暁桜編〈“012”〉
ひとしきり子供の様に泣いてフローラが顔を上げて見つめてくる。
「「…………」」
潤んで少し眉根を寄せ、すがるようにその青い瞳で見つめられ、優しくキスをしてあげたい衝動に駆られるが、そっと涙を拭うだけに留める。
そして、とりあえずこれ以上頭をぶつける事態にならないよう、フローラの体にバスタオルをかける。
するとフローラが口を開く。
「…………はあ、やっぱり雨糸の言う通りだったか」
「雨糸?」
なぜここで雨糸の名前が出るのか分からずに聞き返す。
「実は朝、雨糸に連絡した時、大まかな事情は聞いていたんだ」
「えっ!? ……あっ !そっ、そう言えば雨糸から面会時間を聞いたんだっけか」
土下座までして必死に
……いや、それとこれとは別だな。
「ああ、それでその時に沐浴の介助を裕貴に頼む事も言ったんだが、アッサリOKされた」
「ええっ? ――ってなんで雨糸に聞くのさ」
そう聞き返すとフローラがクスリと笑いながら答えた。
「雨糸は
「……そっか。で、雨糸は何て?」
「『いいわよ。裕貴がもしフローラに気持ちが傾くようなら、私は潔くあきらめる。けど、絶対それは無いと思うから私は全然平気。だから、私に遠慮せずお願いして見たら? でもフローラ、もしそうなったらフローラはかえって傷つくんじゃない?』……そう言っていた」
「……それは」
雨糸の
「ふっ、多少なりとも今の自分に自信があったから、裕貴の方からキスくらいはしてもらえると思っていたが、見事に雨糸の予想通りだったな……」
「いっいや、そんな事ないよ? フローラは充分以上に魅力的だよ!!」
自嘲気味に呟いて顔を伏せるので、慌ててフォローする。
「……オレが言っているのは、容姿じゃなくて気持ちの事だ」
「そっ……れは。………………すまない」
フローラの告白に一度は応えておきながら、誤魔化していた
「そしてさくらの事情を知って、オレも自分の本心が判った」
「本心?」
そう聞き返すと、フローラが自分の本心を語り出した。
「……以前は留学を理由に、裕貴を諦めなければいけないと自分に言い聞かせていた。……だが、昨日の一連の事態に思った以上に心が動揺している事に気付いて、この気持ちが本物だと知った。だから、今は裕貴を振り向かせる為なら全てを見せるのも平気だし、裕貴の負い目も利用するのも厭わない」
告白し、まるで真剣勝負を挑むような顔で俺を見据える。
「…………」
どう答えていいかわからずに困ってフローラを見つめていたら、フローラが首に手をまわしてきた。
「裕貴がさくらとの約束の事でオレになびかないのはよく判った。けどオレをあっさり振った事とは別だ」
フローラが泣き笑いの表情で俺の頬を触れる。
「そう……だね。すまないと思っている。だからできり事は何でもするよ」
そう言うとフローラがふるふると首を振った。
「……だから
「バツっ? って、んっ!!…………」
フローラはそう言うと、嬉しそうにキスをしてきた。
――その後、
「――よっと」
「んんっ!! ……ふふ、ありがとう♪」
痛みに顔をしかめながらも、頬を桜色に上気させたフローラが嬉しそうにお礼を言ってきた。
「………………いえ、どういたしまして」
即答できないほど疲労困憊し、ややあってようやく返事をする。
フローラの笑顔を見て、
それに、両手に残る先ほどの感触を思い出し、自分にとってもあながちバツだけでもないと感じた。
……しかし、生殺しで俺がいつまで保つかな……。
そうしてフロ―ラがナースコールをして婦長さんを呼ぶ。
じきに婦長さんが来て、俺とフローラを交互に見て声をかけた。
「フローラさんはゴキゲンなようね。よかった事。笑顔は何よりの治療薬よ。――それで彼氏さんは……、元気になる注射でもしようか?」
とか、笑いながらおっしゃりやがるので、
「中毒性があるヤツをお願いします」
と言ってやった。
その後、夢うつつで家に戻ると雨糸から連絡が入った。
『フローラのお見舞いはどうだった?』
「…………………いっそ殺して欲しいと思った」
『うふふ。でも落ち込んでなんていられないでしょ?』
「!!」
――そう言う事か。
『それで? これからも介助するの?』
「ああ、学校をそうそう休めないから二日に一度、夕食後に手伝う事にした」
『そう』
「…………」
気遣ってくれた事のお礼を言おうか、迷っていたら雨糸が遠慮がちに口を開いた。
『………………そっ、それで裕貴?』
「なんだ?」
『がっ、我慢でできっ……、なくなくなったらわったたしが、ああいててに……なるかっ……らねっ!!』
雨糸が思いっきり噛みまくりながら声を上げる。
恥ずかしいなら言わなきゃいいのに……。
そう思い、昨日から何度も俺に気を使わせないようにしつつ、しかし自分は目いっぱい気を使っている雨糸に感謝する。
でも気を使ってるのもバレバレなんだけどな。
「ありがとう雨糸。……そうだな、じゃあその時は。まあ、ふつつか者ですがよろしくお願いします」
笑いながら目いっぱいの感謝を声に込めてお願いする。
『――――うっ……うん。わ……わかった』
声を詰まらせながら、泣き出しそうな声で嬉しそうに返事をする。
諦められるなら、とうに諦めていた恋。
それは本人が一番よく判っているだろうし、これだけ俺を知っている雨糸には、偽装した嫌われアクションも通用しないどころか、逆に心配されかねない。
それを踏まえて優しく冗談を言ったほうが喜ぶだろうと思う。
雨糸がしばらく嗚咽を漏らしているので、落ち着いた頃に改めて聞いてみる。
「――そういえば、昨日言っていた“俺に言って欲しいセリフ”ってなんだ?」
『(グスッ)…………ん、それはさくらちゃんが戻ってこなかったからいいわ』
「そうか? なんだかわからんけどちゃんとお礼をしたいから、できれば叶えてやりたいと思うんだけど……」
『ううん、そんな大したことじゃないから。……でもそうね。覚えていくれたらそれでいいから、また今度にして』
「雨糸がそう言うなら……。分かった、覚えとく」
腑に落ちないものを感じるが、本人が良いと言うので聞かずに口をつぐむ。
『うん、そうして。……私はね? 裕貴』
雨糸がポツリと呟く。
「なんだ?」
『山桜みたいな裕貴が好きよ』
「!! ――あっ、ありがとう……」
どもりつつそれだけ答えて通信を切る。そしてある事を思い出す。
そうだ“山高み~”なんて和歌知ってたくらいだから、雨糸は古文もできる方なんだよな。
昨日は帰途に着いた車中でさくらへ返歌して、アッサリ本心を読まれた事に驚いたが、何の事は無い、自分が
そうして雨糸の和歌を調べて見る。
……作者不詳か。“――そばに居て慰めてあげられないけれど、私だけは知っているよ”、か。フローラが感心するわけだ。つか、俺が山桜って……。
良くも悪くも
同時に雨糸もまた、秘めた思いをどうする事も出来ずに一人悩んでいた。
……そうか、それでフローラは雨糸に気を使ってああ言ったのか。
ベッドに横になり、これから彼女達にどう接するべきか考える。
……結局、恋愛以外で全力で誠心誠意向き合っていくしかないんだよな。
„~ ,~ „~„~ ,~
その夜、明かりを消した部屋のベッドで物思いにふけっていたら、静かに扉が開き、人影がするりと部屋に入ってきた。
するっ、ささっ ふぁさっ。
……………ぎゅうっ。
衣擦れの音がしたかと思うと、その人影はするりとベッドに入ってきて、胸のあたりに抱き付いてきた。
「……涼香か。一葉も居るか?」
(ビクッ!!)
「いるわ」
抱き付いた人影が驚き、暗闇から声がした。
「ちょうどよかった。話したい事があるんだ」
(…………)
「何よ?」
抱き付いていた涼香は答えず、代わりに一葉が答えた。
起き上がって電気をつけると、一葉は
「……いつから知っていた?」
そう涼香に問う。
「なっ、ななっ、ににを?」
「涼香、いいわ。アタシが説明する。いいでしょ?」
どもって動揺した涼香に代わり、一葉が聞き返す。
「構わない」
「じゃあまずは裕貴はアタシに“何を”聞きたいの?」
一葉が涼香の横へ来て、毛布の裾を引っ張って涼香の下半身を隠そうとしながら聞き返す。
「ああ、そうだな。“涼香がさくらの正体と計画をいつから”――だ」
「ゆっっ!! おっお兄ちゃん どっどうして?」
涼香が激しく動揺して自爆する。
……その反応、間違いないな。
涼香のその様子に一葉が呆れる。
「まったく涼香は……。そうね、涼香の為に言っておくけど、涼香が知ったのは裕貴がフローラの告白を受け入れた時よ」
「なんだって? ……“012”、なぜ話した?」
しかし俺は涼香を巻き込んだことに腹を立て、責めるように“一葉”をコードネームで呼んだ。
「理由は単純。最初、フローラと裕貴がくっつきそうだったから、涼香に『それでいいの?』って聞いたら、涼香が『二人を引き離したい』って答えたからアタシが計画を立てたのよ」
だが一葉は悪びれず、肩をすくめただけで淡泊に答える。
「やっぱり……バカ野郎!!」
そう言って涼香を抱きしめる。
「おおおっ!! に、兄ちゃん……」
「……どうしてそこで抱きしめるのよ?」
一葉が呆れながら聞き返す。
「今回の事で俺は痛感した」
体を離しながら涼香の肩に手を置き、いたわる様に頬を撫でる。
「何をよ?」
涼香がその手を上から重ねて、しずしずと泣きながら頬ずりで返す。
「フローラ、雨糸、そして涼香。……お前らがどれだけ俺を知っているのかがな」
「……フフ。それで?」
一葉がそんな涼香の様子を見て笑い、それで観念したように一葉が聞き返してきた。
「あのままフローラと付き合っていたら、お互いに罪悪感と遠慮があって、間違いなくギクシャクした関係になっていただろうし、涼香は俺のそうゆう性格はよく知っていたから、涼香は一葉に相談した。違うか?」
「その通りよ」
「それで、ただ別れさせることはできないから、“012”はさくらの計画の継続を兼ねて、涼香に打ち明けて協力を願った」
「フン……。それで? 裕貴はどうしてそう思ったの?」
否定も肯定もせず一葉が聞き返す。
「“012”は俺が“さくら”を好きだって事も、涼香から聞いて雨糸が俺を好きだって事も知っていた。てか、俺の人間関係の調査……。じゃないな、ハッキングはしてたと思う。後は記録に残っていないような、俺の性格とかの情報も涼香から聞いたんじゃないのか?」
「それで?」
一葉は答えずにさらに聞き返す。
「それでこれは推測だが、“012”はさくらと交代して涼香のDOLLにインストールしてもらう為に、大島社長か緋織さんと約束をした」
「どんな?」
俺も問い返されるまま持論を語る。
「さくらと入れ替わった後、“涼香のDOLLにインストールしてくれたら、計画に協力する”とかなんとか言ったんだ」
「ふふ、正解だけど、どうしてそれで計画を継続させる事と、フローラと別れさせる事になるのかしら?」
「正直俺は頭は良くない。だから直感でしかないから“012”がその結論に至った経緯は分からない。けど、今現在の状況はどうだ?」
「どうだ。とは?」
「雨糸は想いを打ち明けられたし、俺に協力する事も出来た。フローラは変な遠慮が無くなって、俺の獲得宣言までした。さくらは当初の目的通り、“霞さくら”を目覚める事に成功した。俺は特定の女子に好意を向けられなくなって、とりあえず将来の恋人関係は白紙になって、“霞さくら”をフォローできる状況になった。――この今の状況を見ろよ。俺以外“まだ誰も失恋していないし、誰も不幸になっていない”じゃないか!」
「…………」
言い切ると一葉が黙るが、かまわず話を続ける。
「さくらが居なくなった直後の状態から予想される事態と、最初に雨糸が声をかけた事で事態が急変した。それを疑問に感じて、
「そうよ」
「ウソもつける。必要があれば人も
「涼香を心配させない為にした事で、“涼香は知らない事だ”って言ったじゃない」
「ああ、だがこれだけ俺と親密な涼香に隠し通すのは無理があるし、長く秘密にしたらかえって涼香を傷つけてしまう。そんな事が分からない
「……そうね」
「それで、――実は涼香も計画の事を知らされていて、祥焔先生に必要な情報をリークしたり、雨糸へ涼香を騙って連絡をして俺と雨糸を動かして、今の状況へ誘導したのは“012”じゃないか? ……って思ったんだ」
「どうしてアタシが裕貴の為にそんな事を?」
濡れ衣だと言わんばかりに、怒るように腕を組む一葉。
「それは……。雨糸や涼香たちと同じように俺を心配した“012”は……」
言い切ろうかどうしようか迷い、思い至った理由に照れて言いよどむ。
「それは? ……アタシが何よ?」
そんな俺を見てフッと笑ったかと思うと、促すように聞き返して布団の上を一葉が近づいて来る。
「俺を好きだったから。……“012”は最初に出会った“さくら”だから」
「うふふ……。違うわ」
そう言って笑いながらお腹のあたりに触れてくる。
バチッ!!
一葉にいきなりライトスタンをかまされる。
「痛ってーー!!」
声を上げ、腹を抱えて
「――“好きだった”じゃなくて、“好き”なのよ。裕貴」
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