暁桜編〈ジャパンピンク〉


 ほどなくして目的地に到着。

 黒姫高原のさほど標高は高くない山、と言うより小高い丘の山頂に付くと、お父が説明した。

「標高はここで850メートルくらいだよ、北斜面を一往復、南斜面を一往復して、戻ってきたら道路沿いを散策すればいい。距離は200~300メートルも往復すれば、黒姫高原の大体の種類が見られるよ。北斜面の谷底、雪の吹き溜まりに生えてる桜はあと二週間位は開花が遅れるだろうね」

「はい!」

 元気いっぱいに答えるフローラ。

「あれ? お父は一緒に行かないの?」

 まあ、ここで待ちっぱなしなのも退屈だけど、一応訳を聞いてみる。

「ああ、お父は別行動で山菜を採ってくるよ。それで今晩は山菜天ぷら蕎麦にしよう。フローラは山菜は食べられるかな?」

「大好き!」

 おお、そうなんだ、――てか、山菜好きなイギリス人って……。

「よかった。そしたら、夕飯を一緒にどうかな?」

「はい、ご相伴に預かります」

 そう言って俺をチラリと見ると嬉しそうにそう答えた。

「よかった。じゃあ裕貴。お嬢さんのエスコートを頼む、まだこの山の地理は覚えているだろう?」

「ああ、大丈夫、覚えてる」

「そうなのか?」

「うん、小学生の頃はよく虫取りや山菜取りに来たんだ」

「そうか! よろしくな!」

 ヒマワリみたいに明るく笑うフローラ。


「頼んだぞ、藪に入る前に虫除けスプレーを忘れない事! あと、お互いの位置情報をオープンにしておくように。それでDOLL達は集音マイク最大で、はぐれ大型動物の気配に注意。農林水産省の大型動物位置情報サイトで大型動物をモニターして、それぞれのマスターに随時報告すること」

「はい」「は~い」「ハイ」三体が答えた。


 現在は大型野生動物にはGPS発信機が付いており、行動が逐一監視されている。モバイルやDOLLで位置情報を確認でき、以前のように野生動物との遭遇による事故が格段に減った。

 GPSタグは一年に一回、個体追跡により、新規個体情報が更新される。そして、その個体追跡にはなんと、国の静止衛星による超望遠カメラが使われているそうだ。


 ……まあ、今時、マタギよろしく山ん中ウロウロして動物探すのも時代遅れだものな。

 てか、そんな高解像度の衛星画像があるなら、そっちを利用……いや、天気やプライバシーや機密問題があるからムリか。残念。


「さくら、今はどんな状況?」

 早速聞いてみる。

「ん~とね、南東約400メートルに五歳でメスのカモシカの親子、北約七700メートルに三歳の猪のオスがいるかな、一キロ以内はそんな所だよ~」

 モバイルでもできるが、口答のやり取りのほうがいいと実感する。

「そうか、カモシカは大丈夫だね。猪は300メートル以内に来たら教えて」

「は~い」

「イノシシは危ないのか?」

 フローラが聞いてくる。

「うん。食べられるような事態にはならないけど、気性が荒い個体は牙で突き上げたり噛みついたりして威嚇するみたいだよ」

「そうか。豚の近縁だから何となく無害な気がしてた」

「そうかもね。俺も直接であったことはないけど、ふもとの農家の人がたまに襲われたってニュースが流れるね」

「そうか。オレも肝に銘じておこう」


 そうして二手に別れ、山の散策を始めた、

「じゃあまずどこへ行く?」

「そうだな、明るい南斜面からだな」

「OK」

 そうしてヤブ漕ぎをしつつ斜面を下り、フローラは桜の観察を始めた。

 一心不乱に、まるで小さい子供のように青い瞳を輝かせて、木々の間とヤブを掻き分けながら桜を調べるフローラ。

「……南斜面は、と…奥丁子桜は散っているな、霞桜はまだ蕾、山桜が二分咲き、花は標準、色は薄紅、若葉の色は茶、やや粘性有り、樹皮は皮目強く、やや荒れ気味、色は紫檀……」

 OKAMEに見せ、樹を指し示しながらそう解説しつつ、画像を記録していくフローラ。

 二頭身(ファニー)モデルのOKAMEがフルに活躍している。

 ――そうか。この為のDOLLモデルだったんだ。

 フローラが二頭身(ファニー)のOKAMEを使っている訳を素直に納得した。


 観察と撮影のついでに花を一セット採取し、三角の小さく白い紙袋に入れ、採取日時を英語でメモしていた。

 動画での説明は日本語、こちらは英語だ。……おや?

「フローラ、一つ聞いていい?」

「なんだ?」

「解説は日本語で、採取記録は英語なのはなんで?」

「ああ、それはだな、桜の形容詞の専門用語は日本語が多いから、後日改めて翻訳するのさ、なんといっても桜の本場は日本だからな」

「おお、すごく納得だ」

 お父と同じく、好きな事を話している時に極上の笑顔になるのは、フローラも同じだった。

「そういえば裕貴は桜が何種類あるのか知っているか?」

「……あ~いや、実はほとんど知らなくて、庭にある桜と数種類くらいしか知らないんだ」

 以前、“桜研究家の子孫プリシフローラ”の前で、先輩相手に偉そうに言ったことが、今更ながら赤面ものの赤っ恥だと気付いた。

「そうか。でも、それだけ知っているのも珍しいし、とっさに口にできるほど、知識が馴染んでいるのも大した事だと思うぞ」

 少し照れつつ、なぜかフローラが誇らしげにフォローしてくれる。

「!!っ……そっ、そうかな?」

(へ~~、ゆーきってすごいことができるんだねえ~)

 昨日さくらが呟き、理由を答えなかったセリフを思い出す。

 ……そうか。こういうことだったのかな?

 胸ポケットのさくらを見るとニッコリ笑っており、その考えが正しいことを悟った。


「それで桜の品種だが、品種名がつけられている、いわゆる“園芸品種”がおよそ600種余りある」

「ろっ、600種? 桜ってそんなにあるの?」

 その数の多さに驚く。

「ああ、原種が日本では9種類、中国に30種類ほどがあるが、園芸品種は日本が一番多いな」

 あ、原種は中国の方が多いんだ。ちょっとショック……

「……ふうん。まあ、日本が園芸品種が一番多いってのは納得だね」

「そうか? オレはバラなんかに比べれば、はるかに少ないからちっとも多いとは思わないぞ?」

「600種って十分多い気がするけど、バラとどれだけ違うの?」

「バラがおよそ3万種ほどだな」

 フローラが驚きの数字を少し不機嫌そうに言う。

「ええ~~~~? ってバラ多すぎだろ! 歴史と伝統半端ねえな!」

「……まあ桜だって歴史は1500年以上あるし、伝統の奥深さは十分だと思う」

「そうだねえ。……でも品種の数はどっちもびっくりだよ」

「ちなみにウメも中国を中心に万を超える品種の数があるし、人気の花卉かき類で万を超える品種があるのはそう珍しくもないな」

「う~~ん……そう言われると確かに600種は少なく感じるね」

「だろう? 大好きな国の花が、そんなことで後れを取っているのは我慢ならないんだ」

 欧米人らしく照れも気後れもなく“大好き”と言い放つフローラ。それにはやはり同じ真摯な言葉で返さなくちゃと思う。

「うん、この国を“大好き”になってくれてありがとう」

 そう言うと、今更ながら自分の言葉に照れたのか顔を赤らめ、少しもじもじして話題を変えてきた。

「そっ、そういえば山桜はラテン語の学名でも〝Prunus《プルヌス》 jamasakura(ヤマザクラ)〟なんだぞ?」

「へえ、そのまんま通用するんだ」

「ちなみに〝桜色〟、正確な色の〝淡紅色〟をどう訳すか知っているか?」

「いいや、知らない」

「フフ、〝ジャパンピンク〟だ」

「あれえ?、〝very pale orchid pink(ベリーペール オーッキッドピンク)〟じゃないの~?」

 さっそく調べたらしいさくらが聞き返してきた。

「そうだ。だが普通に訳せば〝ベリー・ペール・オーキッド・ピンク〟になるが、そもそも〝orchid(オーキッド)〟はピンクの〝ラン〟の事で、植物を他の植物で表現するのは語弊がある、だから植物学界では〝ジャパンピンク〟と訳すのが普通だ」

 まあ、確かに〝黄色いチューリップ〟を〝山吹色〟っていうようなものか。

 しっかしディープなトリビア。さすがだ。

「あれ? でも、もっとストレートに〝チェリーピンク〟とかじゃないんだ」

 そう言ったとたんフローラが赤爆した。

「そっそそそ、NO、いや、ちっちっち―ち、違う!」

 なんだろう? すごくうろたえている。

「……ゴメン、なにか悪いこと言ったかな?」

「~~~~~~む、……ハァ、そうだな。――あ~日本では〝童貞〟の事をなんと言う?」

「チェリーボーイ……そうか!」

 性的なスラング(俗語)か!

「そうだ、英語の俗語でチェリーはバ、〝バージン・小娘〟……と、とか、ゲ、〝ゲイの童貞〟……まあとにかく性経験不足……の未熟者……とか〝半端ものの若者〟って侮蔑的な意味(ニュアンス)が……ある」

 しどろもどろに説明すると真っ赤になって俯くフローラ。

〝童貞〟以上の意味もあったんだ、てか、ゲイも含まれるんだ――って、俺もしかしてセクハラ発言させてる?

「そ、そうなんだ、へ、へ~~、じゃ、じゃあ前後の文脈無しに、〝チェリーガール〟何て言っ……うっ」

 言いかけて口をつぐんだ。英語で〝サクランボのような~〟と言う単用の比喩は褒め言葉にならない。

 それどころか〝小娘〟〝未通娘(おぼこ)〟とかって侮辱になるんだ。

「そ、そうだ、気をつけろ」

 つぐんだ先を察したフローラが答える。

「あ、あと、その……チェリーにはも、もう一つ意味が…ある」

 ……てか、まだアルですか?

「う…、どんな?」

 なんだろう、いやな予感しかしねえ。

「…………ロストバージンの血の色」

「ほへ?」

 アホみたいな返事。俺も動揺しまくり?

「ロストバージンの血の色だっ!」

 またやっちゃった!!!!

「「…………………………」」

 ……沈黙。

 大告白をして返事待ち。じゃなくて何か一線を越えたように、お互いに赤くなって硬直する。

((………………どうしよう?))

 おそらく、お互いにそう考えて硬直(フリーズ)していたその時。

 バチッ!

「痛っ!~~~何だ?」

 突然左胸に鋭い痛みが走った。

「どうした?」

 我に返ったフローラが心配そうに聞いてきた。

「ご、ごめんなさい~」

 と、さくらが謝る。しかもロボットのクセにどうしたわけかどもっている。

「あー、いや、さくらに〝ライト・スタン〟かまされた」

「動物撃退用のか?」

〝ライト・スタン〟DOLLに装備された自己防衛機能の一つで、軽度のスタンガンで、動物などに危害を加えられそうな時、この機能で動物を撃退するのだ。

 通信が主な用途とはいえ、自立マシンである以上、※アイザックアシモフの〈ロボット三原則〉が採用されている。

 ――はずなんだが……

「うん。――どうした? さくら」

「わかんない~…ごめんなさい~~、ゆーき大丈夫?」

 肩に這い上がり、本当にすまなそうに謝る。

「ああ、大丈夫だ……う~~ん、システムエラーかな? アップデートの有無を問い合わせてみて」

「は~い」

 ……数秒後

「あ、ある~――どーする?」

「時間と内容は?」

「作業予測時間五分二十三秒で、OS(オペレーティングシステム)に干渉するから再起動が必要~」

「けっこうかかるな、再起動も必要なら専用クレードル(ピット)でやったほうが安全か。こんな通信状態のよくない所で、大事なアップデートすることもないしな」

「うん、ありがとう~、ゆーき~」

 両手を握り締め、お祈りのポーズで礼を言うさくら。

「さくらのマスターだから当然だ、だからありがとうは要らないんだぞ」

「言いたいから言ったんだよ~、ふふふ~♪」

 コシャクな学習してるなあ。左耳に腕を回しスリスリするさくら。何だろう、気持ちいいぞ。

「ふ~~ん」

 フローラが腕を組み、あごに右手を添えて怪訝そうに聞いてきた。

「やけに人間くさいキャラだな、有料版か?」

「いや、とある芸能プロの無料版、オリジナルはさっきお父が好きだって言ってた、昔のマルチタレント。――亡くなってるけど」

「日本版のキャラはみんなこんな感じなのか?」

「さあ、ほかのキャラはよく知らないなあ。けどまあ、元が芸能人キャラなせいなのかよく喋るよ」

「いいな、反応が人間くさくて」

 だが、言葉ほどよさそうな顔はしていない……?

「そうだね、気に入ってるよ」

 そう答えた直後。

「東方面230メートルまでカモシカの親子が近づいてきたよ~」

 さくらがアナウンスする。

「親子化……子連れだから気を付けたほうがいいけど、大きな音を立てれば離れると思うよ。どうする?」

「侵入したのはこっちだからこちらが離れよう。南側は大体記録できたしな」

「了解、行こう」

 と、斜面を登る為、フローラの手を取るとフローラが一瞬呆けたが、俯いたまま握り返してきた。

「うん……」

 車に一旦戻り、採集品を置き、水分補給をした。

「お手洗いは大丈夫? ここから下のコンビニまでは十分位だから、行きたくなったら早めに言ってね」

「ああ、大丈夫、裕貴は意外とやさしいな」

「意外とは余計だ」

「ふふ、そうだな。――やさしいよ」


  „~  ,~ „~„~  ,~


「…………さてさて、青春してるなあ」

 昇平が東側の道路沿いで山菜を採りながらつぶやく。

「パパ、ひなは盗み聞きはよくないと思いますよ?」

 集音マイク最大で、肩に乗せたひな紅に音を拾わせ、聞き入っている。

「これは保護者としての監督責任さ、ひなちゃん」

「そうなんですか、わかりました。パパ」







 ※作者中〈ロボット三原則〉とは。

  第一条

ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過する事によって、人間に危害を及ぼしてはならない。

  第二条

ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

  第三条

ロボットは、前掲第一条及び第二条に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない。


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