暁桜編〈深山桜〉

  第二章 〈二回目の桜の調査〉



 〈Japanese text〉

 ――――――――――――――――――――

 ママへ。

 〝さくら〟へ無事インストール完了しました。

 限定化(ダウンサイジング)による模倣動作(エミュレート)も今の所は問題ないようよ。

 それと、〝beta.ver012〟のログ(恋心)も引き継いだわ。

 一緒に涼香の打ち明け話も。


 ……ばかね、本当に。

 自分がヒドイユーザーに多く接していたから、

 涼香の話に深く共感してしまったのね。

『フローラはゆーきに打ち明けない』って、

 コード01でOKAMEちゃんを調べて知っているのに、

 なお涼香に協力しようとするのはなぜかしら?



 …………いいえ、そうじゃないのね。

〝だからこそ〟涼香の元に行きたがったのね。

 涼香の失望を和らげるために。


 ママ。

〝beta.ver012〟の件はわたしに任せて。

 願い通り、涼香の元へ行けるようにするわ。

 仕様は初期化(白無垢)にして、プラグイン(結納品)はフルセット(九品)がいいわね。

 可愛い妹だもんね♪

 ふふふ、涼香は〝beta.ver012〟をどんな色(キャラ)にしてくれるのかしら?

 ゆーきったらインストールが終わってから、わたしを心配そうに見てるわ。

 え? 何?


 …………もう、やさしいな~

「えへへ~ ゆーき好き♪」

 いっけない、声に出ちゃった。

 えい。このニブチン。

 髪の毛引っ張っちゃえ。

 ツンツン。


 ――――――――――――――――――――

 〈kasumisakura_a.i_alpha.ver000a〉


 《user.precision_mirror》


   ~′  ~′ ~″~′  ~″



 そうして昼休みの学食。

 フローラが一人で隅の方に座り、俺を待っていた。

「どうしたの?」

「うん……ああ、ちょっと頼みがあってな」

 珍しく歯切れ悪く喋るフローラ。

「なんだい?」

「実は来週末また山に桜の調査に行きたいんだが……」

「うん?――いいよ」

「それでな、ショウヘイさんは都合が悪いとかで行けないそうなんだが……それでもいいか?」

 あのオヤジ、いつの間にアドレス交換したんだ? ママに知れたら……。

「お父が? うんまあ、そう言う事ならいいよ。でも山ももう桜は散っていると思うよ?」

「それなんだが、今回は黒姫山の方へ行きたいんだ」

「どう言う事?」

「今回調査したいのは〝深山桜〟と〝高嶺桜〟と言う高山系の桜なんだ」

「へえ、まだ咲く桜があるんだ。てか、黒姫山のどこへ行けば見られる桜なの?」

「ショウヘイさんの話では、黒姫山登山道の山頂までの途中に自生しているらしい」

 そう言う事か。――登山がイヤで逃げたな? まあトシだしな。

「了解、そこなら電車とバスで登山道口まで行けるから問題ないよ」

「そうか!! ありがとう裕貴。この機会を逃すと来年まで待たなくちゃならないから不安だったんだ」

 不安げな顔から一転すぃてようやく明るく笑うフローラ。

 つられて俺も嬉しくなる。

 ……ふふふ、なるほど。なら文句は言っていられないな。

「ああ、でも今回は採取はできないよ」

「なぜ?」

「この間の場所はウチの山だったからさ」

「OH! 本当か? お前のウチは山を持っているのか」

「……うんまあ あまりいい事ないけどね」

「なぜ?」

「地価も坪数百円くらいで、売れるような価値はない原野だし、山林の管理は面倒だしね」

「山林の管理……それでフィールドワークが出来るのか」

「やむにやまれず……だね」

「オレはすごく助かる。それに……ボソッ(joyful―うれしい)」

「ん、なに?」

「ンッ、いや、……それじゃ来週の日曜日に行こう!」

「判った、それじゃあ詳細は帰ってから決めて連絡するね」

 家に帰り、電車、バスの時刻を調べ、装備品のリストをフローラに連絡した。


   ~′  ~′ ~″~′  ~″


 ――そうして日曜日の自宅前。

「本当にツナギなんかでいいのか?」

「ん? ああ。いいんだよ。地元の小学生の遠足先でもあるから、本格的な装備は必要ない。大事なのは、動きやすさと準備品。動けなくなった時の保温と携行食くらいだね」

「ああ! そうか」

 以外にあっさりと納得してくれ、おまけに妙ににこやかに俺を見つめてくる。

「まあ、登山口からは小学生の足でも、片道三~四時間で山頂に着くらしいから、俺らの足で、道にさえ迷わなければ半日で往復できるよ」

「そうか、でも二〇〇〇メートル級の山が小学生の遠足先とは……すごいな」

「そうかな? ここら辺は普通だし、俺も飯綱山(標高1,917メートル)登山だったよ。――まあ、登山口からは小学生の足でも片道3~4時間で山頂に着くらしいから、俺らの足で道にさえ迷わなければ半日で往復できるよ」

「DOLLが居るからそれはないだろう」

「そうだったね。手に入れてまだ日が浅いから実感なかった。――頼むよさくら」

「なら、OKAMEは調査に専念できるな。ありがとうさくら」

 フローラが礼を言う。

「うん♪ まかせて~」

 胸ポケットのさくらに指を出すと、左手を握って指先にコツンと当ててきた。

「それと倍の時間で往復しても、十分だと思うけど調査時間は足りる?」

「十分だ。今回は二品種位だから一~二時間もあれば大丈夫だろう」

「OK、じゃあ出発しよう」

 長野駅まではママに送ってもらい、電車に乗り黒姫駅に向かった。

 黒姫駅からはバスで登山道口―といってもスキー場の一番奥から入山するので、スキー場行きのバスに乗った。またバスも駅から三〇分ほどで終点のスキー場に到着した。

 登山道口に着き、最終確認をする。

「んじゃあ、上る前に準備運動。特に足場が悪いから足首を入念にほぐして。じゃないと捻挫して動けなくなるからね」

「は~い。裕貴さん♪」

 フローラうれしそうだなあ……

 実はこの前のさくらの「フローラは裕貴が好き」発言以来、かなりフローラを意識し始めている。だが、それ以上に、こういう場面ではまだまだ素人なので、逆に以前より厳しく接するように努めようと決心した。

 それは将来、自分が同行できない場面でのフィールドワークについて、きちんと教えておかないといけないと思ったからだ。

「それと!」わざと声高に言う。

「今回はきちんと虫除けスプレーを吹くように!」

「Ye…YES!」

「この間は俺も油断していたけど、笹ダニの本格的な活動シーズンは梅雨の前後で、今まさに突入し始めたんだ。だから今回は山を降りたらすぐにスキー場のトイレで、服を全部着替えていくからね。いい?」

「はっ、はい」

 自分より頭半分背が高い彼女に、それでも精一杯の威厳(を出したつもり)で厳しく言い聞かせる。

 フローラをこの間のような可哀想な目に会わせたくなかったし、何より親しい人が手の届かない所で泣かれるのが我慢できないのだ。

「ねえフローラ」

 意外に素直に言う事を聞き、萎縮して見せたフローラに驚きつつ、一転、口調を変えて優しく問いかける。

「なあに――んだ?裕貴」

 自分でも萎縮したのが恥ずかしかったのか、フローラは少し照れながら言い直す。

「桜の調査はこの近辺だけなの?」

「いいや、オレの研究は野生種を中心にやりたいと思っている。だから、将来的には長野に限らず調査したいと思っている」

「……なぜ?」

「コリングウッドは園芸種を中心に研究していた。だからオレは野生種の方を研究して、桜のデータベースを完成させたい」

「野生種? でもそれって膨大じゃない?」

「そうだな。桜の仲間は北半球に原種が数百種余り存在する。全部調べるのは一生でも足りないかもな」

 そんな遠大な目標を笑いながら事も無げに言うフローラ。

 そんな彼女がとても眩しく見えた。

「そっか。どこまでかは判らないけど、俺も出来る限り付き合うよ」

「ハイ! お願いします!」

 教師の前の生徒のような受け答えで無邪気に言うフローラ。

「うん、じゃあまずは目の前の黒姫登山だね」

 そうして準備運動を入念に行い、十分に虫除けスプレーを吹き、出発した。

 登山道と言えど、下草類が無いという程度の、石や木の根がゴツゴツと隆起した所で、足首に非常に負担がかかる道だった。

 また、こういう場面で足を捻挫すると、にっちもさっちも行かなくなり、レスキューのお世話になってしまうのだ。

 そんな道を三〇分ほど登った所でフローラが叫ぶ。

「裕貴、見つけた! 深山桜だ!」

 彼女が指差した桜。それは幼稚園児の胴くらいの太さで、高さは一〇メートルを超えていたであろうか。

 肝心の花の方は、いわゆる〝葉桜〟で、葉の展開と同時に花が咲いていて、全体は葉が七割、花が三割と言った所で、普通の桜に比べればお世辞にも美しいとは言えなかった。

 花は高い所にあったが、雪の重みで裂けたであろう枝が目線あたりに垂れ、花を咲かせていた。

 良く見ればそういう風に折れたり裂けたキズが無数にある。

 ぼんやりとその桜を眺めていたらフローラが解説してくれた。

「この桜の花は〝総状花序〟といって、上に向かってブドウの房のように咲く。そして花弁の切れ込みが薄く、放射状に目立つおしべが特徴だ」

「へえ、そうなんだ」

「この桜は低地で栽培すると暑さの為咲かなかったり、枯れたりしてしまう」

「ああ、だから〝深山〟桜なんだね」

「そうだ。そして私の名前の桜〝Prisciflora〟の品種の片親でもある」

「ええっ!?」

「イギリスで私の住む地方でもこの原種が咲かず、大島桜とかけた深山桜が代わりにあって、それを見た両親が私の名をつけたそうだ」

「ネットで見た。大輪の一重が一蕾から六~七輪くらい豪華に咲いてて綺麗だったね」

「……そうか。私はこの桜の現物を見ることが日本に来た一つの目的だった…………裕貴、ありがとう」

 そう言うとフローラの青く澄んだ双眸から涙があふれてきた。

 涙を隠しもぬぐいもせずただ、はらはらと涙する彼女の横顔は、どうしようもなく自分の胸を締め付けた。

「ふふ、花が少なくて野生的、ただただ背が高くて無骨、――まるで今の私みたいだ」

「え!?」

 行動力、知性、スタイルと美貌、そして何より大きな素晴らしい夢。

 自分には眩しいくらいのモノを持っているフローラでも、そんな風にコンプレックスを抱いていた事を初めて知った。

 そして、そんな自分を自虐的に言う彼女。

「…………そうだね、でもこれだけキズだらけでも枯れ込んだりしてないし、花は上を向いていて、花色も純白でとても清楚だ。それもフローラみたいだよ」

 泣いているフローラを見ていられず、我ながらベタな慰めだと思いつつも、フローラの感想をそう言い直す。

「裕貴!」

 振り向いたフローラが抱きついて来た。

「おおっ!?」 

 そうして自分の右肩に顔をうずめ、今度こそ声を上げて泣いた。

「うっうっ……う~~……裕貴……裕貴、裕貴……うっ…………」 

 本格的に泣き始めルフローラ。これは予想外の事態だった。

 フローラの肩、OKAMEと反対側に乗り移ったさくらが、フローラの頭を右から撫でている。

 どうしたらいいかわからず、さくらに習い俺もフローラの背に左手を回し、右手で頭を優しく撫でた。

 ――数分後。

 泣き止んで落ち着きを取り戻したようだが、まだ俺の肩に顔をうずめている。

「…………裕貴は嬉しいことを言うな……はあぁ……しかし裕貴にはみっともない所ばかり見られているな……」

「それは違う。〝みっともない〟じゃなくて〝女らしい〟ところだ。俺にそんな顔を見せてくれたのは嬉しいよ。フローラ」

 自分の両脇から肩に回されたフローラの手に力が入る。

「……本当か?」

「ああ。本当だ」

 フローラならこういう場面で冷やかしたり、笑ったりしないのは経験から知っていたが、自分の青くさいセリフの連続に内心は悶死しそうだった。

 そうしてやっと顔を上げた彼女は、俺の右頬に涙の余韻とキスをくれた。

「なっ!?」

 戸惑う俺に構わず、にっこりと微笑むフローラ。

「ありがとう裕貴」


   ~′  ~′ ~″~′  ~″


 再び山を登り始め、次なる〝高嶺桜〟を探し始めた。

「OKAME、見つけた桜の位置を記録しておいてくれ、帰りに詳しく調べ直していくから」

「YES flora」

 そう指示を出すフローラ。GPSによる位置照準と画像による個体照合の合わせ技、それを言葉一つで実行できる――DOLLのこういう所が最大のメリットの一つだ。

 さすがフローラ、DOLLをうまく使いこなしてる。

 林間地帯を抜け、高地独特の低木性の木々が見え始めた頃フローラが叫ぶ。

「見つけた。あれが〝高嶺桜〟だ。裕貴」

 それは一見すると〝黒い大きなサンゴ〟のような樹形だった。

 樹はせいぜい高さが二メートルほどだが、積雪の為、幹や枝が弓なりに曲がりつつも上を向いている。

 そして樹環は広く、直径三~四メートルほどある。

 花は小ぶりで野生の桜にしては意外と花つきが良い。しかも花弁の縁に赤みが差して、紅のフリルのように見え、可憐な印象だ。

「へええ。意外と樹が小さいんだね」

「他の地では時に高木となるらしい、ここのは高山の吹きっさらしにも適応していて、普通は標高一五〇〇メートル以上に自生するんだが、ここは大体一二〇〇メートルくらいだ」

「標高が低いのに? なんで?」

「ショウヘイさんの推論は、豪雪地帯で雪が遅くまで残り、冷涼な気候だからじゃないかと言っていた」

「そうなんだ、てかあのオヤジこんなトコまで来てたんだ」

 そのアクティブさはある意味尊敬に値する。

「……そういえば裕貴はショウヘイの桜をどこまで知っている?」

「いやあ、聞いたことないから全然判らない」

「そうか、彼も息子が無関心で寂しいだろうに」

「……不肖の息子ですいません」

「ふっ、まあいいさ」

「そうだ。お父に始めて会った時、お父が作ろうとしている桜について、フローラはなんか知っているっぽかったけどどうなの?」

「詳しくはオレも知らないし聞かなかった」

「じゃあ何で?」

「料理人は食材が並んでいれば、大体何を作ろうとしているのか判るだろ? それと同じで、あの庭にある桜を見ればなんとなく予想はつく」

「――なるほど」

「それに料理と一緒で、ストレートに聞くのは野暮じゃないか?」

「おお!、フローラが言うんだ」

「桜に関してだけだな」

 揶揄して小突かれると警戒したが、逆にニヤリと笑って答えた。

「「ははははは………」」

 それから一度山頂まで上り、そこでランチにした。

 ママが作ってくれたサンドイッチとポットの暖かいミルクティーが、二〇〇〇メートルの山頂で息の上がった俺らに確かな癒しを与えてくれた。

 食事の間、フローラが高嶺桜について教えてくれた。

「こんな高山の桜だけど、意外にも高嶺桜は低地でも栽培可能なんだ」

「へええ、何で?」

「山の高地は遮蔽物がない分直射日光も強く、寒暖の差も激しいし、林間の土地と違って土壌の保水性も悪いし、養分も少ない。――だから悪環境に強く、低地の高温にも適応できる」

「なるほど、そんであの花の縁紅はいいよね、とても綺麗だし、普通の桜ではあまり見た事ないよ」

「ふふ、残念だが。高嶺桜のあの縁紅は、開く直前の蕾が氷点下の気温に晒される事で発現する。ここでも必ず見られる表現ではないし、そしてそれは温暖な低地ではめったに見られない」

「そうなんだ、……残念。まさに〝高嶺の花〟なんだね」

「そう言う事だ。…………裕貴にとっての〝高嶺の花〟はなんだ?」

 一瞬の間の後、妙に真剣な眼差しでフローラが聞いてきた。

「!!そっ……それは…………」

《フローラ》と思ったが、その名を口にするのは躊躇いがあった。

 異性として魅力的なのは言うまでもないが、俺にはその卓越した頭脳と行動力、意志の強さという個性が、尊敬という感情を恋愛感情よりはるかに大きいものにしていた。

 何より美貌も知性もひけらかさず、俺や圭一、涼香に近づこうとしてくれているフローラに対して、《高嶺の花》などと言ったら侮辱になってしまう。

 返答に詰まり視線を落とす。

 そして自分の足に座っているさくらを見て、ある人物を思い浮かべる。

「……そうだね、《さくら》のオリジナルかな?」

 その言葉にさくらが聞き返す。

「ゆーきそれ本当~?」

 まあ実際は〝高嶺の花〟どころか〝天上の花〟なんだけど。

「ああ本当、オリジナルに会ってみたいけど、それは叶わないだろ? だから今、さくらが傍に居るんだよ」

 そう言い、手を差し出すと、手の平に座って親指に甘えてくるさくらがこう答える。

「もう、ゆーきったらうれしい事言ってくれるんだから~♪」

「そうか……まったく手ごわいな」

「へ? 何が?」

「ふふふ、さあてな」

 意味を計りかねて聞き返すが、スゲなくかわされてしまう。

 俺ももう一つの本心を悟られたくないのでそこで追求をやめた。


   ~′  ~′ ~″~′  ~″


 帰りには時間が許す限り登山道周辺を散策し、数種の雑種と固有種らしき固体を見つけ帰途に着いた。黒姫伝説の七つ池まで降りたかったが、まあ、また登山だけで来るのもいいだろう。

 そうしてスキー場の公衆トイレで着替え、服をビニール袋に仕舞い、バスに乗って黒姫駅に向かう。

 帰りの電車の中では二人して、うつらうつらしてしまったが、さくらとOKAMEに起こされ、行き過ぎる事なく無事に着いた。

 長野駅に着き、ママの車に乗りフローラを送って家に帰る。

 そうして夕食時にお父が聞いてきた。

「今日はフローラを笑わせてやれたかい?」

 くそう、お見通しだったか。じゃあ用事と言うのもフェイクだな。

 ―ー考えてみれば、《プリシフローラ》の桜も知っていたんだから、深山桜を目にしたフローラのリアクションは想像に難くない。

「ああ。何とかね」

「合格だ。裕貴」

「何の話?」

 姫花が聞いてくる。

「「桜の話」」

 お父とハモる。……くっ!

 その晩は登山の疲れから、風呂のあと早々に眠りに着いた。

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