暁桜編〈幼なじみ〉

 庭に出ると、トレーナーだとちょっと汗ばみそうな暖かな日差しの中、桜の新緑の香りが微かに鼻をくすぐった。

 この辺りは本州の中心部に位置し、周りを2000m級の山々にぐるりと囲まれた盆地で、標高も300m~400mと高原と言うには若干低い半端な高度だ。

 ゴルデンウィークも終盤の今日、ソメイヨシノは二週間ほど前に散り終わり、庭を見渡せば、父親が趣味で育てている数十種類の桜が、十坪ちょいの庭に鉢や地植えで所狭しと置かれ、または植えられている。

 この庭での開花の始まりは三月の終わりから五月の半ば、夏を過ぎて秋口から冬入りまで、何かしらの桜が綺麗な花を咲かせる。

 盛春の日差しの中、人の背丈ほどの桜が、新緑ばかりが目立つ木々の中、回りの桜(しまい)達に遠慮しているかのように、ほとんど白に近い可憐で清楚な花を、新緑の葉にまぎれながら今春で最後の方の遅い花を咲かせていた。

 桜の品種名は片丘桜と言い、県内由来の霞桜とかいう野生種系統で、矮性わいせい(大きくならない事)の珍しい桜だそうだ。


 ――桜庭さくらば


 そう形容するにふさわしい庭。だが、この庭を喜んでいるのはお父ただ一人だけだったが、なんと最近一人増えて二人になった。

 ため息を付きつつ、駐車場にある機動球車ロードボールの、コントローラーを掴み起動する。

 直径30センチほどの球体ローラーにはカバーが被され、左右に耳のようなペダルが付き、停止時はスタンドがせり出し、両足を乗せると引っ込む。

 走行は体重移動と重心移動で行い、方向は前後左右に任意で自在に進める。

 拳銃のグリップに似た、コントローラー兼充電プラグコードのみが出ているシンプルな乗り物。

 それに乗りコンビニに向かう。

 周りを見渡せば各家々や休耕田、空き地には、光の吸収率99.8%の限界黒色リミットブラックのソーラーパネルがあちこちで見受けられる。

『いらっしゃいませー』

 コンビニに着き、出入り口のドア兼大型積層ディスプレイに近づくと、このコンビニのイメージガールをしている、ナントカという芸能人の画像がにこやかに出迎えてくれた。

 店内に入り、中を見回すと雑誌コーナーに見知った顔があり、斜め後ろに立って声をかける。

「よう涼香」

「おっ!!……おは…こ、こんにちは裕ちゃん」

 ビクッと飛び上がりそうに驚いたのは、“雨に濡れた茶トラの子猫”――ではなく、すぐ近所に住む幼馴染で、同じ高校に通う思川涼香(おもいがわすずか)である。

 小柄で背中をツマめば持てそうなほどのロリ……いや、スレンダー体型。

 光の加減で縞模様に見えてツヤのある栗色の髪は、肩までのショートウェーブで、綺麗な扇状に広げている。

 白く薄手のメッシュの春カーディガンの下は、パッド入りの紺のキャミソール、膝丈で水色の折り目のないシンプルなスカート、靴はピンが太くて低めのピンクのミュールに素足だが、きっちり紅いマニキュアをしている。

 赤ん坊の時から兄妹のように過ごしてきた涼香は、“咲耶姫”と呼ばれる、ティーンズ向けDOLL雑誌で半分顔を隠して照れている。

 ……全く。進路が“あそこ”なんだからいい加減に電子書籍にすれば良いのに。

 そんなボヤキを飲み込んで、思い出した事を聞いてみる。

「……そうか、涼香ももうじき誕生日だったな、どんなDOLLにするのか決めたのか?」

「…う、うん…あ、ぐ、具体的にはまだだけど……いっ、イメージはあるの」

 相変わらず歯切れの悪い尻すぼみの喋り方をする涼香は、意外にも自分と同じ工業高校、工業デザイン科に進学した勇者である。

「ふうん……。まあ、今度実物を見るまでの楽しみにしておくかな。涼香がどんなDOLLとキャラを選ぶのかスッゲー興味あるし」

「え? え? どっどうして?」

「お前の兄ちゃんだし姫花の”妹”だからさ」

「――っもう! か、からかわないでよおお……」

 両手で持った本をあおぐように胸をパタパタ叩いてくる。

 涼香は姫花と仲が良く、外では姉御肌で長身の姫花。引っ込み思案で背の低いモジモジな涼香。

 名前のいんが似ていることもあって、知人からは異父母姉妹と呼ばれるほどだ。

「はははは、冗談冗談、悪い」

 涼香が真っ赤になって可愛いく抗議する。

「……そ、そういえば夕べ、おっ、おめでとうメールしっ、したんだけど、と届いたの……かな?」

「あーそうか、悪い、まだコイツの設定終わってなくて見ていないや」

「そう……、みたい、だね、そのDOLLの格好見れば」

「ああ、どんなメール?」

「たっ誕生日プレゼントどっDOLL服って、おっ思ってたけど、昨日結局会えなかかったし……、DOLL見たいけど、どっどうかなー、見ときたいなあーっ……ってメール」

 昨日の昼間はDOLLや付属品を選ぶ為、あちこち駆けずり回って時間がかかった挙句、セットアップを始めたのがあの時間になってしまった。

 ――という訳なのだ。

「そうか、それは悪かったな。……じゃあ涼香のセンススゲーいいし、俺も好きだからぜひ頼もうかな、素体ボディとインテグとツインシステム以外は中古セコだから、服ぐらいは良いヤツって思ってたんだ」

「そっ…センス良いなんて…、すっ…好きだなんて…、あっ…ありがとう」

 褒め言葉で殺せそうなほど真っ赤になって萎縮する。

「じゃあ俺飯買って外で食べてるから、その間DOLL見て、体規格ボディパラメータもコイツに聞いておいて」

 そんな涼香を穏やかに見つめ、そう言って切り上げる。

「うん……わかった。おいで、――えっと、名前…は?」


「さくら」


 ソーラーセルむき出しだと恥ずかしいので、ついでにDOLL用の白と淡いモスグリーンで幅広横ストライプで、飾りっ気のない長袖ワンピースとミュールを昼食のついでに買っておく。

 緊急用の簡易DOLL服が、人間の下着やソックス、パンストと同じコーナーに並んでいるのが、妙に納得できて笑える。

 そうして駐車場でサンドイッチをほおばっていると、店から雑誌袋を抱えた涼香が出てきた。

「はい、ありがとう」

 そう言ってさくらを手の平にせて俺の肩に移すと、こんな事を聞いてきた。

「まっ、まだキャラも被……せていない、いんだね、き、決まってているの?」

 デフォルトのキャラはバッテリー消費を抑える為、基本無口で挨拶はおろか表情も作らず、最低限の対話リアクションしかしないのが普通だ。

 だがしかし、一部オヤジ世代にこれに近いキャラで、青色短髪密着型白スーツを装備した、某伝説美少女DOLLモデルが根強い人気がある。

 数あるキャラから俺が選んだのは。

「ああ、“ブルーフィーナス”の”霞さくら”にする」

「……オヤジ?」

 眉根を寄せ、怪訝に聞き返す涼香。

 このキャラで珍しくツッコミが入るほどの”霞さくら”とは、オヤジ世代に彗星のごとくデビューし流星のごとく儚く、わずか数年で事故死した女性マルチタレントである。

「別にいいだろ、好きなんだ」

「……いいけど」

 憮然と答えるが、腑に落ちない様子だ。

 DOLL創世期と違い、今は様々な機関や企業が、DOLLのinterface《 インターフェース》 となる表層疑似人格パーソナルキャラクターアプリケーションを提供していて、専門知識に特化したビジネスタイプや、学問キャラクター、自分達の世代の身内タイプ、介護や労働補助、調査等、あらゆる分野のキャラクターが有償無償を問わず配布されている。

 そして最近は俺がチョイスしたような無料キャラから、人気のある芸能人やアニメキャラをインテグメント化してフルセットにした、有料タイアップキャラまで幅広く作られているのだ。

 そんな現状があり、工業高校生じぶんが、流行りや高機能キャラを選ばずにアンティークキャラクターを選んだのは、涼香にしてみれば意外だったのだろう。

「お父が大ファンで、俺がママのおなかの中にいる時もよく歌を聞いてたんだって」

「おじさんが?」

「ああ。あんまりベタ褒めするからこの間ネットで歌とかライブ聞いてみたら、俺も気に入っちゃってさ」

「そう……なんだ」

 なんだかシュンとしている。今まで黙っていたのが寂しかったのかもしれない。

「うん、まあアレだな、胎教ってやつなのかもしれないな、たぶん俺の深層意識に刷り込まれたんだ」

 あのオヤジと趣味が同じとは認めたくないのだが、彼女の歌声に心惹かれた理由は、マジでそうなのかもしれないと思った。

「……そう…それじゃあ服は、が、頑張って作らないと」

「え!? 作るの?」

「まっ…まだ始めたばっかりだから、上手には出来ないかっ、かも知れないけど……」

 自信がないのか涼香が縮こまってしまい、人が見れば俺が怒っているように見える。

「いや、そんなこと無いよ、涼香器用だから絶対大丈夫だよ」

「――――っ!……あっっ…りがと、がんばる」

 真っ赤になってうつむく涼香。

 極端にコミュ症な涼香だが、影で黙々と頑張る涼香は、実はとても芯が強いんじゃないかと思う。

「そうだ! そのお釣りは涼香がDOLL手に入れる時に返すよ」

「え!?」

「今回DOLL手に入れて思ったんだけど、安くオプション集めるの結構大変なんだって知ってさ、認証や契約とかは代われないけど、オプション買い集めるとか、アプリのインストールは出来そうだから、涼香がDOLL手に入れたら手伝うよ。どうだ?」

「!!おおおおっ……ねっ、願いヒまふ」

 左手を出してきたので握り返したとたん、引っ込めこう言った。

「ごっっ、ごめっ……つい利き手で――」

 ついと手を頭に載せて落ち着かせるようにこう言った。

「大丈夫、涼香ならうまく出来るよ」

 涼香がパニクった時のお約束。

「…………ん」

 うつむいて顔は見えないが、口元はほころんでいた。

 その控えめな微笑にさっきの桜がダブついて見え、思い出した事を伝える。

「そうそう、お父がまた今年も桜の害虫駆除ケムシとりを手伝ってくれって言ってたぞ」

「あ!……あっ……も、もう…じきそう言うじ、じ時期なんだね――いいよ」

「ったく、いい加減に子供扱いしてこき使うのやめて欲しいよなあ……」

 涼香に頼むと俺が手伝うのが習慣化していて、小さい頃から俺を通して涼香に頼んでくるのだ。

「ふふふ、……でも、小さいこっ…頃はありがたっ…たかったよ?」

「でも“毛虫一匹十円”で買い取りって、今時の高校生にそりゃねえよ」

「まっ…まあ、おじさんもあたっ…したし達……がに、庭に二人でいるの……を見るのが嬉し…しいんだよ?……きっとね」

 にこやかに、噛みつつもお父の弁護をする涼香の言葉をじっくりと聞く。

 お父の真意をずばり知りながら、喜んで乗ってくれている涼香の思いやりが嬉しい。

「はぁ……しゃーねーな、じゃあせいぜいオプション代でも稼がせてもらおうか」

「そうだね♪」

 涼香と笑いながら答える。

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