暁桜編〈グルーミング〉

 リビングに居ないので、脱衣所の方へ行き、ドアを開けると。

「うおっっ!!!!」

 パンティー姿に腕ブラのフローラが泣きそうな顔をして立っていた。

「ごッゴメン!」

 と言い、ドアを閉めようとしたら、

「STOP! いいんだ! 来い!」

 腕をつかまれ、中に引っ張り込まれる。

 訳がわからず、目のやり場にも困り、何とか目を右手で覆いつつ聞いてみる。

「どっどうしたの」

「LOOK!」

「いや、見れないよ」

「TICK! えっと……AH~~……そうじゃない、胸じゃ……とにかくこれを見て」

 動揺して和訳が出てこないらしい上に、あまりに必死な口調なので、恐る恐る右手をはずし、目を開けてみる。

 すると、胸の谷間のあたりの一点を、バストを隠した手の反対の方で指差している。

 とはいえ、バストトップを細腕で押さえているだけで八割方見えているが、フローラが気にした様子もないので、懸命に動揺する心を静めつつ指差した先を冷静に見る。

「……? ホクロ?……いや、これは!」

「TICK! そうだ! 〝ダニ〟だ」

 やっと和訳を思い出したらしいフローラが言うが、俺も一目でわかった。

「笹ダニだ!」

「うん――どうしたらいい?」

 一気に脱力した。

「うん、まあ俺の部屋へ行こう、ダニを潰さないようにしてね。準備したら俺も行くから」

「……うん、お願い」

 バスタオルを羽織らせ、通路に人が居ないことを確認してフローラを部屋に行かせる。

 一人脱衣所に戻り、ブラシを探していると、脱衣カゴにスリープモードになっているハガキサイズの柔軟性携帯画面(ソフトデバイスディスプレイ)と、フローラのブラを見つけた。

「何だこりゃ? カップでかっっ! つか赤ん坊の帽子くらいあるぞ」

 目の前のブラは、昨日胸元から覗いていたフリル多めのものでなく、キレイに立体縫製され、固めの帽子くらいで、中の果実をスッポリと包むするような、質実剛健なデザインだった。

「おお……こいつはDか? Fか? ……いやいやそうじゃない! くあああああ~~~!」

 指先でつつきつつ、はっと我に返って動揺し一人悶絶する。

「くっ!~~~とにかく、ディスプレイの電源が入っていて、あのうろたえようは……やっぱり〝アレ〟を見たんだろうなあ……」

 アレ――〝笹ダニの画像検索〟うん、トラウマ物の画像で凶器だ。

 エロや残酷画像は割と検索除外(フィルタリング)で防げるけど、資料的なグロ画像、群像画はブロックし辛い。

 何度も刺されてる自分も笹ダニの群像画(アレ)見た時は鳥肌立ったもんなあ。

 笹ダニは、体長二~三ミリの薄っぺらい虫だが、ひとたび皮膚に吸い付き、セメント状の物質で口吻(こうふん)をがっちり固定して吸血を始めると、数時間後にはその体積は数百倍にも膨れ上がる。

 まあ風船のような胃袋を持ったダニだと思えばいい。

 そして地肌が見えないくらいそれが大量に食らいついた参考画像はもはや………………

 おおお、鳥肌が!

 ――部屋に戻ると、うつむいたフローラが床にM字座りしていた。

「えっと、まず聞くけど刺されているのは胸だけ?」

「あ、うん目が届くところは」

「背中とコカ……う、……え~と、下(アンダー)のほうは?」

「見てない……怖くて見れない」

「…………ああ~~……うん、そうだね。気持ちは判るよ。でも必要だから見ておかないとね」

 やんわりと、しかしキッパリと断言した。

「……裕貴」

「うん?」

 フローラは、母犬に置いて行かれたハスキーの子犬のような目で俺を見つめる。

「見てくれるか?」

〝金色夜叉〟と呼ばれし乙女が泣きそうな声で人生最大の二択を迫る。。

「えっっ!?」

「たのむ……」


  „~  ,~ „~„~  ,~


 ――ベッドに腰掛け、内股気味に足を開き、恥じらい、そっぽを向きつつ問いかけるフローラ。

(……どっどうだ?)

 ベッドの脇、フローラの前に正座して、あたかも太陽を直視するような覚悟で、〝女神の福音(スピリチュアル・ガーデン)〟を凝視する。

(…………おおお、いや、よく見えないから、もっ……もう少し足を開いてくれる?)

 あまりの荘厳さに心を奪われ、見ているはずなのにテンパってしまい、必要な視覚情報が意識の網にまったくかからない。

 認識できるのは金色に煌めく〝聖なる光の泉(ヘブンズ・ゲート)〟だけだ。

(えっ? まっまだ開くの?……)

 幼児がぐずるような声で嫌がるが、それでもゆるゆると足を開いてくれるフローラ。

(そっ……そう、いいよフローラ。…………うん…………とっ……とても綺麗だよ)

 何か言わなければと思って口から出た言葉は、あまりにも陳腐すぎて情けなかった。

(いやっ!! 口に出さないで!…………もう……早く…………シテ…………裕貴)

 その瞬間、俺の羞恥心が崩壊(ブレイク)し、悟り(トゥルー)へと転化(カタストロフィー)した。

 …………ああ、熱い、この熱気に焼かれて、俺さえも太陽を目指したイカロスの様に溶けて落ち


 ――――――――るわきゃねーし!!!!!!!!!


 フローラのとんでもないフリに、瞬間的に走馬灯(もうそう)が走り、意識があの世(ヘルズ・ゲート)に導かれそうになる。

「むっ無理!、さすがに背中までで下半身までは見れないよ?」

 ~~~テンパっているんだ。たぶんそうだ。いやきっと……

 我に返り、フローラもまたテンパっているゆえのセリフだと思い、お願いをキッパリと退ける。

「――なら、いや、そうだな……うん、それじゃ背中は見てくれるか?」

「おあっ!? いっ今……いや、…………あ、うん、俺部屋の外に居るから終わったら呼んで。手鏡は――ハイこれ」

「判った」

 部屋を出て廊下に手を付き、ガックリとうなだれる。

「つっ、…………疲れた………………」

 ――数分後。

(いいよ)……中から密やかに呼ぶので部屋に入る。

「~~大丈夫だった」

 涼香並に消え入りそうな声で答えるフローラ。普段の雄々しさからは想像も付かない。

「そっか、ツナギ着てたのが良かったのかもね。それじゃあ背中を見せてくれる?」

 ……ひょっとしてお父はこれを予想してたのか?

 だとした助かった。女神の福音(スピリチュアル・ガーデン)が刺されていたらどんな修羅場が……

 そうしてそのオソロシイ考えを振り払いつつ自己暗示をかける。

 大丈夫大丈夫。巨乳女性の裸はアダルトサイトで十分見ている。そう、何でもない。珍しくない。コーヒー飲みながらだって見れるさ! フローラだってミスユニバースって訳じゃない。うんそうだ、だいじょ……

「はいぃ……」

 リアルデレ声キタ~~~~~~~!

 か細く、弱々しく答える声にアッサリ第二次防衛ラインが粉砕される。

 パンティー一枚のM字座りに腕ブラ、上目遣いに潤んだ青い瞳の異国の美少女。

 くっっ! この質感(リアル)ハンパねえ……くぅぅ……

 圧倒的視覚情報に罰ゲームを超え、もはや拷問だった。

「っ!!……んじゃあシツレイします」

 今や蜘蛛の糸より細い理性にぶら下がりつつ、唇をかみしめ、目の前の異国の美少女の白磁のような肌を検分する。

 首のチョーカー(ツイン)をそっと持ち上げ、その裏を調べる。

「んあっっ!」

 指先が首に触れた瞬間、フローラが驚き、ビクンと震えた。

「うおあっっ――っと、ごめん」

「いっ……いや、いい、こっちこそ……続けて」

「……はい」ドキドキ……

 永遠に近いような錯覚とめまいを覚えつつも、実際は視線を二度ほど上下に移動させただけで終了した。

「…………うん、背中は大丈夫だね。じゃあ、そ……ソレ取っちゃおうか」

 と、震える指でダニを指差す。

「うん。でもどうやって?」

「こうするの」

 と、虫除けスプレーをビニール袋内に吹きつけ液状に戻す。

「どうして直に吹かないの?」

 ……おお! 珍しい。女性言葉だ。……じゃなくて! しっかりしろ。俺!

 大きく深呼吸をする。すーはー。

「う……うん。そうすると充填ガスの蒸散冷却で動きが鈍ったり死んじゃうからね。そうなると口吻、刺した針が皮膚に残っちゃって、病院に行って除去しなきゃならなくなるんだ。――まだいるってことは、すぐに払っちゃいけないって所まで調べたんでしょ?」

「う、うん」

「Sorry flora 」(ごめんなさい フローラ)

 OKAMEが謝る。キモ画像の事だろうか。

「It's OK. OKAME」(大丈夫、オカメ)

 とか言いつつも、アレを思い出したのか身震いするフローラ。

 あ、ヤベ。思い出させちゃった。

「良かったよ。おかげでキレイに取れるよ。――んで、こうするの」

 袋に出した虫除けスプレーの液を、袋を数回開け閉めして充填ガスを気化させる。

 そうして袋の下の角に針で穴を開け……ダニにかける。

 ……フローラ腕がじゃ…ぶるぶる。このダニめ!

 ――一回目、ダニがゆっくりともぞもぞ動き出す。

「気味が悪かったら目をそらしてていいよ」

 ……フローラやっぱり腕が邪魔……いかん!! ダニ……いやダニと煩悩退散!!

「……ん、一匹だから大丈夫」

 そりゃそうだ。アノ群像画にくらべればねえ……

 ――二回目、動きが止まったように見えるが、ゆっくりと針を抜いているのが判る。基本笹ダニ類はかなり動きが緩慢だ。だから、衣類内に進入してくるのも時間がかかり、吸血も数日かけて行う。――まあ、入山者の予備知識だ。

 ――数分後、針を抜いて移動を始めた所を捕捉。刺し後に薬を塗る。

 このダニに最高の悪意を向ける事で煩悩を押し殺していたのが功を奏したようだ。

 礼は言わないけどね。テッシュでくるんで……ぷちっ!

「ありがとう、裕貴」

「いや、ぬか喜びさせて悪いけどまだ終わってないんだ」

「No kidding?」(うそっ?)

「頭が残ってる」

「あ!」

「それじゃあ三つ編み解いてくれる?」

「ん……あ!、いや裕貴が解いてくれる?」

 少しモジモジしつつ聞き返すフローラ。

「え? なんで?」

「解きながら見て欲しいな」

 当然の提案に反論してしまい、自分の動揺加減を自覚した。

「……そうでした」

 フローラをベッドに座らせ、後ろに膝立ちして三つ編みを解く。背中越しに見える腕で押し上げられた二つの山がアレだ……イカン! 巨乳派にコロんでしまう。

「……すまん、汗臭いだろ」

「全然匂わな――あ、いやコロンの匂いが――あれ?」

 !?……え~~っと。

「「あ!」」

「もしかして虫除けスプレー使わなかったの?」

「ごっ、ごめん」

「なんでまた」

「~~臭かったから」

 耳が真っ赤だ。てか、笹ダニに狙われる訳だわ。

「はぁぁ……しょうがないなあ。今度山に入る時はきちんと使うように。ガイドからのお願いです」

 山で洒落っ気だしてもしょうがないのに。まったくもう……

「はい、判りました♪」

 な~んか反省の色が見えない返事だな。まあいいか。

「それにしても、ダニの剥がし方までよく知っているな」

「ん……まあ、何度も山に入って刺されているからね。姫花なんかはもう嫌がって行かないよ」

「まあ、こんな事があれば無理もないな。でも裕貴が知っていてくれて助かった」

「どう致しまして」

「ネットで調べて具体的な方法を探していたら……あ……嫌な画像がヒットした」

「まあ、あれは確かに衝撃だね。……それにしても、まだ活発に動き出すシーズンじゃないんだけどね。南斜面の暖かい所でとり付かれた――あ!」

「どっどうした?」

「ごめん、俺が呼び止めて、立ち止まって話し込んでいたからとりつかれたんだ」

「ああ、そんな事か。調べるのに立ち止まりもしたし、アタシがスプレーをしなかったからだろう? 気にするな」

「うん。まあそれじゃあお詫びに、今度からはここらへんの山での注意事項とかも色々教えていくね」

「本当か? それは助かる」

「ネットやDOLLからも教われるけど、やっぱ実地のほうが判りやすいからね」

「裕貴に教えてもらう方が、…………あっ、アタシはスゴク嬉しい」

「そんなに?」

 まあ、登山や奥地と違ってほとんど里山に近いここら辺の野山のガイドなんて、探してもいないだろうし、考えてみれば半端な感じだよなあ。

「うっ、うんまあ……いっ……いや!…………それより! 男なのに三つ編みを解くの手馴れているな……どうしてだ?」

 ブラシを当てながら、三つ編みの先から丁寧に解いていると、さっきの嬉しがりから一転、肩に力が入り、少し尖り気味にフローラが聞いてきた。

「ん? ああ、姫花の髪が長かった頃はよくやってたんだ」

「ああ、そうか、なるほど――いいお兄ちゃんなんだな」

 強張った肩から力が抜ける。安堵したようだ。

「さてね、それは姫花に聞いてみないとね」

「ふふ、そうだな、後で聞いてみよう」

「変な姿勢で疲れるだろ?、俺の膝に後ろ頭載せてよ」

 半分起きかけた仰臥姿勢で、さらに胸を抱えていて、腹筋が辛そうなので勧めてみた。

「あ、ありがとう」

 膝をそろえた自分の膝に頭を預けるフローラ。

 そうしておでこの生え際から丹念に調べていく。

 ヨークシャテリアの毛のようにしなやかで細く、それでいてクセのないフローラの髪はとても綺麗だった。

 姫花や涼香、異性の髪をいじるのは初めてではないが、フローラほどの金髪美人の髪に触れるのはかなりドキドキだ。

さらに自分の顔もかなり火照っているのが自分でも判る。

「……姫花の髪が長かった頃、小学校三年生位までは、こうして風呂で髪を洗ってやってたんだぜ」

 黙っていると動揺が大きくなりそうで、いささか饒舌になる。

「……うん」

「目にシャンプーが入るのを嫌がって、仕方無しにこうやっておでこを抑えて、目に入らないようにして、シャワーで流したんだ」

「ああ、確かに美容院とかの洗い方で、小さい子にはいいかもな」

 フローラはリラックスしてきたのか、声の緊張感がなくなって、少しけだるそうな口調になってきた。

「それがクセになって『お兄ちゃんに洗ってもらうんだー』って言い張ってて、……結局そんな年まで洗わされて、めんどくさいやら、かわいいやら、当時は複雑だったよ」

「わかるな」

「なにが?」

「ふふ……なんでもない」

 追求したいところだが、リラックスしてきたようなので無視して話を続けた。

「髪綺麗だねフローラ、やっぱり日本人と全然違うね」

 思ったままを口にしてみた。

 頭髪が細いのに、なんでボリュームが変わらないんだろう?……と、思って見ていたら、毛根の密度がハンパないと知った。

 面積あたりの毛根の数は日本人の倍はありそうだ。

「…………再起動、及びアップデート完了したよ~」

 そんなことを考えていると、アップデートと再起動が終了したさくらが報告する。

「そうか、判った」

 返事をすると、さらにこちらを見てこう言った。

「うん……ところで二人して何してるの? グルーミング?」

「は?」

「プッッ グッ、グルーミング……ふふふ。なるほど、さくらナイスだ」

 フローラは肩を震わせ笑っている。ナンノコッチャ?

「さくら『グルーミング』って何?」

「ウィ○ペディアでいい?」

「ああ、頼む」

 嫌~なニュアンスがありそうだが、気になるので聞いてみた。

「えっとね~……〝グルーミング〟とは。哺乳類では非常に重要なもので、群れを作る霊長類の社会的行動。例えばサルではシラミ取りが序列の決定や服従の意思の明示、紛争の解決に寄与しており『もういい! わかった』……まだ説明だいぶあるよ?」

 アナウンスモードで滔々と語るさくら。それがかえって腹立たしい。

「おまえはそんなに自分のマスターをおとしめたいのか」

「え~、そんなことないケド~。さくら何か間違ってたかな~?」

「いいや、言葉の説明も使いどころも間違っていない」

「じゃあ何がいけないの~?」

「俺はニンゲンデス」

「そして哺乳類~」

 先回りされた!!……って確かにサルもヒトも同じ括りだけどな!

「……俺はお前のなんだ?」

「マスタ~?」

「なぜ疑問形」

「うん、ちょっと違うような気がする~」

 前と違わないのはお前の反応(リアクション)だな。

「……お前今まで何をアップデートしてたんだ?」

「ファイルの修正~」

 正座して左手を挙げ、『ハイ!』の仕草をするさくら。

 で、その結果がこれか。アホの子発言するDOLLにこれ以上かまってられない。

「そうか……」

 なんか脱力した。――もういいや。

 フローラはまだ肩を震わせている。

「……フローラ」

 シャクに触ったのでうなじを指でなぞる。

「ヒャウン!」

 一瞬腕ブラのガードが解け、両手を小万歳させるフローラ。その刹那、豊かな双丘の先に、かすかにピンク色の残像を知覚した。

「おおお!」

 半分カウンターを覚悟したが、逆にものすごく色っぽいリアクションで焦る。

「ゆっ、裕貴~」

 上半身を起こし、肩をすぼませ、今にも泣きそうな声で恨めしげに呼ぶ。

「ごっ、ゴメン、そんなに驚くとは思わなかった」

「……Stop kidding around」(……からかわないでよ)

 消え入りそうに英語で何か言うので悪ふざけを反省し、頭ををなでた。

「真面目にやります」

 無言で再び膝に後ろ頭を預けてくるので、ぐっ、グルーミング(決定)を続けた。

 五分ほど探し、幸い他にダニは見当たらず無事に検分が終わった。

「ハイ、終わったよボス。良かったね他にいなくて」

 そういい、肩を軽く叩くとゆっくりとフローラが振り返る。

 バスタオルを左手で持ち上げ、胸を覆い右手をベッドに置き、解いた三つ編みが軽くウェーブを描いた髪の中心には――

 瞳を潤ませ、もの問いたげな表情のフローラの顔があった。

「!」

「…………」

 沈黙し、しばし見つめあう。

「「……」」

 耐え切れずに問う。

「どっ、どうしたの? フローラ」

 その言葉ではっとしたようにフローラが答える。

「いっいや……あっ…ありがとう裕貴」

 そう言い、うつむくフローラ。

「どっどう致しまして。 ほとんど大丈夫だと思うけど、感染症の危険とかがあるみたいだから、数日は健康に注意しててくれるかな? OKAME、調べておいて注意してやっててくれる?」

 言いつつも心臓がバクハツしそうだ。

「はい。裕貴さん」

「ん、フローラをお願いね」

 そうして、再び脱衣所までフローラを先導する。


  „~  ,~ „~„~  ,~


 キッチンでジュースを手に入れ、部屋に戻り、ベッドにうつ伏せに倒れこみ深呼吸する。

「…………疲れた」

 時間にして二〇~三〇分ほどだったが、体感時間は数時間のような気がした。

 そうして喉が乾いていたことを思い出し、起き上がってテーブルの前に座りジュースを飲む。

「ねえゆーき?」

 テーブルの上、OKAMEと並んださくらが聞いてくる。

「フヒィ?(何?)」

 ジュースを口に当てながら答える。

「どうしてフローラにキスしてあげなかったの?」

「ブフォーーーーー!」

 吹き出してしまった。

「ねえどうして?」

 そんな事もお構い無しに聞いてくるさくら。

「ゲホッ、ゲホッ……まっ、待て」

「……」

「ふー……ふー……あーびっくりした。言ってる意味が判らんぞ?」

 息を整え答える。

「あ~、ゆーきってニブチンだね~」

 ロボットに馬鹿にされた。しかもニブチンって……

「どう言う事だよ」

 ちょっとムッとし、反論する。

「さっきはどう見たってフローラはキスを待ってたよ?――ねえ、OKAMEちゃん?」

「さあ、どうでしょうか。仮にそうだとしてもマスターの心中は私には明かせません」

 おお! これぞ総合支援端末(DOLL)の鏡! フローラ(かいぬし)に似て何たる優等生発言!

 見習えよ!と言いたくなり、さくらを見ると、怒ったような顔で俺の応え(リアクション)を待っており、言い出せず仕方なく普通に反論した。

「……まさか。そんなわきゃないだろ?」

「……フローラかわいそう」

 両手を頬に当て、俯き加減で答えるさくら。

「なんだよ! 勝手に悪者にするな! だいたいどうしてフローラが俺とキスしたがるんだよ」

「ゆーきが好きだからだよ」

「それこそ〝どうして?〟だ。あんな才女で美人のフローラが、なんで片田舎のしがない高校生の俺を好きになるんだよ!」

「フローラの具体的な気持ちはさくらも知らないよ?」

「だろ? いい加減な事言うな」

「でもどうしたいかは判るんだよ」

「だからどうして」

「さくらもゆーきが好きだからだよ」

 はえ? ロボットが告白? えええーーー?

「…だっ、…どっ……くっ! きっ昨日インストールしたばかりでか? それにそういうデフォじゃないのか?」

 くそっ! どもっちまった!――が、何とか言葉にした。

「それはさくらもわからないよ~。自己分析機能がないもん」

「じゃあ何を根拠に〝好き〟だってわかるんだ?」

「ゆーきのそばに居たいし、触れていたい。やさしくされたい。やさしくしたい。おしゃべりしたい。笑わせてあげたい。慰めてあげたい。他にもあるよ。――そういうのを〝好き〟って言うのはおかしい?」

 語尾を延ばす口癖が消え、真剣な口調で喋るさくら。

 ……?、こんな風にマジな反応するキャラだったか? もしかしてこれがアップデートの影響なのか?

 だが、聞いたところで答えが帰ってはこないだろうと思い、疑問は飲み込んで答える。

「…………いいや、おかしくない。その通りだ。だけどさくらの話を信じるとしてさくらはフローラに嫉妬とかしな……いのか?」

 そう言いながら自分で答えがわかった。間違いなく〝ロボット三原則〟の影響だろう。

「うん、それもよく判らない。たぶんフローラも好きだからだと思う」

 案の定、明確な答えは出ない。事実を言ったところでどうしようもないので、さくらにその事は言わない。

「……そうか。でもフローラが俺を好きだとして、俺は今は応えないと思う」

「どうして?」

「フローラはあの通りの美人で才女で高潔だ。だけど気を許した人間にはとことん甘くなるし気を割いてくれる。俺に自分の小さい頃の打ち明け話をしたり、さっきみたいに無防備な姿を見せてくれたり、姫花の相談に乗ってくれたりな」

「うん。そうだね」

 さくらに話すと言うよりは、勘違いして暴走しないよう、自分に言い聞かせる為に語る。

「…………フローラは魅力的だから、キスなんかしたら俺は自分を抑える自信がない。それにフローラはもう一生モノの目標と夢と持ってる。目先の独占欲でそれを壊すような事になったら俺は自分を許せなくなるし、半端な覚悟じゃフローラの夢にはついていけないだろう?……ってまあ、そもそも同じレベルの会話すらできないしな……ははは」

 最後は才色兼備(フローラ)に対するコンプレックスから、少し自虐的な笑いが漏れた。

「そう。でもゆーきが〝半端な覚悟じゃフローラの夢にはついていけない〟って事は、覚悟ができたら〝同じ夢を見てもいい〟って事でもあるんだね?」

 自分でも気付かなかった自嘲の裏を読まれ、慌てて否定する。

「!!っく、……ってバカ言うな。どんだけ努力しなきゃいけないんだよ!」

「ふふ、そんなことはさくらが……ううん、何でもない。でもゆーきはそれだけフローラが大事なんだね?」

 言いかけた言葉を飲み込み、かわりに安心したように小首を傾げ、微笑むさくら。

「そう――なのかな? 〝大事〟か……うん、今はその言葉がぴったりだ」


  „~  ,~ „~„~  ,~


 フローラは脱衣所で立ち尽くしていた。

 激しく懊悩しつつ、裕貴の優しい手の感触を惜しむように自分の髪をさする。

 こんなに――じてしまうなんて。

 裕貴に肩を叩かれた瞬間、自分の中の何かが開いた。

 もし裕貴があのまま――をしてくれていたら…………

 自分でも思いがけず大胆に行動し、羞恥と後悔に身をよじる。

その時、首のチョーカー(ツインシステム)が軽く振動(バイブ)し、さくらと裕貴の声が聞こえて、それとともに空中投影図(エア・ビューワー)が映し出され〝SPEAKER ONLY〟という文字画像が表示された。

『ねえゆーき?』

 一瞬、なぜさくらの声が聞こえてきたのかと訝(いぶか)しむが、先ほどの昇平の言葉を思い出し納得する。

〝『……DOLL達は集音マイク最大で動物の気配に注意――……それぞれのマスターに逐一報告すること』〟

 視界からフローラが居なくなった事で、OKAMEが集音声をツインシステムに送信してきたのだ。

 フローラは集音声をキャンセルすべく、空間反応操作(エア・フリック)の検出領域(ディテクション・ゾーン)へ画面裏側から指を伸ばすが、ガラスでもあるかのように途中で止まってしまい、〝ON/OFF〟の文字まで指が進まなかった。

『……そもそも同じレベルの会話すらできないしな……ははは』

「…………don't hear! don't hear!(聞いちゃダメ! 聞いちゃダメ!)」

 ほとんど聞き取れない声で口の中で呟くフローラ。

『そう。でもゆーきが〝半端な覚悟じゃフローラの夢にはついていけない〟って事は、覚悟ができたら〝同じ夢を見てもいい〟って事でもあるんだね?』

「…………Stop it!(やめて!)」

『!!っく、……ってバカ言うな。どんだけ努力しなきゃいけないんだよ!』

「…………No…………No(ダメ、ダメ、)」

『そう――なのかな? 〝大事〟か……うん、今はその言葉がぴったりだ』

 それを聞いた瞬間――口元を両手で押さえ浴室へ駆け込みシャワーを全開にする。

 最初が冷たいのもかまわず座り込み、頭からシャワーをぶつける。

「―裕――――――YOU―ー!」

 顔を両手の平で覆い、激しく嗚咽しながら何事かをつぶやくフローラ。

 言葉は激しい水飛沫の音でかき消されている。


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