暁桜編〈唐変木〉
「……ふう、ごめんね、言っちゃったらなんか気がゆるんじゃった」
俺の手を名残惜しそうに押し返し、ハンカチで改めて顔を拭いた後に、下を向いた西園寺がポツリと呟く。
「構わない。それどころか俺こそ……いや、なんでもない」
(応えられなくてすまない)――そう言いかけて止める。
何年も秘めていた想いを口にしてくれたのに、ただ一言の謝罪で済ませてしまうのはあまりにもヒドイ気がした。
本来ならフローラの告白を受け入れた直後に、他の娘の告白に対して良い顔をするのはNGで、あえて手ひどく断ったりして汚名を被るべきかもしれないが、俺も果たしたい目的があるので今は西園寺の好意に甘える事にした。
「何よ?」
聞き返される。だがカンの良い西園寺は言いかけたセリフを薄々察したのか、その問いかけはあまり強い口調ではなかった。
「いや、まあ、まずはさくらについて簡単に説明するから、できそうな事があったら教えてくれ」
「いいけど、その前に一つだけ約束とは別にお願いを聞いてくれる?」
「なんだ?」
「うん……。その…………」
「…………………………………」
この手のもどかしいリアクションは涼香で充分経験しているので、返事を待ちながら手近なイスを二つ引き出して片方に座る。
俺に向き合うように西園寺も座り、一息吸い込むとこう言ってきた。
「あっ、あのね? 私の事これから下の名前で呼んで欲しいの」
「ああ、そんな事か。別にいいよ」
「ほっ本当に!?」
「ああ。ってかそんなに驚く事か?」
「無自覚か……。もう、裕貴はそれじゃあ下の名前で呼ぶ女子って他に誰かいる?」
呆れたようにため息をつく西園寺。
「???……おお!!、そう言われれば涼香とフローラくらいだ」
「でしょ!! 小学生の時から裕貴と10年近く同じクラスにいるのに、全然他人行儀なんだもん」
すこし泣き腫らした目でプンスカする様子にドキリとする。
(まずいな、涼香といいフローラといい、俺って泣き落としに弱いんだな)
「ここは謝るべきなのかな、ごめん」
当の西園寺と言えば、少し安心したのか、軽く逆ギレしたようにまくし立ててくる。
「もうっ! 心の声が漏れてるじゃん!! 謝るならちゃんと謝れ!! 奪っちゃうぞ!!」
立ち上がって俺の両肩をガシッと掴み、顔を近づけてくる西園寺に軽くビビる。
「おお!! わっ、悪い。うっ“雨糸(ういと)”。……これでいいか?」
そう言うと、ボフンと音がしたように真っ赤になって後ろに下がり、俯いて椅子にストンと座る。
「…………………………っかい」
人差し指を立て、小声でボソリと呟く。
「かい? 何だ?」
何の事か判らず、もう一度聞き返す。
「もう……いっ…………かい…………なっ……名前。……呼んで?」
やっと判る言葉を絞り出し、右上にまとめた短いおさげを、マイクのように俺の方に向けて黙り込む。
「……雨糸」
「ワンスモア」
「雨糸」
「プリーズ」
「雨糸」
「リピート」
「雨糸」
「私は?」
「雨糸」
「密着を英語で?」
「Fit(フィット)」
「
「Wit(ウィット)」
「好きなのは?」
「うい……って、おい!!」
(危ね~~~~!!)
「惜しい」
「俺の純情返せ!!」
「夢見たっていいじゃにゃい? おにゃにょこにゃんだから……」
散々名前を連呼させて誘導した挙句、大昔の天然系詩人を猫風にもじって呟く雨糸。
そうして上げた顔はしかし、トマトのように真赤になってとろけそうに熟れていた。
「……まったくもう」
少々イラつき始めていたが、その幸福そうな顔に毒気を抜かれてため息をつく。
「にゃははは……ごめん」
確かに想いに応えられないのに、さくらの追及に協力してくれようと言うのだから、これくらいのお茶目は許容して当然だろう。
気を取り直して真剣モードで雨糸に向き直る。
「じゃあ、とりあえず”さくらの事だけ”を話すけど、その上でできそうな事があったら教えてくれ」
「うん」
そうして、改めてさくらの事を話す。
「…………………………信じられない」
話し終え、すっかり仰天して雨糸が感嘆を漏らす。
「だが事実だ」
「ちょっと待って、今の裕貴の話だとさくらちゃんって、人に危害も加えられるし、人を愛することもできるって言うの?」
「ああ、そうだ」
「確かに傍(はた)で見ていて、口げんかもできるし、裕貴が授業中居眠りしてる時に、髪をつまんだり頬をつっいたり、キスしてるのを見たから普通じゃないとは思っていたけど」
「――くっ、いっ居眠りしてる時そんな事が……てっ、てか、そっそれは知らなかったけど、並みの人間ほどに感情豊かだったぞ」
俺の動揺を見て、今更知ったかと呆れたように俺を見ると、雨糸がさらに反論する。
「でも大企業とはいえ、一民間企業の芸能プロが開発したA・Iでしょう? “一体どこの組織がそんな権限を与える”っていうの? 在日駐留アメリカ軍のDOLLだって、日本国内では三原則も日本憲法も無視できないようになっているって聞いているわよ?」
(――アメリカのDOLL。銃社会のアメリカでは、アシモフのロボット三原則は適用されず、とあるボーダーラインから、マスターを守るためにライトスタンを人に向けて発動させることができるそうだ)
「それは俺も判らないし、疑問の一つでもある」
「……ねえ、疑いたくはないけど、催眠とかマジックとかみたいに特殊な誘導からDOLLにそう思わされているんじゃない?」
その可能性は考えたことがなく、一瞬自分の確信が揺らぐのを感じ、記憶を探り直す。
「そんなはずは……ない…………と思うけど……。いや、ちょっと待てよ?」
ある事を思い出し、ツインを操作してプライベートマネージャーのタスクを開く。
そうして、まだ残っているかもしれない記録を呼び出し、画面を見て絶句する。
「なっ!!……………………………ん…………だと?」
「どうしたのよ?」
雨糸が横に来てチャンスとばかりに顔をくっつけ、ツインの空間投影像(エアビューワー)を隣りから覗き込む。
俺はそんな雨糸にされるがまま頬を寄せられるが、雨糸もまた画面を見た瞬間に硬直した。
「……………こっ…………これって裕貴の口座よね?」
画面上にはっきりと名義人の名前が写っているのに、雨糸はわざわざ確認する。
「……ああ、間違いない」
「“一体何回宝くじを当てたら”こんな金額になるの?」
そこに映しだされた数字、――以前さくらがブルーフィーナスの基幹(ホスト)コンピューターに自動運用させた俺の小遣い。
それが今や……。
「ごっ、5億4千万円!? 嘘でしょう?」
„~ ,~ „~„~ ,~
「……………………………………………………………………………信じるわ」
両手で顔を覆い、イスの背もたれに上半身を預け、しばらく天を仰いでいた雨糸がボソリと呟く。
「……そうか」
俺自身、途方もない金額に驚いて困惑を隠せずにいて、今更雨糸の納得に何の感慨も持てなかったのでぶっきらぼうに答える。
「信じらんないけど、実態は不明だけど、あんな金額をこんな簡単に動かせる組織――って事よね?」
「ああ、そうだな」
「……いいわ。それじゃあ私も本気を出すから裕貴の家にこれから行きましょう?」
「??……話が見えないんだけど」
「これから裕貴の家のパソコンを調べて、ブルーフィ-ナスから情報を引き出すわ」
「でも今朝ざっと調べただけでは、“さくら”が居た痕跡はすべて削除(デリート)されていたぞ?」
「復旧してみる」
「そう言うソフトやツールがあるのは知っているけど、そんなの片田舎の工業高校生が覆せるほど甘いもんじゃないと思うぞ? つか、ブルーフィーナスから、“とあるプログラム”をDL(ダウンロード)した時、プライベートブラウジングに近いモードで通信していて履歴やキャッシュそのものを記録しないようにしていたぞ?」
そう言うと、雨糸の感情の何かの火がついたのか、猛然と反論してきた。
「そんなの!! やってみなきゃわからないじゃない!! そもそも私がやる前から何言ってるのよ!!」
……どうやら雨糸の中の
そうして途中で授業をフケる事にして、まずは引っ越し中と言う祥焔(かがり)先生の所に寄ってみようと思い、休み時間に学年主任の所へ行き、祥焔先生の新旧の住所を聞いて立ち寄る事にする。
理由は、『学校が終ったら手の空いた生徒で引っ越しの手伝いをしたい』と、言ったらアッサリ教えてくれた上に、『さすが早生都(わせみや)先生の生徒達だ』とお褒めの言葉まで頂戴した。
そうして聞いてみると、新住所が意外に近くでびっくりした。
「……まあいいや、祥焔先生の所で解決するならそれはそれでありがたい」
「……そうね」
俺より家が近く、徒歩通学の雨糸をチャリの後ろに乗せて、まずは学校から2キロほど離れた祥焔先生の旧住所に行く。
雨糸は
無下にもできずに困り果てながら自転車を漕いで、そのうちに借り先生のアパートに着く。
だが、着いた先生の家のドアの表札は外され、電気も止まっているのか、呼び鈴も鳴らず空き家になっていた。
「?? 昨日の今日で女一人暮らしの引っ越しが終るものなのかな?」
雨糸にそう聞いてみるが判るはずもなく、同じく疑問を口にした。
「判らないわ……」
拍子抜けに近い違和感を感じつつ新住所に向かう。
そうして着いてみると、その家の大きさに驚く。
「「…………………………………(ポカーン)」」
白亜の豪邸。そう呼ぶにふさわしく、普通の二階建て住宅の優に3~4倍はありそうな大きさに加え、よく手入れされた洋風庭園には小さい噴水付きの池まで完備されていた。
それもそのはず、俺の家、涼香の家も含めて新興住宅地で、その昔ここら辺一体の地主が市街化調整に合わせて、市に“それなり”の値段で買い取らせ、そこを仕切った不動産屋が、売り込みの為に立てさせたモデル住宅だったのだ。
……まあ、当時のその不動産屋の社長が、涼香の今の家の旧家主で、継父(ままちち)だったのは余談だ。
その豪邸を二人でアホみたいに見上げ、何となく感想を口にする。
「なあ雨糸……」
「なあに裕貴」
「県立高校の女教師ってこんなに儲かるものなのか?」
「知らないけど、私も教師になろうかし………」
そう呟いた瞬間、お互いに閃くものがあって声を上げる。
「「まさか!!」」
俺の口座の大金、祥焔先生の新居の豪邸。
ブルーフィーナスの動向、A・Iさくらの事と無関係ではないはずだという確信が湧いた。
(祥焔先生はやっぱり大島緋織という開発者と、現在も太い繋がりがある!!)
「行こう!」
「ええ!」
意気揚々と、田舎にしてもだだっ広い庭を通り、真っ白な大扉の前に立つと、自動応対のインターホンがしゃべる。
『いらっしゃいませ。ただ今この家の主は不在ですので、御用の方はこのアナウンス終了後に、右下のボタンを押しながらご用件を申し付けください』
「留守? おかしいな」
「確かにどっちの家にも居ないなんて変ね」
「だけどワザワザ留守を公言するのってどうなの?」
「おそらくセキュリティー会社からレンタルした、最新式の警備DOLLが家の中を巡回しているはずよ」
「じゃあ庭に回って中を覗くのはダメかな?」
「うう~ん……どうかしら? まだまだ普及しきっていないシステムだから、いきなり通報はないと思うけど、記録を取られるくらいはされると思うわ」
「それは、……まずいな」
「まずいわね」
お互い今は学校をサボってきた身だなので、さすにその証拠を取られるのはよろしくない。
仕方なく、家の中を伺うのは終業時間に合わせ、その時間帯に出直そうという事になり自宅に帰る。
„~ ,~ „~„~ ,~
「おっじゃましま~~す……」
抜き足と言うのが正しいような、あるいは猫が警戒するような仕草で玄関をくぐる雨糸。
「どうぞ、つか、今誰もいないから安心していいよ」
そう言うと、雨糸に怪訝な顔をされ、続けて笑われる。
「ふふ、裕貴、それって普通逆よ?」
「え?………………………ああ!!」
付き合ってもいない女子を家人の留守に連れ込む。すなわち下心満載と思われても仕方がない。
いや、むしろソレが目的と思われるのが当然だ。
言い出しっぺが雨糸でも、留守宅を想定しての発言ではなかったと思う。
「ぷっ!……くく、裕貴ってばホント無欲なのかタラシなのか判んないわ」
「…………お嬢さん。それじゃどうしますか? 止めて帰られますか?」
「まさか! 初めて裕貴の家に来れたんだもん! たっぷり堪能させてもらうわよ?」
「まあ、ご自由に……」
「ふふふ、何なら私を堪能してもいいのよ?」
雨糸はそう言うと後ろで手を組み、体を折って斜め下から覗き込むように見上げ、胸元が覗くように悪戯っぽく笑う。
だが、顔が真っ赤になっていて、それが精いっぱいの強がりだと一目でわかる。
そのチグハグなリアクションに既視感(デジャヴ)を感じて記憶を探る。
(……そうだ、姫香がスク水を着た時のリアクションに似てるんだ)
「いやいや、さっきチャリで抱き付かれた時いっぱい堪能させてもらったよ」
そんな事を思い出し笑いしながら弁明すると、つまらなそうに雨糸がボソリと言う。
「……そんなの、・・・(パッド)越しじゃない」
「ん? 何だって?」
主語が聞き取れずに聞き返す。
「何でもないわよ! ばか……」
「なぜ罵倒?」
「さあ! さっさと部屋へ案内しなさいよ! もう!」
「はあ、わかりました」
„~ ,~ „~„~ ,~
そうして部屋に行くと、雨糸ひとしきり歓声を上げた後、PCを立ち上げて雛菊(デイジー)とさくらをセットした。
「なんで雛菊までセットするんだ?」
「うん、さっきこの子に家のPCの復旧アプリ落として置いたの」
「なるほど」
「じゃあ、とりあえずPCをチェックさせてもらうわね?」
ワザワザ雨糸が聞き返すので俺も念を押す。
「いいよ。つか、イヤならそもそもここまで話さないし連れてこないぞ?」
「その無防備さは何で?……て……え~と……その…………男子高校生の“お約束”的な事って……ねえ?……」
もじもじしながら雨糸が恥ずかしそうに聞き返してきたのでさすがに理解する。
「ああ! そう言う事か。あるといえばある。家族のプライベート画像とか、霞さくらのグラビア画像とか、あとはそうだな、削除(デリート)したけど、圭一がくれたAV動画とか」
「…………あのヘンタイ。なにやってるのよもう。……それは判ったけどいいの? 私なんかが覗いても」
心配そうに聞き返す雨糸を安心させるように言い聞かせる。
「親しくしたことはなかったけど、長い付き合いだし涼香との事もちょくちょく助けてくれたろ? だから雨糸の性格は少しは知ってるつもりだ。それに……」
もう一言は言いかけた所で思い止まるが、雨糸が今にも泣きそうな顔になって催促する。
「それに……なによ? 言いかけたなら最後……まで言えよう……」
「雨糸が本心を打ち明けてくれたのに、応えられない俺が隠し事なんかしたら悪いじゃないか。だから雨糸が俺の事を知りたいならできる限り打ち明けるよ」
そう言ったとたん、雨糸は髪が逆立つような顔を見せて真っ赤になって怒鳴る。
「…………ばかっ!! もう!! 向こう向け!!」
「なんだよ?」
「早くしろ!!」
フローラみたいに激情の吹き出した顔を見せたくないのかと思い、言われるまま背を向けるとまたしても後ろから抱き付かれた。
だが、隣にクラスメイトが居た準備室と違い、今度は声をあげての号泣だった。
「ばかばかばかばか!! ほんとに裕貴のバカ!!」
そうして喚き散らすので、回された手に手を重ねたら払われてしまう。
「何すんだ馬鹿!! 後ろ向かせた意味ないじゃん!! 優しくすんなタラシ!!」
「どうしろと?」
「どうもすんなカス!! じっとしてろ阿呆!! いいから黙って立ってろ唐変木!! うわ~~ん……」
(理不尽な……)
大泣きされ、意味不明な罵倒をされながらも雨糸がそれ以外の言葉もポツポツと呟く。
「打ち明けてよかった……
見ていてくれた……
裕貴を好きになってよかった……
信じてくれて……信頼をくれてありがとう……
裕貴……大好き…………
今はこれで充分……
諦めないでよかった……」
最後の言葉を聞き、本当に長い長い間俺を好きでいてくれたんだと実感する。
そうして自分が雨糸にさせようとしている事を改めて考える。
(……A・Iとはいえ、本当にこのまま雨糸に俺が好きな異性を追う手伝いをさせていいのか?)
首筋に雨糸の涙とは違う冷気を感じ、急速にとある感情がしぼんでいく。
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