暁桜編〈緑の黒髪〉
胸でなく背中を雨糸に貸し、5分ほどすると雨糸の嗚咽が聞こえなくなった。
ほどなく回された手がするりと下ろされる。
「……もう大丈夫か?」
「グスッ……うん、もういいわ………ありがと」
そうして振り向くと、雨糸は目と鼻を真っ赤にしてハンカチで口元を押さえていた。
「……ありがとう雨糸」
かける言葉が見つからず、かろうじてそれだけを口にした。
「なにがよ?」
「俺を好きになってくれて」
「……変なの。ていうか、なんでそう思うのよ」
鼻をすすりながら、怪訝そうに聞き返す。
「いや、だって俺今まで女子にモテた事ないし」
「逆よバカ、裕貴はいつだってモテモテだったわ」
「嘘だろ?」
「そんなの! …………いえ、何でもないわ。癪(しゃく)だから言いたくない。それより本題に戻りましょう」
怒って声を荒げかけるが、すぐにめんどくさそうに声を潜める。
「それなんだが雨糸」
「今度は何よ」
「やっぱりこれ以上“さくら”を追うのはやめよう」
「どうしたのよ?」
「……もうはっきり言えば、俺はさくらが好きだ」
傷つけまいとして足りないボキャブラリーから言葉を探るが、どう言おうと変わらない事に気付き、一瞬の逡巡の後にきっぱりと言う。
「今更……知っているわ。だから何よ、裕貴こそ私の言う事を聞いていた?」
「ああ、だけど……」
反論しようとする俺の口を手で遮られる。
「私は“裕貴が誰を好きでも構わない”って言ったでしょう?」
雨糸はそう言うが、ライバルとも言える存在を追う事に協力する意図がどうしても見えず、雨糸の手を押し返して反論する。
(そうだ! フローラに関しても同じことだ、それじゃあの時のフローラのため息の理由は…………ちぃっ……俺は馬鹿か!)
そして同時にもう一つの過ちにも気付き、イラ立ちをそのまま声にしてしまう。
「だがそれで雨糸を傷つけてしまうのは目に見えているんだぞ!?」
だが雨糸は予想に反し、泣き腫らした顔のまま声を上げて笑い出した。
「プっ……ふっ……く、あーははは!!…………………………」
その反応に煽られて怒りが湧いてくるが、そんな筋合いじゃない事を悟って真面目に聞いてみる。
「何がおかしい?」
ベッドに腰掛けて上半身を倒して枕に顔を埋め、すうっと息を吸い込んでから半分こちらへ向けると、雨糸が思いもかけない事を聞いてきた。
「くんくん……ふふふ。…………………裕貴、フローラさんに告白されたでしょ?」
「――っ!! なぜそれを?」
「それに涼香にもフラれた。いえ、順番が逆かな? 涼香に拒否られた、そしてフローラさんに告られた……違う?」
「確かにその通りだけど……どうして判った?」
雨糸のあまりの鋭さに驚きを通り越し、純粋にその洞察力に興味が湧いて聞き返す。
「そうね、さっきまでは半信半疑だったけど、この部屋に来て確信したわ」
「確信? 何を?」
「……これよ」
そう言ってベッドの上をまさぐると、二本の髪の毛をつまんで差し出してきた。
雨糸が見つけたその髪の毛は……。
「波打った栗色の髪と、ストレートのブロンドヘアーね」
「そっそれは……」
「ふふふ? どうして裕貴のベッドにこの髪があるのかしら?」
浮気の証拠を見つけたように二本の髪をゆする。
「二人とも俺のベッドで寝たことがあるからだ」
確かに後ろめたい部分はあるが、ウソをつかないと決めたので正直に話す。同時に諦めてくれれば傷つけずに済むかもしれないと思ったが、
「でしょ?」
と、答えを確認しただけの様なノリであっさりと返される。
「……そうと知ってどうして協力する気になったんだ? 最初から説明してくれないか」
「そんなの簡単。裕貴は涼香の介護でハダカを見たりトイレの世話までしていて、犬猫の兄妹みたいに昔っからベタベタしてた仲なのに、未だに男女の関係じゃないでしょう? これは涼香の様子を見てれば判るし、フローラさんが裕貴に好意を持っていたのはバレバレだったわ」
「そっ、……そうなのか」
「そうよ、そんな仲なのに今回の事故で涼香は裕貴のフォローをしないでしょ? 思うに涼香の事だからフローラさんに遠慮したんでしょうね。そして事故をきっかけにフローラさんと裕貴の仲が進展した。裕貴はフローラさんを憎からず思っていたから受け入れはしたけど、キッカケが事故だからそれを悩んだ裕貴が、無意識にさくらちゃんを求めた。……って私は思っているのよ」
もう一人の幼馴染の客観的かつ正確な分析。長い付き合いではあったが、意外な一面を見せられて感動すら覚えた。
「…………参った。さくらに頼っていたとは思っていなかったけど、多分雨糸の言う通りだ」
「あとは、涼香をあれだけ大事にしていた裕貴だから自制心は相当なものだし、こんな状況でも私に対して全然下心が見えないじゃない? だからフローラが誘惑したところで、裕貴はそう簡単に一線を越えるとは思えないの。……違う?」
さらなる分析と答えを聞いて驚きを隠せないが、一点だけ間違いを指摘する。
「一つだけ違う事がある」
「……じゃあ、私を泣かせたお詫びに話してくれる?」
「いいよ」
「でも、私のむっ……ムネが足りないとかだっ…………なっ! 何でもないっ! 話して!」
「?? ――ああ」
そうして昨日のフローラとの顛末(キス)を語る。
聞いている間、半身を起こして俯き、枕をぎゅっと抱きしめたままじっと聞いていた。
聞き終わると顔を上げ、少し悲しそうな顔をしたが、すぐに毅然と言い放つ。
「……そっか、足のケガと引き換えじゃあしょうがないわね。なら私は、さくらちゃんを取り戻す手伝いでアドバンテージを取り戻さないとね」
「雨糸…………………」
理由を聞いてなお引き下がらないこの意志の強さがあったからこそ、長く想いを維持できたのだと思い知る。
「まあ、フローラに関しては彼女も言っていたように留学生だから、お互いにまだどうなるか判らない。だけど俺はフローラの告白にできるだけ報いたいとも思っているから、やっぱり雨糸には応えられないんだぞ?」
「当然ね。だからこそそんな裕貴が好きなのよ」
「俺に対するその強さは一体どこから来てるんだ?」
「…………そうね、確かにその理由を話さなきゃ裕貴は納得できないわよね」
雨糸は少し考えたこんだ後、いたわるような目を向けて優しく微笑でくれた。
「理由?」
「…………………黒姫」
聞き返すと一言ボソリと呟いた。
「知らずにパーティーを組んでた時のゲームがどうした?」
「違うわ、小学三年生の時に裕貴と涼香が飼っていた黒猫よ」
「どうしてそれを!!」
「あの猫を捨てたのは私だったの」
「捨てた? なんで?」
「遠くの親戚の家からもらったのはいいけど、飼い始めて私に猫アレルギーがあるのが判ったの」
「……そうだったのか」
「捨ててから拾われるまでずっと近くで見張っていて、裕貴達に拾われたのを見届けたの」
「なるほど」
「そうして黒姫が交通事故で死んだ時も……」
「……知ってたのか」
「うん。近くに住んでて、私の貰った猫だって知ってた近所の人が知らせてくれたの」
「そうか」
「駆け付けた時はもう裕貴が居た、けどもう黒姫は……」
「ああ、手遅れだった」
「裕貴が泣きながら素手で黒姫の体をかき集めているのを見ても、私は手伝うどころか声をかける事もできなかったわ」
そう言うと、雨糸が悔しそうに枕を抱く手に力を込める。
遠い昔に味わった凄惨で悲しい場面。しかし、今は嘆き悲むほどの子供でないので、そうして培った余裕で雨糸を安心させようと試みる。
「気にするな、俺が外の怖さを教えて無かったのが悪かったんだ。雨糸が気に病むことじゃない」
「うん……それで私は裕貴が好きになったの」
話ながら枕を抱きしめたり引っ張ったり頬ずりしたりする雨糸。それがまるで自分がされているような妙な感覚に三度目の告白でも妙に照れた。
「そうだったか、はは、でもあんま自慢にならないキッカケだな」
俺のその顔に満足したのか、雨糸も照れながらにっこり笑う。
「ふふ、そうかしら?」
「そうだよ」
「その時私は子供心に強烈に思ったの。『ああ、この人はどれだけ深く相手を愛することができるんだろう』って……」
「……そんなの、相手が死んじまったら何にもなんない」
肩を落とす俺を見て雨糸はさらに続ける。
「でね? とどめは裕貴が涼香の事で小金井達と大ゲンカした日だったわ」
「大ゲンカ? ――ああ、退院した涼香と俺をからかった日か」
「そう、あの日移動教室が変更になって、その事を伝えるために裕貴達を追って私もトイレに行ったの」
「そうか、んん? でもそれを聞いたのは教室に戻ってからだったろ?」
「……実は私ね? その時トイレのドアの外で聞いちゃったのよ、裕貴が泣いてる涼香に『俺が守ってやる』って言ってたの」
「ふっ、ますますカッコ悪いな。――あの後涼香だけ先に帰して、連中にケンカ吹っ掛けたのはいいけど、4対1じゃあ弱かった二人をぶっ飛ばすのが精いっぱいで、あとは散々ボコボコにされたっけな」
「でも目的は果たしたでしょう?」
ドキッ。
「……どういう意味だよ」
「あの時裕貴はケンカに勝つんじゃなくて、負けを承知で騒ぎを起こして、自分もろとも先生や大人達の注目を集めさせて、そのあと小金井達が裕貴達にちょっかいを出させないようにしたんでしょ?」
「ぐっ…………」
「子供のケンカなんて所詮命が危ないわけじゃないし、大抵ケガをさせた方が強く怒られるもんね。ケンカして勝った小金井達も無傷じゃ居られなかったし、そのあと大人達に散々に怒られて、二人にイジワルを続けなかったものね」
「雨糸……お前……知って……」
「もちろん知ってたわよ。言ったでしょ? 『好きでずっと見ていた』って」
自分の大事な宝物(思い出)を本当に嬉しそうにひけらかす雨糸。
その顔が眩しくて目を細めると同時に胸が痛くなる。
――涼香にすら言わなかった動機の真相、同じ理由で圭一にケンカを売り、今に至る。
弱い自分が何かを守るのに、嫌われたり保身を考えて躊躇(ちゅうちょ)していては
「…………………………」
ずっと秘めていた精いっぱいの虚勢を雨糸に見破られ、喉の奥がひきつって声に詰まる。
そうしてしばらく沈黙していると雨糸が口を開く。
「……………………黒姫」
「……猫か?」
同じ事かと思って聞き返すが声がかすれていた。だが雨糸は気にせず首を横に振る。
「霞さくらさんの現役時代の愛称(ニックネーム)」
「!!」
「インストールする前に私も調べたわ。“緑の黒髪”がとても綺麗でそう呼ばれていたのよね」
「ああ」
「裕貴がさくらちゃんを求めるのは好きなだけじゃない。泣かせたまま遠くへ行かせたくないのよ」
「そう……かも」
「だから私は手伝いたいの。いいえ、裕貴が諦めても私は一人でだってさくらちゃんを追うわよ」
「……雨糸」
名を呼ぶと、雨糸はハンカチを取り出して俺の顔に近づけてきた。
「何を――」
そう言おうとして、自分がいつの間にか静かに泣いている事に気付く。
「拭いてあげる」
「…………………………」
黙って目を閉じて涙を拭(ぬぐ)われていると雨糸が笑う。
「ねえ裕貴? 裕貴はもう一人で頑張らなくていいのよ? 涼香だってもう守られてばっかりじゃない。フローラさんだって黙って送り出してくれた。変態だけど荒事は圭一が引き受ける。だから――」
雨糸の言葉が途切れ、ハンカチを持った両手が俺の顔を挟んで引き寄せ、そして。
ちゅ……。
柔らかくて熱い感覚に一瞬強張るが、キスをされたと気付くのに迷いは無かった。
フローラの情熱をぶつけてくるようなキスと違い、雨糸のキスは秘め続けたその想いのように密やかで、まるで炭火のように熱かった。
「だから……黙って私の好意を受け入れなさい」
そう言葉をつなげて、挟んだ顔から手を放す。
雨糸を見ると、唇と同じくらい顔が真っ赤になっていた。
「ああ、……判った」
「ふふ、これでフローラさんとは対等(イーブン)かしらね?」
実際のとこは“人間で”本気の涙を見られてしまった分、フローラよりかなり優位性(アドバンテージ)が上なのだが、照れが出てしまって口に出せず、替わりに他の事を聞いてみる。
「優しくされたくないんじゃなかったのか?」
「“私から”ならいいの!!」
真っ赤なままプンスカする雨糸。それに薄く笑って答える。
「左様でございますか」
快活でオープン。コミュ力高く、思考とトークの回転と速さはフローラとタメを張りそうな雨糸。
こと恋愛に関しても、今の今まで涼香にすら悟らせない程のステルス性能を見せていたようだが、発見されてみれば以外に謙虚で、攻撃力、守備力共にかなり低いようだった。
「「………………………………………」」
グ~~~~~~~~~~。
お互い言葉に詰まっていたら、
「「………………………………………………………………プフッ!!」」
見つめあい、お互いに笑う。
「そう言えばもう昼か」
「そうね」
「じゃあ何か食べるか」
「ふふふ、私を食べてみる?」
腕を組んで胸を強調して言うが、顔は真っ赤だった。
(……まったく、恥ずかしいならセクハラ発言するな)
と、笑いながら心の中でツッコみを入れる。
「武士は喰わねど高楊枝と言うんだ」
「据え膳喰わぬは男の恥とも言うわよ?」
「恥さらしですいません……」
(いかん、女難(じゃくてん)が増えた)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます