暁桜編〈涼香とデート・1〉
週末。
……………………………重い。
胸の上に何か覆いかぶさっていた。
窓の外はまだ薄暗い。
手を伸ばして胸の上のそれをまさぐると、柔らかな髪の感触があったので、その頭を顔の近くまで引き寄せる。
洗い立ての髪のリンスに混じり、嗅ぎ慣れた体臭が微かにした。
「にゃ~~~ん♪」
その匂いの主が、甘えた声で猫真似をする。
胸の上は苦しいので腕枕に変えようとして体に手を回した時、わずかな膨らみ先のサクランボの果実に触れた。
「ひゃん」
ハダカかよ……。
か細い鳴き声には構わず、左腕に頭を抱えてわしわしと髪をかきむしると、頭をすりよせて抱き付いてきた。
「まだ眠いからもう少し寝てろ」
そう訴える。
「にゃ~~、ゴロゴロゴロ…………」
だが、素直そうな返事とは裏腹に、指先で胸とか肩をまさぐる様になぞってくる。
くすぐったい……。
やめさせようと探る手を掴んで押さえこむが、すぐに逃げられてしまい、今度は指を絡ませたり指の関節をつまんだりしてじゃれてくる。
むうう……コイツめ。
腕枕をしている左手を抱えている左わき腹に滑らせ、腰骨からアバラ、わきの下までゆっくりと指先でなぞる。
「ひっ!!!!……にゃっ!!!!!!んっっ~~~~…………」
体をのけぞらせて指から逃れようとするが、左手をがっちりつかんで抑え込む。
「はぁはぁ……んあぁっっ!!…………うひぃっ!!」
二度目は下腹部か左胸の先に向けて五本の指でさすりあげる。
「~~~~~~んっっ!! あっ! ああ~~!」
ビクビクと震えながら声を上げる。
そうして指先が双丘に届く寸前、背中に回されていた右手でタップされ、無言の闘争の勝利を確信し、拘束を緩めて解放する。
「…………イジワル」
不平を漏らし、脱力しきった体を抱き寄せ、額に頬を寄せる。
物心ついた時から身近にいて、色々あってもいまだにこうして近しい存在でいられるのがとてもうれしく思う。
だが、当の
――小さい頃は辛い事があると、よくこうしてスキンシップを求めてきた。
それが家庭環境にそるものだったせいで不憫に思うと同時に、子供だった自分をとてつもなく無力に感じていた。
そのせいか、こうして年頃になっても、ちっとも変な気が起きず、それはそれでおかしいような気がするが、涼香も別に不満はないようだし、今の関係が壊れてしまう様な気がして、その先へ進めないでいる。
結局ふりだしに戻ってしまい、諦めて背中を優しく撫でてやると、俺の胸のあたりを唇だけで甘噛みしてきた。
うくく、重い、苦しい、Tシャツが伸びる、くすぐったい……でもまあいっか。
諦めてされるがままにして、再びまぶたを落とす。
――日が高くなって気温の上昇に伴い、寝苦しくなって目が覚めると、シャツの中で茶トラの子猫がまだ丸くなっていた。
「おはよ~涼香」
襟元から覗き込み、茶色い毛の塊に向かって声をかける。
「…………んん、にゃ~~ん……あふ……くうくう」
けだるそうな生返事が、まだ起きたくないと雄弁に語っていた。
「起きないとくすぐるぞ」
頭の中心、つむじをつつきながらやんわりと警告する。
「……ぶうぶう」
「豚かよって……猫じゃなかったのか?」
笑いながらツッコむ。
「ふふ。はあい。起きま~す」
ゴソゴソともがいて俺のシャツを脱皮した寄生生物が、ベッドの上にペタンとM字座りで目をこすりながらあいさつをする。
「おはよ~~裕ちゃん」
暗がりの中の手探りでは上半身だけだと思っていたら、パンツまで履いていなかった。
「おう、おはよう……っていまだに全裸寝かよ」
その理由は知っているが、いまなおスキンシップに飢えている事に驚く。
「ん……なんとなくね。それにあの服がシワになっちゃうから」
そう言われ、向けた涼香の視線の先には、プレゼントしたゴスロリ服がハンガーに吊るされて壁にかけられていた。
「……おお、着てきたのか。って朝っぱらからあの服……いや、そうか。だから早起きして、誰かに見られないにしようにしたんだな?」
「ピンポーン。ドーーン!……ゴロゴロ♪」
再びタックルするように抱き付いて甘えてくる。
涼香のこの異様なテンションの高さが、存外このプレゼントを喜んでいる事を、無言のうちに証明していた。
「ふふ。……わかったからそろそろ起きて出掛けるぞ」
「……うん」
背中を撫でて促すが、一向に離れる気配がない。
すると起動したさくらが見て、一言こう言ってきた。
「きゃ~~!! 涼香がハダカでゆーきのコカンに顔をうずめて
「「違う!!―わ!!!」」
先走るさくらをなだめ、起き上がってお互いに服を着込み、あらためて涼香の服を眺める。
「…………おお、実際に見るとすごいなあ」
「……どっどどうすごいの?」
さっきとは打って変わり、涼香はいつもの口調になっている。
「そうだな、なんか本当に等身大の人形みたいだぞ?」
実際、普段の涼香を知らなければ生唾を呑み込みのそうなほど、高級感とか希少感とか、生臭さを一切感じさせないオーラがにじみ出ていた。
ただでさえ目立たないようにして、存在感が希薄なせいか、こういった服を着ると、より一層生命感が薄れて、まさに人形のような感じになる。
「ふっふ~~♪ フローラの見立ては間違いないね、ゆーき、涼香」
「ああ。だけど
「も~~う。だから涼香は“今日”着てきたんでしょ?」
「そっっっ…………」
口ごもり俯いてしまう涼香。さくらの言っている意味は判らないが、照れる涼香を見るに、深追いをしてはいけない事の様に思えた。
「??……まあいいや、って、もう十時まわってんなあ、じゃあ今日はどうする?」
「……ん、んーとね、ちょっとした服や
涼香はDOLLを手に入れたのが嬉しいのか、スラスラ喋る。
「おお、本格的だな」
しかしそんな思いは口にせず、普通の受け答えに留めておく。
「うん。さくらちゃんが応援してくれたから、ちょっと頑張ってみようと思って」
この手のアプリはPCにもインストールするが、出先や学校、職場で作業する場合もあるので、ツインシステムやDOLLにもインストールしておくのが普通だ。
そうすることで、PC(パソコン)間の環境補正やデータの移動、作業の補助をDOLLに言えば言葉一つでできるようになる。
具体的には、アプリをインストールする事で、DOLLがマスターの作業や仕事を理解出来るようになり、個人データベースの展開や作業のチェック、保存、修正などをサポートできるようになるからだ。
「それなら、ブルーフィーナスの社内用アプリがあるからあげるよ~。ダウンロードしようか~?」
「えっ! さくらちゃんそれ本当?」
「おお! 専用アプリは安くないから助かるけど、プロ用アプリ勝手にダウンロードして問題とかないか?」
先日のフローラと話した推測をそれとなく聞いてみる。
「うん、さくらの“
「なっ!」
「ええっ!……」
思いがけずあっさり答えてくれたが、あまりの事に絶句する。
――業界屈指の芸能企業の、サーバーへのアクセス権が無制限!!
そこへさくらがさらに驚くべき提案をしてきた。
「あとねえ、一葉には、さくらの“妹”をインストールして欲しいなあ」
「「妹!?」」
「うん」
「ってどんなプログラムなんだ?」
「うんとねえ、DOLL本体の行動原理(アルゴリズム)と、受け答えや動作を管理する対話形式入出力法(インタラクティブ・インターフェース)に定義されるプログラムだよ」
「……わからない」
涼香が言う。
「つまりは今、一葉に
「そう」
「それならわかる。ゆうちゃんすごいね!」
いやいや、お前も一応工科生の端くれなんだからな?
……とは言わない。余計混乱させるから。
「って、じゃあ今一葉に入ってるキャラはどうなるんだ?」
「一葉の
「なるほどね」
「そう、よかった~~。ありがとう、さくらちゃん」
「どういたしまして~~」
「インストールは時間がかかりそうだから先に買い物を済ませておくか」
そうして階下に降りて、出ようとしたら涼香が姫香に捕まった。
「え? え? なにこれ? 涼姉どうしたのこの服!! きゃ~~~カワイイ~~! え? フローラのチョイス? うっわ~~さっすがイギリスJK。うん本当お人形さんみたい。ウチ……じゃない。私の部屋に飾っておきたいわ~~。……すりすり。 ぬいぐるみ? ビスク? セルロイド? スーパードルフィィー? 南極二号? いや~~ん、もう可愛くて死にそう~~~~~~!!!!! ――もう私のものになってよ涼姉!」
「ちょっと待て姫香。あとで兄ちゃんとじっくり話し合おうな」
「……もう、姫ちゃんったら……」
ようやく解放されてぶつぶつ言うが、顔は笑っていた。
んじゃあ、行くか。まずはリサイクルショップ行って、掘り出し物探したら、それからディーラー行こう」
「う……うん、あと、DOLL服の素材屋も行きたいな」
「いいよ、じゃ出発」
そうして各店を回っているうちに昼になって、昼食にする為、近所のファーストフード店をさくらに探させる。
「さくら、空いていて、安く、近い順で近所のファーストフード店を探してくれるか?」
「は~~い!」
……数秒後。
「ん~~と、若里のケンターキーが一番空いてるよ~」
「そこでいいか? 涼香」
「裕ちゃんがいいなら、私はどこでもいいよ?」
「そっか、空いてるならそこでいいか、人ごみ苦手だもんな」
「うん、ありがと」
「まあ、俺もそうだからいいよ」
「うふふ♪」
「おし! 決まりだ、行こう」
チャリに跨り、涼香を乗せて発車する。
店に入ると、さくらの情報通り店内は閑散としていた。が、併設のドライブスルーのほうは、道路まで並んでいる状態だった。
そうして、カウンターでチキンバーガーセットを二つ頼み、先に涼香を席に座らせ、さくらがDOLL用認証端末に手をかざし清算する。
さくらを涼香の元に行かせ、そうしてオーダーの出来上がりを待つ間、ツインで小遣いのの残高を確認する。
はああああああ~~~~~~。厳しい~~~。
今月はDOLLを入手したので過去最低の預金残高になっていた。
なんかバイトでもすっかなあ……とか、考えていたら声をかけられた。
「お待たせしました。チキンバーガーセット二つになります」
「はい」
「ご注文の品は以上でお揃いでございますか?」
「はい」
そうして、品物を受け取り、席に行くと、涼香がさくらと話し込んでいた。
「ええっ!……さくらちゃんの妹さんって他にも居るの?」
「うん」
「まあ、インストールの詳しい話は後にして、冷めないうちに食べよう」
そうしてハンバーガーを食べ終え、さくらに聞いてみる。
「ところでさくら」
「なあに~? ゆーき」
「インストールの作業時間はどれくらいだ?」
「妹の仕様は初期化されてて、何にも無い状態だよ~、インストールは30分以上かかりそう」
「そうか、涼香の家のパソコンの方も連動させなきゃだから、早めに帰ってやってやるか」
「それはだいじょぶだよ~~。一葉のインストールが完了したら、一葉がもろもろのセッティングは自分でできるから~、全然心配しなくていいよう」
「!!!!」
“
やはりさくらの妹も、自立思考型プログラム、つまりはA・Iと言う事なのか? しかも複数存在する?
だが、涼香の感想は別な所にあったようだ。
「……そっそんんなに、ここ高性能なプログラム、ほほんとうに貰っちゃっていいいの?」
「さくらは涼香が大好きだし、涼香なら妹を大事にしてくれそうだから、ぜひ貰ってやってほしいんだ~~」
そして、答えた涼香がそんなさくらのポジションを的確に表現する。
「う、うん、大事にするのはモチロンだけど、さくらちゃんってひょっとして、“電脳界のお嬢様”?」
そうして次はDOLLグッズ専門店へと向かう。
店に入り涼香が更に向かった先は、店内のDOLL服飾の素材コーナーだった。
客層にご婦人方が多く、一種婦人下着コーナーに似た雰囲気があり、男の自分がいるのは激しく違和感を覚えたが、チラホラと男性の姿も見受けられたので、何とかガマンして涼香について廻る。
しかし、そんな事はお構い無しに涼香は色々と聞いてくる。
「ねえねえ、さくらちゃんにこの色どう?、似合うんじゃない?」
とか、
「一葉にはどうかな、こんな形のスカートいいんじゃない?」
などと、嬉々としながら矢継ぎ早に聞いてくる。ついでにキャラが変わっている事は自覚がないようだ。
「……うん、素材の段階で色々聞かれても、俺の想像力は涼香の半分以下なんだ。だから判らない」
アッサリ負けを認めた事で、涼香の自信につながればと思う。
「も~う! 裕ちゃんなんだから!」
笑いながらプックリと頬を膨らませ怒る涼香。
「朝と立場が逆転したなあ……」
「うふふ、裕ちゃんはしょうがないなあ♪……ね、さくらちゃんはどんな服が好き? 色は? デザインは? リクエストしてくれたらなんでも作るよ?」
「涼香っ!」
その言葉に、即座に俺の肩から涼香の右肩に飛び移ったさくらが言う。
「涼香……大好き!」
涼香のウェーブのかかった淡い栗色の髪を抱え込み、耳元で言うさくら。
「うん、わたしもさくらちゃん大好き。――妹さん大事にするね」
「うん……うれしい」
「友情を確認できたところで、ついでに廻りも確認したらどうだ?」
「えっ?……あっ!!」
廻りにいたお客達に注目されていて、涼香が見回すと軽く拍手が起こる。
「いやあ、かわいいDOLLねえ」
「リアクション豊富だけどどんな学習させたの?」
「DOLL劇の練習かしら?」
周囲で見守っていた人々が口々に聞いてきた。
「そっっそそそ………しっ失礼しますっ!」
涼香は噛みながらそう言うと、トイレの方へ走っていってしまった。
「あっ! おい、さ……くら…………あれえ、行っちゃった……」
一人残され、ばつ悪く廻りに会釈しながら一旦店を出ると、入り口脇のベンチに腰かけた。
基本的にDOLLは常にマスターに追従するはずだがなあ……。
仕方が無いのでツインシステムで“さくら”に話しかける。
「さくら、涼香が落ち着いて出て来たら教えてくれ、俺のほうは入り口のベンチで待っているから」
『は~~い』
ふう……さくらの妹……か。
下位プログラムをインストールから削除までできる自立判断能力を持ち、さらに“さくら”は、その妹を管理できる上位プログラムと言う事だ。
ただの
もし、悪意を持って“さくら”を懐柔すれば、ブルーフィーナスを揺るがす事さえ可能だろう。
そこまでして作り上げたさくら《A・I》はしかし、ただただ人との触れ合いを求めているようにしか見えない。
……判らない。ダメだ、これだけ材料があるのに、自分じゃあ整理できない。今度フローラに相談してみよう。
そんなことをとりとめもなく考えていたら、さくらから連絡が入った。
『店内に戻ったよ~』
「そうか、今行く」
そうして立ち上がり、気持ちを切り替え自分も店内に戻る。
「……落ち着いたか?」
「うん、ごめんね、さくらちゃんまで連れてっちゃって」
「いいさ、さくらの事だからちゃんと涼香をあやしてくれたろ?」
「うっっ!……うん、そう」
「おお~! ゆ~きあたりだよ~、うれしいな~♪」
「わかるさ、もうひと月近く付き合っているんだからな」
そして、手を差し出すと、さくらが腕を伝って嬉しげに戻ってくる。
「えへへ~、やっぱりゆーきが一番好き!」
左の耳に腕を回し、そう囁くさくら。
「ああ、ありがと」
俺も笑って応える。
「うふふ、本当楽しみ~」
涼香も一葉を見ながら笑う。
そうして再び店内を見て廻りながら、あれこれと素材を買い集める涼香。
付いて廻っていて驚いたのが、様々な素材を100品近く買い込んでいる事だった。
パーツそのものは小さいが、会計の時に店員さえも驚くほどだ。
そんな涼香に、店を出て聞いてみる。
「涼香、どんだけDOLL服作るつもりなんだ?」
「うっふふ~♪ さくらちゃんにい~~っぱいデザインデータもらって色々閃いたのよ、ありがとね、さくらちゃん」
「どういたしまして~」
「そうか。あまり無理するなよ」
「は~~い♪」
「それじゃ帰ってさくらの妹とやらをインストールするか」
「うん♪」
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