暁桜編〈主を忘れぬ……〉


 雨糸が目覚め、祥焔かがり先生の車で帰途に着く時。

 ブルーフィーナスを出ると、大島社長と緋織さんが地下駐車場まで見送りに来てくれた。

「紹介の詳しい段取りは、彼女のリハビリの進行状態を見てするから、追って連絡をするわね」

 緋織さんが言う。

「分かりました」

 おれが答えると、雨糸が口を開く。

「あっあの……」

「なんだい?」

 大島社長が聞き返す。

「ええと、雛菊デイジーが“ノしちゃった”警備員さん達はどうなりました?」

 それには緋織さんの肩に乗った逸姫いつひめが答えた。

「心配しなくてもみんな自衛隊やアスリートあがりだから全然大丈夫よ。あれからみんな一時間もしないうちに目が覚めて、社長直々にお詫びとお見舞いを貰っているわ」

「ああ、そうですか。よかった」

「ふふ、デイジーの無茶をもう自分の事みたいに心配するなんて、ーちゃんは良い子ねえ」

 雨糸が安心すると、逸姫が感心する。

「そうアル! やっぱりデジーの目に狂いはなかったアルネ!」

 雛菊が胸を張る。

 そのやり取りに、一つ思い出した事を聞いてみる。

「……そう言えば、さくらが増やしてくれた俺の小遣いが、億を超えちゃってるんですけどどうしますか?」

 それには祥焔先生がぶっきらぼうに答え、大島社長も賛同した。

「貰っておけ。父親の事から始まって今回の事も含めて、賠償と言えば聞こえは悪いが、無償で済ますにはお前たち親子の負担があまりにも大きい」

早生都わせみや先生のおっしゃる通りだよ。本来ならこちらから渡したいところだが、学生には少々面倒な手続きがあるので、便宜上そのまま今回の経費や謝礼として思って扱ってくれると助かる」

「ですが、億なんて金額ケタが違いすぎて……」

 言いよどんでいると逸姫が釈明した。

「いいのよ、“霞さくら”はまだまだ体調が不安な部分が多いから“彼女に何かあったら”、今日ここへ来たみたいにヘリをチャーターするような事態があるかもしれないわよ?」

(……確かにそうかも)

「分かりました」

 そうして軽く挨拶を交わし、ビルを後にする。

 ここまで来てくれた雨糸に申し訳ない気持ちと感謝を伝えたいが、それは二人っきりの時に改めてしようと思い雨糸を見ると、雨糸も判っているわよ、と言う様に少し寂しげに微笑んで首を横に振ってくれたので、それに少し長く頭を下げて答える。


 「「「……………………………」」」


 そうして3人とも無言なまま、祥焔先生DOLLの白雪しらゆき自動運転オートドライブに任せたまま、流れる都会の夜景を車窓からぼんやりと眺める。

 車の時計を見ると時間はすでに夜の10時を回っていた。

 それを見て、大事な事を思い出す。

「……そうだ! 忘れていたけど家に連絡してないや」

「あっっ!! 私も!」

「それなら心配要らない。私の引っ越しを手伝ってくれた事にして、今日はねぎらいを兼ねて泊めてやると二人の親に連絡しておいた」

「「!!」」

 雨糸と顔を見合わせて驚く。

(まさか!)

 それを聞いてとある疑問がよぎり、祥焔先生に聞いてみる。

「先生は今回の事最初から知っていたんですか?」

 すると、言いにくそうに答えてくれた。

「……ああ」

「いつからですか?」

「水上がDOLLを私の所へ持って来た時に緋織にコンタクトを取った」

 やはりと言う思いと共に、もう一つの疑問も聞いてみる。

「……そうでしたか。じゃあさっき言っていた“俺を誘導した”ってのはどういう事ですか?」

「誘導?」

 その質問に雨糸が首を傾げる。

「それはお前たちがフローラと連絡を取りながら“010”をダウンロードしようとした時、私が緋織に提案してセキュリティーをコントロールしたことと、ブルーフィーナスに入る時に認証をブロックして、わざと警備員にぶつかる様に仕向けた事だ」

「ええっ!?」

(やっぱり……)

 その告白に、周到に準備されてきた計画を先に聞かされていた俺は納得したが、寝起き(?)で知らされた雨糸は驚いた。

「……すべては“霞さくら”に心からの呼びかけを俺に叫ばせる為の演出だったんですね?」

 拳を握りしめ、絞り出すように言う。

「その通りだ」

「そんな。……じゃあ先生達は最初からさくらちゃんが裕貴の元に戻らない事を知っていて、裕貴をここへ来させ――」

 非難しかける雨糸の手を握って首を振り、言葉を遮る。

「雨糸。いいんだ」

「でも、それじゃあ裕貴はただ利用されただけじゃ――」

 さらに強く握って遮る。

「いいんだ」


「……裕貴」

 雨糸が涙を流し始める。


 本当の事を言えば、利用されたのは俺だけではなくクソ親父やフローラ、雨糸も含まれるのだが、ここで俺が“こんな仕打ちってねえよ!!” とか言ってごねたり騒いだりすれば、好意から協力してくれたフローラと雨糸をさらにおとしめてしまう。


(……そんな事をするくらいなら、いっそ俺が涙を呑んで全力で二人に感謝を示した方が良いに決まっている)

 だが、そんな俺の本心を言えるわけもなく、代わりに努めて建設的な意見を言う。

「突然いなくなったさくらと再び会えたし、きちんと別れも済ませた。フローラと雨糸、本当に二人には感謝している」

「……そんな……、私は…………うっ……」

 顔を両手で覆い、嗚咽を上げ始める雨糸を、雛菊が耳のあたりに手をまわして抱きしめる。


「……そうだ雛菊、さくらに伝言を頼めるか?」

「……いいアルよ。何アルか?」

 ずっと黙って聞いていた雛菊が、申し訳なさそうにチラ見だけで俺を振り返る。

「じゃあ、


〈さくら花 ぬしを忘れぬものならば 吹き込む風に言伝ことづてはせよ〉


……と、この歌を頼む。返信はいらない。さっきの返歌だ」

「分かったアル……、送ったアルよ」

 それを聞いた雨糸が顔を上げ、クシャクシャにした泣き笑いの顔で聞き返してきた。

「……もう、裕貴ったら未練たらたらなのね。その歌は確か菅原道真すがわらのみちざねの歌で、『桜花、おまえが主人を忘れないものなら、春風にのせて私への言葉を託しておくれ』って意味ね? 裕貴の場合、『叶うならもう一度さくらおまえの声が聴きたい』って所かしら?」


「雨糸!! ……おまっ!! 知って……」

 まさか知っていると思っていなかったので驚く。

「菅原道真は陰陽おんみょう関係の人物でも有名で、ゲームにもよく出てくるから調べた事があって知ってるのよ」

 ハンカチで顔を拭いながら、得意げに言う。


「俺の心にプライベートは無いのかよ……」

 そう自虐ネタで誤魔化そうとするが、鼻の奥が痛くなり、たまらず雨糸に背を向けてしまう。


 すると雨糸が背中に寄りかかり、そっと囁いてきた。

「……ふふふ。私はそんな裕貴が大好き」


 ――途中、遅い夕食の為レストランに寄るが、ほとんど食べられずに再び帰途に着く。

 そうして深夜12時近くになって祥焔先生の新居に到着。雨糸とそれぞれ別に部屋をあてがわれ、シャワーもそこそこ浴び、ベッドにTシャツとトランクス1枚で倒れ込むと、ようやく長い一日が終ろうとしている事に気が付き、ある種の感慨を覚える。

(…………ふう、長かった……。雨糸には改めてお礼を言って約束を果たすとして、明日はフローラに事の顛末を説明しなきゃ……。つか、軍事機密って、どこまで説明できるかな……。さくらが言った通り、霞さくらに向き合うためって言ってフローラは納得してくれるかな?……。ああでも、軍事機密はその言葉通りでいいとして、最大の難問は霞さくらのフォローの件じゃないか。…………どうやって説明しよう?)


 そんな事を考えつつ、今は無表情となったDOLLを見てため息をついて、うつ伏せのままマクラに顔を埋めると、以外にも簡単に眠りに落ちた。


 „~  ,~ „~„~  ,~

 

 翌朝、正確無比に6時半にDOLLに起こされた。

(夢じゃ……ないよな。やっぱり……)

 無表情なDOLLを見てため息をつく。

 そうして着替えが無いので昨日のズボンだけはいて居間に行くと、先生に借りたっぽいジャージを着た雨糸が、朝食の用意を終えてダイニングテーブルに座って雛菊と話していた。

 挨拶をすると雨糸は俺の顔を見るなり、何やら言おうとしてキョドっていたが、雛菊が代わりに話してきた。

「おはようアル。裕貴、今フローと話してたアルけどフローが、『今日は10時くらいに病院に来てくれ』って言ってたアルよ」

「……10時? まあ、俺も着替え取りに家に帰らなきゃいけないし、昨日の説明が長くなりそうだから、学校フケるつもりでいたからいいけど……」

「そうなんだ。私も着替えが欲しいから朝食食べたら少し早めに出るね」

「ん、判った。それじゃあ家は俺の方が近いから、後片付けは俺がやっとく」

「ありがとう」

 そう言って雨糸に礼を言われてテーブルにつくと、並べられた朝食に驚く。


「……おお。いいな」

「……どうしたの?」

「なんか、そこはかとなく小技の利いたプロ並みの料理だな。って思ってさ」

「え!? 判るの?」

 メニューはいたってシンプルな、パンにサラダとコンソメスープにオムレツ。

 だが、サラダはレタスは手でちぎられていたし、コンソメスープはしっかりとカリカリに炒められたベーコンに、スライスされた玉ねぎが具になっていて、みじん切りにされたパセリが浮かび、メインのオムレツは焦げ目のないラグビーボールの形に綺麗に整えられていた。

「ああ、涼香が家で一緒に暮らしてた頃、ママが涼香に料理を教えていてね」

「へえ、そうなんだ」

「うん。手が使えない涼香の代わりに俺がメモを取っていたから、ウンチクはそこそこ知ってる」

「例えば?」

「レタスは金属臭が付きやすいから手でちぎるのが良くて、ベーコンはカリカリに炒めた方が風味が良くなる。あとはオムレツは焼き加減と形を綺麗にするのが、それなりに数をこなさないとできるようにならないって聞いてたぞ」

 そう言うと雨糸は照れたように赤くなり、すこしどもる。

「えええっ……と。じっ実は、そっそうなんだよ。わわ私んちは父子家庭だったから、ちっ小さい頃から料理やってたかっ……から」

「そうか。そうだよな。なんか無神経な事言ってすまない」

 そう言うと、雨糸が気を落ち着けるように息を吐く。

「ふう、……ううん。いいのよ。それどころか判ってくれてすごくうれしい」

「レタスを手でちぎったって事は包丁が錆びてたか、切れなかったのか?」

「うん。先生料理苦手みたいで、普通の食材が卵と玉ねぎしかなくて、ベーコンとオムレツの中のチーズはおつまみ用のだったのよ」

「……くっ あんの百合教師、知識だけで女子力を蓄えてこなかったのか?

「えっ!? 祥焔先生ってソッチの趣味の人だったの?」

 なにやら目を☆にして喜んでいる。

「ああ、昨日緋織さんと話している時に結婚がどうとか言ってた」

「その話を詳しく!」

 雨糸がテーブルに手をついて、あきれ顔の雛菊を尻目にして、前のめりに聞いてきた。

「あっああ。いいよ……」

 少々引きながら昨日の事を話す。

 話し終る頃、居間の入口の方からから声ドアが開く音が聞こえたので振り向くと、祥焔先生が大あくびをしながら立っていた。

「おあああ!!」

「きゃっ!!」

 見ると祥焔先生は、派手なレースをあしらった上下セットの黒い下着姿をしていて、雨糸と二人で驚く。

「ふあああ……。なにか私の話をしていたようだが……」

 小柄なくせに出るとこは出て、引っ込むところはしっかり凹んでいる、バランスのいい体型にドギマギする。

「ああはい。あ、いや、てかいくら自宅でも生徒を前にその恰好はまずいですよ!」

 動揺しつつ、風呂上がりの無防備な父ちゃんを叱るムスメのように、困惑しながら抗議する。

 雨糸は口元に手を当てながら、祥焔先生の体を上から下までしっかり見ているようだった。

「仕方がなかろう。部屋着は雨糸に貸したし、普段は何も着けないで寝るのが習慣になっているんだから」

(ジャージが部屋着って……、 ヤローかよ!)

「そっ! でっでも、仮にも生徒の前で半裸は……」

「ああもう! 朝っぱらからうるさい小僧だ。わかったから少し黙れ。着替えてくればいいんだろう?」

(小僧て……、こ~~の百合教師め!)

 心で悪態あくたいをつきつつ、着替えてきた先生に今日は休むことを伝える。

 昨日学校に自転車を置いてきた雨糸は、祥焔先生と一緒に登校するようにしてもらい、俺は泊めてくれたお礼を言い、後片付けをして一旦家に帰る。


 „~  ,~ „~„~  ,~


 家に着いて普段着に着替えると、10時までまだ間があったので、ベッドに突っ伏すとため息が漏れた。

(……バタバタしてると感じなかったけど、一人だとやっぱりダメージが残ってるのが判るな)

 そうして昨日借りたキーボードとマウスをお父の部屋に戻し、家にあったフローラの予備の下着を袋に詰めて家を出る。

 病院に着きフローラ部屋をノックすると、返事があり中へ入る。

「来たか裕貴」

「おはようフローラ。昨日は入院中なのに色々とアドバイスをくれてありがとう。そして――」

 そうしてつかつかとフローラのそばまで行き、掃除の行き届いた病院の冷たいリノリウムの床に額を付けて土下座をする。

「……なんのマネだ?」

「ゴメン、あれだけ面倒掛けたのに、結局さくらを取り戻す事が出来なかった」

「ほう? それはどういう事だ?」

 フローラは怒りも感嘆も見せない声で、淡々と聞き返してきた。

 床に膝を付いたまま、昨日の顛末を機密以外の事を正直に語る。

 フローラは少し俯いて、静かに聞いてくれた。


「――と言う訳なんだ」


 10数分ほどで話し終え、顔を上げてフローラの様子を伺う。

「…….Indeed it's OKAME.」(まさにオカメだな)

「え? 何だい?」

 意味が分からずに聞き返すと、俯いたフローラが拳を握り、その上にはポタポタと滴が落ちていた。

「フッ、フローラ!! どっどうしたの?」

 立ち上がってベッドに手を付いて、髪に隠れた顔を覗き込むように聞いてみる。

 しばらく顔も隠さずはらはらと泣いていたが、原因が自分にあるのは判り切っていたので、それ以上聞かずにそっと見守っていた。


「………………結局、私はまさに彼女を誘い出す天鈿女命アメノウズメだったわけだ」

「!!」

 おそらくは的を得た真実を、自虐的に呟くフローラ。

 逆説的に考えても、フローラが居なくて、交流がなかったら、“012”は“alpha”と交代する事はなく、ごく普通に俺と接していただけだったろう。

 それに気付き、改めてフローラに強いてしまったプレッシャーを痛感する。

 発端ではないので謝る筋合いではないが、それでもケガまでさせた上に、フローラの気持ちまで踏みにじるような、大島さん達の計画の片棒を担いだのは事実なので、改めてそれをすまなく思う。

「こんな結果を招いて本当にすまない。気が済むまで殴ってくれて構わないし、俺ができる償いは何でもする」

「realiy?(本当か?)」

「ああ」

 そう答えると、フローラはしばらく考え込んだ後、涙を拭わないままの顔をおずおずと上げ、遠慮がちに聞いてきた。


「………………………じゃあ、昨日約束した事をして欲しいの」


「――ってそれってまさか!!」

(雨糸にしたようなキスをして)……フローラがそう言った事を思い出す。


 フローラが上目遣いで懇願するようにうなずく。

 男としての保護欲を掻き立てられるようなフローラのその泣き顔に、激しく胸をかきむしられる衝動を覚える。

「でも、霞さくらさんが来たら、俺はもうフローラの気持ちには応えられないかもしれないんだよ?」

 そう言って約束を反故ほごにする罪悪感を感じながら念を押す。


「……Kiss me please.(キスして)」

 フローラはコクンとうなずいて応える。

 


「分かった」


 そう言ってフローラの顔を両手で挟み、涙を親指でぬぐいながら優しく唇を重ねる。

 しばらくフローラの震えた唇を優しくほぐしながら唇を重ね、収まってからそうっと離して涙を唇でもう一度拭う。

 するとギュッと抱きしめられたので、もう一度唇を重ねながらフローラを抱き返す。


「「……………………………」」


 お互いの唇を探る様に何度か口づけを繰り返すと、フローラの抱きしめていた腕が脱力して嘆息が漏れる。

「…………………………Ahha.....」


 それを合図に顔を離して名を呼ぶ。

「フローラ……」


「I love you.……」


「……ありがとう、フローラ。とても嬉しく思うよ」

 再び告白されるが、もう好きだとは言って返せず、代わりにそう言って見つめていたら、フローラからキスをしてきた。


「「……………………………」」


 顔を離して見つめあっていると、フローラがその訳を答えてくれた。


「私はそんな優しい裕貴が好き」

「優柔不断なだけじゃ……」

「じゃあそれにつけ込んで、もう一つお願いがあるの」

「なんだい?」

 すると少しいたずら気味に笑いながらフローラが言う。

「沐浴を手伝って欲しいの」

「えええっ!?」

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