暁桜編〈Que Sera Sera〉

 翌朝。

 フウッ……

 空気が揺れる気配。

 花……の…かおり?

 涼やかな香りが鼻腔を過ぎる。

 スルッ…………ササッ……

 柔らかい何かがこすれる音。

 ググッ。

 …………うん?

 頭の両脇のベッドのスプリングが沈み、かすかな浮揚感覚に三半規管が反応し、目が覚める。

(・・・・・・・・・)

 心地の良いさえずりに似た音が耳をかすめる。

 だが痺れにも似た様な感覚に支配され、五感があやふやになっている。


(・・・・・・・・・・・・・・・)

 慌てず潜水病に気を付けるように、ゆっくりと意識を浮上させる。


(・・・・・・・confide it?)

 覚醒とともにようやく全身の五感を知覚すると、何かを囁いているのだと知った。

(・・・・・・・・・without you…………)


 薄くぼんやりと目をあけると、溢れる逆光の中に、一枚の桜の花びらに似た、ぼやけた輪郭がゆっくりと揺蕩たゆたい、ゆるゆると踊っていた。

 …………?

 不思議に思いゆっくり目を凝らすと、一対の蒼石サファイアが明滅し、金色のカーテンが視界の左右を覆っていた。

 それが人の顔だとわかり、桜の花弁のような唇が自分の名を呼んだ気がして、かすかに上気した頬にそっと触れると貝が閉じるように強張った。


オレ?……何?……もう一度……

 声になったか定かでない。

 ――誰だっけ?

 朝日の洪水の中、その中で揺らぐ天使を見定めようとまぶたに力を込める。

 金髪……?

 夕べ見た圭一のくれた洋物アダルトビデオを思い出す。

「……こんなAV女優いたっけ?」

 次の瞬間。


「起きろボケ~~~~~!!」


 布団を剥ぎ取られ、ベッドから思いっきり蹴り出される。

「ななな!! 一体????」

 ガンガンする頭を振り、よろけながら起き上がると、ツナギ姿で腕を組み、仁王立ちしたフローラが居た。


「……目が覚めたか? 裕貴」

 凄まじい怒気をはらんだフローラに一瞬で眠気が消し飛び、うやうやしく申し上げる。

「…………ナニゴトデショウカ女王陛下」


  „~  ,~ „~„~  ,~


 スリープモードのさくらを起動して階下に行き、顔を洗う為に脱衣所に行く。

「どうしてフローラがゆーきを起こしたの?」

 脱衣カゴの上で、タオルをひらひらさせて遊んでるさくらが聞いてきた。

「……ん、俺も判らないからお父に聞いてみる」


 そうしてリビングに向かうと、ママがキッチンに立っていてこう言った。

「おはよう裕貴、すぐにご飯にするからちょっと待ってて」

 

「うん。…………ねえママどういう事? フローラはお父と出かけるんじゃなかったの?」

 はた、と手を止め、うつむきながらママが言う。

「……ねえ裕貴、ママね、ちょっと心配なのよ。フローラちゃんとパパが二人だけで山に行くの。……色々と“危ない事があるんじゃないかなって思う”のよね? だから今日は二人に付き合ってあげてくれるかなあ……」

 やべえ、マジ切れしてる。

「わかりました母上様。――ところでお父は?」

「寝室で二度寝してる、準備が出来たら起こしてあげてくれる? **《ピー》てたら、だけど、フ、フフ……」

 ……これは〆られたな。


「…………了解」


 ママの言葉通りに受け取ったらしいフローラが先ほどの怒気もどこへやら、なぜか上機嫌でリビングの入り口に立って俺を見ている。

 その視線に落ち着かないものを感じ、何となく第三者がいて欲しくてフローラに言ってみる。

「フローラ、悪いけど姫花にも声をかけてくれる?」

「いいのか?」

「ん、たぶん喜ぶと思うよ」

「わかった、ふふ、ハグしてチューしてやろう」

 本当にゴキゲンだ。

「俺には?」

 お約束。

「知らん!」

 怒っちゃった、……AV女優呼ばわりはまずったよなあ。

 ――数分後、頬に両手を当てて、水色に花柄のパジャマ姿の姫花が、腰に腕を回されメロメロになってエスコートされてきた。

「もう、フローラったらあ……うふふふ♪」

 堕ちたな。

「ありがとうフローラちゃん、裕貴の朝食が済むまでお茶でもいかが?」

 ママがフローラに声をかける。

「頂きます」

 この間の残りの紅茶だけどね、とママが言い、とんでもない大好きです。と答えてた。

 ふーんそうか、覚えとこ。

「ところで裕貴、どうしてママは“ママ”でパパは“お父”って呼んでいるんだ?」

 フローラが聞いてきた。

「あれ? そういえば知らないや、どうしてだろう? う~~ん、物心ついた時からそう呼んでる気がする」


「お答えしよう!」

 仰々しくドアを開け、大の字の姿勢に右手を上に上げ、指を立ててお父が登場した。

 顔の引っかきキズと腫れ後が痛ましいが同情しない。

「それはだな、お父は子供といえど、男に“パパ”と呼ばれたくなかったからだ!」


「サイテーな理由だな!!」

 初めて知る自分のルーツの一端を垣間見て憤る。


「ふふ、思い出すねえ、最初は“おとうさん”って呼べなくて“おとうたん”になって、さらに“おとう”になったんだぞ」

 ドヤ顔で言う。

「……これからはクソジジイって呼んでいいかな?」

 人差し指を立て、チッチッチッの仕草。

 ウゼェ……

「そんなことをすればお前の恥ずかしい画像を拡散させるぞ」


「「見たい!」」


 フローラとさくらが即答する。

「うぉい! コラ! 変な所で同調シンクロするな!!」

 こいつら鬼畜か?

「んじゃあ後でメルア(ビクッ)……」

 ママがキッチンから包丁を上に向けながらにこやかに睨んでいた。

「ま、まあそれはさすがにヤメといて――さらに、お前の誕生日だっ!」

「まだ何かあるのか!」

「遅生まれで人より体格差が少なかったろう?」

「う……それはあった、“一学年上にいたら”……とか考えた事はあった」

「お父も成長が遅いほうだったから考えたのさ!」

「そっか、ありがとう」

 そこまで考えてたのか。


「ふふふ、これが本当の“仕込まれた子供”だ!!」

「ありがとう返せ!」

 しかし、お父ヘンタイがさらに続ける。


「“寝る夫婦”と“親類補完計画”!」

 一瞬、十字架にフォークで縫い付けられ、変なマスクを被せられたキュー○ーちゃんのが頭に浮かぶ。

「うまっっ、じゃない……うくく」


 笑っちゃダメだ笑っちゃダメだ笑っちゃダメだ笑っちゃダメだ笑っちゃダメだ……。

 あまりのくだらなさに感情反転マインドリバースが起こり、必死に耐える。


「くくく、……ねえママ、俺はママが不倫して出来た子供だよね!」

 笑いをこらえ、精神汚染をブロックしつつ聞いてみる。

「大丈夫よ、ちゃんと半分はイブの血が入っているから」

 過去の腐女子えいこうの片りんを見せ、ノッたママが自分を指さす。

「OH MY GOD……」

 そう呟き天を仰ぐ。

 ……献血で自分の血を捨てたい。


「アハハハ…」

 DOLLの中でさくらだけが声をあげて笑っている。

 フローラはといえば、ソファに逆正座してうつむきの背もたれに顔を押し当て、無言で震えている。

「パパ」

 ムスっとして聞いていた姫花が口を開く。

「いい加減にしないとあたし怒るわよ」

「ゴ、ゴメン姫花、パパが悪かった、みんなもゴメンなさい」

 一言で止めよった!

「だから姫ちゃん、パパを無視しないでね」

 ……情けねえ。


  „~  ,~ „~„~  ,~


 朝食が済み、準備を始める。

 汚れてもいいよう、さくらにはお父が持っていた白と黒のモノクロ作業用タイトスーツを着せた。

「お? これなかなかいいな。学校で実習がある日に着ような」

「ふふふ、は~~い♪」

 フローラの方は姫花に髪を三つ編みにしてもらい、頭のてっぺんで丸くなるように止め、つば付きの帽子を被っている。

 姫花はフローラにお礼のキスを頬にされ、またもやメロメロになっている。

 薄いブルーの作業ツナギを着込んだ彼女は、某高級洋工具メーカーの、ピンナップガールのようだ。

 こんな美女にキスされたら、同姓でも舞い上がるよなあ、……性格知らなければ。

 それから三人で駐車場に立ち、お父が言う。

「ん、じゃあ長袖長ズボンまたはツナギに運動靴手袋ツバ付き帽子に首タオル、ついでに虫除けスプレーの準備はいいかな?」

 首タオルは恰好は悪いが、やぶ漕ぎをする時に首周りを小枝やイバラから守るのに使う。

 山道を通らない入山を舐めてかかって、首を露出させて笹薮ささやぶなんか入ろうものなら、首周りが擦り傷、切り傷だらけになり、入浴が拷問になってしまう。

「「OK!」」

「ま、山に行ってからでもいいけど、着替える場所ないから勘弁してね」

「「了解」」

それじゃあ、お嬢さん、私の“2シーターミッドシップ、7段シフト、フルタイム4WD”のスーパーカーにご乗車下さい」


「……?」


 キョトンとするフローラ。当たり前だ。

 ちなみに前進、後進のスーパーローギアの2速、ノーマルギア4速とバックギアのマニュアル5速の、合計7速の事で、1~6速&バックギア搭載のスポーティーマニュアルの事ではなく、住宅街をトロトロ走っている廃品回収や移動販売業者がよく使っている軽トラック車の事だ。

 スペックだけ聞くと、いかにも高級スポーツカーっぽく聞こえる。

「カッコよく言っても軽トラじゃねえか! つか、俺どこに乗るの?」


「荷台」


「~~っっ!! …………ひな、道路交通法違反だ、通報して」

「……んっと“荷物等の見張り”ならOKみたいですよ?」

「ムゥ……」

 返答早っ! “……んっと”の時間で調べてたか。さすがDOLL、隙がない。

「冗談だ、言ってみたかっただけだ、スマン――ママの車で行こう」

「く~~~………………(このオッサンは!)」

「じゃあ出発しよう」


 ――最近の大都市圏では道路マーカーが整備され、ほとんどの車にもドライブアシストが装備、ドライバーはハンドルを握ってさえいれば目的地に着く。

 だがマーカーのある道路は、まだ地方圏では二級国道までか、一級県道までで、片田舎の三級県道になると、道路マーカーも布設されていないのが現状だ。

 自動車も新しいものはDOLLと連動したオートドライビングも可能だが、まだまだ普及しておらず、いなかの方では未だに普通ガソリン自動車が現役として動いている。


 ……おや?

 車に乗り込むと、嗅ぎなれた香りがするのに気づいた。

 フローラに向き直り聞いてみる。

「そのシトラスのコロンは?」

「あ! ああ、さっき姫花に借りたんだ。……気付いたか」

 フローラはちょっと照れながら答えた。

「うん、俺も好きな香りだからね」

「ふ、ふ~んそうか、良かった。気に入ってもらえたようで」

 俺? ……ちょっと意外。

「……あ、うん、ありがと」

 これから山へ行くのに、コロンをつける意図がわからず、曖昧にお礼を言った。

 下を向き膝の上で手を組み、指を重ねてはほぐし、ほぐしては重ねている。


 ……どうやら退屈らしい。


 そのうちにお父が聞いてきた。

「そうだ、裕貴のさくらに歌を歌って欲しいんだけどいいかな?」

「いいけど…何を?」

「Que Sera Sera(ケ・セラ・セラ)」

「その歌は!!」

 フローラが驚いた。

「うん、イギリスのウェールズ出身の歌手も歌っていたよね」

 こくこくとにこやかに頷くフローラ。

「フローラはウェールズ人とは確執があるのかな?」

 わからん、イギリス国内でも人種が違うとは聞いたことがあるけど……。


「いいえ、今は廻りもそれほどではありませんし、私もその歌が好きですよ」

「それはよかった。いろんな人がカバーした曲だけど、お父はイギリスの“メリー・ホプキン”と“霞さくら”が歌っていたのが大好きだね」

「そうなんだ、それは俺もまだ聞いたことがないなあ」


 レトロとはいえ、歌手やアイドル系の表層人格キャラクターマスクは、その持ち歌もセットになっているのが普通で、“霞さくら”も例に漏れずに持ち歌がセットされていた。


「まあ、シングルのカップリング曲だったからね。じゃあさくらちゃん。ダッシュボードに座って歌ってくれるかな?」

「は~い♪」

 嬉しそうに言われた位置に座るさくら。オリジナルがマルチタレントキャラだからだろうか、すごく嬉しそうだ。

「じゃあ車のステレオとFMトランスミッターで接続コネクトするからチョット待ってね~」

「いや、そのままでアカペラがいいな」

 と、お父が言う。

「いいよ~」

「待って。なんでアカペラ? 車のステレオとリンクしたほうが音がキレイじゃん」

 不思議に思い聞いてみた。

「そうだね、でもお父は、オリジナルのさくらの生歌を知って。――覚えているんだ」

「「!?」」

 フローラと二人、意味が分からずにキョトンとする。


「だから音が悪くても、人型の外見ビジュアルとニュアンスでもってこうして目の前で歌ってもらう方が、“思い出”に近いからお父は好きなんだよ」

「ああ。……だから、お父はさくらのキャラをインストールしなかったんだね」

「正解だ」

 あれだけファンを公言していて、何故そうしなかったのかやっと理解した。


 どんなよく出来たプログラムや記録、ロボットでも、美化された思い出以上にはならない。

 そう、古い記憶おもいでを大事にしたいから、新しい思い出で“上書き”したくないんだ。

「ふうん。そういうものか。じゃあさくら、歌ってやって」

 とはいえ、理解はできてもそこまで人生に厚みがなくて、実感はできないので適当に返事をしてさくらを促す。

「は~い♪」


  When I was just a little girl(私がまだ小さかった頃)

  I asked my mother what will I be(ママ、私はどんな風になるかしら?)

  Will I be pretty, will I be rich(可愛くなる? お金持ちになる? って)

  Here's what she said to me(ママはこう言ってくれた)

  Que sera, sera「ケ・セラ・セラ」(なるようになるわ)

  Whatever will be, will be(気にしてもしょうがない)

  The future's not ours to see(先のことは誰も判らないわ)

  Que sera, sera「ケ・セラ・セラ」(なるようになるわ)

  What will be, will be(気にしてもしょうがない)


  ~~~~…………♪


「……ありがとうさくらちゃん」

 4番まで歌い終えたさくらにお父が言った。

 感無量といった顔でお礼を言うお父。


「どういたしまして~♪」

 ぺこりと可愛くお辞儀をするさくら。

 かわいい。

 ……そうだ、オリジナルの思い出のない俺には、現在進行形で等身大イメージの、今のさくらが一番いいんだ。


 そうこうする内に市街地を抜け、山道に入ると標高差から耳鳴りがしてきた。

 フローラもそうらしく、しきりにこめかみを指で押している。

「ひょっとして耳鳴りがする?」

 聞いてみた。

「ん? ああ、うん」

「んーとね、口を閉じて、息が漏れないように鼻をつまんでみて」

「フンフ?(こうか?)」


 ぷッククク。

 声にできない笑みが心の中に浮かぶ。

 ……やべ、やらせといてなんだけどフローラのヘン顔面が白い。


「うん。そしたら鼻を膨らませるように軽く息を送ってみて」

「(フン!)」

「どう? 耳が中から押される感じがしなかった?」

「した。耳鳴りも収まった――なんで?」

「詳しくは忘れたけど、今のが“耳抜き”だよ。たしかスキューバダイビングでやるのも同じだったと思う」

「ふーん」

「気圧差で押された鼓膜を内側から押し直すんだよ、覚えておけば海山で役に立つからね」

 と、お父が補足した。

 ――そういえばそうだったな。

「は~い」

 目的地が近づくにつれ、外を見ていたフローラのテンションが上がってきた。

「Wao! すごい、奥丁子桜と山桜が同時期に咲いてる。ショウヘイサン、なぜですか?」

 子供みたいに目を十字に輝かせて聞いてくるフローラ。

 ……てか、走る車内から桜の品種が判るなんて、どんだけ知っているんだよ。


「ここら辺は豪雪地帯でね、背の低い奥丁子桜は雪に埋もれて開花が遅れる。逆に背の高い山桜は普通に咲く。北斜面と南斜面、峰と谷底でも開花がバラついてる。そしてそれが理由でここら辺の桜は種間雑種化が進んで、他のどの地域よりも多様化しているんだ」

 お父の言う通り南斜面は新芽がちらほら見えるが、山を越え、日蔭の谷底を見ると、五月初旬だというのに白い雪がわずかに残っていた。


「早く直に見てみたい!」

 お菓子を貰えそうな子供の様に喜ぶフローラ。

 今までで一番幼い“女の子”のフローラを見た気がした。

 フローラはその後も目的地まで英語交じりではしゃぎ続けた。






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