暁桜編〈紅銀髪〉


 そして夏休み初日の朝。

「あ゛~~、暑い~~……」

 教科書を前にテーブルにつっぷしてうなだれる。


『だらしないぞ裕貴』


 ELF-16DOLLから、“Parasite《パラサイト》 eye《アイ》.”を使ってフローラが話しかけてくる。


 それを聞きながら恨めし気に顔だけ向けて反論する。

病院そっちはクーラー完備だからそう言う事が言えるんだ。ウチはママの方針でクーラー禁止なんだからしょうがないじゃないか」

『なら遠慮なくハダカにでもなればいいじゃないか ハハハ』


「……散々アイテムそれをつかって、神出鬼没で覗いてたくせにまだ覗き足りないの?」

『ああ、よかったぞ。涼香が言っていたが裕貴の寝相は最高だったぞ?』

 そう嫌味を言ったが、こたえるどころかどころかしゃあしゃあと言う。


「ぐぐぐ、もうオヨメに行けない……」

 腕を組んで顔をうずめる。

『お互い様だ。それに大丈夫。オレがムコにもらってやるから心配するな』 


 ペシペシ。

 そう言うとDOLL《フローラ》が嬉しそうに俺の頭を叩く。

「……パスワード教えるんじゃなかった」

 一人ごちる。

『何か言ったか?』


「何でもありません……。ハァ」

 そう言って、“人間そのもので”話をするDOLLを見つめてため息を漏らす。


 ――“Parasite eye” は基本的な移動方向や簡単なリアクション、表情と音声言語は送信者をトレースするが、物を掴んだり動かしたりするような、細かい動作は操作が煩雑になる為に実装されていない。

 と言うのも、未だ脳と外部ユニットを電気的に有機接続する技術が確立されていない為で、その技術ネックこそが、“霞さくら”の閉じた意識に対してアクセスを阻んでいた原因であった。

 そして軍ですら開発できていない技術だからこそ、脳波リンク理論を提案していた緋織さんに対して、軍が技術供与を承諾した理由なのだと、緋織さんから後に聞かされ、そしてその結果導き出されたのが、今回の“天の岩戸計画”だったとも説明された。


 ……まあ、そう簡単に頭の中が機械と繋がったら、そもそも俺みたいなのはお呼びじゃなかっただろうし、世間も犯罪者の尋問も無くなって、SFからもテレパシストなんて能力者は消え失せちゃうよな。


(も~~う! ゆーきったらヘンタイなんだからっ!……)


“さくら”だったらそんな事を言いそうだなと考え、DOLLを見詰めながら物思いにふけっていたら、フローラが真面目な口調で声をかけてきた。


『……なあ裕貴』

「なんだい?」

『新しいキャラは入れないのか?』

「えっ?…………………………」


 意表を突かれた質問に一瞬思考が停止する。

『どうなんだ?』


 黙っているとさらに問いかけられる。

「……うん。まあ、何となくね」

『それは裕貴がまた猫を飼いたがらない理由と同じか?』

 腕を前で組んで首を傾げて聞いてくる。


「どっ!! どうし……。ってまた雨糸か。……ハァ」

『まあな。裕貴を好きになった訳を聞いたら嬉しそうに話してくれたぞ』

 組んでいた腕をほどいて開き、あきれるように掲げてDOLL《フローラ》が話す。


「……そうだよ。ダメージ受けるのが怖いからネコにしろキャラにしろ二の足を踏んじゃうんだ。……臆病だからね」

『何を言う。そこまで深く愛されたいと思うから、オレも雨糸も涼香も“さくら”も裕貴を好いているし、全てを見せてもいいと思っているんだぞ?』


「くっ……!! あっ、ありがとうフロ……、プリス」

 欧米人らしく茶化さずストレートな物言いにたじろぎつつ、照れてそう言い直す。 

『……さっ、さあ、続きをやってしまおうか』

 は口元に手を当てて、照れたDOLL《フローラ》も一瞬言葉に詰まって答える。

「うん」



 ――そうして予習を終わらせ、十時からの補習テストに行くべく、フローラの着替えを持って病院に立ち寄る。


「……そうか、今日は家には裕貴と昇平さんだけか」

「うん。まあ、ママと姫香は昨夜さっさと黒姫のじいちゃん家に避暑に行っちゃったよ」


「ふうん……。でもその割にキレイに洗って畳んであるじゃないか」

 そう言うとフローラはknickers《ヒモパンティ》をブンブンまわして聞いてくる。


「……何が言いたいのさ」

 いやな予感がするが、聞かずにはおれない。

「そりゃあまあ、裕貴だって“朝はちゃんと起きる健全な性少年”なんだからその……。なあ」


「“なあっ”って何さ!! つか朝の寝顔まで見てたの!? って、どこま……いやいやセイ少年のニュアンスがおかしっ……、じゃなくてっ!!」

 ツッコミどころ満載で言い切れずにショートした頭を抱えて喚く。

 するとフローラはうれしそうに、ニッカーズを持って自分の胸を抱きながら、身をよじらせて悶えるようなリアクションをする。

「……オレのカラダを見て悶々とした裕貴は、洗濯機に入れようと汚れたブラとニッカーズを見つめると、洗わずに部屋に戻っておもむろにベッドに潜り込み……ハァハァ、(チラッ)」


 アナタ! おもてたキャラとチガウね!!


「くっっ!! おっ俺はそんな事しない!! つか、洗濯は涼香がやってくれたのっっ!!」

 そうしたい誘惑に駆られた事が、あながち無きにしもあらずだったので、動揺を隠せなかった。

 しかし、それでもその事を口にするわけにもいかないので、立ち上がりながら両手を返して広げて全否定する。


 キラッ!

「スキありっ!」


 すると、フローラは女豹のように目を光らせたかと思うと、俺の立ち上がりかけた不安定な瞬間を逃さず、俺の胸倉を掴んでベッドに引き倒す。

「うわっ!」


 そのまま仰向けに寝かされて頭を抱えられるとフローラの桜色の唇が迫ってくる。

「I Love you... アイラぶちゅー♪」


 今度はダジャレでっか!!

「ぷっ……わっ……………………むぐ」


「「……………………………」」


 ……くくく、しかしこの人野獣。


 すでに数え切れないほどのkiss《セクハラ》にあい、そんな事を思いつつ諦めモードで唇を委ねる。


「……………ぷはっ! よし。充電完了!」


「はぁはぁ……もっ、もう堪忍して……」

 ベッドの上、両手で顔を覆って、嬲られた婦女子ネコのように、さめざめと泣き真似をする。


「退院祝いだ。これくらいいいじゃないか」

 フローラは男役タチよろしく、俺の両手を開いて頬を撫でながら上から目線で釈明する。



「――!! 決まったの!?」


「ああ、七月いっぱいだそうだ」


 さっきから変なテンションなのはそのせいだったのか……。

「……そうか。おめでとう」

 上から覗き込んで、俺の顔にかかっている金髪を下からかき分けて、笑いながらフローラの頬を撫でる。


「……うん」

 フローラは涙ぐんでフニャリと表情を崩すと、触れた手に自分の手を重ねて力強く頬ずりしてきた。


 „~  ,~ „~„~  ,~


 そうして学校に行き、二教科分の補修テストを無事通過し、グラウンドと部室棟以外は閑散とした校内を帰ろうと歩いていた。


 ……はあ、無事に受かってよかった。つか、そもそも期末テストが落ちたのだって、フローラが四六時中DOLLにアクセスしてきて落ち着けなかったからなんだけどな。

 夜討ち朝駆け、授業中はもちろん、トイレやフロに入っている時にもアクセスしてきて、そのたびドギマギさせられた記憶がよみがえる。


 しかし……、夜中や朝イチってのはまいったよなあ……。って事は朝**ピーやら、寝相やらを見て……。


「あ゛~~~~~~~~~~~~~~っっ!!!!!」

 ――ってまさか記録を撮られた!?


 そこまで思考が及ぶと、さすがに驚愕を隠せなくなって廊下で叫ぶ。

 くっ!! どっどうしよう。一葉ひとはあたりに頼んでハッキングして削除デリートしてもらうか? いやいや、十二単衣あいつらは逆に面白がって拡散しかねない。……ヤバイ……どうしよう?


「水上か。補習は無事に終わったか?」

 と、そんな事を悶々と考えていたら、後ろから祥焔かがり先生に呼び止められた。


「あっ、祥焔先生。……はい、終わりました」

 一瞬、Parasite eyeをくれた恨み言を言おうか迷うが、まだ確信があるわけではないので一旦不満を飲み込む。


「そうか。ならちょっと機械科準備室まで来てくれ」

「……はい?」

 呼び止められた理由に心当りがなく、曖昧に返事をしながら祥焔先生について行く。


 そうして備室に行き、促されて部屋に入ると、夏の強い日差しをバックに、長い髪の女性のシルエットが目に飛び込んできた。


「連れて来たぞ」

 祥焔先生がその人物の隣に立って俺を示す。


 陽光に目が慣れてくると、後姿のその人物の髪が、腰までのストレートで赤っぽい色に見えた。


 ……誰だ?

 そして祥焔先生に促されて振り返った人物を見て驚愕する。


「――!!」


 祥焔先生の隣に立った女性。はたしてそこには。


 ――霞さくらが居た。


 呆然と見つめる彼女は自分の記憶とは全然違っていた。

 今の彼女は淡いモスグリーンで幅広横ストライプの、飾りっ気のない長袖ワンピースだった。

 160センチの身長、43キロ、B82・W52・H81 と、体型は当時のプロフィールのサイズとさほど変わらないように見える。

 ロシア系ハーフらしい顔立ちに、細面で大きな瞳は琥珀色ウルフアイ、ツンととがった鼻は嫌味でないくらいの高さで、可愛らしい小ぶりな唇は桜の花びらを思わせる。


 ――はずだった。

 眼前の彼女は、左の瞳は白色変異アルビノの様に赤く異彩虹色オッドアイになり、その瞳は縦に真っ直ぐ水が流れた様な、赤みを帯びた大きな傷跡が残っていて、“黒姫”とファンの間で言われた長いみどりの黒髪は、今は光り輝く見事なまでの紅銀髪スカーレットシルバーに変わっていた。


 驚いている俺をよそに、祥焔先生が淡々と喋る。

「紹介の必要はないな? 彼女は休み明けからこの学校の一年、機械科に編入してくる」


「はっ初めまして、水上裕貴君。……霞さくらです」

 彼女はそんな俺を見て少し眉根を寄せるが、何とかぎこちない笑顔で挨拶をした。


「……………さくら」

 呟きながら久しく聞かなかったその声に、別れ際に送った和歌を思い出す。


(……さくら花 ぬしを忘れぬものならば 吹き込む風に言伝ことづてはせよ)

 同時に、いかに自分がさくらの声を渇望していたか思い知らされ、そして知らずに頬を涙が伝っていた。


 ――その後、呆然自失している俺を祥焔先生が見かねたのか、一旦家に帰ってから自宅で詳しい話をすると言うので、あたふたしつつそれに従った。

 その間、彼女は黙って俯いてしまい、同じく祥焔先生に言われるままにしずしずと従っていた。


 そうして一足先に家に帰り、二人分のお茶を用意していると、ほどなくしてチャイムが鳴ったので二人を家に上げた。

 律儀にお茶菓子を買ってきてくれたので、さっそくそれをお茶とともに出しつつ、リビングに三人でソファに座ると祥焔先生が口を開いた。


「先日話した通り、彼女は私と同居しつつ、今の時代のフォローを水上に頼む事になる」

「ハイ……」

 あまりの変貌ぶりに“霞さくら”から目が離せない。


「……この髪か。まあもともとロシア系ハーフで銀髪の因子が出たのか、自閉していた時のストレスの為か、人口冬眠から覚めたらこの色になっていたそうだ」

 そんな風にうわの空の俺の考えを察したのか、祥焔先生が彼女の髪を示して説明してくれた。


「銀髪? でもその赤は……」

 

 ビクッ!

 そう聞き返すと、彼女が震えて身を固くした。

 そしてそれだけで彼女がその髪をどう思っているのか分かってしまった。


「これは人口冬眠に使われていた人口羊水の色が定着したか、毛根に変化が生じて血が混じったようでな、詳しくは調べてないから原因は不明だ」

「そうですか。……でも人口冬眠が実用化されていたなんて知りませんでした。そしたら不治の病の人とかに有用な技術だと思うんですけど」

 彼女のリハビリが終り、ここへ来るのを待つ間に感じた疑問を聞いてみる。


「確かにな。だが、そもそも冬眠自体が普通の人間には不可能な生理現象だし、体温を16℃まで下げなきゃならない上に、心拍数も数分間に一回に下げるとか、個人専用に開発した人工血液まで作らなきゃならないそうだ。そしてその低体温のまま意識を長期間正気に保つこと自体、正常な人間なら不可能だろう。眠らせれば意識は防げるが、冬眠中の余計な投薬の副作用は予測がつかないという話だ」


「なっ!! ……っと、確かに……」

 その説明に驚愕する。

 専用血液に入れ替えられた上に、長期にわたる拘束と低体温に意識が晒される。

 ……そりゃ確かに覚醒している人間には拷問でしかないし、自閉していた彼女だからこそ可能だったんだろうな。それにどれだけの費用が掛かるか想像つかないや。


 そう思いつつ、大島護さんが事故直後に、かかる事態を予測した上でお父に件の依頼をしたのだと知り、今更ながら納得して二人の英断に頭が下がる。

 まったくあの二人は……。

 そうして改めて彼女を見ると、傷痕は多数あれど、二十五年も経った様な老化は見えず、せいぜい数歳年を取ったくらいにしか見えなかった。

 

「……とまあ、私からの説明はこんなところだ。後は彼女から詳しい事は聞いて対応してやってくれ」

「「え!?」」

 立ち上がって席を外そうとする祥焔先生を二人で振り返る。

「当たり前だろう。休みなのは学生だけだ。私はこれで学校に戻るから、帰りは彼女を家まで送って行ってやれ。セキュリティーは彼女の声で解除できる様にしてある」


「う……、はい、わかりました」

 何か言う前に理路整然と畳み込まれてしぶしぶ返事をする。

「………………」

 彼女も僅かに顔を上げただけで、再び俯いて黙ってしまう。


 そうして祥焔先生を玄関まで見送り、リビングに戻り、再びソファに腰を降ろす。


「「………………………………………………………」」

 きっかけがつかめないまま、気まずい沈黙が流れる。


「…………裕貴君の部屋に行ってもいい?」

 しばらくすると彼女から声を掛けてきた。


「えっ!? あっ、ああ、いいですよ」

 そう答えると、すっくと立ちあがってリビングを出て、よどみなく二階の俺の部屋に彼女が向かう。

 ……この足取り、まさか。


 そうして部屋に入ると、専用クレードルPITの置いてある棚の後ろを覗き込む。


「どうしました?」

「うん、えっとね……あった!」

 答えながら彼女が棚の裏を探って何かを見つけた。


 チャリーン……。

「そっそれは!!」


 彼女が見つけたそれはなんと、無くしていたと思っていた自転車の鍵だった。


「どっどうして……?」

 鍵を渡されながら訪ねてみる。

「ふふふ、A・Iさくらのささやかなウソ」


「なるほど、さくらが、……ああいや、“さくらAlpha”か」

「そう。“012”と交代して、夜中にSIMピンなんとかってピンを入れ替えて、調整作業をしている時につまずいたのよ」


「調整? ……って何をしてたんですか?」

「A・Iさくらは極めて私に近くプログラムされていて、人間と同じように間違いや不正確な行動を起こすよう“ゆらぎ”を設定されていて、そ裕貴君のDOLLにあわせるため調整作業をしていたそうなの」


「そうか、それで俺が起きても反応しなかったり、呼吸をするような仕草をするようになったのか。……ってさくらさん、どうしてそれを知っているんですか? まさか……」

 先ほど感じた疑問を聞いてみた。


「ええ、裕貴君に関する記録は全部見たわ」

「くっ、やっぱり。……ってさくらさん?」

 素直に答えたかと思うと、彼女がいきなりワンピースの背中のホックを外し、服を脱ぎ始めると不可解な事を言った。


「裕貴君にわたし、“霞さくら”を登録して欲しいの」

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