暁桜編〈契約〉

 眠い。ひたすら眠い。

かれこれ二時間、ずっと“こいつ”と向き合い、面白くもない文字の羅列を復唱させられている。

 何の罰ゲームだよ、全く……。

 不平を脳内だけで呟きつつ素直に指令に従う。

「……甲により不適切と判断される利用者の不正行為の禁止と、利用停止に関する法律を以下に伝える――はい、復唱をお願い致します」

 “機械的”に復唱を続けさせる“こいつ”は、全高は20センチ程、八頭身のフィギュアに似たロボットだ。

 段々カット前髪に、もみ上げを残したポニーテールで、漆黒人工毛のロングストレート。

 スレンダーだが適度に豊満な肢体ボディには、黒いハイレグワンピース水着に似せた、ソフトタイプの太陽電池ソーラーセルを装着している。

「甲により不適切と判断される利用者の禁止と……」

「違います、繰り返しますか?」

「(ピクピク)……お願いします」

 無慈悲なリクエストに頬がひきつる。


5月7日金曜日、記念すべき俺の16歳の誕生日は――いや、いつの間にか深夜0時を少し回って昨日になってしまっている。

 ……はぁ。

 深いため息をつきつつ顔を上げ、“こいつ”を見つめる。


 一見するとただの動くフィギュアだが、ボディは芳香性ポリアミド系、ハイパーTIポリマーの高分子素材ナノマテリアルでできており、Segmentationセグメンテーションと呼ばれる体節制たいせつせいボディで構成されており、具体的にはカニや昆虫のような甲殻類の関節と体構造に近い。 

 各部を動かす原動機は、誘電性エラストマーという人工筋肉で稼働し、こちらもシリコン系の高分子ナノマテリアル素材で、その名が示すとおり動作は人間の筋肉と同じ動きをする。

 そしてその機械的で無機質なボディは、一体縫製ポリウレタン生地にシリコン樹脂を組み合わせたintegumentインテグメントで覆う。

 それは通称“インテグ”と呼ばれ、DOLLのスリーサイズを決定し、人肌に近い外観と触感を実現させている。

 そのDOLLとともに“ツインユニット”と呼ばれる端末があり、デザインはチョーカー型からヘアバンド型など、人それぞれ様々なものがあるが、俺の場合は大昔の高耐久腕時計に似たタイプを用意した。

 それはどんなデザインでも大体が空間投影機エア・プロジャクター機能に加え、装着者の健康管理や位置情報、DOLLのバックアップメモリ、通信ブースターなどの機能を備えている。

 それらが、今から12年前の2020年開催された東京オリンピックにて初めて発表。

 聖火点灯や、集団演舞などのデモンストレーションを行い、世界中に衝撃を与えた。

 開会式後それらは選手や関係者に配布され、通信、通訳、ガイド、健康やスケジュール管理など、全てこれ一体で行うホストマネージングコンピュータとして利用された。

 そんな日本製のこのハイテクロボットを諸外国はこぞって賞賛し、敬意を込めこう呼んでいる。


  【SAKURA DOLL】と。


 そして今の俺は初期デフォルト表層人格キャラクタープログラムのDOLLに、事務的に淡々と面白くない取説を復唱をやらされ、やり場のない怒りを覚えつつ黙々と作業を続けているのだ。


 ……早いとこ終わらせてあの“キャラ”をインストールしよう。

 そうしてさらに2時間後。


「――お疲れ様でした。これにて取り扱い説明と、復唱による規約内容の理解確認、記録作業を終了いたします。引き続き作業を継続いたしますか?」

 DOLLが聞き返してきた。ちなみにこのやり取りはDOLLのカメラアイを通じ、経済産業省省内の管理機構が記録、管理、保管アーカイブし、有事の際の証拠とされる。

 そして時刻はすでに午前2時15分。

「いや、いい。続きはあし……、じゃ無いな。後でいいや」

 そうしてベッドに倒れ込むと、あっという間に眠りに落ちた。


 それから6時間ほど眠り、リビングに下りたら、家族がニュースを見ながらくつろいでいた。

「おはよ~」

 一通りみんなとあいさつを交わし、遅い朝食をママに頼むと一人の少女が愚痴ってきた。

「もう! 裕兄ったら夕べはいつまでかかってたのよ、なんか般若心経みたいなジュモンが一晩中ボソボソ聞こえてきてよく眠れなかったよ!」

 言葉ほど怒っておらず、ソファにもたれながら後ろに頭を倒し、俺のTシャツの裾を掴んで、チョンチョンと引っ張って、かわいい仕草でプンスカしている。

「ああ、ごめんな、俺もあんな時間がかかるモンだとは思わなかった」

 そう言いながら少女の頭を撫でてやった。

「……フン、しょうがないなあ~♪」

 と、今春中学一年生になった妹で水上姫花みなかみひめかは、頭を撫でられるのがまんざらでもない様子で照れている。

 母親譲りのしっかりしたストレートの黒髪は、今は後ろから前に下がる感じのボブで、前髪は目の上で一直線に切れそろえられている。

 顔は細面で目鼻立ちはすっきりしていて、パーツは大きめ、よく開いて大きな黒目が特徴的な、丸みがなくなってきた柴犬の子供という印象だ。

 中学に入り、少々大人っぽく背伸びした髪型が、スレンダーで長身の肢体と相まって中学三年生くらいに見える。

「あー、だるい~~……」

 ソファに座って独りごちながら流れているニュースに目をやる。

 扉を横にしたほどの大型積層液晶レリーフホログラムモニターでは、凜々しいおじさんアナウンサーが、次世代型高速通信網の法整備と、IPS細胞による神経系再生医療の成功臨床例が三桁になったと報じている。

 腰掛けてその報道をボンヤリ見ていると父親に声をかけられる。

「まあ、年々新しい条項が増えてきているしな。大変なのは最初だけで、後は更新分を追加していけばいいだけだから楽になるぞ」

 ソファに座り、俺の肩に座っているDOLLを見ながら聞いてきたこのオッサンは、丸刈り中肉中背で今年40代半ばになり、『人形遊びは女は子供の頃のもので、男は大人になってからするものだ!!』と言ってはばからない生粋の人形遣いドールマスター……もとい、”オタク”だ。

「……へえ、そうなんだ、よかったよ。もうあんなゴウモンこりごりだよ」

 諦めにも似た目でお父を見つつ肩をすくめる。

「それで? 設定とかはもう終わったのか?」

「いや、取説とかの復唱は終わったけど、まだキャラのインストールと初期設定が残ってる」

「そうか、それでどこのキャラを“被せる”つもりだ?」

「ん、“ブルーフィーナス”の無料キャラ」

「ほう、何故?」

 少々口元をあげ、にやりとしながら聞き返してきた。

「好きな声のキャラがいるし、誘導やマルウェアとかもないって評判だから」

「どのキャラだ?」

 わかっているらしいニュアンスでもって、ここぞとばかりに聞いてくるが、そもそもどんな? と聞かないところがタダモノでない。

「まだ秘密」

「そうか」

「…………」

 ニヤニヤと納得顔でうなずくのが少々シャクに触り言葉に詰まる。

「……ところでDOLLの服はあるのか? 八頭身アダルトモデルならお父の前のDOLLのがまだ残してあるぞ」

 俺の肩に座り、未だハイレグワンピース風のソーラーセルがむき出しにになったDOLLを見て、お父が聞いてきた。

「いや、遠慮しておくよ」

「どうして?」

「ボンテージやメイド服やビキニアーマーなんて要らないよ。第一そんなの着せて学校とか持っていけないし」

 わが父親ながらこの残念な趣味にどん引きしてしまう。

「いいじゃないか、せっかくのDOLLなんだから色々着せてやれよ」

「俺が恥ずかしいって言ってんの!」

 ためらいもなく言い張る親父に思わず声を張り上げる。

「しょうがないな、じゃあ仕事用と礼装用のスーツ服は持ってろ」

 だがこんなやり取りはしょっちゅうなのであっさりと引き下がる。

「そうだね。始業式や終業式の式関係で着せなきゃいけないらしいから、それは有り難く貰うよ」

 今の学校は私服OKだが、こういうイベント時にはやはり、それなりに“礼節を重んじた服装にするように”と教師から言われている。

「……残念、“巫女さんDOLL”が着たその姿見たかったなあ、”ひな”」

 まるで人間のように話しかけるオタク趣味丸出しのお父にあきれる。

 現在のDOLLプログラムは、通常会話くらいはできるが、製造責任や所有者保護の観点から、自立判断による言動はしないよう厳しく規制されている。

 ――そんな、お父の足の上に座っているDOLLを見る。

 Woodyウッディ Bellベル社製、六頭身チャイルドモデルの”ひなくれない”である。

 見た目は小学校高学年女子くらいの外皮インテグメント。髪は淡い金色のセミショートを左右に束ねたツインテール。服は白で丸襟のちょいフリブラウスに、サスペンダー付きの赤いスカート、白のハイソックス。

 頭身による頭部比率差はカメラとメモリー部の性能によるもので、“ひな紅”の大き目の頭部は設計仕事をしているお父には必要なのだそうだ。

 そのお父ヘンタイに聞き返され“ひな”が答える。

「そうですねえ、でも”ひな”の体操服なら着れると思いますよ」


 ガチャン!!


 キッチンから食器を落とす音が聞こえた。

「あら、おかあさん大丈夫ですか?」

「奥様、お怪我はございませんか?」 

 そう声を掛けたのは“ひな”とママのDOLL。

 ママのDOLLはWaterウォーター Spearスピア社製、八頭身アダルト、執事風イケメン男性モデルの“愛染”である。

 ママは35になる普通の主婦だ――と本人は言っている。

 そしてひなの発言にお父、姫花、俺がフリーズした。

「……大丈夫よひな、愛染、それで体操服ってどんなの? ジャージ?」

 うつむきつつ、声を半トーンほど落としたママが聞き返す。

 その質問にあっと声を上げかけるお父をママが目で射貫き、黙らせた。

「いいえ、パパはって言ってました。――これです」

 そう言って瞬時にテレビに無線接続リンクすると大画面いっぱいに、三種の神器でその一つであるところの今では失われし至宝、”場違いな工芸品オーパーツ”を身につけ、膝に手を当てて屈んで振り返るような可愛らしいポーズをとり、にっこり笑って自撮りさせているひな紅がアップで映し出された。

 そしてその画像の隅の方に、オッサンのにやけた顔の下半分が映り込んでるのが痛い。

 ああ、プライベートセキュリティーの設定を忘れていたな……。

 そんな事を思いつつ、おそるおそるママを見るとワナワナと震えていた。

 ヤバイ!! 刺激しないように避難だ!!

 そうして姫花と目で会話し、こそこそと退場する。

 去り際お父を見やると、完璧な“終末への憂いアルカイックスマイル”を浮かべていた。


 ――合掌。 

       

「あ~~もう、パパったらヘンタイなんだから」

 部屋に入る前に姫花が言う。

 原因の一端が自分にもある事はまったく自覚が無いようだ。

「……もう少しお父の相手してやれよ」

 かわいそうなので一応援護射撃をしてみる。

「キモイからイヤ」

 ……俺も娘の父親とかになったら、こんな風に嫌われるのかなあ……切ねえ。


「ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~!!!!!!」


 階下から聞こえる断末魔を聞きつつ、そんな事をふと思ってしまった。

 結局朝食を食べ損ねてしまったので、部屋へ戻り財布を持ってコンビニに向かう。

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