第33話
「分かるだろう、私は、完全に地獄に堕ちてしまった」
話を終え、クロガネはため息を吐く。何か、全てをあきらめてしまったような顔をしていた。
「いや、まだ希望はあるよ」
ナルセが首を横に振って答えた。
「希望? もう、私にできることは残されてはいない。あの少年が何をしたのかは知らないが、じきに死神も復活してくるだろう。そこで全てが終わる。死神が手を下そうが、人間が手を下そうが、私は最悪の罪人として、死を受け入れるだけだ」
「ところがまだ方法があるのさ」
「……いったいどんな方法だというんだ。君が、何か新たな兵器を開発したとでも?」
ナルセは、再び笑みを浮かべていた。絶望に沈み続けていたクロガネに、大丈夫だ、心配いらない、と語りかけるかのように。
「僕じゃない」
「君じゃない? じゃあ、いったい誰が?」
「ハルミ君だよ」
「ハルミが?」
「そう、ハルミ君は、君を止めることを頭の中で願っていただけじゃない。それを実現するものを、必死で開発しようとしていたんだ」
「いったいどんな?」
「《機械》だよ」
「《機械》……だと? どういうことだ」
「ハルミ君は、《機械》を最も理想的な形で完成させたのさ。君もよく知っているように、《機械》は僕の研究を元にしたものだ。つまり、感情の力で動く装置についての理論を応用したものだった」
苦々しそうに、クロガネはうなずく。虚無という負の感情を利用することをためらい、ナルセはそれを実現させることができていなかったが、その研究成果を自分が盗んでしまうことで、ナルセが望まない形で《機械》を生み出したことへの罪悪感が胸をくすぐっていた。
「確かに、君は僕が思っても見なかったような精度の装置を実用化し、《機械》を創り上げた。しかし、それはどうしても、不完全にならざるを得ないんだ」
「ああ、君が言ってたな。虚無とは、人間にとって不自然なものだと」
「その欠点を克服する完全な装置を、ハルミ君は開発してみせたのさ。彼が自分を失う直前にね」
「それは、いったいどういう装置なんだ?」
「僕も、はっきりとは分かっていない。僕が持っているのは、その研究成果が保存されている電子ノートだけなんだ。自分の運命を悟っていたハルミ君が、最後に送ってきたものだよ」
「ということは、それは見られない状態になっているということか」
「そう、つまり、ロックがかかってしまっている。ハルミ君は、これを君に見て欲しかったようだけど、同時にそれをためらっていた。ハルミ君は、確かに君を止めたがってたけど、君の怒りをちゃんと理解できるまではそれをすべきではないと思ってたようだね。だから、自分が消えてしまうまでに手段だけは残すことにした」
「君は、ハルミのその考えを尊重していたがために、今まで私に会いにこなかったということか?」
「いや、それだけじゃない。ハルミ君は、僕にもう一つの《機械》の開発を託したのさ。君の創った《機械》では、ハルミ君の装置は上手く作動しないらしいんだ。だから、ハルミ君は新しい《機械》に求められる条件を僕に示して、それをクリアできる装置を作って欲しいと頼んできた」
「その新しい《機械》はできたのか?」
「どうにかね。本当は少し前に完成していたけど、僕自身も君に会うことをためらっていた」
「それならなぜ、今になって姿を現した?」
「僕も、君の抱えている憎悪の正体について、何も知らなかったからね。それに、ハルミ君の考えを尊重したかったから、やはり君に会いにくることは難しかった。でも、多くの少年たちが戦いに巻き込まれているような状況を、やっぱりほうっておくわけにはいかなかったし、戦いの状況を見ても、もはや一刻の猶予もないと思わざるを得なかったんだ」
そして、ナルセはカバンから電子ノートを取り出し、クロガネに見せる。クロガネの顔色がさっと変わり、唇を震わせていた。
「……見覚えがあるな。確かに、ハルミの使っていたノートだ」
「これを解除するパスワードが必要なんだ」
「パスワード?」
「そう、僕はそのパスワードを知らない。ハルミ君は、ヒントだけを残したんだ」
「そのヒントでは、君には分からなかったのか」
「そう、君にだけ分かる言葉だと言っていた。君とハルミ君をつなぎ止めていた、大事な言葉だと」
クロガネは首をかしげる。そんな言葉に心当たりはなかった。
「すまないが、見当もつかない。いったい、ハルミはどんな言葉を指しているんだ?」
「そうか。少し、考えてみてくれ。ハルミ君は、きっと分かるはずだと言っていた」
イスに深く腰かけなおし、クロガネは頭を抱える。じっと、ハルミと過ごしてきた時間を思い出しながら、あれこれ考えてみるが、どうしても分かりそうになかった。代わりに、決して良い父親でいてやれなかった後悔ばかりがわいてきて、思わず涙がにじみそうになる。自分は、あまりに過去にとらわれすぎていた、その思いが、クロガネの心を揺さぶった。きっと、ハルミは自分のような人間の子供に生まれてしまったことを、嘆いていただろう。あの子には、生まれてから死ぬまで、幸せな瞬間などなかっただろう。クロガネの頭には、そんな考えばかりが去来してしまった。
「……だめだな、分からない」
クロガネは、深くゆっくりとため息をついて、身を小さくしていた。
「そうか」
ナルセは首を横に振る。
「どうして、あの子はあんなことになってしまったんだろうな」
ぽつりと、クロガネが漏らした。結局、ハルミの病気の原因は分からずじまいだったのだ。それを聞きながら、ナルセは何やら唇をかみしめ、ためらいがちに、クロガネの顔を見ていた。
「何だ? そんな妙な顔をして」
「……そのことで、実は、君に知ってもらわなければいけないことがあるんだ」
「そのこと? ハルミの病気について何か知ってるのか?」
ナルセはうなずく、ひどく、苦しそうな顔で。
「ハルミ君は、単純に原因不明の病気になったんじゃない。そうさせられたんだ」
「させられた?」
「そう、ハルミ君は、意図的にその病気にさせられたのさ」
「何を……言ってる?」
青ざめた顔で、クロガネは目を見開き、ナルセを見ていた。ナルセは怯えたように、目を背け、そして再び意を決したように、視線を戻す。
「医師たちですらさじを投げた病気について、僕とハルミ君は根気強く調査を行っていたのさ。そして、その結果、何らかの薬を投与されていたことが分かったんだ」
「薬、とはいったいどういうことだ?」
「ハルミ君の脳の障害は、とうてい自然に起こり得るものではなかった。そして、その原因が、幼い頃に何らかの化学物質を投与されていたことによるということを突き止めたのさ」
クロガネが頭を押さえ、肩を震わせていた。
「頼む、結論を言ってくれ。誰が、なぜそんなことを?」
「なぜ、というのは分からない。でも、それを行ったのは、おそらく僕らにとって身近な人物だった」
その瞬間、赤い血の奔流のような怒りの影が、クロガネの顔を横切った。今にも取り乱しそうなほど落ち着きを失い、目は血走り、歯を食いしばって、どうにもならない感情の圧迫に耐えている。
「何てことだ。あいつか? あいつがやったのか?」
ひどい胸の痛みで、ナルセの表情はゆがんでいた。クロガネの怒りと悲しみは、想像するには余りあるものだった。
「そう、そんな異様な薬を開発して投与できたのは、あいつしかいない」
「はっきり、名前を言ってくれ」
「……キドだよ」
感情が、音を立てて破裂した。クロガネは天を仰ぎ、怒りの塊を吐き出すように絶叫する。あまりに不条理で残酷な運命に弄ばれ続けた男の、限界を超えた悲しみと怒りが、一匹の獣の長く寂しい遠吠えのように響いていた。
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