暁桜編〈散るを惜しまぬ……〉


 ――『ウイの目が覚めたアル』

 レトロなブラウン管ディスプレイから、画面に雛菊の声と共にメッセージが表示された。

「わかった。では私が彼女に説明に行こう。“010”、話しても大丈夫かな?」

 大島社長が俺の肩から手を離し、パソコンのマイク部分に向かって話しかける。

『うん、まだボーっとしてるアルけど、話はできるアル』

「そうか。では話すが、この件は彼女は理解できそうかね?」

『問題ないアル。ウイはキチンと理解できるし、受け止められる強い女アル』

「そうか。良いマスターに出会えたようだな」

『パパ! 違うアルよ。ウイは“最高の友達”アルよ?』

「友達か。そうか。ふふふ、それはすまない」

 口元に手を当て、殴られた顔を押さえながら微笑む。

『あとパパ?』

「なんだね?」

『デジーはこれから先、ずっとウイと居たいアル。許してくれるアルか?』

「いいとも。今までご苦労だった。好きにしなさい」

『ありがとうアル。デジーを作ってくれて感謝してるアル』

「そう思えてくれたら何よりだ。――あとこれからは、必要なデータやプログラム、お金を好きなだけ使っていいから、さくらと裕貴君をサポートしてやってくれないか?」

『もちろんアル!』

「じゃあそちらへ行くよ」

『待ってるアル』

 そうして大島社長は部屋を出ていく。

 すると今度は祥焔かがり先生が口を開いた。

「どうだ緋織? 私の言う通りになったろう?」

「……そうね。完敗だわ。人の性格の読みはさすが教師と言った所かしら?」

 この口ぶりから察するに、どうやら俺の行動を予測しあっていたらしい。

「……俺をダシにして二人でネタにでもしてたんですか?」

 それが面白くなく、すこし不機嫌に聞いてみる。

「なあに。緋織が“水上はもうフローラを選んだからさくらを追いかける事はない”って言うから、“お前の周りの女どもがお前をフォローするだろう”って言ってやったのさ」

「くっ……! まあ、そうなりましたけど」

 その通りの結果に納得しつつ、俺の周り才女が多すぎると同時に思う。

「いいわ。約束通り結婚してもいいわよ」

(なにいっ!? ……って二人はそんな事が言える関係だったのか?)

 驚きながら二人を交互に見つめる。

「それだが、一部私も誘導したフシがあるから、今回はチャラにしてやろう」

 祥焔先生が笑いながら肩をすくめる。

(……誘導? もしかして雨糸がインターホンで聞いてきたセリフの事か)

「そう? あなたが良いならそれでいいわ」

「紙切れ一枚で、お前が言う事を聞くようなタマじゃないぐらいは知っているからな」

「その通りよ」

 そんな話を一緒に聞いていた緋織さんのDOLLの“逸姫”が、イラついたように口を開く。


「もうっっ! ひーちゃんも祥焔もいつまで喋っているのよっ! “alpha”とゆー君はもう会えないんだから、二人っきりにさせてあげなさいよっっ!!」


 その言葉にさくらを振り返ると、さくらもまた俺を見つめていた。

「……そうね。申し訳なかったわ」

「じゃあ水上、後でな」

 そう言ってみんな出て行き、さくらと二人っきりになる。


 机の椅子に座り、さくらが肩からテーブルに降りる。

 今朝から様々な事が起こり、雨糸やフローラの後押しを受けてここまで来て、さらにはさくらの正体から作られた理由や、父親とのかかわりまで聞かされ、正直さくらともう会えないと言うわれても実感が湧かず、言葉が出ずに黙り込む。


「「…………………………………………」」


 しばらくお互いに見つめあっていたら、さくらが口を開いた。

「……実はね? ゆーきのお父さんが霞さくらPrimitiveと知り合いだったというのは、“さくらも知らなかった事”なのよ」

「ええっ!? そっそうなのか?」

 驚いて聞き返す。

「うん。緋織ママは学者だから、現実のしがらみがさくらの性格に影響を及ぼすのを恐れたのと、覚醒後の時代の変化のギャップに本人が戸惑わないようにって配慮して、さくらにはPrimitiveの交友関係は全くインプットしなかったの」

「そうか、だけどどうしてその事情をさくらが今知っているんだ?」

「今のさくらは役目を終えてあらゆる制限が解除されているから、さっきの護ちゃんの告白を調べて見たの」「なるほど、さくらはどんなところでも出入りできるんだったよな」

「ええ、ゆーきのお父さんの昔のメール履歴から護ちゃんの日記までね」

 悲し気に俯いてそう言うさくらは俺と同様、真実を知ってしまった憂いが見えた。

「どうしてさくらはそこまでの権限が与えられているんだ?」

 その姿を見て、これまで聞けずにいた最後の質問をしてみた。

「その答えを言ったらゆーきは、“本当にこの件から抜け出せなくなってしまう”わよ?」

「ふっ、あれだけ俺の泣き顔から恥ずかしい所まで見ておきながら、自分は見せられないって言うのか? つか、それがさくらが俺を遠ざけようとしてた理由の一つじゃないのか?」

「……ゆーき」

 冗談めかして言うが、さくらは顔を覆い、泣きそうな顔で見つめてくる。

「話せよ。さくらが背負っていたものの半分を俺にも背負わせろ」

「ダメよ」

 さくらに一蹴されるが食い下がる。

「そんな顔をして何を言うんだ。それにここまで来た俺に言っても無駄だ。さくらが話さないならみんなを巻き込んでその理由を探るぞ」

「それは困るわ……」


 そうしてさくらが話し始める。

「ママは最初、さくらを完成した形でプログラムしようとしたわ。だけど、どうしても護ちゃんが納得できるような、霞さくらと同じリアクションをするキャラクターにならなかったの」

「まあ、ましてや本人があんな状態じゃ比較もできないし、相当苦労しただろうな」

「ええ、それで最初から人間的な思考をするシステムを模索して、軍用A・Ⅰに注目したの」

「軍用!!」

「そう。感情データは芸能プロダクションだから豊富にあったけど、その元となるフォーマットの人格行動原理アルゴリズムはどうしても開発できなかった」

「……」

(んで、そのアルゴリズムのシステムを入手したわけか。……軍が人間的思考システムを開発していた理由と目的が機密扱いになるって事か。確かにそんな話は雨糸には聞かせられないな)

 雛菊が雨糸を気絶させてまで遠ざけた理由に納得する。

「そうしてそのシステムの提供を受ける代わりに、その研究結果を軍に提供する協力関係を築いたのよ」

「俺との事が開発の一環で、軍事機密になる訳か」

「そうよ。さくらがゆーきの元へ帰れないのは、Primitiveへ意識を向けさせる為だけじゃなくて、さくら自身が様々な機密を抱えているからなの」

 これだけ人間に近い分、説得で何とかなるのではないかと言う甘い考えがどこかにあったが、今のさくらの告白で感情的にも理屈でも完全否定され、心に絶望感が広がる。


「…………じゃあ、さくらが俺の元へ帰れることは本当にないんだな」


「その通りよ」


 そんな俺の様子を見て、さくらが俺の指を抱きしめて頬ずりする。

「“お前以外のキャラは使わない”って言ったじゃないかよ……」

 俺同様、落ち込むさくらを安心させたい気持ちがあるが、どうしても言いたくなる。

「ごめんなさい」

 さくらが抱えた右手を預けたまま、空いた左手で顔を覆うと、手の平に涙が伝うのを感じた。


「……俺はお前が好きだ」

「さくらもゆーきが大好きよ」


 顔を覆っていた手を離して机に置くと、その腕にさくらが乗って、背伸びをするように俺の顎に触れ、伝っていた涙を拭い、自分の顔に塗るとこう言ってきた。

「この“さくら”は泣けないけど、今度会う“さくら”はちゃんと泣けるから、その時は優しく抱きしめてね?」

 さくらを見ると、顔を変な風に歪めて、泣き笑いの表情をしていたので、それが精いっぱいの強がりだと見て取れた。

「そしたら、こうしてやればいいのか?」

 そう言って、目をつぶってさくらに顔を寄せた。

「うん。そうしたらさくらはこうするわ――」

 さくらがそう応えると、唇に自分の涙を感じた。


「「……………………………」」


 目を開け、さくらを見つめ、こう言う。

「今までありがとう。さようなら」


「愛してるわ。ゆーき」

 その直後、さくらが接続コネクトを切ったのか、DOLLが元の無表情なキャラに変わる。


 そうしてパソコンの画面に、とある和歌が表示された。


《春雨の 降るは涙か さくら花 散るを惜しまぬ 人し無ければ》


(春雨が降っているのはあるいは人の泣く涙かしら? 桜の花が散るのを惜しまない人はいないのよ)


 涙の出ないDOLL《さくら》が、“私も泣いているのよ”と、言っている和歌だった。

 その本心を知り、両手で顔を覆ってポツリとつぶやく。


「……………………………さくら」



 „~  ,~ „~„~  ,~



 さくらはゆっくり目を開けた。

 月明かりほどの暗闇でも目が激しく痛み、開けていられず、何度もまぶたをしばたかせた。

 すると薄闇の中。妙に聞き覚えがあるが、全然知らない声が響いた。

「慌てなくていい。長い間眠っていたから、体が完全に外気に馴染んでいない。無理せずに少しずつ慣らしていくようにしなさい」

 その声の主は、ヒアリングが苦手な外国人に言い聞きかせるようにゆっくりと喋った。

(私はどうしたの? ここは? あなたは誰?)

 そう声に出そうとするが、実際は喉からヒューヒューと音が漏れるだけだった。

「“私はどうしたの? ここは? あなたは誰?” って言っているわ」

 そう代弁してくれた声の主は、顔の左側から聞こえてきた。

 目もまだ焦点が合わず、薄闇の中で見たその姿は、人形のようなシルエットをしていた。

(……何かしら?)

 疑問に思っていると、男の方が声をかけてきた。

「そうか。じゃあさくら、実際に声に出さなくていいから、口を動かしてくれれば、今みたいに逸姫が読唇してくれるよ」

 その言葉に、事態を飲み込めず動揺した気持ちを落ち着ける。

(…………あの後助かったのかしら? 大分眠っていたという事は、かなり時間がたったのかしら?)

 そう結論付け、深呼吸してとりあえずさっきの質問を繰り返してみる。

『私はどうなったの? ここはどこ? あなたは誰?』

 頭の隣に居る、“逸姫”と呼ばれた存在が唇を読んで代弁してくれる。

「さくら、君は自殺未遂から、頸椎を損傷して全身不随になり、その上自閉に陥りずっと今まで眠っていた。ここは会社の中の療養施設で……」

 声の主が声を詰まらせる。

「事故から25年後が経ち、私は大島護だ」


「あ゛お゛うじゃん゛っ!?」(護ちゃん!?)


 名前を叫んだつもりだったが、実際はくぐもった謎の言葉を発しながら体がビクンと震えただけだった。

 そして、まだ体のあちこちの関節がきしんでおり、その痛みこそが長い間眠っていた証なのだと悟る。

「痛いかね? 電気刺激で筋力は維持してきたが、自律行動ではなかったし、これから治療後のリハビリも必要だ。それを念頭に置いて、じっくり聞く事ができそうなら長い長い話をしよう。どうするね? さくら」

(…………25年も? そう……、やっとあの悪夢が終ったのね…………)

 いまだ早鐘を打つ鼓動を内に感じながらも、甘くて切ない恋心が凄惨な悲劇で終わる悪夢のフラッシュバックが、ようやく終わった事に安堵する。


『聞かせて』

 護に言われた通り、口だけ動かしたら、顔の隣にいた逸姫と呼ばれたモノが代わりに代弁してくれた。


「いいとも」

 そうして、自分の身に起こった事を淡々と聞いた。


「――そうして、幾度かの手術と人口冬眠を経て、つい昨日、とある少年のおかげで、自閉していたさくらの意識を呼び起こす事に成功したんだ」

(………………なんて事……さくらは……色んな人に迷惑を……そうだわ!)

『昇平さんはあの後どうしたの?』

 すると、薄闇の中の護が少しためらいがちに口を開いた。

「……彼には現場で行き会い、さくらが助かると分かった時点で彼と話し合い、さくらの名誉を守るお願いをした」

『どういう事?』

「それは――」


 そうして、自分の名誉と立場を守る為、ストーカーと言う汚名を被った事を聞かされる。


 ――『どうしてそんな事を? どうしてあのまま死なせてくれなかったの? どうしてあの人は私なんかの為に……』

 聞き終わると、とめどなく涙があふれ、声を出していないのに、喉がひきつった様に痛んで言葉に詰まってしまう。


「だが彼のおかげでこうしてさくらの治療ができ、その後のケアも楽になった。彼が引き受けていなければ、さくらは一生植物状態だっただろう」


(あの人に汚名を着せる位なら、そうなった方がマシだったわ!!)

 怒りがこみあげながらそう思い、口を動かす。

『死にたい』

「そう言うと思った。だが、彼は恨みもせず引き受けてくれた。そして未成年で名前こそ明かされなかったが、当時はマスコミに追われる生活を何年も続けていた」

『酷い事を』

「そう。だからさくら。君は生きて彼に会うべきだ」

『どうして昇平さんがさくらに会うと思うの? 恨んでいるのじゃないの?』

「さくら。君を目覚めさせたのは彼の息子だ」


「う゛ぇっっ!?」(ええっ!?)


「彼は君のファンをやめなかった。それどころか自分の息子にも君を勧めて、君のファンにしたんだよ」

『どう言う事?』

 目覚めた事と、彼の息子の関係が見えずに聞き返す。

「それを知るには、まずは普通の状態に戻るリハビリから始めようか」

(護ちゃん……)

 良心の呵責を利用して自殺を思い止まらせ、さらに謎かけをして、リハビリに向かわせようとする護のやり方に思わず笑う。


『容赦のないやさしさは変わらないのね』


「ああそうだよ。――さくら、会いたかったよ」

 そう言って触れられた頬の護の手は、記憶のものとは違い、いつしか成熟した男性の骨太の手になっていた。


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