第34話

 「ヒヒヒ、ひどいなあ。こんなふうにドロボーしちゃってえ。い・け・な・い・よおおおお?」


 だらんとぶら下げた腕の先で、指をからませるようにぐねぐねと動かしながら、キドは笑っている。タチバナは慎重に身構えながら、キドの余裕の正体を探ろうとしていた。


 「あなたに、人道的に許されない犯罪行為の疑いがかけられてる」


 「ジンドウテキ! あは、は。いかにもヨーロッパ辺りの連中が好みそうな言葉だなあ。君もそいつらにそそのかされたわけだねえ」


 「率直に言うけど、あなたが死神との戦争を口実と隠れ蓑にして、投薬や洗脳行為を主とした人体実験を行っていたのは事実でしょ?」


 「ブハハハッハハッハハハハ! 僕は純粋に研究を行ってただけだよんよんよん。人類の進歩と生存のためさ」


 「純粋な研究? それが多くの人間を狂わせることになったのに?」


 タチバナの顔が怒りでゆがむ。キドはそれでも、あいかわらず笑っていた。


 「しょうがないよお。非常事態だから、完璧な虚無を作り出すために、リンリン倫理に背いても、許されるのよお。それにい、人類の進歩に犠牲はつきものさあ。ペッタンペッタン」


 「まるでナチスのヨーゼフ・メンゲレみたいなヤツね。彼が人体をもてあそんだように、あなたは人の精神をもてあそんだ」


 「うっひょおおおお。光栄だなあ、メンゲレちゃんと比べてもらえるなんて。でも、さすがだねえ、そんな名前を知ってるなんて。それも君をスパイに仕立て上げたヨーロッパの機関にいる連中が教えてくれたのかい?」


 うっかりヘタなことを言うのを避けるように、タチバナはそれには何も答えようとしなかった。


 「フルー・レン・メタル――『金属の花』、か。ブブ、無粋なコードネームを付けられたもんだね。連中も上手くやったもんだなああ、《機械》のキャリアとして送り込まれる直前の君に巧妙な手口で接触しいい、記憶まで呼び戻してええ、そして何食わぬ顔をして君は戦いに参加することになったああ」


 「ホントによく調べ上げたみたいね」


 「そうそうそうだよ。隠しても無駄無駄だよだよ!」


 「ただ、私がスパイかどうかは別にして、そしてそれ以前に、私にはあなたのやったことを明らかにしなければいけない理由がある」


 「ほほ、ほ、ほう? そりゃあどういうわけだい?」


 「あなたが人体実験を行った子供たちの中に、私の兄が含まれているの。両親に連れて行かれた精神病院にあなたがいて、そして兄はモルモットにされてしまった」


 ああ! と叫んで、キドはひざを打って喜ぶ。


 「そっかそっかそっか。それが君がそこまでその仕事に入れ込んでた理由かあ。ぼぼ、僕としては君がどうしてそんなに機関に忠実に働くのかなって、思って、たのよおおお」


 「あなたを絶対に許さない」


 にらみつけるタチバナの視線に、キドは、ひゅう、と口笛を吹いて体をうねらせ、おどけたようなしぐさをしてみせる。


 「こここここここここっこっこっこ、コワあああいなあああ。君のお兄ちゃんはああ、人類の偉大な進歩のためにいい、その身を捧げたんだよおお? だからああ、僕は良いことをおお、したんだよおお」


 「ふざけないで! 私のお兄ちゃんは、あなたが投与した薬で感情を暴走させられ、抱えきれない虚無に苦しみながら、お父さんとお母さんを殺してしまった。それの何が良いことなの?」


 「あははあ。そりゃ、僕のせいじゃないなあなあなあなあ。もともと、そういう人間にはああ、自分の両親に対する殺人衝動があったんだよお。それが人間の本性なの。だからあああああああ、僕がやったのは、それをちょっと過剰にしてあげただけさあああ。そ、そ、それに、そのおかげでえ、今回の戦闘であの少年の虚無を最大限に解放する薬を開発できたんだよお? 君の兄の犠牲のおかげええ、なのさ。君のお兄さんははは、立派立派、ホント立派!」


 その瞬間、タチバナがほとんど衝動的に怒りの声を発しながら《機械》を槍に変えようとする――、だが、その腕の辺りでオレンジ色の閃光が飛び散り、タチバナは弾き飛ばされたかのように床へ崩れ落ちた。


 「オヒョヒョヒョ! あぶなああああああああああああああい、なあ」


 キドは笑い、痺れる腕を押さえながら苦痛にうめくタチバナを見下ろしていた。タチバナの腕はだらりとぶら下がり、真っ赤に腫れてしまっている。


 「なるほど、余裕なのは、そんな単純な理由だったんだね」


 ゆっくり顔を上げたタチバナの目の前に、ショックガンを構えたキドが立ちはだかっている。


 「イヒイヒイヒヒ。《機械》は攻撃までにタイムラグがあるからねえええええええ。こんな至近距離なら、シンプルな武器のほうが強いのさあああああ」


 タチバナは悔しそうな顔で、どうにか《機械》を動かそうともがくが、腕に力が入らなくなってしまっている。なおも侮辱的な態度のキドに対する抑えられない怒りと、思うように動けない無力感に、感情を荒げ、歯を食いしばってキドをにらんでいた。


 「さああああああ、て、さて。君には、どんなオクスリをぶち込んじゃおうかなああああああ!」


 嬉しそうに小躍りしながら、キドは指で注射器を動かすしぐさをしてみせる。死神の仮面をそのままかぶせたような、残酷で無機質な表情に、タチバナは鳥肌が立った。


 「なんてこと……あなたにとっては、全てが実験台なんだね。あなたに、人間らしさはこれっぽっちもないの?」


 「バババハハアバハバッハ! 僕ほど人間らしいヤツはいないよおおお? 純粋に自分の楽しみだけを追求してるんだからんらんらん。君の言う人間性ってのはあ、社会に埋め込まれたプログラムみたいなもんさ。人間というヤツは、ホントはもっと残酷で自分勝手でどうしようもない生き物だよ。ずっと昔にアホみたいに戦争して殺し合っていたときから何も進化してはいない、その頃とまったく同じ生き物だあああああああ。そして、その残酷さにも快楽を見出す、人間というのはああああ、そういうううううう、バケモノなんだよおおおおお。君のおおおおおおお兄ちゃんみたいにいいいいいいいいいいいいい!」


 「黙れ!」


 タチバナは叫んだ。目に涙をためて、必死で《機械》を装着した腕を動かそうとする。それをあざ笑って、キドはショックガンの銃口をタチバナに向けていた。腕のしびれは少しは取れていた、だが、キドの攻撃を防ぐには、あまりにものろいスピードでしか動かせない――。


 「ウキャアアア!」


 ショックガンの衝撃に絶えるように目をつぶり身をこわばらせたタチバナの目の前で、キドが奇妙な悲鳴をあげる。驚いて顔を上げたタチバナは、すぐそばに、一人の男が自分をかばうように立っていることに気づいた。そして、キドの背後にはクロガネが立っており、ショックガンを持った腕をねじり上げている。


 「オヒョヒョウ、ひっさしぶりぶりだねえ。ナルセくうううん」


 腕を押さえられているのになおも余裕を残しているかのような態度で、キドはタチバナの横に立っていたナルセに話しかけた。その名前を聞き、タチバナはぽかんとしてナルセの顔を見る。キドについての調査の過程でも、謎の疾走をとげた重要人物として名前の上がっていた男だった。そのナルセが、なぜここにいるのかと思う。


 「もうやめろ」


 ナルセはひときわ厳しい口調でキドにそう言った。キドの顔に、残酷な悪魔のような翳りがさっと横切る。生臭い爬虫類のような、ひどく不快な目をしていた。


 「お前のお楽しみは、もうお終いだ」


 クロガネが、キドの背後から、抑制された怒りを漏らすような低い声で喋った。キドは何も言わない、やはり爬虫類のように、のどの奥をヒクヒクと動かして、冷たい視線を虚空に放っていた。

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