暁桜編〈二次音源〉
「来たぞ」
ベッドのない保健室に似た雰囲気の部屋と、IT会社のオフィスをミックスしたようなだだっ広い部屋に、“霞さくら”の姉と言っても過言ではないほど似た、白衣を着た巫女のような美女が、腰までの黒髪を揺らめかせて大型積層液晶ディスプレイの横に一人佇んでいた。
「ようこそ祥焔(かがり)。こうして直接会うのは6年ぶりかしら?」
「ああ、だが再会の感傷に浸る気分になれないから、さっさと用件を済まさせてもらうぞ、緋織」
そう言って険しい顔で言うと、ツカツカと緋織と呼ばれた女性に歩み寄る。
「いいわ。何かしら?」
諦めたように緋織は肩をすくめ、髪をかき上げる。
「まずは約束を果たさせてもらおうか」
そうして祥焔は緋織の白衣に手をかけ、ボタンを引きちぎって下のブラウスを露わにし、さらにそのブラウスも引き裂いてブラジャーをはだけさせる。
「……乱暴ね」
緋織は祥焔にされるがまま平然と言う。
それには答えず、祥焔は露わになった緋織の嫋(たお)やかなウエストに刻まれた、縦一文字の手術創を人差し指で撫でながら聞き返す。
「やはり。……緋織、お前いつの間に“母親”になった?」
「何の事かしら?」
祥焔の迫力に気圧されつつ、後ろ手にデスクに座り、それでも平然と緋織が答える。
「とぼけるな。この帝王切開の痕(あと)は何だ?」
「違うわ。これは腫瘍を摘出した痕よ」
「私の大学時代の専攻を忘れたか? それに――」
そう言うと、緋織のブラの下に右手を差し入れ、思いっきり左の乳房を掴みあげる。
「――っっ!!!!」
緋織はその痛みに顔をしかめるが、歯を食いしばって声を押し殺す。
「これは誰の為のものだ?」
そう言ってブラの下から抜いて緋織の目の前に突き出した祥焔の手は、少し黄色味を帯びた乳白色の液体で濡れていた。
「…………」
緋織はその問いには答えずに胸を押さえると、静かにその双眸から涙を溢れさせながら祥焔を睨(にら)み返す。
「……愚か者め」
祥焔はそう言うと、かけていた情報端末眼鏡(ウェアラブルグラス)を外し、緋織の髪を両手で左右から荒々しく鷲掴みすると、顔を引き寄せて唇を重ねた。
「「………………………………………」」
静かに唇を離すと祥焔は緋織を真っ直ぐ見つめる
「これから“さくら”をどうするつもりだ?」
濡れた右手を舐めながら祥焔が聞く。
「……Primitiveが再び扉を閉ざしてしまったわ。だから、さくらの事故前後の記憶を削除(デリート)して、さくらと二人だけにした上で回想(リピート)モードで再び扉を開けさせてみるわ」
涙と濡れた髪を白衣の袖で拭いながら緋織が答える。
「だが、同じ事の繰り返しじゃインパクトに欠けるじゃないか。やはり裕貴本人の呼びかけが要るんだろ?」
「ええ、でも彼はもう“選んでしまった”。だから、もう必要ないし、後のケアにも悪影響がある。そしてこれでも状況が好転しないなら、次席のユーザーの元へ初期化(イニシャライズ)してさくらを送り出すつもりよ」
「そうか。でもさっきからさくらを求めて私の周りを裕貴がうろちょろしててな。悪いがあれでも私の教え子だから諦めてフォローしてもらうぞ?」
「何をさせたいの? でも残念だけどこちらの計画の進行は止めないわよ?」
「……お前は裕貴を見くびりすぎている」
緋織には答えず、自信ありげに祥焔が言う。
「では彼が彼女(フローラ)を振り切って、さくらを追いかけて来た上で“あのセリフを言う”っていうの? 彼が尋常でないフェミニストなのは認めるわ。だからこそ
祥焔のその自信に反抗するように緋織が声を荒げる。
「その“彼女達”が後押ししたらどうだ?」
「彼女達?」
「そうだ。お前が知る以上にヤツは女達から信頼され支えられている」
「……だとしても、祥焔の言いようは不確定要素が多いわ。悪いけどアテにはできない」
祥焔の言葉にも信じきれない様子で緋織が答える。
「ふっ。フラれた娘(さくら)がそんなに可哀想か?」
「どういう事よ」
緋織が眉を寄せる。
「さくらに“ママ”と呼ばせたり、日記形式で報告書を送らせたり、嫉妬からケガをさせたフローラを裕貴が受け入れて、その事に傷心して帰って来たら今度は裕貴を遠ざけようとしているのはどうしてだ?」
「そっ、それは!!……」
「おまえはなんだかんだ言いつつ、A・I(さくら)を娘のように可愛がっている。それはさくらを教育(プログラム)する上で“あの男”と協力したからだろう。なら、裕貴が人間でない
「…………」
痛むように胸をおさえる緋織を祥焔が静かに見つめて切り出す。
「……まあいい、特別何かしろと言う訳じゃない。さくらへの面会を果たせるよう、道を通れるようにしておいてくれればそれでいい」
祥焔が後ろに下がるのをみて、後ろ手でデスクに座っていた緋織が降りて腕を組んで聞き返す。
「いいけど、セキュリティーを無制限(フリー)にはできないわよ?」
「結構。“人間”がたどり着けるレベルならそれで構わない。逆になんの苦労もなく会えたら“あの言葉”も出てこないだろうしな」
「あなたのその確信はどこから来るの?」
「ふふ、女の勘だ。なんなら賭けてもいい」
「何を?」
「私が勝ったらお前との婚姻届けに判を貰おう。外れたら教師を辞めてお前の研究に協力してやる」
祥焔が両手を腰に当ててふんぞり返って宣言する。
「いくら同性婚が認められるようになったからって、田舎の県立高校教師ではまだまだ風当たりが強いんじゃない? それに私の研究の手伝いはあなたには無理よ」
「いいさ。お前の為なら手を血で染めるくらい何でもないし、“あの男”との恋の後押しもしてやる」
「……どういう心境の変化?」
「なあに。ヤツらを見ていて色々当てられてな。それで私も変わらなければと思っただけだ」
「そう……」
そして二人、コンソールを前に話しながらサーバーの設定を変更していく。
しばらくして再びウェアラブルグラスをかけた祥焔が口を開く。
「……ところで、『山高み 人もすさめぬ 桜花 いたくなわびそ 我見はやさむ』 という和歌の意味を知っているか?」
「ええ、確か『高い山に咲いて、誰にも見られないからと言って嘆くことはないわ、近くに行けないけれど、私だけは見ているから』、って意味だったかしら?」
「正解。さすが桜の事は専門外でも知っていたか」
「それがどうしたの?」
「ふふふ。いいや、ただ、“高くなくなった”ら、人々はどうするか? と思ってな」
「……それは、見に行きたがるでしょうね」
「その通りだ」
„~ ,~ „~„~ ,~
「「インストール?」」
雨糸と同時にフローラに聞き返す。
『ああ』
フローラが事もなげに答える。
「「………………………………………」」
雨糸と二人、それぞれ自分の思索に落ち込み、フローラの提案を吟味してみる。
(……たしかに、妹(ナンバーズ)を味方にした方が、ブルーフィーナス内では探りやすいけど、問題はそもそも“一葉”の協力が得られなかった事を考えても、すんなり従順になるかが不明だ。それに俺のDOLLは万一さくらが戻って来た事を考えてインストールはできない。そしたらナンバーズをインストールするのは……)
そう思っていたら雨糸が声を張り上げる。
「判った。どう考えてもその方が良さそうね。雛菊(デイジー)にインストールしてみる」
『決まりだ』
「ちょっと待てよ。身内に対する侵入(ハッキング)が可能なら、そもそも一葉の協力を得られたんじゃないのか?」
『言いたい事はわかるが、一葉の最初の初期設定は誰がやった?』
その言葉にハッとする。
「……そういえば、さくらに任せっきりでノータッチだった」
『だろう? それに今はHTML(ソース)から機械言語(アセンブリ)まで理解できる人間が二人もいる。インストール時に設定を変えられることは充分に可能だと思うぞ?』
「そうよ、裕貴。私達を信じて」
「いや、信じてないわけじゃないけど、……そうだな、やってみるか」
自分の事なら迷わない事でも、親しい女子をどんどん巻き込んでいく事に言いようのない不安を覚えた。
「じゃあ、雛菊を初期化するね」
そんな俺の心配をよそに、雨糸が嬉しそうに言う。
「ああ、でも良いのか? 雨糸の大事な思いいれとかないのか?」
「大丈夫。バックアップはあるし、そもそもバトル仕様だから、さくらちゃんみたいに会話で重要な思い出とかないのよ」
「そうか……」
『裕貴』
「何? フローラ」
『さくらにたどり着いたらなんて……いや、今は考える事じゃないな。すまない』
「フローラ……」
フローラが飲み込んだ言葉。いくらニブイ俺でも予想がつく。
(……なんて言って引き戻すんだ?)
と、言いかけたのだろう。それはつまり、何らかの形で好意を告白する事でもある。
何より自分自身、気の置けない存在としていつの間にか心の中にさくらが住み着いていた。
泣き、泣かされ。怒り、怒られ。笑い、笑われ。そしてついには想い、想われて姿を消した。
涼香、フローラ、雨糸。……現実(リアル)のどの女子よりも本心を明かし、慰められてきた。
ある意味人間の異性以上の存在になっていた事に、フローラの事故の時に気付かされ、そしてさくらもそうであったと居なくなった事で気付いた。
(こんな事ってねえよ……)
「歌の再生も準備オッケー。いつでもいいよ」
落ち込んでいると雨糸の声で現実に引き戻された。
そうして最後のアナログ入力をすべく、雨糸が椅子に座ってキーボードに手を添え、俺が後ろに立ってマウスを持ち、子供部屋へのリンクへポインタを置いてクリックの準備をする。
「いくぞ。――3、2、1、ゼロ!!」
タタタタタタタタタタタタタタタタッ……
ほとんど連続音の微かな打鍵音とともに、雨糸の指がすべるように動く。
早打ちの実際はほとんど指が上下しない。
あたかもキーボード上を撫でているようにしか見ないが、かすかに上下しているのが“打音”で判別できる程度だ。
画面スミにアナログ時計を表示させ、秒針が9を刻んだ瞬間に雨糸がEnterキーを叩く。
「ポーン」
入力完了を知らせる効果音とともにウインドウが変わり、件(くだん)のBGMが流れ、メリーゴーランドと星空をバックにした背景画像に代わる。
「…………(ニッコリ)」
雨糸が嬉しそうに笑い、頭を向けてくるのでわしわしと撫でる。
『……Great (凄い)』
雛菊を
「ああ、本当にな。……よし、じゃあ何番をインストールする?」
そういって雨糸に聞きつつ画面を見ると、ベビーベッド型アイコンのフォルダが12個あり、赤ん坊らしき顔がのぞいて、中に入っている事が判るものが9個あった。
それらを雨糸がドラッグ&右クリックして設定情報(プロパティ)を呼び出す。
表示された名前は 〈kasumisakura_a.i_beta.ver001/bin〉の、“001”から始まり、
“002” “004” “005” “006” “007” “008” “009” “010” まであった。
(……全部で12個か。空が3つでそのうちの一つの“012”は一葉だったか。初期化されているかはわからないけど、beta (ベータ)版とはいえ、基本“霞さくらのA・I”なんだよな)
そんな事を考え、雨糸の判断を待っていたら雨糸が口を開く。
「……ん、やっぱりコッチは普通に高性能のキャラって感じなんだね」
「どういうことだ?」
「そうね、データ量が普通のキャラの4~5倍くらいなの」
「ほう、さくらが遠隔操作で専用筐体(せんようきょうたい)っぽいのに、動きの複雑さはさくらとほとんど変わらないように見えたぞ?」
すると雨糸の代わりにフローラが答えた。
『それは動画の画素数がはるかに違うのと同じ理屈で、遠目にはほとんど判らないな』
雨糸も負けじと同調する。
「そう、アナログフィルムのコマ数みたいな秒間何コマとかの違いで、素人目にはほとんど違いが判らないレベルよ」
「……大変よく判りました」
得意げに話す女子二人に気圧されてなんとなく低姿勢になる。
「ん~、じゃあ雨糸だから、010(ういと)番にしよっかな」
パスワードと同じく音声を記録動画(レコーダー)から抽出した霞さくらの
「「『………………………………」」』
俺と雨糸、ツイン越しのフローラと固唾を呑んで見守る。
だが、歌の再生が終っても、どうした事かフォルダは何の変化も見せなかった。
「……どういうことだ? 同じ歌で間違いないのに」
俺が疑問を口にする。
『本当に歌がパスワードだったのか?』
「間違いないわ。確かに一葉をダウンロードした時と同じ歌よ」
フローラの問いかけに雨糸が答える。
『じゃあ何が“違う”んだ?』
「いや、フローラ。だから同じ歌だから“違わない”んだよ? この場合は歌の他に原因があるはずなんだ」
フローラの言い間違いにツッコミを入れる。
「……ちょっと待って。違う!?……違い……ああっ! そうよフローラ! “確かに違う”のよ!」
しばらく悩んでいた雨糸が、俺の言葉に反応し、椅子から突然飛び上り、両手を叩いて叫ぶ。
『どういう事だ雨糸? 一体何が違うんだ?』
言い間違えたフローラ自身が納得いかない様子で聞き返す。
「二次音源よ!」
「『二次音源!?」』
「そう!! 著作権保護みたいに、“原曲から何回コピーされたのか”が重要なんだわ!」
「『なんだって?」』
「この歌だってネットで探せば見つかるはずよ。芸能プロダクションだから、おそらくはそれに対するセキュリティーから、コピー回数が決められているんだわ」
「う~む……。そうだとして、結局振り出しに戻って行き詰まりだ」
『そうだな、相当古いというか、デビュー前っぽい素人歌唱のようだし、こんな歌の原曲に近いコピーなんて、それこそこの先のアーカイブにしかないんじゃないか?』
フローラの言う通り、開錠に必要なキーがその中にある矛盾だ。
「そうね……」
気落ちした雨糸が力なく返事をする。
そうして雨糸が別ウィンドウを開いて探し、10数件ヒットしてそれらを試してみたが、一向に反応せずいずれも徒労に終わった。
気分的に疲労感が漂う中、片手でポチポチと考え事をしながらキーを叩いていた雨糸がポツリと呟く。
「……でも、こうやって探せば出てくる歌なら、当時の関係者やファンなら、未だに何かしらの形で原曲に近い歌を持っているかもしれないわよね」
(当時のファン!!)
『ショウヘイさん!!』「お父!!」
雨糸の言葉にフローラと同時に叫ぶ。
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