暁桜編〈さくら〉



「とっ登録??」

 衣擦れの音を聞きつつ、見ないように回れ右をして聞き返す。


「…………“ふふふ~ ユーザー情報の登録~”」

 先ほどの緊張していた様子とは裏腹に、一転して“さくらそのまま”の口調で”悪戯っぽく答える彼女。


「そっ、その言い方は!」

「ゆーきに~、今のさくらを~ みっ見て欲しいな~~」

 さくらAlphaに似せて甘えたようにねだるが、語尾が震えて演じ切れていない。


「見るって、一体な――!!」

 ギュッ。

 何を? と言いかけた途端、背後から抱きしめられた。


「……ゆーきがさくらに何をしてくれたのか、どうして目覚める事が出来たのか全部聞いたわ」

「なっ!! ……さくらさん」


「さくらのファンになってくれてありがとう」

「……はい」


「でもね? 今のさくらはゆーきが好きになってくれたさくらじゃないの」


「そんな事ないと思いますけど……」

 ふるふる。

 背中に当てられた彼女の頭が振れる。


「ゆーきが好きだって言ってくれたさくらはもう、髪と同じくらい変わってしまった。だからそれをゆーきに見てもらいたいの」

「……さくらさん」


「だっ、ダメ?」

「…………いいんですか?」

 その悲壮感に押され、腰に回された震える手に触れながら聞き返す。


「うん」


「分かりました」


 そう答えると、回された手が解かれて、彼女が後ろへ下がる。

 そして俺も目をつぶってから振り返り、ゆっくりと目を開けていく。


「――――(うおっっっっっ!!!!)」


 一糸まとわぬ姿で小刻みに震え、両手を下げて泣きそうな目で俺を見ている彼女の裸身を見て、思わず声をあげそうになるが、なんとか手で塞ぐ事ができた。


「…………」

 そんな俺の様子にも構わずに、彼女は黙って裸身を晒す。


 その裸身はネットで見たグラビア画像の記憶より、少し痩せた感はあったが、均整の取れた肢体は変わらなかった。


「…………………………」


「後ろも見て……」

 気圧されたまましばらく無言で見つめていたら、彼女が声をかけてきた。

 そうしてターンして背中も見せてくれる。


「!!(うくっ)」

 その背中を見て、再び叫びを飲み込む。

 前と言わず全身に無数に傷痕があり、長い髪をかき上げると、うなじにも轟雷のマークに似た、引きちぎったような傷痕があった。

「ヒドイでしょ?……」

  震える声でそう言う彼女。


「…………………………」

 あまりの衝撃に背筋が冷たく痺れるような感覚に囚われて、とっさに答えられず黙ってしまう。


 だがしかし、彼女の裸身は本心から美しいと思った。


 触れるのが躊躇ためらわれるほどの凄惨な傷痕らくいん

 あるいは人工的にすら見える均整の取れた見事な肢体プロポーション

 腰まで伸びた淡い紅銀髪スカーレットシルバー

 それら傷跡、髪、優美な肢体とが、一切の優柔を含まない凄絶な美をかもし出していた。


 例えるなら……、


 ――桜花の映り込んだ抜身の日本刀。


 だが、そんな事を今の彼女に言っても慰めにならないと思って口をつぐむ。


「……こっ、これが今の私、“霞さくら”よ、ゆーき」

 唇を震わせ、うかがう様な目をしながらも意を決したように言う。


「さくらさん…………………………」

 その言葉にどう答えたらいいのかわからずに押し黙る。


「……………………………………ゴメンなさい」

 彼女はそう言うと、ふいに座り込んで顔を覆ってしまう。


「え!?」


「みんなのおかげで何とか生きながらえて、こうして25年後のファンに会えたのに、私……なっ何も…………」


「何も?……」

「うっ…………」

 聞き返すが、答えられずに泣き出してしまう。


 だが、それで彼女がどうしたいのか分かった。


 座り込んで泣きやまぬ彼女に、ベッドから毛布を取って羽織らせ、背中からそっと抱きしめる。

 様々な人達に対する負い目や悔恨に圧し潰されそうになりながら、それでもこうして身ひとつで来訪して自らをさらけ出し、自分ができる事を問いかける彼女に、さくら《Alpha》と同じ思いやりを感じて嬉しくなる。


 ……ああ、護さん。緋織さん。悔しいけど確かにこの人は“さくら”だよ。


 そうして耳元に優しく語りかける。

「……桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」

「……え?」


「この言葉は知ってる?」

「……うん」


「意味は?」

「桜は切ってはいけない、梅は切らなきゃいけない?……」


「実際は違うんだ」

「……?」

 泣き濡れた顔を上げ、不思議そうに振り返る。


「桜は病気に弱い樹だ、守るには逆に弱った枝を切り口を消毒しながら積極的に剪定して、病気の進行を止めなきゃいけないんだ」

「……うん」

 説明を聞きながら、腑に落ちない顔をする。


「だからね? “綺麗に咲く桜に無傷な樹は一本も無い”んだよ」


「!!」


「だからさくらさんのこの傷も……」

「ひあっ!」

 そうして、うなじの傷痕を指で触れる。


「護さんたちが、“もう一度さくらに咲いて欲しい”と願った証なんだ」

「ゆーき!!」


 そう叫ぶと、ひざ立ちになって俺の首に腕を回し、羽織った毛布が落ちるのも構わず、上から覆うように彼女が唇を重ねてきた。


「「……………………………」」

 後ろ手で上半身を支えているので、されるがまま彼女に唇を委ねる。


 むせびながら重ねた彼女の唇からは、しょっぱくてほろ苦い涙が伝わり、まるで25年分のおりが流れ込んでくるようだった。

 さらに自分の頬にも、とめどなく彼女の涙が滴り落ちる。


「ゆーき…………好き。……………………愛してるわ」

 彼女が唇を離し、俺の頬を両手で挟むと、密やかにささやく。


「……なぜ? 会ったばかりの俺――んっ………………」

 聞き返す口を再びふさがれる。

「…………………なぜって、……“私もさくら”なのよ?」

 唇を離してそう言うと、その訳を話し始める。


「……目が覚めてから今まで何があったのか知らされて、それから生き延びた後悔に悩んでいたら、護ちゃんが“A・Iさくら”の記録を見せてくれたの」

「……そうでしたか」


「全然知らない事ばかりなのに、記録を見ているうちになぜか知っているようなデジャヴュを感じたわ」

「それはどうして?……」

 だが彼女もその理由は分からないらしく、首を横に振るだけだった。


「始めは昇平さんのその後の事が気になって見ていたけれど、DOLLの目線でゆーきやみんなと触れ合っているうちに、いつの間にかA・Iさくらと同じ気持ちになっている事に気が付いたわ」

「同じ気持ち?」


「そう。私もゆーきが好きになっていたの」

「!!」


 ――脳波シンクロ。

 閉じた彼女の意識に干渉するために考え出された技術テクノロジー。だが、それはまさしく今の彼女の心を本当の意味で救うものだったと知る。


 だが、そう告白してなお彼女は顔を曇らせ、さらに言葉を紡ぎ出す。


「涼香にステージ衣装をプレゼントされて本当に嬉しかったし、フローラの生い立ちにはびっくりしたわ。そのフローラの恋心に気付かないゆーきがもどかしくてヤキモキしたし、でもそうと気付かずに優しくするゆーきに怒ったり逆にフローラに嫉妬して……。涼香ちゃんとの絆の深さを見て、わたしと護ちゃんとの関係も重ねてた。そうして上級生に絡まれてゆーきが庇ってくれた時、初めて恋心を自覚したわ。……さくらAlphaが嫉妬から山での安全を確保せずにフローラがケガをした時には罪にさいなまれたの。そうしてゆーきのもとを去ってから、一葉や雨糸さんや祥焔かがり先生達がゆーきを助けながら私の元へ来てくれて、私を目覚めさせてくれたことを知ったわ」


 さくらAlphaとの事を混同しつつ、まるで自分が懺悔するように告白する。


 それこそがこの計画の副作用であり、出会った時からの彼女のかげりなのだと思い至る。        

 “それはさくらさんの所為せいではないですよ”と、言うはたやすいが、それは彼女に似せて作られた双子さくらを否定するのと同意義だ。


 このままではいけない……。


 そしてどう言おうか迷っていたら、さらに告白する。

「昇平さん、涼香ちゃん、雨糸ちゃんにフローラ、……そしてゆーき。色んな人に迷惑をかけてしまった。こっちに住む手筈を整えてくれた祥焔かがり先生や緋織さんには申し訳ないけれど、みんなにお詫びをしたら帰ろうと思うの……」


「!!」

 それを聞いて驚く。


「だからゆーき。こんなわたしで良ければ…………」

 そう言って俺の右手を取ると、その刀身のように美しい体へ触れさせる。

 そしてこれが彼女を救う最後のチャンスなのだと自覚し、どうするべきか激しく思考を巡らせる。 ――が、

「さっ…………さくら……さん」

 事態の急変に判断が追い付かず、掠れかけた声で名を呼ぶしかできなかった。


「……やっぱりだめ、よね……」

 そう呟くと、再び顔を覆って泣き始めてしまう。


 ――あ!!


 それを見てようやく思い出すと、彼女の両手を取って顔を上げさせる。


「……ゆー……き?」

 泣き顔を隠そうとしない彼女。

 されるがまま見つめ返して問われ、深呼吸して息を整えてから微笑むと、まっぐ見据えて答える。


「――お帰り。さくら」


「ゆーき!!…………うっ………」

 見つめて名を呼んだその瞬間、驚いて顔をくしゃくしゃにして大泣きする。

 そしてその涙で濡れた頬を優しく挟んで顔を寄せると、彼女がその神秘的な異彩光色オッドアイを閉じた。

 そうして、そこだけは以前と変わらない桜の花弁にそっと触れた。


「「…………………………………………………………」」


 長い間唇を重ね、ようやく離したら彼女がポツリと言う。


「…………た、ただいま……ゆーき」



 „~  ,~ „~„~  ,~


 ――病院には三人と二体、プラス一体が集まっていた。


「はぁ……。今頃裕貴は霞さくらさんと会っている頃ね」

 雨糸が諦めたように呟く。


「ういちゃん……」

 涼香が雨糸の手にそっと触れる。

「ふん。こればっかりはオレ達が選択した結果でもあるからしょうがあるまい」

 フローラが頭の後ろで腕を組んで、バフンとベッドに倒れかかる。

「フローラはいいわよね……裕貴にいっぱい愛されたものね」

 余裕のフローラを見て、雨糸が泣きそうになりながら珍しく嫌味を言う。


介助あれを“愛された”と言うのは語弊があるが……。まあ心配する事はないだろう。別段肉体関係に発展するような事は無いとオレは思っている」

「その自信はどこから来るアルか?」

 言い切るフローラに雛菊デイジーが聞き返す。


「なあに。この二ヶ月、散々オレのカラダを見せつけたから、たっぷり耐性がついただろうと思っているだけだ」

 その豊満な果実きょにうを揺らしてフローラが笑いながら答える。


「フッ、フローラっっ!」

「ええっ!? なあにフローラ。そこまで考えて介助を頼んだの?」

「ふっ、さあてな」

 涼香が咎めるように言い、雨糸が聞くと、フローラが不敵に笑った。


「あ~~はっはっは! そりゃいいわ。フローラの作戦勝ちってとこね!」

 それを見て一葉が高らかに笑う。


「でも、すり替わったとはいえ、相手は裕貴が初めて積極的に好きになった異性よ?」

「ほう。それでは涼香やオレはどうだと言うんだ?」

 雨糸が危機感を述べ、フローラが聞き返す。


「それは涼香やフローラは、裕貴にとって保護欲の延長で好きになった相手であって、そんなアンタ達には泣き顔を見せられないけれど、“さくら”の場合は裕貴にとって涙を見せても平気な相手だったって事よ」

 雨糸の代わりに一葉が不機嫌そうに答える。


「何っ!?」

「ええっ?」

「……やっぱり泣いたんだ」

 フローラと涼香が驚き、雨糸が納得する。


「……なんだ。オマエら知らなかたアルか?」

「どっ、どういう事……?」

 雛菊の言葉に涼香が聞き返す。


「……どうもこうも、フローラの手術が終わって麻酔が効いて目覚めるまで、さくらの前で裕貴が自責の念に駆られて泣いてたのよ」

 肩をすくめた一葉が代わりに説明する。


「そうか……」

「そっ、そうなんだ……」

「あ~~あ、これはさすがに失恋確定かなあ……」

 フローラと涼香が肩を落とし、雨糸がぼやく。


「すまなかったわね涼香。あの時はアンタにあれ以上裕貴の事とアタシの正体も含めて、余計なプレッシャーをかけたくなかったから言えなかったのよ」

「ううん、いいのよ一葉。気を使ってくれてありがとう」

 一葉が謝り、涼香がその気遣いをいたわる。

 

「なに言ってるアルか。雨糸ウイは裕貴の涙も見てるし、キスもされてるじゃないアルか!」


「What!?」

「ええっ!?」

 落ち込む雨糸を見かねた雛菊が、元気づける為に爆弾発言をしてフローラと涼香が驚く。


「ちっ、……デイジーのスカタン。バラしちゃって」

「ふふん。一葉は忘れたアルか? デジーは雨糸ウイのトモダチあるよ? 恋敵ライバルをけん制するのはとーぜんアル」

「でっ、雛菊っ!!」

 雛菊がふんすと胸を張り、雨糸が真っ赤になって雛菊をいさめる。


「ほほう。もしかしてブルーフィーナスをハッキングした時の事か? そう言えばその話、まだ雨糸から聞いていなかったな。(グイッ)……詳しく聞かせてもらおうか?」

「ひいっ!!」

 フローラは雨糸の手を取ると、強引に抱き寄せてキスを迫る様に顔を近づけた。


「フッ、フフロッ、ロローラッ!!」

 涼香がどもりながら叫ぶ。


「なに。それが本当なら、あの時一度は恋人宣言した仲なんだから、雨糸から回収させてもらうだけの話だ」

 フローラが抱き寄せた雨糸の顎を掴んで顔を向けさせる。


「ひえええ~~~!」

「まあ、それぐらいなら許してやるアル」

「ふふ、そうね。そうしなさい!」

 雨糸がおののき、雛菊と一葉が笑う。


「みっ、みみんな、せっ“攻める”あっ、あ相手がち違うんじゃ…………」

 そう呟く涼香の声は、他のメンバーの嬌声きょうせいにかき消された。


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