暁桜編〈リプログラミング 〉
ピリピリ
(んががが………)
(……ぼそぼそ)
「えいっっ!!」
ビリッビリッ!!
「ぎゃ~~~~~~~~!!」
「きゃっ!!」
「おひょほほ~~~~~~~~!! 痛って~~~~~~~…………」
突然、ワサビを大量に口に放り込まれたかのように、鼻に衝撃を感じて悲鳴とともに飛び起きる。
鼻を押さえて激痛に耐えるが、止めようもなく目鼻からしょっぱい水があふれてくる。
「あ~~ビックリした。……おはよ~~、ゆーき」
起きた拍子に飛ばされたのか、ベッドにピョンと飛び乗ってきたさくらが挨拶をする。
鼻を押さえつつあたりを見回すと、ベッドにさくらが立ち、フローラが脇に居て、肩にOKAMEを乗せて俺を見ていた。
「……おっ起きたか、裕貴。……おはよう、そろそろ準備に取り掛かってくれ」
「うおおお、ビックリしたのは俺だよ、……ったくもう。ああ、おはようフローラ。つか、さくら、今俺にナニをした?」
非情にも痛みを堪える俺には目をくれず、妙に照れながら挨拶をするフローラ。目頭をぬぐい、鼻水をすすりつつ聞いてみる。
「んん~~とねえ、普通に起こしてもゆーきは目が覚めないと思って、鼻に手を入れて弱く電撃(ライトスタン)かけてみたの」
「んぐぐぐ、なんて事を…………おかげで確実に目が覚めた。てか、なんか違う方向に学習してないか?」
「う~~んと、本当は最初の電撃で起きなかったから、目の方にライトスタンやろうと思ったんだけど、フローラが“鼻の方でそのまま電圧を上げてみればいい”っいて言ったの」
(眼球にライトスタン!!)
「おまっ!! それって一撃でクマを撃退できるってワザじゃねえか!」
「やっぱダメ~~?」
口元に手を当てて小首をかしげて天使のスマイル。
「ダメに決まってるだろ! 失明したらどーすんだ! つか、俺を泣かせて一体何がしたいんだよ!」
鼻とか目頭とか、心とかココロとか色々痛みをこらえながらさくらを睨み付ける。
すると、両手を開いた後に拳を頭にコツンと当ててから、自分の胸をもむような“霞さくら(オリジナル)”のボケを初めてかましてきた。
「いっぱい、しっぱい、オッパ~~イ!!」
「おまえ俺の言う事聞く気ないだろ!!」
憮然としつつ立ち上がり、洗面所に顔を洗いに行く前にフローラに聞いてみる。
「そうだ、フローラは朝シャワーとか浴びる?」
さくらのボケのおかげでフローラの昨夜の不可解な行動や疑問などがすっかり消え失せ、いつものように声をかける。
「……ああ、そうさせてもらおうかな」
逆に、未だに昨夜の出来事を引きずっているのか、少し照れ気味にフローラが答える。
「じゃあ、俺顔洗ってくるから、そしたら浴びてくれば? その間に俺が着替えてj準備しておくよ。んでフローラが上がったら髪とか結んで出掛けよう」
「ああ、ありがとう」
フローラがほんのりと頬を染めて嬉しそうに笑う。
フローラがシャワーを浴びてる間、出掛ける支度をしていたらさくらが聞いてきた。
「ねえ、ゆーき」
「なんだ?」
「ゆうべフローラと何かあった?」
(ドキッ!!)
「……なんでそんな事を聞く?」
「フローラがさっきからよそよそしいのよ」
(……やっぱり待機中(スリープモード)の集音機能もOFFになってるのか)
通常DOLLは待機中も集音機能はONになり、マスターの危機管理上、ツインを通しての体調変化や、ネガティブな言葉(ワード)にも反応するようになっている。
その記録がないという事は、眠っているようなリアクションと合わせても、完全に別な機能にすり替わっていたと考えられる。
(――それにしても空気まで読めるようになるとは、やっぱり有人遠隔操作? いや、違うか)
“またしても”人間を相手に喋っているような錯覚に陥るが、ネットにダイブしたり、計算や検索を瞬時に行うなど、人間以上の知性も見ているので、以前思いついた推測の“それ”ではない……と、脳内で首を振る。
「なんか、“俺の寝相が面白い”って涼香からメールもらったみたいで、夜中に見に来てたようだぞ」
「そうなんだ、それは確かに面白いけど……」
さくらは相槌を打つが、それでもまだ腑に落ちないような顔をする。
「そういえば、最近のお前は俺の寝相を盗撮とかしてないみたいだな」
「ええ!? う~~……あ~~、あれは…………その、“稚木(わかき)のさくら”ってかんじ?」
「それを言うなら“若気の至り”だろ? 俺やフローラ(桜フリーク)しか判らんボケをかまさないでくれ」
「うふふ~~、……うん、さくらもゆーきの為にいっぱいべんきょうしてるんだよ♪」
「くっ……」
思いがけず素直に返されて照れる。
(……やっぱり悪い事をするようなA・Iには見えないな)
„~ ,~ „~„~ ,~
風呂からあがったリンスのいい香りのするフローラの髪をドギマギしつつ編み、荷物を持って手近なバス停から始発のバスに乗り、一旦駅に行き、目的地へ向かう。
こんな人口密度の低い田舎では、各集落や地区間の直通のバスなどなく、大抵は一度最寄り駅を通過しないと目的地にたどり着けない。
そして行きたい場所によってはV字型に移動することになり、下手をすれば自転車や移動球車(ロードボール)や徒歩の方が早かったりするので、田舎では自家用車など、個人の移動手段が必要不可欠となるのだ。
――また、それが為に市民の公共交通利用が、ますます疎遠になる悪循環に陥るのは別なお話。
移動の間、駅前のハンバーガー屋で朝食を済ませ、コンビニで昼食用の弁当を買って件(くだん)の施設へ向かう。
6時半に出発し、8時近くに施設に到着し、事前に受付で予約しておいたレンタルサイクルで目的地に向かう。
走りながら周りの景色を見ていたフローラが感嘆の声を上げる。
「ああ!! やっぱりだ。ここら辺は黒姫周辺と全然桜の分布の種類が違う」
「へえ、そうなんだ、距離的には20キロも離れてないけどね」
「なんだと? 隣市どころか同じ市内のレベルだな」
「そうだね、でも降雪量は黒姫が積雪1メートルくらいの豪雪地になるけど、ここら辺は積もっても30センチくらいかな。冬場の気候も黒姫は曇りが多くて、黒姫以南は晴れ間が多いね」
「そうか、イギリス南部の気候と似ているとは聞いていたが、それに加えて冬の降雪か……なるほど」
「似て?……そうか、“霧のロンドン”って言われているね」
「その通りだ。イギリスは日本に比べれば全体に温暖とも言えるが、晴れ間が少なくて雨も多い。だから旅行者は寒々とした気候の印象を持つ者も多いんだ」
「ふうん、だからイギリスが舞台の映像作品は薄暗い印象……っと、ごめん」
「いや、その通りだ。霧や雨を強調してイギリスらしさを出したいんだろうとオレも思う」
「まあ、北アルプスや戸隠連邦、黒姫を境にして日本海側は極端に降水量が増えるからね」
「それと地質の違いも加わっているから桜もこんなに違う訳か」
「……っと、ちょっとそこの桜を見ていこうよ」
そんな事をはなしつつ、とある桜の大木の近くへ自転車を停める。
「おお!! “巡礼桜”か」
道路のカーブの中央に高さ18メートル余りの桜の巨木。
「知っていたんだ、 ……あーまあ当然か」
「いや、名前だけだがな、……裕貴が知っている事を教えてもらえないか?」
自転車を降り、そばに建てられた休憩用の四阿(あずまや)に二人で腰を下ろすと、フローラは肘をついて嬉しそうに見つめて解説を求めてきた。
階段の上り口に解説が描かれた立て札があるが、俺から聞きたいぐらいの察しはついたので頭をかきながら話し始める。
「……って、俺もお父に連れられて一度花を見ただけなんだけどもね」
「ほう、花を? どうだった?」
「そう、周りの桜より明らかに紅色が濃かったよね」
「やはりか、桜は寒緋桜が先祖とされるから、樹齢末期は本来の紅色が出るようだな。……っとすまない。続けてくれ」
「ふふ、うん。――品種はエドヒガン桜、市の天然記念物に指定されてる。樹齢は700年余りだけど、一度主幹が枯れて、そのひこばえが成長したのがこの桜で、実際の樹齢は古い株の大きさから推定して1500年くらいって言われているんだ」
「1500年……そういえば近くに素桜神社の天然記念物の桜もあるな」
「そう、そっちも同じエドヒガンだけど、樹齢は1200年くらいって言われているね」
「巡礼桜の方が300年も古いのか、それなのに向こうは“国”の天然記念物……、DNA年齢にこんなに開きがあるのに扱いが全然違うな」
「まあしょうがないんじゃない? そもそも“天然記念物”って文化庁の管轄だし、生物学的に特別だからって指定されるわけじゃないしね」
すると珍しくフローラがぽかんとスキだらけの顔をして驚く。
「What!? なんだと? そうなのか“さくら”?」
「そうだよう。生物学的に貴重な場合は環境省のR・D・B(レッドデータブック)に載るくらいよ?」
(おお!、OKAMEじゃなくてさくらに聞いた! ってそうか、普通のDOLLはイチイチ質問を言わなきゃいけなくて、“会話のやり取りから振られても質問には答えられない”んだよな……)
「レッドデータなんて“絶滅しそうな危機的生物”の単なるリストであって、保護機構じゃない。じゃあ一体桜の品種を確実に保護する機構はこの国には無いのか? だとしたらオレの研究結果をこの国で後世に伝えるにはどうしたらいい?……」
フローラは俯いて独り言のようにぼそぼそと言い始める。
「?? ってフローラのとこの植物園で育てられないの?」
「先祖(コリングウッド)の代ならともかく、現在はワシントン条約とWHOの検疫や、品種保護の種苗法の規制から、国家間の生体植物の移動は難しんだ。種ならあるいは楽な場合が多いが、桜にとってこれがどういう意味になると思う?」
「えっと……桜の品種は個体に依るものがほとんどだから、種ではその特徴が変わる?」
「そうだ。桜の品種の移動は“必ず生体”でなければいけないんだ。だから、日本国外へ持ち出す場合、土がついていてはいけないとか、無病証明が必要とか、品種登録の権益に抵触しないとか、様々なハードルがある」
「おおお、確かにそんなハードル、大きな機関のフォローがないと、個人でクリアするのは困難だね」
「ああ、日本で桜がこんなにも低い地位だったとはウカツだった」
「でもフローラ、国立遺伝学研究所とか、各地の森林科学研究所とか、いくつかの公的機関が桜の保存をやっているよう?」
「ああ、そうだがやはり専門機関とて、その研究成果が価値を持たないと次につながらないし、衰退していくのは目に見えているだろう」
「そうだね。確かに桜なんて広大な土地や時間や手間を必要とする花の研究なんて、みんなの関心が薄れたら終わりの様な気がする」
「イギリスのバラみたいに個人レベルでの栽培が浸透すれば、研究を望む声も大きくなるはずなんだがな」
バラの本場、イギリスから来たフローラのその言葉はとても重かった。
(日本で個人レベルで栽培の浸透? ……あの大木を? ……って、そうか!! だからお父は)
桜の現状を憂える父親のささやかな抵抗(レジスタンス)を今更ながら悟った。
「ああ! こんなことならソメイヨシノなんて、隣の国にでもくれてやればいいのに!」
思いがけないフローラの悪態に驚く。
「あれ、フローラはソメイヨシノは嫌いなの?」
「……む、声に出てしまったか。――そうだな。正確には“ソメイヨシノを取り巻く現状”が大嫌いだ」
「どういう事?」
失言を吐いてしまい、フローラが少しバツが悪そうに話し始める。
「今、日本全国で植樹されてるほとんどの桜がソメイヨシノだろう?」
「そう……だと思うけど具体的には知らないな」
そう答えたらさくらが続けて答えてくれた。
「そうね、ソメイヨシノが育つ地域の名所の8割ほどがソメイヨシノで、数にすれば95%以上がソメイヨシノと言われているわ」
「だろう? そもそもソメイヨシノは生長は早いが病害虫に弱く、その分寿命も短い。この巡礼桜のように“ひこばえ更新”で樹を若返らせたりして寿命を延ばす事も出来るだろうが、接ぎ木した台木の青葉桜や真桜にとって変わる可能性もある。そしてそこまで大事に扱われるどころか、ほとんどが羅病(らびょう)しても放置され、病害虫の温床になっていたり、果ては花粉を振りまいて各地の野生の桜に遺伝子汚染を引き起こしている状態ではないか!」
フローラは四阿の古びたテーブルを叩かんばかりに熱く語る。
「……フローラ」
鎮めるように静かに名を呼ぶと、我に返ったようで少し赤くなった。
「……何もソメイヨシノが嫌いと言う訳ではない。日本人にここまで“桜”というものを浸透させた功労者だしな。だから、欲しいと言ってくれる連中がいるなら、余生はそっちでの方が大事にして貰えるのではないかと思っている」
フローラはそうして横を向いて、1500年という悠久の年月を生きた、この世で上から何番目かに美しい樹木を見る。
「……ああ、確かにそうかもね」
(そうだ、そもそもイギリスから来たフローラにとって、国境はただの遮蔽物でしかないのかもな)
朝と言うには高めの日差しを浴びた、ほんのり桜色に染まった美しいフローラの横顔を見つめ、少し鼓動が早まる。
――桜好きとはかくありき。
いまは青々と茂り、そこここに赤や黒く熟した実をたわわに付けた巡礼桜を真っ直ぐ見つめ、何かに思いを馳せる横顔を見ていたら、フローラが不意に振り向いて目が合う。
「……何がおかしい?」
「あれ? 俺笑っていた?」
「む……なにか姫香を見ているような顔をしていたぞ」
「そう? じゃあフローラが可愛いと思っていたんだよ」
「くっ!! ……裕貴にそんな風に思われるなんて」
フローラが耳まで赤くして俯く。
「まあ、たまには言わせてよ。……んじゃあ俺も探したいものもあるし、そろそろ山に入ろうか」
„~ ,~ „~„~ ,~
ここら辺は地理的には、富士の搭と呼ばれる里山のふもとで標高はあまり高くなく、700メートル前後。人家や畑がまばらにある普通の里山で、ルートに関しては畑や庭先を迂回しながらの散策になる。
ちなみに北の裾花川をはさんで対岸にさっき話していた素桜神社が、ここからおよそ4~5キロ離れた場所にある。
畑や庭先を迂回しながら散策しているとフローラが呟く。
「……日本にも public(パブリック) Footpath(フットパス)みたいに自由に通行できる権利があれば楽なのにな」
「パブ?? って、何?」
「パブリックフットパスだ、簡単に言えば“権利通路”と言うが……、判りやすく言えば、“昔から使われていた道なら、例え他人の土地であれ自由に通行してよい”――という権利だな」
「へえ、そんな権利があるんだあ……、でも通られた方は不快に感じないのかなあ」
「大抵は甘受しているが、それが嫌な連中は引っ越すな」
「ふうん」
(そう言う慣習があるから、さっきみたいな考え方ができるのかな?……)
ヤブをかき分けながら、先ほどのフローラの考えを反芻する。
時々立ち止まり、フローラがいつものようにOKAMEに撮影させ、サンプルを採取しながら呟く。
「……それにしても、やはり桜の植生が違うな」
「しょくせい?」
「植生――つまり植物の分布状態の事だ」
「そうなんだ、なにがどう違うの?」
フローラが日本人の俺以上に専門用語を駆使する事に、もうすっかり慣れてしまっている事に内心自嘲しつつ聞き返す。
「黒姫高原は高嶺桜、深山桜、大山桜、霞桜、奥丁子桜が主な原種の分布だったが、ここら辺は江戸彼岸桜、山桜、霞桜、丁子桜になっている」
「あれ? 黒姫に江戸彼岸は無かったの? つか、江戸彼岸って北海道と高山帯を除けば日本全国にあるんじゃない?」
「……裕貴は江戸彼岸がどういう桜か知っているか?」
そこまで知っている俺に驚いたのか、一瞬キョトンとして嬉しそうに聞き返してきた。
「えっと、確か大木性の桜では一番開花が早くて、花が先に咲いて小~中輪一重、日本の桜の中では一番寿命が長くて、桜の古木はほぼこの品種だった……かな?」
だが、ネット検索で判る以上の事を知る由もなく、自分の無知ぶりが露呈する。
「その通り。だが、今裕貴が言ったが、“北海道にはない”についてはどう思う?」
「うう~~ん…………あ! そうか、黒姫も北海道もどっちも寒冷地で豪雪地帯だ。――つまり江戸彼岸は雪や寒さには強くない?」
「そうだ。と言うより雪害による枝折れに弱く、そこから病原菌が侵入するので、豪雪地では野生種は少なくなるし、育つにはどうしても人の手助けが必要になる」
「なるほどねえ」
フローラは笑いながら、テーブルに落ちていた葉っぱを拾い上げ、指先でクルクルと回す。
「……ちなみに枝垂れは江戸彼岸系の桜が多いが、日本列島を進化しながら北に分布を進めていくうちに、台風や雪害による枝折れに適応した結果だ、という説もある」
「おお! そういえばそうだ。山桜や霞桜、大山桜の枝垂れって、ちょっと聞いたことないね」
「まあ種間雑種や交配の結果としてそういった個体も稀には存在するが、北国の桜のように耐病性を身に着けた結果、江戸彼岸以外の野生種では枝垂れと言う形質は必要なくなったのだろうな」
「え? じゃあ枝垂れはいずれは絶滅する?」
「それは判らないが、しかし一度発現した形質なら、ヘテロ接合型の陰性遺伝情報として、何世代かは記憶されるだろうな」
(遺伝学。……やばい、、ついて行けん)
「そうか、でもまあ、人間が美しいと思っているうちは大丈夫だね」
難しい単語が出てきたので、ありきたりな感想で締めようとしたら、フローラが意外な方向に水を向けた。
「……ふっ、裕貴の言う通りだ。桜はもう人間に見込まれた植物だからな。――なあ、“さくら”」
そう言ってフローラは肩のさくらを見つめる。
「え? どういうこと? フローラ」
さくらが聞き返す。
「“霞さくら(おまえ)”だって“誰か”が望んで、擬似人格(パーソナルキャラクター)として再構成(リプログラミング)したから、“亡くなった現在(いま)もこうして存在している”んだろう?」
「え? 何言ってるのフローラ。さくら死んでなんか……あれ? 死んでない? 生きてる?
…………………………いいえ。…………さくら“死んだはず”よ?
…………“どうして死んでない”の!?」
俺の肩の上、自問自答にも似たつぶやきを漏らしながら、頭を抱えて振り続ける桜。
質問したフローラも驚きの表情でさくらを見つめている。
フローラにしてみたら、あまりに人間に近いリアクションをする、“さくら”の反応を見ようとしただけだと思う。しかし、予想以上にプログラムの間隙を突いた質問だったのは明らかだ。
「おいさくら。どうした? 何を言っている?」
そう聞き返すが、さくらは始めて見た他人を見るようにじっと俺の顔を見つめた後、驚くべき言葉を返す。
「??…………………………………………………………………………
………………………………“昇平さん!?”」
「お父?」
まるで寝起きに知り合いに会ったような、いくばかりかの戸惑いを含んで、思いがけない人物の名を呼ぶ。
「………………………………………………………“来てくれた”の?」
「何だって?」
聞き返した質問には答えず、ぼんやりとうれしそうにそう言った瞬間、額のLEDが赤く点灯し、“さくら”のカメラアイも閉じて俺の肩から崩れ落ちた。
「「さくら!!」」
落ちた瞬間キャッチに成功するが、手の中のさくらは完全にシャットダウンしているのか、ピクリともしない。
„~ ,~ „~„~ ,~
「………………何だったんだ?」
手の中のDOLL(さくら)から視線を上げてフローラに問う。
「全くわからない」
「ですよねぇ、……ハァ」
下を向いてため息をつく。
「シャットダウンしているようだが、ツインの方からさくらにアクセスできないのか?」
「……そうだね、やってみる」
以前、さくらにアクセス制限をかけられているのを知って以来、触れずにいた機能だが、フローラのその言葉にもう一度立ちあげてみる。
そうしてツインの空間投影機(エアプロジェクター)を起動して、フローラにも見えるよう空間画面(エアビューワー)を展開して“ELF―16”のステータス画面を呼び出すが、“信号がありません”としか表示されず、エアフリックやエアタップも一切反応がなかった。
「……やっぱりか」
「やっぱり?」
「ああ、以前オイル交換をした時、さくらが“ツインのOS(オペレーティングシステム)を書き換えて、ツインからの操作を制限した”って言ってたんだ」
「……“さくらが”? と言ったか?」
「うん。どうして?」
「昨夜の裕貴がくれたメモの内容や、これまでの言動を見るに、“さくら”はあくまで“自分”を主軸に行動していることが判る。……と、言う事は、先ほどの言動も製作者(プログラマー)の意図する事ではなく、あくまで“さくら自身”からのセリフと言う事だ」
「!!」
フローラのその洞察でも、相変わらずさくらの行動の謎は解けない。だが、“それが一体どこから来ているのか?”という事を、今フローラが明かしてくれた。
“さくらの動機”が誰とも知れない製作者ではなく、目の前のこの“おきゃんなA・I”によるものだというのが判っただけで、この手の上に載る小さなパートナーに対して、いとおしい気持ちがあふれてきた。
「だが、さくらは生と死や、電子再構成体(エレクトリカル、リプログラミング)と原体(オリジナル)との自我の区別があやふやなようだ。さらに裕貴と父親の区別がつかないうえ、意味不明な言動もあった」
「……ああ、そうだね」
フローラのその分析に納得し、改めて尋常ならざる事態なのだと思い至る。
「「………………………」」
フローラと二人、どうしたものかと呆然としていたら、さくらの額下のLEDが点滅を始めた。
「…………………………再起動開始。システムエラーリスト作成。……送信完了……再起動終了」
目を開けるとさくらではない、初期設定(デフォルト)のアナウンスキャラが報告し、その後に表情が変わって“さくら”にもどる。
「……ん、ゆーき。フローラ。……さくら一体……ああ、ごめんね。なんかエラー出ちゃったみたい」
さくらがまさに寝起きの様に目をこすりながら、すこしトロンとした目をして喋る。
「ああ、なんか意味不明な事口走っていて驚いたぞ」
「うええ~~そうだったの? 全然覚えていなくてなんか恥ずかしい~、でももう大丈夫だよ?」
「そうか? 本当か?」
不安になり、そう聞き返してからフローラを見る。
「……まあ確かに今ここで何とかなる事でもないようだし、“何かしらの安全装置(セーフティ)”が働いたようだから、今すぐ“壊れるような事はない”と思うぞ?」
フローラが意味ありげに要点を強調してウィンクする。
(セーフティ!!)
何かしらの矛盾から動作不良、そして強制終了、精巧なA・Iであるさくら以外の意思でそうなったという事は、それこそが製作者の介入なのは明らかだ。
「……そうか。“そういう事”なら確かに心配要らないかもな」
フローラがにっこりと微笑み、先を急かす。
「安心したならば調査を続けようか」
「そうだね。さくら、帰ったら色々聞かせてもらうからな」
「ええ?、”あんな事”までしたのにゆーきったらまださくらの 『ヒ♡ミ♡ツ』 知りたいの~?」
さくらが姫香のセリフを拝借して、いつもの調子でからかうように答える。
「あんな事……だと?」
怒気のオーラを放ちつつフローラが聞き返す。
「い、いや、そのあ、あれですよ姐さ、……いや、フローラ。……ねえさくらサン?」
ビビリつつさくらに振るが見事に裏切られる。
「うん。初めてだったさくらをゆーきはとっ~~てもやさしくテンテンテン」
近くの石の上に乗り、嬉しそうに頬に手を当てて身をくねらせるさくら。
「点々をセリフで言うな! そんで誤解を招く言い方するな! つかちゃんと説明してくれよ!」
「“初めて”? “優しく”? ……ほほう? DOLL相手に? ……何の事か詳しく聞かせてもらおうか。裕貴」
ばきぼきと拳をならしながらフローラが近づいてくる。
「うひゃあ~~~~~~~~~~~~~~!!」
(ひゃぁ~~~~~~~~~~)
(ひゃぁ~~~~~~~)
(ひゃぁ~~~~)
雄大な北アルプスを望む山々に俺の悲鳴がこだまする。
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