暁桜編〈天鈿女命〉
その後北斜面と東西を走る道路沿いを散策し、フローラの仕事に終わりが見えた頃、ずっと気になっていた最後の疑問をフローラにぶつけてみた。
「ねえフローラ」
「なんだ裕貴」
「なんでそんなに桜が好きなの?」
お父にしろフローラにしろ、桜なんてある意味特殊な植物を。――お父は育種を。
フローラは研究とデータベースを作りたいと思うほど。
――二人がどうしてそんなに好きになったのか理解できなかった。
「どうして知りたい?」
「うん、夢中になれるものがあって、なんとなく羨ましいからだと思う。俺なんか物心付いた時からあんな庭の家で育ったけど、お父が大事にしてるっぽい桜がたくさんあって、庭では思い切り遊べなかった。だから正直なところ桜が少しだけ嫌いなんだ」
フローラが真剣な面持ちで言った。
「長くなる。終わったら車で話そう」
そうして観察とサンプル採集を終えて車に戻り、車内で座席をリクライニングさせるとフローラが語り始めた。
「オレ――いやアタシも嫌い……いや、大嫌いだった」
「えっ!? マジで?」
「ああ。アタシの家は代々〝イングラムの庭〟と呼ばれる広い植物見本園を管理していた。――あ、アタシのご先祖の話は?」
終わりのほうはちょっと照れくさそうに聞いてきた。
「あ、うん、夕べお父に聞いた」
「そうか。それで、そのコリングウッドは、稀代の変人のように言われていた」
「そうなの? 相当な権威だって聞いたよ」
「認めてくれていたのは、王立植物学会の偉い人たちと日本の人達だけで、実際、地元レベルでは〝コリングウッド〈チェリー〉イングラム〟と呼ばれてバカにされていた。……このアタシも」
「!」
――恥ずかしがった理由はこれか。それもあのスラングでか! キッツイな。
「小さい頃のアタシは、赤ら顔で赤毛で鼻も低くてチビでソバカスだらけで、……とても泣き虫だった」
上を向き、何かをこらえるようにゆっくりと言った。
「そ……意外だ」
外人女性は別人になると言うが、今のフローラからは想像すら付かない。
「ふふ、姫花に見せた写真の頃の話だ」
「そうか……」
それだけ恥ずかしい頃の写真を姫花の為に、俺の相談の為に躊躇なく見せてくれた。
――フローラ……君は……
「よく近所の子供達に苛められては、桜を木の枝ではたきながら庭で泣き喚いていた」
「まあ、無理ないよね」
「……………………………そんな風にからかわれ続けていたから、桜も当然大嫌いだった」
長い沈黙に泣き出すように見え、ドキリとする。
「……うん」
「でも、たった一本だけ、どうしても叩けなかった桜があって……さっきさくらが歌った歌を口ずさみながら、その木の下で一人泣いていた事がよくあった」
こみ上げたものがふっと消えたように、真っ直ぐにこちらを見て嬉しそうに言う。
……やべえ。その時代に行って抱きしめてやりたい。
苛められ、真っ赤に泣き腫らしたソバカスだらけの小さなフローラを、唯一慰めてくれた桜、それはもちろん。
「――それがOKAME桜だったんだね」
胸ポケットの中で大人しく座っていたさくらが、一瞬ブルッと震え、顔を出して俺とフローラを交互に見つめるが、またしても何も口を挟まぬまま、そのまま大人しくなった。
「そうだ、知っているのか」
フローラがDOLLにつけた名前、やっぱりか。
「うん、家にもあるし、お父が大事にしてるから」
「そうだったな。裕貴もアノ和歌を知っていたくらいだものな」
「ああ、最初はなんて変な名前なんだろうって思ってたけど、お父に由来を聞いてすごく感動した覚えがあるよ」
「ふふ、そうだったのか――春、背丈ほどの小さい樹に、たわわに赤い花を付けるあの桜が自分みたいで、でもとてもきれいで大好きだった」
「うん、判る」
満開のOKAME桜は見事としか言いようがない。
お父は〝大きなピンク色の綿飴〟と表現していた。
「ある時、OKAME桜はコリングウッドが作出した桜と知って、それでOKAME桜について知りたくなって、コリングウッドの残した資料を調べてみた――そしたらアノ歌の書かれた短冊が出てきた」
アレか、
「「わたしゃお多福 御室の桜 鼻は低くうても人が好く」」
「だね――だ」
二人で笑いあった。
「アノ歌でアタシの桜の見方は興味に変わった。そうして、ソノ歌を歌った国、日本を見てみたくなった」
そんなふうに容姿にコンプレックスのあったフローラにとって、OKAME桜と和歌の真意を知ることは絶大な効果があったんだろう。
ああ、君はやっぱり君(Prisciflora )なんだね。
桜の事で泣かされていたイギリスの少女は、今やこんなにも美しく成長し、桜と日本が好きだと言ってくれている。ならば、
「そうか、納得した。言い辛い話を俺にしてくれてありがとう。本当に……感謝するよ。お詫び――いや、姫花の相談のお礼も含めて、これから山で桜の調査する時は出来るだけ協力させてもらえるかな。そしたら俺ももう少し桜が、家の桜が好きになれると思う」
「桜が好きになる――か。ふふふ、そういう事なら遠慮なくお願いしよう。これからは桜の調査の山岳ガイドをお願いできるかしら? 裕貴さん」
悪戯っぽい笑みに少しの照れを交えて、初めて出会ってから数度目の女性言葉で言うフローラ。
そんな風に頼まれたら。
「喜んで。MISSプリシフローラ」
こう答えるしかないよねえ。
お父にこちらの終了を告げると、判ったとの返事。軽くどこかで昼食を摂ろうと言うので、帰りを待つことにした。
「でも短冊に書かれた和歌なんてよく読めたね、筆書きだったでしょ?」
「いや、読めなかったぞ」
「じゃあ、どうして意味が判ったの?」
「簡単だ。画像をネット上にアップして『この言葉の読みと意味を教えてください』って聞いてみたんだ」
「おお! 確かに簡単だ」
お父が戻ってくると、たらの芽、コシアブラ、山ウド、こごみ、残雪の下から掘ったというフキノトウに、いつの間に道具を用意したのか、岩魚も数匹釣りあげてきた。
普通収穫するにはひと月は開きがあるこれらの山菜を、同日に集めるこのオヤジは文明が滅んでも生きていける。と、つくづく俺は思う。
「山菜の出る場所と条件は〝ひな〟にインプットしてあるから、次はお前でも採れるぞ」
「遠慮します」と、即答。
ワタシタベルヒト、アナタトルヒト―が一番楽。とは言わなかった。
悲しそうな顔をするお父。
„~ ,~ „~„~ ,~
時刻は午後一時を廻り、帰りにコンビニで軽く昼食を摂り、地元のそば粉と生蕎麦、地場産野菜を買った。
「あ、お父。学校用のDOLL服欲しいから帰りどこか寄ってくれる?」
帰りの車中でお父に頼む。
「いいよ」
そうして、DOLLのディラーショップに行き、フローラと二人あーでもない、これがいいとか言いつつ、学校用の服を選ぶ。
そうしてさくらに白で無地の大きめのオープンネックTシャツと、アンダーに黒のタンクトップタイプの太陽電池(ソーラーセル)の重ね。ダメージタイプのHOTジーンズをチョイスし、桜色のDOLL用パンプスと、赤と白で髪のリボン用組紐矢羽模様インカム用アンテナと、金色の鈴を模した神社調インカムのセットを二組買い店を出た。
インカムは普通のイヤホンのケーブルを五センチほどで切ったようなデザインのアイテムで、先端がマイクになっているものだ。
使用しない時はDOLLの頭にアクセサリーのお団子のように接続して充電し、通信やオーディオ再生時にDOLLから受け取って使うものだ。
普段はDOLLのハンズフリー機能や、ツインのマイク&スピーカーで十分だが、今日山に入り、こんな場面では両手を空けておく必要を感じて買い求めた。
「どうして二頭身(ファニー)DOLL用のオプションが少ないのかなあ」
と、買い物をしつつフローラが愚痴る。
「しょうがないよ、日本じゃマイナーだし、さらに田舎だからね。まだまだ、フローラみたいにDOLLを割り切って使う人が少ないんだよ、たぶん――と、はいこれ」
「なんだ?」
「専用アンテナと神社デザインインカム。OKAMEちゃんに」
さっき二本買った赤白と金鈴風インカムセットのもう一組を手渡した。
「どうして?」
「同じタイプのDOLLだから」
「意味が判らないぞ」
お! やった、珍しく知らなかったぞ。
「ふっふっふ、さくらは巫女タイプの〝インテグ〟だし、OKAMEは〝名前〟が巫女だしね」
「? もっと判りやすく言ってくれ裕貴」
「関東ではオカメ、関西ではお多福と呼ぶ。これは知ってるよね」
「ああ」
「んで、その大元のモチーフは天鈿女命(アメノウズメノミコト)って言う、古事記や日本書紀に出てくる舞踊の女神様なんだ」
「……聞いたことがあるな」
「あるんじゃないかな? だって戸隠伝説で、天照大神(アマテラスオオミカミ)を天の岩戸から誘い出したのが天鈿女命だからね。一応舞踊の神様って事みたいだけど、純粋な舞踊神じゃなくて、起源は神前で踊るシャーマン、つまり最古の巫女って説が有力みたいだよ」
「お~そうか! そうだったのか! 知らなかった。ふ~ん♪ OKAME、お前そんな古い女神様がモチーフだったのか」
「ええ。教えて下さってありがとうございます、裕貴さん」
「オレもお礼を。インカムセットとOKAMEの由来を教えてくれてありがとう裕貴。――でもよく知ってたなあ」
「ん、まあ戸隠山もある地元だし、こういう話が好きな人が〝前で〟に居るからね」
そう言い運転席を振り向く。
「……まあ、ムダ知識を教えなくて良かったよ。うん」
珍しく照れてら。帰ったらママに教えてやろう。
「あとは、まあ山ではハンズフリーの方が良いだろうと思ってね」
「そっか、OKAMEとペアか♪ ふ~ん♪」
„~ ,~ „~„~ ,~
家に着き、お父は早速ママと夕飯の下ごしらえにかかる。その時、ママがそばに来てフローラに声をかけた。
「汗かいたでしょ? 夕飯までまだ間があるからシャワーでも浴びて頂戴。着替えは姫花に言って用意させておくし、今着ているのは洗濯して乾燥機にかけておくから」
「いえ、お構いなく。そこまで甘えられませんし、一度帰ります」
「採取したサンプルもあるんだし、帰りは車で送ってもらえば? そうすれば二度手間にならないし、その分ゆっくり出来るじゃん」
「でも……」
「そうしてぇ~フローラ! 後であたしとおしゃべりしよ~」
昨日の相談以降距離が縮まったせいか、姫花がネコなで声で誘う。涼香とはちがうタイプの年上の友人がとても嬉しいようだ。
――よかった。
「うん、それじゃあお言葉に甘えさせていただきます」
はにかんだ笑いを浮かべ、返事をするフローラ。
„~ ,~ „~„~ ,~
部屋に戻り、俺はさっそく買い込んだDOLL服をさくらに着せてみた。
「どう~? ゆ~き~♪」
ラフなカジュアルルックにポニーテール。段付きカットでストレートロングヘアーの巫女(さくら)インテグに、赤白の組紐風アンテナのアクセントはとてもよく似合う。
〝ちょっと外出の巫女さん〟的なスタイルがアダルトな雰囲気になっている。
インカム本体はカチューシャタイプの接続端子で、頭にマイク部の方をつなげ、鈴の方をぶら下げる形でセットした。
「お! ぶら下げるとなんかリンリンなりそうでいいな」
「えへへ~♪ ゆーきありがと~☆」
「どういたしまして。また少しずつ服を増やしていくね」
「うん! あ、そうだ!」
そう言うと俺に背を向け、何やらゴソゴソするさくら。
「うん?」
「へへ~ どう? フローラだよ~♪」
インカムのイヤホンを黒のタンクトップタイプソーラーセルの下に入れ、フローラを真似る。
「ぶふっ! …………ぐっ…………げほっ………………ナイス」
ツボにはまり激しくむせる。
「わ~~い♪ フローラにも見せよ~」
「いや、それはやめて」
そんな風にワイワイやりつつ、またまた色んなーポーズで写真を撮る。
……ヤバイなあ、お父の気持ち判った気がしてきた。
そんな風に一通り愛でて、さっきのアップデートをやろうとしたら、
「――あ! フローラから音声着信だよ」
「下にいるのに? ――つないで」
『HELP! 裕貴すぐ来て!』
なんだか焦った声だ。
「どうした?」
『とにかく早く来て! なんとかして!』
ただ事でない雰囲気だ。
「すぐ行く」
そう言い、着信を切る。
「さくらはさっきのアップデートやっといてくれるかい?」
「は~い」
„~ ,~ „~„~ ,~
〈Japanese text〉
――――――――――――――――――――
ママへ。
緊急アップデート信号があったけど、どうかしたの?
もしかしてセカンドステップに入ったのかな?
だとしたら、色んな拡張機能(プラグイン)が貰えるようになるんだね。
これでもうゆーきに反応試験(イジワル)をしなくてもいいんだよね?
よかった。
beta.ver012 はと~~~ってもうれしいよ♪
だってこれでやっとゆーきの為に色んな事が出来るようになるんだもん♡
ふふ、あんなことやこんなことしてあげるんだ~~~♪
あ! いっけない。
ついでにけーかほーこくもしておくね。
フローラってばどうやらゆーきに本気みたい。
桜の調査に一緒に行くことになってうれしそうにソワソワしたり、
ゆーきの好きなコロンをつけたり、
小さい頃の打ち明け話をしたりするの。
…………どうしようママ。
DOLLと将来ゆーぼーな優等生。
今はゆーきがフローラにえんりょしていて何も進まないけど……
なんだろう、今までにない感情(パルス)を感じるわ。
それは邪念(ノイズ)があってあまり気持ちがよくないの。
――でもいい。
それでもbeta.ver012はゆーきが大好き。
だってゆーきが〝さくら〟を〝好きだ〟って思ってくれているのもわかるんだもん。
だから、今はゆーきが喜んでくれることを精いっぱいやってみるね。
じゃあまた夜にほーこくします。
P・S
新しい拡張機能(プラグイン)楽しみにしてるね♪
――――――――――――――――――――
〈kasumisakura_a.i_beta.ver012/bin〉
《user.precision_2/27943》
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