第25話
――痛い……!
薬の副作用だろうか、あるいは暴走する感情が輻輳し、暴発しそうになっているのか、頭が激しくうずいて、ゼロシキはひどい痛みに苦しんでいた。虚無は全てを圧倒する津波のように荒れ狂い、存在の全てを飲み込むように渦巻き、白く明るく輝いて、何もかもが存在感を失っていく。脳の奥から首や背筋にいたるまで、痺れるような痛みに襲われ苦しみながらも、ゼロシキはかつてないほどの力が《機械》に集まってくるのが分かった。ほんの少し想像力を注入するだけで、《機械》は密林のように繁殖し、大挙する死神を食い散らかすように抹殺していく、まるで細かいホコリを台風で処理しているかのような、圧倒的すぎる力だった。
ゼロシキは戦場を歩く、ひどい痛みに手で頭を押さえながら、どうにか顔を上げて、その手の陰から、呪詛を浴びせる悪魔のように陰鬱で凶悪な鋭い目をのぞかせ、東京ヘブンズゲイトをにらみつけていた。
――痛い、痛い……!
その痛みがもたらすいら立ちが、全て東京ヘブンズゲイトに向けられているのだ。痛みの重さに沈みそうになる体をひきずって、ゼロシキは亡者のようにずるずると、その入口へと向かっていた。戦場では少年たちの絶叫と、《機械》と大鎌の衝突音、死神が地面にたたき落とされる音、そして首を刈られる直前の少年たちの悲鳴が飛び交っている。どこまでも続く荒野の、至る所に死神と少年たちの残骸が転がり、まだ生きている者たちは、苦痛に顔を歪めながらも、際限のない殺し合いにその身を投じ続けている。死神を一匹倒しても、また次が現れる、逃げる場所はない、全てを失った少年たちの居場所は、その戦場だけなのだ。少年たちは苦しみながら、しかし、そのことを理解していた。今、この瞬間、この場所が、自分たちの生と死の舞台だった。廃人として精神病院に送り込まれ、虚無を抱えているという理由で兵士になり、社会からもてあそばれるように生かされたままになっていた少年たちを、甘い死が両腕を広げてその胸の中へと誘っている。死神に殺される少年たちは、死の恐怖に悲鳴を上げた直後、そこに現れた死が、驚くほど優しい顔をしていることに気づくだろう。自分は、虚無の中へ、ふるさとへと帰るだけなのだ、少年たちはそう感じるだろう。そして、ようやく、決して感じたことのなかった、「幸せ」という感覚の中で、死神の大鎌を受け入れるだろう。地獄のような戦場に飛び交う死は、とても柔らかく暖かな光に包まれていた。虚無が、白く光り輝いている――。ゼロシキには、それがはっきりと見えていた。
東京ヘブンズゲイトの真下、空を見上げる。空はとても暗かった、雲が立ち込めているのではない、無数の死神が、地上に光も届かないくらいに、空を覆ってしまっているのだ。ゼロシキの足元でも、黒い雲が渦を巻くように《機械》が繁殖していく。
「さあ、かかって来い。俺を殺しに来い、俺を憎悪しろ、俺が跡形もなくなるまで、その大鎌で切り刻みに来い!」
空を覆う死神の天幕にゼロシキは叫び、《機械》から黒い弾丸のような塊を、その死神を全て叩き落とせるほどの数だけ撃ち込んだ。まるで天と地を反転させて、足元に広がる《機械》から豪雨を降らせるかのように。黒い天幕は撃ち抜かれ、たちまちぼろきれのようになり、その穴から空の青みが水たまりのように現れる。無数の死神の残骸が天から降り注ぎ地に衝突し、地鳴りのような音を立て砂ぼこりを舞い上がらせた。
「早くしろ、早く俺を殺せ!」
もはやゼロシキは錯乱状態だった、薬は想像以上に強烈に作用し、暴走する感情が制御を失っていた、激しい痛みに暴発する怒りと、無制限に膨張する虚無、そしてその体を駆動させているのは、死の観念以外になかった。ゼロシキは死を求めてさまよっている、虚無の倒錯的な恍惚の中で、あらゆる感情を麻痺に至らせ、そしてそれが頂点に達した瞬間に死を迎えたいと思っていた。
――お前さえ生まれてこなければ……!
――お前さえ生まれてこなければ……!
――お前さえ生まれてこなければ……!
記憶の奥で女の金切り声が頭上と足元、正面と背後から、あらゆる方角から、ハエの群れのように襲いかかってくる、遠ざかり近づき、何度も体にこびりついて病原体をなすりつけてくるように響いた。まるで、死の瞬間を待って、その屍肉を食い散らかそうと狙っているかのように響いた。直線的な、闇に閃く刃物のような月が、何度も頭の中で明滅していた。頭の痛みは限界に達し、だんだんと痛みに対する感覚が麻痺してくる。湧き上がるのは、絶えがたいほどの破壊衝動で、この世界の全てを塵と灰に変えてしまいたかった、そしてその無の世界の上で、孤独の絶頂の中で、激しく動悸する心臓が止まってしまうことを願った。
塔の頂上から、ゆっくりと巨大な飛行船のような塊が降りてくる、八つの首、無数の触手、冷たく光る殺意を抱えて、最強の死神が現れる。
「待ってたぞ。さあ、さあ、殺し合おう、今の俺は、誰よりも強い……!」
ゼロシキの頭上で、無数の触手が広がる、それだけでなく、一本の触手がさらに分離して、もはや何がどうなっているのか分からないくらいにおびただしくはりめぐらされた、しかも、その一本一本が、少年たちを殺してあまりあるほどの力を持っているのだ。ゼロシキはその光景を眺めながら、ふと、なつかしい感覚にとりつかれる、強さに対する強迫的な渇望、それは、この上なくなつかしい感覚だった。
――そうだ、俺は、ずっと強くなりたかったんだ。誰よりも、誰よりも強く……。
足元に広がる《機械》の黒雲は洪水のように嵩を増して、すでにゼロシキの首まで埋め尽くしてしまっていた。
――ずっと、強くなりたかった。
死神はもはや準備万端だった、今度は逃さないとばかりに、ぐるりとゼロシキの全身を覆うように触手をかぶせてきた。
――でも、いったい……。
とうとう、《機械》は完全にゼロシキを飲み込んだ。まっ暗な闇が、ゼロシキを包みこむ、自らの虚無が、完全に自らを飲み込んだ瞬間だった。
――いったい何のために?
ゼロシキを飲み込んだ《機械》は、まるで垂直に進む津波のように死神へと襲いかかる、死神は触手を叩きつけてくるが、圧倒的な密度の黒雲に全て弾かれる、最強の死神はもはやかたなしといっても良かった、為す術も無く、ゼロシキの《機械》に飲み込まれ、体内に侵入した黒雲に食い荒らされながらその動きを止めていく。バラバラに分解され、死神はパンくずのようにぼろぼろと破片をこぼし、風に吹かれて消えてしまった。
固い石柱のようにそびえる《機械》の根元で、ゼロシキは空が見たくなる、だからその黒い石柱を、ゆっくりとほどくように開いていった、まるで、東京ヘブンズゲイトを中心として、黒い花を咲かせるかのように。青い空が見えていた、黒い花びらに囲まれているせいで、太陽が今まで見たこともないくらいきれいに輝いていた。そして、東京ヘブンズゲイトから、再び死神が現れる、無数の死神、それらが全て、八つの首を持っていた。その瞬間、ゼロシキは死を確信する。やっと、すべてが終わる。ゼロシキは始めて安堵したかのように、笑みを浮かべた。まるで神仏のように、柔らかく暖かく、この世の全てを包み込むような笑みだった。
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