第42話
クロガネが目の見えない生活に慣れてきたこともあり、いろいろとその世話を焼いていたナルセは、ようやく研究所に戻ることができた。肩書きは所長だったが、死神との戦いが終わった今、実際のその仕事は《機械》に関するデータの整理とその処分だった。《機械》に関するデータは最高レベルの機密情報とされ、その取り扱いはきわめて厳重でなけらばならず、ナルセはクロガネが最も信頼していた部下であるタカマツと二人だけでその作業にあたることになった。膨大なデータを精査しながらの作業はかなりの集中力を要求され、骨の折れる仕事だったせいで、一日が終わるとずいぶんと疲れてしまう。
「ずいぶんお疲れのようですね、顔色が少し悪いようにも見えますよ」
休憩時間、ソファに横になってぼうっとしていたナルセに、タカマツが声をかける。確かに、連日の作業のせいでかなり疲労がたまってしまい、体がぐったりとして重い。
「君も、あまり健康そうな感じではないね」
ナルセがタカマツの顔を見てほほ笑む。
「私は、体力には自信があるんですよ。学生時代は、これでもマラソンの選手でしたから」
「そうか、僕は研究ばかりしていたから、ヤワなもんだよ。情けないけどね」
そう言って、ナルセは目を閉じ、ゆっくりとため息をついた。この作業がちゃんとスケジュール通りに終わるのだろうかと考えると、あまり楽観的にはなれない。
「少し、部屋に戻ってお休みになったらどうでしょう」
タカマツが心配そうな顔をしながら提案する。だが、ナルセはそれに対して首を横に振って答えた。
「一応、《機械》の詳細データは機密情報だからね。あまり一人だけで作業を管理するのは良くない。もちろん、僕は君を信頼しているし、君も悪用なんかしないとは思うけどね」
タカマツが笑う。
「大丈夫ですよ。私も死神をなんとかしたいという思いでこの研究所に入った人間ですし、その役目を終えた《機械》を今さらどうこうしたってしょうがない」
ナルセは無言でうなずく、疲れていることを指摘されることで体がその疲れを思い出したかのように、さらに重くなってしまっていた。
「とにかく、休んでください。ナルセ所長に倒れられたら、よけいに《機械》のデータ管理が困難になってしまいます」
「……確かに、そうだね」
「どんな仕事も、健康あってのものですよ。だから、自分の体のことを最優先に考えてください」
ナルセはしばらく考えてから、結局タカマツの提案を受け入れることにする。このままぶっ続けで作業をすれば、本当に体調を壊す可能性がないわけではなかった。慎重すぎる気もしたが、確かに体調管理が最優先だ。
「悪いね、そしたら、お言葉に甘えさせてもらうことにするよ。君も、今日は休むといい」
「分かりました、この作業がキリの良いところまで済んだら、私も休むことにしますよ」
「そうか、それじゃあ、僕はお先に失礼するよ」
「お大事に」
そしてナルセが部屋を出て行く。その背後で研究室のドアが閉まり、足音が遠ざかっていくまで、タカマツはじっとそちらを見つめていた。
――《機械》の真の創造者、不世出の天才科学者か……。
タカマツはひとり言を呟く。確かに、ナルセはその温和な風貌からは想像できないような、ほとんど超人的な能力を持った人物だった。
――だが……。
タカマツは、ポケットに忍ばせていたメモリーチップを取り出すと、それを端末に接続する。
――しょせんは、お人好しだ。
そして、タカマツはそのチップに、膨大な《機械》のデータをコピーしていった。
――これで、全て終わったことにされてたまるか……俺は、あともう少しでここの所長になれるはずだった。念願だった、科学者としての頂点に立つ予定だったのだ。それを、急に現れたあいつによって全部ふいにされてしまった。ナルセも、クロガネも、そしてあの少年も、みんな、この世界を救ったつもりになっているだろう。だが、俺はどうだ? 俺はずっと日陰の存在だった、そしてようやく表舞台に立つ寸前で、そのチャンスを奪われてしまった。もうこの研究所は用済みで解体されるだろう。そうなると、《機械》の研究に自分を捧げてきた俺もまた、もはや用済みになるのだ。今から新しい分野でトップに立つのは無理だろう。だから、俺には《機械》以外にすがるものはないのだ。ヒーローたちは、いつも世界を救った気になっている、だが、そんなのはしょせん自己満足だ。ヒーローたちが救うのは、結局自分自身だけだ。現に、俺は救われていない! お前らだけ、満足した、幸せな顔をしやがって……! 俺はどうなる? 俺は、これから無用の長物として、空虚な人生をおくることになる、それが、あのヒーローたちに分かりはしないだろう。だから、俺もまた、自分自身を救うのだ。この《機械》によって、新たな混乱を招くのだ。俺がヒーローとして君臨するための舞台を、さらに強化された死神の降り注ぐ地獄を、この世界に生み出すのだ!
画面には、データコピー作業完了を知らせる表示が出ていた。タカマツはチップを抜き取り、それを再びポケットにしまい込む。いつのまにか、手にはじっとりと汗が滲んでいる、恐怖と、興奮と、その二つが、制御できないほどにあふれ出している。まるで、これから自分が創造主になるかのような気分だった。いや、実際に、自分は創造主になるのだ、とタカマツは思う。これから、《機械》の力で、この世界を自らの思うがままにデザインするのだから。タカマツは、その汗ばんだ手を拭うようにして、顔に当てていた。唇についた汗が、舌先に触れる。その汗は、舌が痺れるくらい、強い酸味を帯びていた。
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