暁桜編〈ナンバーズ 〉
大きなビルの正面玄関をくぐり、彼女は大股で歩く。
ガードマンが制止しようとするが、眼前に表示された1階フロアすべてをカバーする、人感感知式エアビジョンの表示を見て立ち止まる。
彼女は歩きながら右手を左から右へ振り、案内表示(ガイドメニュー)を呼び出すと、ぶっきらぼうにある人物の名を告げる。
『ご用件は?』
同行しているDOLL情報で名乗る必要のないシステムだが、用件は問われるのでこう答える。
「面会」
相手方の承認が得られたのか、すぐに目的地を示す進路誘導(ナビゲートライン)が表示される。
チラリと見ると右手を振り下ろして表示を消し、エレベーターに向かって歩を早める。
„~ ,~ „~„~ ,~
「ふう、…………ちょっとお手洗いに行くね」
雨糸は大きくため息をつく。。
「ああ、判るか? って、そんな広くないから大丈夫か」
「うん、階段の下だよね?」
「そう」
「……ん、あり……がとう」
疲れた様子で返事をすると部屋を後にする。
「ここまで来れたはいいけれど……」
ぼんやりとパソコンの画面を見て呟く。
場所は例の
雨糸の活躍により、入手したパスワードを使ってここまで進み、そうして目の前にストレージリストが並ぶこの場所になんとか辿り着いた。
ここへ入る前のストレ-ジ名は“ooshima_hiori(大島緋織)”だった。
「……やっぱり大島緋織って人の管轄か」
ふうとため息をつくと、階下から給湯器が作動する音が聞こえてきた。
(雨糸の手はもう限界だな、どうしたものかな……)
ここに来るまでに8回200ケタのパスワード入力があり、さらにタイムリミットがわずか10秒しかなかった。
(雨糸はすげえな……ってか、そもそも一体どんなレベルのタイピングスピードなんだ?)
気になって別ウィンドウを開いて検索してみると、1秒間に25文字がタイピングの世界記録となっていた。
(マジか!?)
感嘆する当の雨糸のタイピングスピードは、それにわずか5文字落ちの秒間20字で、日本記録上位にランクインする数字だった。
雨糸が短距離走的に奮闘してくれたおかげでここまで来たが、やはり素人女子高生の細腕の事、指が硬直してきたようでミス入力が頻発、タイムオーバーも出始めてきた。
しかし、幸いな事になぜかタイプミスによるペナルティーロックがなく、それを不思議には思ったが、答えは知る由もないので、ミスをするA・I前提なのかなと、半ば強引に納得してみる。
とはいえ、ここまで来てはみたものの、雨糸の腕はもう限界で、おそらく今は洗面所で手指をマッサージしていると思われる。
これからどうしたものか悩みつつ、この階層(レイヤー)のメニューに目をやる。
(…… 〈parental〉、〈first_flial〉、〈second_flial〉、〈third_flial〉、〈primitive〉、〈ujyo〉、〈alpha〉〈sotoorihime〉、〈aoba〉、……か、さくらが「ただいま」と言っていたから、このストレージのどれかからさくらの元へ行けると思うけど、一体どれだ?……雨糸の腕は限界。ここから先はパスワードが判らない。さくらの居場所も判らない。ハッキングは専門外だし、高校生が手に入れられる解析ソフト程度でパスワードが見つかるのか、そもそも通用するかも不明。下手すりゃ発見される可能性がある。う~~ん……………)
考え込み、悩んでいると雨糸が戻ってきた。
「ん、お待たせ」
「お、じゃあちょっと手を出してごらん」
テーブルの脇に座り、向かいの座布団を示して座らせる。
「なあに?」
「左手を開いて上に向けて俺に見せて」
「こう?」
「そう」
そうして、俺が水をすくう様な感じで、左右の手で雨糸の左手と指を絡める。
「え? え? ちょっと何?」
赤くなって照れているが、絡めた手を離そうとする素振りは無かった。
「まあ、ちょっとリラックスしてて」
正面から組んだ手をそのまま手相を見るように手を広げさせる。
「??」
不思議そうに預けている雨糸の手を、俺の指に力を入れて上に持ち上げて反らせ、手の平を親指で強めにあちこち押しまくる。
「――っつ、ちょっと痛い」
「そうか、そこまで張っちゃってたか。お疲れさま」
ここまでされると察したようで、痛がってはいても変わらず手を委ねている。
「……つつ、どういたしまして」
「ちょっと痛いけど、我慢できなかったら言って」
「うん――っつ! 痛たー!!」
「大丈夫か?」
手を止めて聞き返す。
「ううん、ゴメン、大丈夫。続けて」
「判った」
そうして手の平の周りから中心へ。そうして親指の付け根へと重点的にマッサージする。
「つつつ……んん、なんか効きそうね、これ」
雨糸は涙目になっているが、それでも嬉しそうに笑う。
「ああ、指の筋のマッサージなんだってさ。タイピストには良いみたいだ」
「へえ、意外な事知ってるのね」
「教えてくれたのはなんと圭一だぜ?」
「ウソ!! あのヘンタイが?」
「なんか柔道のコーチに教わったらしいぞ」
「なる……。整体とか整骨の技術なのね」
「うん、そうらしい」
「意外な所で圭一の世話になっちゃった」
「俺よか圭一の方が断然うまいから今度あいつに教わってみ?」
「嫌よ」
「何で?」
「……変態が感染(うつ)りそうだから」
「ひど……くはないか」
「そうよ、あの変態平気でバストタッチするんだから!」
強い口調でプンスカする雨糸。
「まあ、そうだな。……んじゃ右手」
そうして雨糸の利き腕を丁寧にマッサージをしつつ、次の手を考えてみる。
(……やっぱ聞いてみるか)
ここには居ない、ネットワーク系の専門家の顔が思い浮かぶが、雨糸が納得するのか不安を覚える。
「おお!! へえぇ~~、すごいあっという間に指が軽くなった。劇的ね~~」
左手を振ったり握ったり開いたりして喜ぶ雨糸。
「よかった」
「……ねえ覚えてる」
考え事をしながらマッサージしていたのに違和感を感じたのか、雨糸が遠慮しつつ聞いてきた。
「何を?」
「私小学校三年生の時、裕貴に泣かされた事あるんだよ?」
「え? 全然覚えてないなあ……」
「ふふ、そうか、しょうがないよね」
そう言う雨糸の声は穏やかで、責めているニュアンスは全く感じられない。
「俺何やった?」
悪い事ではないようなので聞いてみる。
「私が猫アレルギーだったのは言ったよね?」
「ああ、聞いた」
「最近ではマシになったんだけど、実はアトピーもあったの。ていうか、そっちが元凶なんだけどね」
「そうだったのか……」
「四六時中じゃないけど、体調が悪い時はあちこちガサガサになっちゃってね」
「全然気づかなかった」
「ふふ、そうね、隠してたしね、……それで三年の時にフォークダンスの練習があったの覚えてる?」
「ああ、マイムマイムとか踊らされたっけな」
子供だけど幼稚ではいられないと、妙に背伸びしたがる頃の恥ずかしい体験。
「その時たまたま体調悪くて、手がガサガサに荒れちゃってた時があってね」
「うん」
「でも休むほどじゃなかったから仕方なしに練習に参加したけど、隣の男子と手を繋ぐとあからさまに嫌がられたわ」
「ひでえな、そんな事したの誰だ?」
「……いいのよ、もう過ぎた事だし」
雨糸は笑いながら肩をすくめた。
「まあ、そんな事するヤツは限られているけどな」
「ふふ、そうね。それで、中には『病気が移るから触んな』って言う男子もいたわ」
『誰だそんな事言ったヤツ? つか、もしかして俺だったか?」
そう聞き返すと雨糸は無言で首を振って否定する。
「踊る順番が変わって、裕貴が隣りに来た時、好きだった裕貴にこんな手を握られるのがイヤで、握っている振りをして踊っていたら裕貴がギュッて握ってくれたのよ」
「覚えてない……」
「うふふ、いいのよ。――それで私が『いいよう、手がガサガサで恥ずかしいから繋がないで』って言ったの」
「そしたら?」
「そしたら裕貴は『そんなの何でもねえよ、それに俺だって遊んでてガサガサになるぐらいあるよ!』って言って、笑ってくれたのよ」
子供の頃とはいえ、キザったらしい事を言ったもんだと少し照れる。
「そうか」
「それがとても嬉しくって私はその場に座り込んで泣いちゃったの」
「……覚えてねえな」
「それを周りの女子達が見て、裕貴に『あんた、ういに何したの?』って詰め寄られのは覚えてる?」
「え?…………あ! あの時か。そうだ、なんか理不尽な事で女子達に責められて困った覚えがある」
「うふふ、うん、あの時はゴメンね、私も泣いていたから咄嗟(とっさ)にフォローできなかったの」
「まあいいさ、責められたのはあの時だけで、あの後からは女子達が妙に静かになってくれたしな」
「女子みんなが大人しくなったのって、何もその事だけじゃないのよ?」
「どういうことだ?」
「あの頃も裕貴と涼香はベッタリだったでしょ、だから実は二人とも他の女子からキモイとか思われてて敬遠されてたの。気付いてた?」
「ああ~~、そうだったな、なんか微妙に壁作られてたよな。加えて涼香は今ほど服装とかカッコを気にしてなかったし、気にする余裕もなかったしな」
「うん。でもね? そのあとみんなに事情を話して、ついでに黒姫(ネコ)の事も話したら、女子は裕貴達二人を理解してくれて応援するようになったの」
「そうか、女子共が柔らかくなったのは雨糸のおかげだったか。なるほど……うん。本当にありがとう」
当時は涼香の事情もあり、俺の方もヘタに構われないよう周りから微妙な距離を取っていたが、暖かく見守ってくれていた存在が居た事が素直に嬉しかった。
「ううん、裕貴ならいずれはみんなの理解を得られたわよ」
「そうかな」
「そうよ……ん、ありがと」
マッサージを終え、手を放そうとしたら、雨糸が握り返して呟く。
「ほんと、あの時は私と同じぐらいの大きさだったのに、今じゃ……」
感慨深げに俺の右手を取ると、嬉しそうにまさぐる。
言葉を詰まらせ、俺を潤んだ目で見つめる雨糸。
ぶるるるっ!!
突然俺の左手のツインが振動して着信を伝える。
「「!!」」
それに驚き、お互いにサッと手を引っ込める。
「……悪い、誰だ?」
ツインの小さい空間投影像(エアビュワー)を開いて、発信者を表示させる。
「お、フローラだ」
「え? ウソッ!!」
何がウソなのか判らないが、とりあえずDOLLは使用中なので、ツインで通話オープンにする。
『学校をサボって家に居るようだけど、その後どうした? 何か進展したか』
(――そうか、俺のGPS情報か)
「ああ、それなんだけど、ちょっと行き詰まっちゃってさ、その事で相談があるんだ」
『なんだ?』
少し不安げな顔をする雨糸をチラリと見やり、雨糸の協力を得られたことから始まり、祥焔(かがり)先生の事も含め、ここまでの経緯を話す。
……無論、キスの事は伏せて。
„~ ,~ „~„~ ,~
『西園寺さんはそこに居るんだな?』
話を終えるとフローラが聞いてきた。
「ああ、いるよ」
『西園寺さん』
「ハッ!! ハハイ!!」
『済まないがパソコン画面を確認したいから、あなたのDOLLでLIVE通信をしてくれないか」』
「えっ? えっ、えええ! はいっ! よいです」
(動揺してるなあ……)
『良かった、それじゃあアドレスは裕貴に聞いてくれ』
「はい……」
自分の踊りっぷりに恥ずかしそうに返事をすると下を向いてしまう。
そうして雨糸はポケットから、非接触タイプでひと昔前の携帯電話に似た小型のツインを取り出した。
「おお、非接触タイプか、珍しいな」
「うん、さっきも言ったけど、私アトピーあるから肌に密着するのはダメなの」
「そうか、でもそれって生体シグナルはどうやって拾ってるんだ?」
「これ」
そう言って雨糸が示したのは、髪に結んでいる赤い玉がついるているゴムの髪留めだった」
「ええ? ゴムバンドの飾りが?」
「そう、これがセンサーになってるの」
「ほ~~、 そうなんだ」
「これなら肌に直接触れないから」
「なるほど」
――と、言うやり取りの間にツインでアドレスを送り、雛菊(デイジー)からフローラへ回線をつなげる。
そうして雛菊のカメラアイをパソコン画面に向けつつ、フローラに聞いてみる。
「……で、このどれかのストレージから“さくら”へ行けると思うんだけど、そもそもここから先のパスワードを知らないし、俺らレベルが用意した解析ツールが通用するのかとか、ハッキングがバレちゃわないかとかの問題が考えられるけどフローラはどう思う?」
『いや、その前に本当に直接入力(ダイレクトタッチ)秒間20字何てスピードでここまで来たのか?』
「ああ、横で見ていてすごかったよ」
『とんでもないスキルだな……』
「そっそんな……ただ、ネトゲとかチャットにハマってたし、……惰性と言うか、なんというか、裕貴がこっ、困ってたし……」
雨糸は言葉を詰まらせ、思いっきり照れて赤くなって俯いてしまう。
『呼び捨て? 失礼だが裕貴との付き合いはどれくらいなんですか?』
褒めた口調と打って変わり、少し硬い口調でフローラが聞く。
「ええっと……小さい頃、小中と同じクラスだっ……でした」
丁寧な口調に戸惑い、つっかえながら答える。
『そうでしたか、失礼でなければ顔を見せてもらえますか?』
「あっ!……はっ ハイ!」
そうして雛菊をパソコン画面から振り返らせ、緊張した顔を雛菊のカメラアイに向ける。
『ありがとう、なかなか活発そうで可愛お顔ですね』
「ありがとう。フローラさんも美人で…………」
「いえいえ、ではDOLLを裕貴の方へ向けてもらえますか?
「はい」
雨糸が雛菊を俺に向ける。
『裕貴』
「なんだい?」
『口紅がついているぞ』
「え!?」
思わず口元に手を当てながら雨糸の唇を見てしまい、直後に後悔する。
(くっ……ハメられた)
すると雨糸が眉間にしわを寄せてこう漏らす。
「……………………………バカ」
気まずい沈黙の後、耐えきれずに聞いてみる。
「……なんで判った?」
片道の動画通信でフローラの怒り顔を見られなくて安堵するが、同時にまんまと舌技に乗ってしまった事が悔しくもあり聞き返す。
『泣き跡著しい旧知の女子と一緒に居るのを見たら不思議には思わないし、そもそも泣いてる女子を放っとける裕貴でもあるまい?』
「フローラさん……よく判っているのね」
雨糸が驚きを隠せない様子で答える。
「はあぁ……」
二人のもの言いに性格を見透かされてるようで、思わずため息がこぼれる。
『ところで西園寺さん』
「……はい、何ですか?」
『なんで今まで裕貴に対してリアクションしなかったの?』
(そう言えばそうだ、いくらか涼香が居たからって、ずっと片思いで良いなんて辛いじゃないか)
フローラのその質問には俺も同じ疑問を持った。
雨糸はチラリと俺を見ると、深呼吸して呼吸を整えてゆっくりと口を開く。
「……山高み 人もすさめぬ 桜花 いたくなわびそ 我見はやさむ ――よ」
聞きなれぬ和歌を口にした雨糸は少し誇らしげに見えた。
『……そうか、不躾な事をきちんと答えてくれてありがとう、よければ下の名前で呼ばせてもらいたいのだけど、いいですか?』
120%理解したような口ぶりのフローラが嬉しそうに言う。
「ええ、もちろん」
『では私の事もフローラと呼んでください」
「分かったわフローラ。よろしくね」
『こっちこそ。今度裕貴の昔話を聞かせて欲しいです』
「いいわ、それじゃあ、今度お見舞いに行くわね」
『楽しみにしてます』
(……フローラが下手に出てる。珍しい。てか、今の和歌ひとつでヒエラルキーが決まったみたいだけど)
修羅場を回避して安堵もするが、妙に意気投合した二人に疑問も湧き、その訳を知りたくて聞いてみる。
「……今の和歌、どういう意味」
「知らないっ!」
雨糸にはそっぽを向かれ、
『……
フローラには隠語(ルビ)で怒られた。
(俺の事だよなあ?)
なぜ怒られているのか判らず、少しムッとしながら聞き流して当初の事を聞いてみる。
「……それじゃあ、フローラはここから先、どうすればいいと思う? 何かいい方法あるかな?」
すると、フローラは思いもかけない提案をし、雨糸とともにぶっ飛んでしまう。
『簡単だ。他の
「「何だって!?/ええっ!?」」
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