外ではないのだった。

 お蔭さまでミニチュアピンシャーが小さなドーベルマンみたいな犬である、なんてところまで知識を深められた。ありがたい。


 時々混ざる、呪い説、超能力説、神通力説、三年の先輩が怪しい説には乾いた笑いを投げておく。

 朝から昼休憩の現在に至るまで、延々と繰り返される似通った会話。

 その度に僕は笑顔を浮かべ、話し掛けてくるクラスメイトに相槌を打っていた。


 宇臣高校一年D組の生徒、宮脇ユイは、大人しく口数の少ない少年なのだ。


 自分から話しかけるのは必要最低限。

 あちらから話しかけられれば、ありきたりで角が立たない会話を繋ぐ。

 没個性的な一人の少年は、今日も愛想笑いと自己保身にはしっていた。


 昼休憩になり、取り留めのない会話をしながら菓子パンをかじった後、机に突っ伏す。文字通りの休憩時間をいただいているわけだ。


 いつもならずっと会話に加わっているのだが、今日は深夜に歩き回り、ほとんど睡眠を取っていない。

 簡単に言えば、限界を感じて前線離脱したというだけである。


 宇臣高校に入学して約四ヶ月。

 七月となり、暑さは日に日に激しさを増している。


 むしむしした不快な湿度。

 煩くてたまらないセミの合唱。

 肌を焼く過酷な日差し。

 不快なそれらは容赦しない。


 ブレザーの制服は、梅雨の頃に夏仕様に切り替わった。

 シャツに長ズボン、ネクタイの軽装だ。

 しかし僕は一年を通してシャツを腕まくりすることがない。

 半袖のシャツも着ない。

 そんな長袖愛好家には、この時期恒例である夏の洗礼が襲い掛かっていた。


 だが、不快感から発生するイライラを表に出したりはしない。

 答えは簡単。

 三ヶ月の間に作り上げたユイのキャラクターに反する行動は控えるべきだから。

 大人しくて、無害で、いてもいなくても支障のない男子高校生。

 すっかり定着して馴染んだ人格を、今日も僕は演じる。



「なあなあ、そう言えばユイって火災現場の近くに住んでるんじゃね?」

「マジ? じゃああいつ詳しいかもだな」

「もしかして犯人見てたりして!」

「夜中の三時に出歩くようなタイプじゃないだろ、アイツ」

「いや、案外裏ではチャラチャラしてるのかもよ?」



 紫色のまどろみの中に、不穏な黒雲が立ち込めた。



「……って、寝てるし」

「起こす?」



 声は複数聞こえるが、それぞれを判別できない。

 クラスメイトの名前と声を、大して記憶していないのだ。

 どうでもいいことに関心を向けたくない性分なもので。



「よし、シュン行け!」

「あーもー俺かよー、そうくると思ってたよ!」



 新しく加わった声がため息交じりに了承する。

 がたん、とイスの引かれる音がした。

 ああ、やだなぁ、と薄く開けていた目を瞑る。

 突っ伏したままの僕に足音が近づく。


「おーい、ユイ」


 頭上から声が降ってきた。

 起きてやるものか、と狸寝入りを決め込んで、呼びかけには応えない。

 僕は今眠いんだよ。寝かせてくれ。


「おーい、ユーイ。ユーイー」


 何度呼ぼうが肩を揺らそうが僕は寝ている。

 したがって頭を上げたりしない。


「おーい。起きてんだろー? ユーイちゃん。ユイちゃーん」


 ん? 今、聞き捨てならない呼称が聞こえてきたような……。


「ユイちゃん起きろー。なぁーなぁーユイちゃーん」


 両肩を掴まれて揺さぶられる。

 その後もユイちゃんコールは鳴りやまず、耐え切れなくなった僕は渋々顔を上げた。


「……ちゃんはやめろって」


 コールの張本人であるシュンに、青筋が見えていないことを祈った。

 自分が女性的な名前をしている認識はある。同時に少し気にしてもいる。

 気にしているけど、変えようとは思わない。

 ころころかわるのは苗字だけで十分だ。


「お前が起きないからだろ」

「僕に罪を着せるな。無罪だよ」


 眠たいだけの少年をいきなり悪人にしないでほしい。

 眉間にしわが寄っているかもしれないな。

 睨みつけるように見上げる僕に対して、シュンは爽やかに笑い「ごめんって」と謝った。


 名前と顔と声、その他諸々もろもろの情報を記憶している数少ない同級生が、今目の前にいる築谷つくたにシュンだ。


 高校進学と同時に何故か鳥取県へ引っ越してきた、元東京在住の都会人。

 背が高く、絵に描いたような体育会系の体型をしている。

 この時期は水泳部と陸上部を兼任し、どちらも県大会の表彰台を狙える実力だ。

 日々早朝から夜遅くまで部活に明け暮れる身体は、健康的な日焼けのあとが眩しい。


 東京の情報に明るく、ルックスも上々のシュンは女子生徒からのウケも抜群だ。

 しかも四月の入学式直後、早々に彼女をつくる暴挙に及んでいる。

 そのくせして未だに告白の嵐の中にいると来た。


 僕とはどこまでも性質の違う少年。

 しかし、誰にでも気兼ねなく話し掛け、竹を割ったような性格ゆえに、僕みたいな人間とも分け隔てなく関わろうとしてくる。

 悪意のないあっけらかんとした、受容できる人格の同級生だった。


 時々、ちゃんづけで呼んでくるところ以外は。


「で、ご用件は?」


 僕は寝ていたので、聞いていなかった。設定は続行される。


「ユイってさ、たしか火事のあった家の近くに住んでたよな?」

「まあそうだけど……」


 火事があったのは、富灘町の端に位置する民家だ。

 宮脇家の敷地にも、サイレンと橙色は届いていた。


「なら夜どんな感じだったか覚えてるか? 犯人っぽい怪しい奴とか見てない?」

「サイレンなら聞いた。でも外には出てないから、犯人とかはムリ。見てないよ」


 ユイは深夜に出歩くタイプの少年ではない。

 犯人も見ていないし、聞いたのはサイレンだけだ。


「んー、そうかぁ」

「夜中にいきなりでさ、うるさくて眠れなかったんだ」

「やだぁー。ユイちゃんったら繊細」

「はいはい、黙れ。っていうか、シュンも同じ夜浜町に住んでるんだから、サイレンの音くらい聞いてるでしょ?」

「や、それがさ、俺んちって夜浜町エリアの端の端にあるだろ? 火事の現場から結構離れてて気がつかなかったんだよ。爆睡してたし」


 この健康優良児め。


「羨ましいよ」

「どーも」


 夜浜町内にシュンが引っ越してきたのは三月の中ごろだ。

 事情は知らないが、母親と息子の二人家族は母方の祖父母の家へ身を寄せた。


 そんな彼とは引っ越してきた当初から、コンビニや近くのレンタルビデオ店で複数回顔を合わせていたりする。

 お互い最低限の面識はあったが、まさか入学式の桜の元で同級生の関係になるとは思ってもみなかった。


 中学時代は想像でしかないけれど、あっちでもこんな感じだったんだろう。

 人に囲まれて、愛されているシュンが容易に想像できる。


「今回も放火じゃないって報道してるし、犯人なんていないんじゃないの?」

「いやいやいやいや。今回は怪しいんだよ。同じ富灘町で泥棒が出てるからさ、そいつが一連の火災もやってるんじゃないかって。今あっちで話してたんだなぁ」


 うん、知ってる。


「で、僕に犯人の心当たりはないか、聞きに来たわけだ。強引に起こしてまで」

「ごめんって」

「別に怒ってないけどさ。でも、ちゃんはやめて」

「リョーカイシマシタ」


 シュンはぴしっと敬礼した。

 敬礼してはいるが、絶対了解してないイントネーションだ。

 直す気はないらしい。


 大きなあくびで敬礼に応え、愉快だなぁ、と自分を馬鹿にした。

 眠気に負け始めた僕はまた机に突っ伏す。


「コンセントからの発火とか、線香が倒れたとか、ある意味防ぎようがない事故だから……」

「七件も続くと気味が悪いけどな。呪われてるって言う奴の気持ちもわかるわ、俺」

「うん……」


 ゆったりと意識が紫色に溶けていく。


「近所のおばさんに教えてもらった話なんだけどさ。三年前には猫の惨殺事件も起こってたらしいし、物騒な奴が住んでるんだよ、あの辺りって」

「かもね……」

「公園の砂場に、何十匹も首と胴を切り離した状態で並べてあったんだと。聞いただけでぞっとする話だよな」

「そうだね……」

「俺痛いのとか怖いのとか苦手だからさ、聞いた時本気で鳥肌たってヤバかったんだ」

「へぇ……」


 まどろみの中で空返事をしていた僕は、ここで完全に睡魔にのまれた。


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